幕間 ワケあり妖妃、甜菓をつくる
2000pt突破いたしました!
皆様の応援に感謝の想いをこめ、特別SSを投稿させていただきます。お楽しみいただければ幸甚でございます。
また本日はほんとうならば、アーススタールナ様より発売するはずでした。すでにご予約いただいていた皆様がたには延期となってしまったことを心からお詫びいたします。最後にあらためて、新しい発売日のご報告がありますので、後書きまでお読みいただければ幸甚です。
蟬が賑やかな夏の昼さがりだった。
ふだんならば、暑さにだらけている紫蓮が眼をきらきらと輝かせていた。彼女が夢中になって頬張っているのは蛋黄酥だ。酥生地でつくられた饅頭のようなもので、なかには胡麻餡と卵の黄身がつまっている。
「うん、あまいだけじゃなくて、このしょっぱさがたまらないね」
「さすがは絳様ですよね。ぼく、絳様の甜菓は都一だとおもいます」
絳つきの宦官である靑靑がにっこりとする。
靑靑は朝から激務に追われている絳に頼まれ、紫蓮のもとに蛋黄酥を持ってきた。渡すだけ渡して帰るつもりだったのだが、紫蓮に誘われて一緒に茶会をすることになった。
「いつももらってばかりだからね。お礼がしたいんだけど、なにかあげられるものはないかな」
「ぼくも時々考えているんですが、絳様は物に頓着なさらないので――あ、そうだ」
靑靑があることを思いついた。
「ぼくたちで甜菓をつくって絳様に差しあげるというのはどうでしょうか?」
靑靑の提案はなかなかによいものだったが、紫蓮はずうんと盛りさがる。
「自慢ではないんだけどね。僕はいまだかつて一度だって、まともに飯をたいたこともないよ?」
「ほんとに自慢にならないですね。というか、だったら普段なにを食べておられるんですか」
離宮には女官がいない。
「支給されている黒糖をかじったり甜茶を飲んだり、かな」
「ちょっと待ってください、真剣に紫蓮様の食生活が心配になったんですが、確実に早死にするやつですよ、それ」
「へいきだよ、黒糖も甜茶も健康にいいからね」
紫蓮はなぜか胸を張る。彼女の健康については後から考えるとして、いまは甜菓つくりだ。倉には小麦粉や胡麻、胡桃といった食材がひと通りそろっていた。あとは卵を持ってくれば、かんたんな甜菓ならばつくれそうだ。
「よし、桃酥をつくりましょう」
「えええぇ、むりだよ」
紫蓮は情けない声をあげていたが、靑靑が「ぼくが教えますから」と励ました。
事不宜遅。善は急げだ。翌朝、靑靑は卵を持って、紫蓮のもとを訪れた。朝早かったため、紫蓮は眠い眠いとふとんにしがみついていたが、靑靑の賑やかな声にしかたなく起きだしてきた。
「やるからには頑張ってみるよ。絳に御礼をしたいのはほんとうだしね」
まずは砂糖、塩、豚脂、卵を混ぜあわせる。
「あ」
紫蓮がいきなり、卵の殻を割るのに失敗した。
「なんか、殻まみれになったんだけど」
「あわわわ、すぐに取りのぞいてください」
死化粧にかんしてはあれだけ細やかなのに、なぜ、卵ひとつ割れないのか。靑靑は先を思いやりながら、殻を拾うのを手助けする。この段階で靑靑の生地と紫蓮の生地を分けてつくりはじめてよかったと靑靑はひそかにおもった。
「続けて小麦粉と膨らし粉、重曹を振りいれながら、よくこねます……あっ」
紫蓮がどばっと桶のなかに粉を落としたのをみて、靑靑が慌てる。
「なんでふるいにいれたのに、振らないでいれちゃうんですか」
「ええっ、だって混ざったら一緒じゃないか」
「混ざらなくなるんですってば」
紫蓮のずぼらなところが、完全に悪く出ている。後は生地をまとめ、落ちつかせてから焼くだけだ。紫蓮の生地はまとまっていない。というか、とっちらかっていたが、諦める。焼けばなんとかなるだろう。
「でも、なんか、楽しいですね」
生地をまるめながら靑靑は微笑をこぼして、幼いころを想いだす。
「姐と一緒に甜菓をつくったことがあったんです」
「意外だね。瑠璃はこういうの、にがてだとおもったんだけど」
「そうですね、紫蓮様と一緒でした。分量をはかったはずなのにめちゃくちゃだったり、こげたり生焼け
だったり。それはもう、酷かったです」
瑠璃は家族に炊事から掃除まで押しつけられていたが、彼女は特に炊事が苦手だった。だからだろうか。紫蓮をみていて、懐かしさがこみあげてきた。
「幸せでした」
「そうか。彼女もきっと、幸せだったんだろうね」
紫蓮は心の底から嬉しそうに微笑んだ。
「できたね」
「できた……んですかね」
靑靑がたらりと汗を掻く。紫蓮はご満悦だ。
「僕にだって、できるんだね。ありがとう、自信がついたよ」
「え、あ、はい」
なにはともあれ、後は絳に渡すだけだ。
***
「え、ふたりで焼いたのですか? それを私に……嬉しいです」
絳は満面の笑顔で桃酥を受けとってくれた。
「贈り物なんてもらったのは産まれてはじめてです」
「喜んでいただけてよかったです」
靑靑は安堵する。
桃酥は素朴な甜菓だ。乳脂も牛乳もつかわないのであっさりとしていて、胡麻や胡桃の香ばしさがひきたつ。
「ん、おいしいですよ、とても。よくできていますね。ふたりとも、ありがとうございます」
「その、こちらはぼくが焼いたもので、ええっと」
「僕がつくったのはこっちだよ」
紫蓮が渡す。
なぜか、紫いろに焼きあがった禍々しい桃酥だ。まるめかたもいびつで、生地がまざっていなかったせいか、かたいところとやわらかいところでまだらになっている。
絳は微笑をひきつらせた。たぶん、頭のなかで秤があがったりさがったりしている。だが、紫蓮がつくってくれたという喜びが勝ったのか、幸せそうな表情になる。
「ありがとうございます、いただきますね」
絳は嬉しそうに、それでいておそらくは死を覚悟して桃酥を口に運ぶ。ごりっ、げちょっとおおよそ桃酥からしてはならない異音が聴こえた。靑靑は「はわわ……」となっていたが、紫蓮は「どうかな」と身を乗りだす。
「はじめてにしては、うまくできたとおもうんだけどね」
「…………はい、とっても。独創的ですね。こう、かたくてかみ砕けないのに、ねばりけがあって。その、安楽死できそうな味といいますか、葬頭河がみえるといいますか」
完璧に毒物な気がする。絳は青ざめて噎せそうになりながら、懸命に桃酥を食べ進めている。
「愛ですね、絳様……男のなかの男です」
靑靑はたとえ、どれだけ好きなひとができても、あれを食べることはできそうにない。
「紫蓮のためでしたら、死をいといませんから……うっ」
食べ終えた絳がぐらりと崩れ落ちる。
「絳様あぁっ!?」
靑靑の悲痛な叫びが、蟬の声にまざって夏の空に響きわたる。
紫蓮だけが「はて」と無邪気に首を傾げた。
「気絶するほどおいしかったのかな」
気絶どころか脈がとまりかけていたが、絳の顔はとても幸せそうで、靑靑はあきれるほかになかった。
お知らせ
「後宮の死化粧妃 ワケあり妖妃と奇人官吏の暗黒検視事件簿」は書籍化が確約しており、アース・スタールナ様より9月に出版されます。
イラストは夢子様。加筆修正をたっぷりとさせていただき、すでにWEB版を拝読してくださっている読者様にも新たなきもちで読んでいただけるものとおもっております。ぜひとも今後とも「後宮の死化粧妃」をよろしくお願いいたします。