106妖妃、友ができる
ここからは久し振りに紫蓮視点です。
秋の風が、離宮のなかに吹き抜けた。
あれだけ喧しかった蟬が静かになってから、どれくらい経っただろうか。窓べにかかった紅葉の一葉がいろづきはじめていた。取りとめもなく秋晴れの空を眺め、紫蓮はため息をつく。
さびしいわけではない、はずだ。ただ、夏が慌ただしかったせいか、静かすぎるのが落ちつかないだけで。紫蓮は虎の死骸の頭をなでて、頬を寄せた。その時だ。賑やかな声が聴こえてきた。声変わりをしていないこの声は絳ではなく――
「わっ、こちらにおられたんですね。よかった、声を掛けたんですが静かだったので」
靑靑が顔を覗かせた。
「あいかわらず、きみは賑やかだねぇ」
「紫蓮様は夏が終わっても億劫そうですね」
「秋は秋で、寒くなったり暑くなったり、落ちつかなくてよくないね」
紫蓮は袖を振り、肩を竦めた。
「でも、よかった。紫蓮様がご息災であらせられて。絳様が日頃からご心配なさっていました。ご心配といいますか、朝から晩まで「紫蓮は変わりないでしょうか」とか「眠れているでしょうか」とか「死んでいたらどうしたら」とか繰りかえしておられて」
「あぁ、想像がつくよ、きみもつきあわされて大変だね」
絳は男の身であり、役職を外されては後宮には入れないが、靑靑は宦官であるため、いつでも後宮にくることができる。それなのに、これまで靑靑を遣いにこさせていなかったのは監視を避けるためか。
「えっと、まずはこちらを渡すようにと」
「桃酥だね、絳が焼いたのかな」
桃酥とは胡桃を練りこんだ焼き甜菓だ。
「廊子で一緒に食べようか。甜茶くらいだったら淹れてあげるよ」
「えっ、ほんとですか。じゃあ、ちょっとだけ」
靑靑が嬉しそうに頬を持ちあげる。紫蓮もつられて、唇を緩めた。
「きみはお客さんだからね」
…………
靑靑に廊子で待っていてもらって、紫蓮は甜茶を淹れる。茶杯を盆に乗せ、廊子にいくと靑靑は水路に棲みついた蛙に「けろけろ」と喋りかけていた。志学(十五歳)を越えているとはとても想えない幼けなさだ。
「淹れてきたよ」
靑靑が慌てて振りかえって、頬を紅潮させる。
「あわわっ、紫蓮様! 違うんです、これは」
「恥じることはないよ。嘘をつかない生き物と喋っていると、心が落ちつくんだろう? 僕も一緒だから、わかるよ」
屍もまた、蛙や猫と一緒で虚飾や欺瞞がない。
だから紫蓮は死んだ者たちを愛する。
「幼い時から、馬とか鶏だけが、友だちだったので……あ、あの、ぼく、紫蓮様には嘘をつかないと約束します」
靑靑はなにをおもったのか、おずおずと小指を差しだしてきた。
「だから、その、お友だちになっていただけませんか」
紫蓮は今さらながらに靑靑が親友の実弟であることを想いだす。胸が暖かくなった。だが、紫蓮にはどうしても、指を絡めることができない。
だから、盆に乗せた茶を差しだす。それがいま、紫蓮にできる最大の誠意だ。
「ゆびきりのかわりに杯をかわすというのはどうかな」
靑靑は嬉しそうに眼をかがやかせた。
「こういうのを、桃園の誓いっていうんでしたっけ」
「……それはまったく違うね」
茶杯のふちを、かつんとあわせる。
後はふたりして、絳が持たせてくれた桃酥を頬張った。練りこまれた胡桃が香ばしく、素朴だが飽きのこない味わいだ。
「おいしいですねぇ、ぼく、絳様がつくってくださる甜菓がすっごく好きなんです。なんだか、やさしい味がするじゃないですか」
「ふ、ほんとうだね」
靑靑が公私ともに絳を慕っているのは日頃の振る舞いをみていればわかる。
「きみからみて、絳というのはどういう男かな」
お読みいただき、ありがとうございます。
お楽しみいただけておりますでしょうか?
靑靑の登場は久し振りでしたね。続きは20日(土)に投稿させていただきます。





