125容疑者、姜絳
宮廷の最北には霊殿がある。
皇族を始めとした高貴なものが宮廷内部で命を落としたときは、埋葬するまでこの霊殿に安置する。だが宰相とは言えども、宦官の屍が収められるのは異例の事態であった。
霊殿に窓はなく、真昼でも燈火がたかれていた。火の暑さは屍の腐敗を進ませるため、これも特例だ。
柩蓋の上には布に包まれた唐圭褐の屍がある。
綏紫蓮による検視は幼帝や大理寺の官吏たちが陪席するなかで執りおこなわれることになった。まわりは
「死の穢れがありますので」と幼帝をいさめたが、幼帝は頑としてゆずらなかった。
紫蓮は布を解けば、屍があらわになった。
唐圭褐は身をひきつらせ、嗤っているとも恐怖しているとも取れる、いびつな顔で息絶えていた。まわりがざわめいた。渦まく恐怖感、忌避感。幼帝だけが落ちついていた。
紫蓮は続けて、圭褐の服を脱がせた。
男根のない宦官の躰が現れる。
紫蓮はこれまで、死んだ肌に触れることにためらいをおぼえたことはなかった。腐敗が進んでいても、損壊していても。身分がどうであれ、敬愛をもって扱ってきた。
だが、今、紫蓮はこみあげるような不快感に晒されていた。
蜈蚣や蜘蛛といった毒蟲のなかに腕を差しいれなければならないような。
紫蓮はなんとか私情を律して、惑いを絶つ。
「それでは検視を始めます」
腹を割こうとしたそのときだ。
後れて霊殿に踏みこんできたものたちがいた。
ふたりは大理寺の官吏だ。
「このたびの宰相の死が毒殺であった時の、最たる被疑者を連れて参りました」
官吏に挿みこまれるようなかたちで連行されてきた男が、視線をあげる。
「被疑者、姜絳」
紫蓮が眼を見張り、戸惑った。たいする絳は唇に微笑を乗せ、酷く落ちついている。
大理寺の官吏は幼帝の御前ということもあって、袖を掲げながら続けた。
「姜絳は昨晩の後宴において唐圭褐に酒をつぎ、杯をかわした。毒を盛れたとすればあの時をおいてほかにはないと、まわりのものは証言しております。もっとも毒にしては死にいたるのが遅すぎるため、このたびの検視が肝要となりましょう」
絳に疑いがかかっているのは確たる証拠があるわけではなく、姜家のものだからだと紫蓮は瞬時に察する。宮廷とはそういうところだった。
だが、そんな根拠のない疑いが、このたびにかぎっては事実だ。
紫蓮はすでに真実を知っている。
ほんとうは検視するまでもなかった。圭褐の死は中風ではなく毒によるものだ。
毒を盛ったのは――
そこまで思考をめぐらせて、紫蓮は絳をみる。どうしてこんなことになっているのかと視線だけで尋ねかけた。
絳は視線を絡ませてから、緩やかに双眸を綻ばせた。
投げかけられた微笑が、あまりにも曇りのないものだったから、紫蓮は理解してしまった。
「きみは」
ほんとうに救いようがないばかだ――
絳がなにを想い、紫蓮を裏切るようなことをしたのか。疑わせるような嘘をついたのか。いまになって解ってしまった。
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果たしてなぜ、絳は紫蓮を裏切るようなことをしたのか。土曜日の更新をお待ちいただければ幸甚でございます。
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