10 ひきこもり妃は青空で死ぬ
紫蓮の新たな側面が明らかに……!
現在、斉の後宮には妃妾や女官、宦官あわせて、五百余が暮らしている。これでも先帝が崩御したときに比べては妃妾が百ほど減った。
眠らずの花都と称されるだけあって、街ほどの規模がある。
離宮のある一郭を除けば、何処も財を投じて華やかに飾りたてられていた。離宮は万年日陰だが、後宮の庭は日差しも豊かで、季節折々の花が咲き群れている。いまは梔子と睡蓮の花ざかりだ。
雲ひとつない晴天にさらされて、紫蓮は睫をふせる。
「ううっ、酷い天候だね。眩暈がしてきたよ。日差しが肌に刺さりそうだ。というか、刺さった」
「日にあたったくらいでそんな。妖魄じゃないんですから」
紫蓮はほんとうにふらついている。
「三年は離宮からでていなかったからね。真昼の日差しになんか、たえられないよ」
訳アリの妃である紫蓮は宴に招かれることもない。それをよいことにひきこもり続けてきたのか。
絳があきれて苦笑する。
「とんだひきこもり妃ですね。不摂生は祟りますよ。適度に日のもとで運動をしないと早死にしやすいとか」
「早死にどころか、僕はいま、死にそうだよ……」
塩を振った青菜みたいにぐんにゃりとなっている紫蓮を振りかえりながら、絳は双眸を細める。
実に奇妙な姑娘だ。
屍に接吻をしていたかと想えば、ぞっとするほどの観察眼を発揮し、洞察に富んだ推理を語ったかと想えば、晴れているだけでこのざまだ。
「あなたはいったい」
紫蓮が振りかえる。
「ん、なんだい」
「いえ」
透きとおるような紫の瞳が、絳にあることを想いださせる。燃え滾る恩と怨嗟を。取りかえしのつかない後悔を。
「なんでもありません」
絳は静かに視線を逸らして、胸のうちに湧きあがった想いをのみくだす。
彼の葛藤を知ってか知らずか。あるいは気を紛らわせたかったのか、紫蓮が黄妃について尋ねてきた。
「黄妃は歌媛だったといっていたね」
「ええ、後宮の知更雀と称えられていました。私も宴のときに彼女の歌を聴いたことがありますが、じつに素晴らしいものでした」
実のところは絳には歌の妙というものはわからなかったが、まわりがそろって感銘をうけ、涙をこぼすものまでいたので、素晴らしかったのだろうとおもった。
知人いわく。
「春の訪れを歓ぶような雅やかな響きだと」
「へえ、だから知更雀か」
「ああ、あともうひとつ、彼女には異称がありました」
後宮の知更雀に比べたら、さほど知られていない。ともすれば悪態のひとつだからだ。
「――――舌きり雀」
意外だったのか、紫蓮は睫をあげた。
「ずいぶんと穏やかじゃないね」
「いうまでもないことですが、ほんとうに舌がないわけではありませんよ。そうであれば、歌うこともできませんからね。ただ、黄妃はいっさい喋らないのです。なにを尋ねられても、なにをいわれても、微笑んで頷くばかりで。歌いがいに彼女の声を聴いたものは後宮にはいません」
「誰も、かい?」
「ええ、女官でさえ、黄妃とは喋ったことがないと。必要なときは筆談をしていたそうですよ。識字のできない女官もおりますから、容疑者の女官が読みあげ、黄妃の意を伝達していたとか。舌きり雀という異称は、妃妾たちがおもしろがってつけたようです。もっとも、男たちにはそのようなところもたいそう好まれていたようですが」
女はなにも語らず、微笑むだけの華がいい。
絳には理解できないが、そう語る男は多かった。
結局のところは、男に意を唱えない従順な女がいい、ということだろう。だが、それでいて、「俺にだけは声を聴かせてくれ」と都合のいい言葉だけを欲する。
「くだらない話をしてしまいましたね」
「いや、参考になったよ。受けもったからには、ふさわしく葬らないとね」
いかに葬られようとも、黄妃はすでに死んでいる。
かといって、紫蓮は死後の霊魂の実在を信じているようにも想えなかった。
遺族にひき渡せる程度に修復してくれたら依頼は果たせるというのに、彼女にはほかの思惑があるようだ。
絳が微かに眉を寄せたからか、紫蓮がいった。
「じきにわかるよ」
くすくすと妖しげに微笑する紫蓮は、先ほどまで暑さにうだっていた姑娘の姿とまったく重ならず。
(さながら、透きとおった水の奈落だな)
知れば知るほど、底がなくなる。ぞっとさせられるのに、こころ惹かれ、覗きこまずにはいられない。
妖妃という異称は、あながち誤りではないのだと、絳は想わずにはいられなかった。
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続きは12日に投稿させていただきます。