1 後宮の妖妃は屍をよみがえらせる
ひらかれた後宮には屍をよみがえらせる妖妃がいる――
…………
茹だるように暑い夏の昼さがりだった。
斉の都から遠く離れた諸侯の宮邸に柩車がついた。
白は斉において喪を表す。白帛の帳に蓋われた柩車には、後宮にあがった妃嬪の亡骸が乗せられていた。妃嬪の家族はすでに訃報を受け取っていたが、担ぎおろされた柩をみて、母親である夫人が泣きだす。
「ああ、どうか、柩をあけてください。一度だけでも、姑娘に会わせて」
「この暑さです。なかはご覧にならないほうがよいかと」
あたりでは蟬が喧しく騒ぎ、暑さにやられて夏椿がしおれていた。
夏至を過ぎたばかりだというのに、例年にない酷暑だ。都からの搬送に五日掛かったため、妃嬪の遺体はとうに腐敗して悲惨な姿となっていることは想像に難くなかった。
「おまえのきもちはわかるが、やめておいたほうがいい。私も姑娘の変わり果てたさまをみるのはしのびない」
官吏に続けて諸侯が夫人の肩を抱き、なだめる。
「それに姑娘は病死だった。さぞや、やつれて、息をひきとったことだろう。愛らしかった姑娘の姿だけを、胸に遺しておこうではないか」
「ですが、この眼で確かめなければ、どうしても姑娘の死を受けいれられないのです。こんなことになるのならば、病弱だった姑娘を後宮になどいれなければよかった。後悔ばかりが募るのです」
涙ながらに語る夫人の言葉に、諸侯がわかったと頷いた。
「柩の蓋を」
官吏たちはあからさまにいやそうに眉根を寄せながらも、拒否できるはずもなく、柩の蓋を滑らせた。
まわりにいたものたちがいっせいに息をのむ。
「うそだ、こんなことがあるはずが」
そこには生前と違わぬ姿で、納棺された妃嬪がいた。
みずみずしい雪肌も、紅をさした唇の張りも、重なりあう睫も、後宮にあがった時と変わらない。病に侵され、最期まで苦しみ抜いて死んだとは想えぬほどに穏やかな微笑をたたえている。
なんて、綺麗な屍だろうか――
誰もが魂を抜かれたように柩で眠る妃嬪を眺める。
「奇跡よ! こんなことがあるなんて」
夫人は感極まって声をあげ、諸侯もまた愛しい姑娘との最後の再会に涙をこぼした。
官吏は信じられない思いで眺めていたが、後宮で囁かれていた噂を想いだす。
いわく、ひらかれた後宮には屍をよみがえらせる妖妃がいると。
柩のなかで眠る妃嬪は、さながら”死せぬ屍”だ。
よもや、あの噂は実だったのか。
蟬噪がいっそうに強くなる。遺族たちの歓声は蟬の声とまざりあい、眩暈がするほど青い真夏の天にとけていった。
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斉の後宮は眠らない華の宮だ。
時は黄昏(午後八時)をすぎたが、殿舎から燈火が絶えることはなく、賑やかな声や筝の調べが響きわたっていた。
夜風は梔子の香を漂わせ、噎せかえるほどにあまい。
「へえ、後宮の妖妃ですか」
後宮の廻廊を進みながら、姜絳は髪を掻きあげて微笑んだ。
しなやかな細身に赤紫の官服をまとい、帯を締めた彼はまだ丁年(二十歳)から五年経ったばかりという若い身でありながら、宮廷の刑部丞を務めていた。
もっとも、刑部省の第三官といえば聴こえはいいが、現実には厄介ごとばかりを強いられる中間管理職だ。彼がこうして後宮にいるのも、まわりから貧乏くじを押しつけられた結果である。
「ああっ、絳様、疑っておられるでしょう。ほんとうに妃嬪の屍がよみがえったところをみた官吏だっているんですから」
絳についていた宦官の靑靑がむきになって、言い張った。
「そうはいっても、ずいぶんと馬鹿げた噂ですからね。昔は方術を修めたものがいて、遺体を故郷まで歩かせ、搬送したといいますが」
「ならば、妖妃は方術をつかうのですよ。まちがいありません」
靑靑はまだ、十六になったばかりだ。貧乏士族の五男で、親の意向で去勢して宦官となり宮廷にあがることになった。現在は絳につかえつつ、刑部省の文官となるべく勉強している身だ。幼いというほどではないが、夢想に憧れる年頃ではある。もっとも宮廷に勤めるのにそれではこまると絳は苦笑する。
「眉唾物です。現実にそのようなことができるのならば、帝はとうに不老不死になっておられることでしょうね。死者は、よみがえらないものですよ。梅枝に桃の実がならず、雉の卵から鹿が産まれぬように……それが理です」
さきから進んできた男たちの姿をみて、絳は喋るのをやめる。絳よりもさらに身分の高い官人ばかりだ。絳は端に避け、袖をかかげて頭をさげる。
後宮は、皇帝のための華の宮だ。
よって、皇帝のほかに男が踏みいるべからずとされ、男の物を切除した宦官だけが後宮に勤めることが許される。
そんな後宮に”男”など、ほんとうならば、あってはならないことだ。だが、現在の斉においてはそのかぎりではなかった。
ひらかれた後宮――
それが、斉の後宮の別称だ。
五年前に皇帝が崩御して三歳の皇子が皇帝となったとき、不要となった後宮は一度、解体の危機に瀕した。だが後宮とは皇帝が子をなすためだけではなく、地方の諸侯や郡守、士族の姑娘を後宮にいれることで、彼らとのつながりを強くするためのものでもある。易々と解散させては政にも支障をきたすと考えた宮廷は、皇帝の親族や宮廷の官人が妻や妾を捜すための場として後宮を開放した。
これにより男子禁制のはずの後宮にも男人があふれ、絳のような宦官ではない官人でも後宮に勤めるようになった。
貴族の男たちが通りすぎ、続けて女官たちとすれ違う。女官たちは絳をみて、振りかえりながら頬をそめる。
絳が涼やかな眼もとを綻ばせ、愛想よく微笑みかけてやれば、女官たちは歓声をあげて湧きたった。
「絳様ってば、恥ずかしげもなく、よくそんなことができますね。世渡りじょうずというか、なんというか」
じとっと靑靑が視線を投げてきた。うぬぼれているわけではないが、みずからが端麗な風貌をしているという意識は、それなりにはある。
「つかえるものはなんでもつかわなくては。この後宮が新たな職場になるのですから、すこしでも働きやすいほうがよいでしょう」
後宮がひらかれたことで、様々な事件が頻発するようになった。宮廷における事件の調査や取締、検察を管轄しているのは三省六部のひとつである刑部省であるが、今期からは後宮の事件に携わる専門の官職が設けられることになった。
それが後宮丞だ。
姜絳は刑部丞に加えて、新たに後宮丞にも任命された。
「でも、後宮がこんなに物騒なところだとは知りませんでした。さきほどだって女官が妃を突き落として殺めたとか。女の争いというものなんでしょうか」
靑靑がぶるりと身震いをする。絳があきれて、ため息をついた。
「いまさら、なにをいっているのですか。私たちはその事件の後処理で、こんな時間帯まで働かされているんですよ」
「え、そ、そうなんですか。後処理、ということはまさか……」
絳は緩やかに唇の端をあげた。
「ええ、そのまさかです。大変に疑わしく、信頼するに値しない噂だとはおもいますが――屍をよみがえらせていただけるよう、妖妃とやらに頼みにいきましょう」
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連載がはじまったばかりなので、続きは今晩4日(金)夜21時頃に投稿させていただきます。
新シリーズのスタートということもあり、とても緊張いたしております。
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今後とも「後宮の死化粧妃」をよろしくお願いいたします。