007 アラスターの失恋 (ライオネル)
「ライオネル殿下、その足さばきだと下腿三頭筋をちゃんと使えてません。このように足を出してみてください」
今はアビーとのハイキングデート。時間は早朝、場所は最近ラバース家が購入した山、護衛はシゲティとスパーキーとイヴァンの3人。護衛3人を引き連れてリバーサイドのハイキングデート中だ。正確にはリバーサイドではなくリバーの中な気がするがそこは無視しよう。決して5人で沢登りの早朝トレーニングをしているのではない。
「下腿三頭筋の動きには気づいてなかったよ。アビーはさすがだね。ありがとう」
「いえ、婚約者ですから」
そう、アビーは私の婚約者。
前世アラスターだった記憶を思い出した私は、アラスターの兄で先王の祖父上と、国王の父上と、王太子の兄上の3人へ、自分はアラスターの生まれ変わりだと明かした。今私がアラスターの生まれ変わりだと知っているのは王国のトップ3人だけだ。それと同時にアビーの前世がビフであると気づいた事も伝えて、アビーとの確実な婚約を願い出た。
その際アラスターが所有してたビフコレクションを父上が勝手に相続し隠し持っていたことがわかり父上と少し揉めたが、無事アビーと婚約できたし、その後ビフコレクションのほとんどはこの手に戻すことが出来ている。
前世を思い出した日の晩、アビーと仲を深めるせっかくの好機を無駄にしただけでなく失礼な奴だとアビーに嫌われてしまったかもしれない自分の愚かさに腹を立て、悔しくて眠れないまま朝を迎えた。
辺境に帰りたがってたアビーだが、王子妃としての教育があるために春から初夏にかけての社交シーズン中は王都へ留まることに決まった。お見合い後初めて顔を合わせたアビーは、不思議に思っている顔を隠さずに私に対してずっと戸惑っていた。あの黙りだったお見合いから一転し、積極的に話しかけてくる私にどう対応したらよいか分からず考えあぐねていたのだろう。あのお見合いのせいで嫌われていなかっただけましだろうか。
アビーが王子妃教育で登城する度に、私は積極的にお茶や会食へ誘った。だが、そこはさすがビフの生まれ変わりのアビー。最初の頃は渋々ながらも応じてくれていたお茶や会食は、慣れてくると、トレーニングがしたいからと断られるようになったのだ。
ここで諦めなかった私を自分で褒めてあげたい。私は挫けず、トレーニングがしたいと断るアビーへ一緒にトレーニングをしようと声をかけた。結果これが大正解だった。
ビフと同じように、アビーはトレーニングの時は普段に比べてよく喋るしよく笑う。一緒にトレーニングをするようになると、最悪な第一印象のせいでぎこちなかったアビーから私への態度が少しずつ改善していった。
今では2日に1回、早朝にラバース家の所有する王都の山へ行き、一緒に朝のトレーニングをしている。そして、トレーニング中は今のようにアビーの方から声をかけてくれることがある。おっと、違う、2日に1回はハイキングデートをしていると訂正しよう。
最近は夏が近づいて来たことで沢登りが定番だ。身体強化をし、少しの出っ張りを頼りに激流の滝の中を物ともせず真剣な表情で上へ上へと登っていくアビーは水に滴りキラキラと輝きとてもとても美しい。眼福とはこのことを言うのだろう。私は三属性の内のひとつ、砂属性の魔法で必死に離れまいと付いていく。護衛の3人もそれぞれの属性魔法で沢登りをしている。
今では余裕を持って沢を登るアビーを見ることができるが、初めて沢登りに参加した日、アビーの薄着と水に濡れて透ける肌を見た私は、ライオネルとしての人生で一番動揺し狼狽えた。前世を思い出した時よりもこんなに動揺しなかった。デート中も心ここに在らずで過ごした私は、ふらふらとよろめきながら王城が雇っている転生者の魔道具師の元へ行き、王子の権限を存分に使って早急に彼と一丸となってラシュガードなる水を弾く服を開発した。そして、初めての沢登りから3日後にはアビーへそのラシュガードをプレゼントしたのだ。
「殿下、このラシュガードとても着心地が良く素晴らしいので義父上の分も手に入ると嬉しいのですが」
アビーと私のデートを邪魔するこの無粋な声は護衛の1人でアビーの従兄弟、イヴァン・ラバース。ラバース卿の妹エーメの子供で、婚約が決まったアビーの代わりに跡取りになるべくラバース家に養子に入った。以前、私がアビーに贈ったラシュガードを見て自分の分も欲しいとねだって来た事だけでもずうずうしいのに、自分の分だけに飽き足らずラバース卿の分までねだって来たか。
こいつは要領がいい。家族のことが大好きなアビーの前ではラバース卿の分を断れないと分かって声をかけたのだろう。その予想は正しい。私から手に入れたラシュガードでラバース卿からのポイントを稼ぐのだろう。王子に集るな。あと、今のお前は私とアビーの護衛だ。声を出すな。
「……わかった。すぐ手配しておこう」
「ありがとうございます」
今のイヴァンとの会話を聞いたアビーが、希少な笑顔を見せる。
「ありがとうございます!これでお父様とも沢登りができます!」
「アビーはラバース卿が大好きなのだな」
アビーは笑顔で頷く。珍しいアビーの笑顔が見れたから良しとしよう。今日は良いことがありそうだ。
転生魔道具師に改良を急がせている魔道具キャメラの軽量版が早く欲しい。大型犬ほどの大きさと重さがあるキャメラは持ち運びが出来ずわざわざキャメラの前でポーズを取らないといけない。身体強化の権化であるビフをキャメラの前まで連れてこれる者がいなかったせいで現存するビフの写真はとても少ない。もちろんアビーも同じくだ。例の転生魔道具師の前で「キャメラが動いたらいいのに」と零したところ、もっと軽量化出来るはずと言うのでラシュガード開発の後に取り組んでもらっている。
「殿下、騎士団の者たちにもほしいです」
おい騎士団長、なぜ多忙な騎士団長が毎朝この山にいる!騎士団長は息子のスパーキーを連れて毎朝無理してこの山と王城を往復しているのだ。
「父上、それは殿下ではなくて宰相に言うべきですよ。予算を貰いましょう」
さすがスパーキーだと納得しかけたが、お前もお邪魔虫だからな!ちゃっかり親子そろって以前私が贈ったラシュガードを着ている。これはアビーが「シゲティとスパーキーにも欲しい」と言ったので渋々ながら渡したからだ。
事あるごとに自分の父親と同い年の騎士団長を可愛がっているアビーの様子から、アビーにはビフの記憶があるし、騎士団長とスパーキーもそのことに気づいてると思われる。
騎士団長の親だった記憶があるアビーが彼を可愛がるのはまだわかる。息子のスパーキーがアビー以上に騎士団長の世話をし可愛がっている節がある気がするのは気のせいではないだろう。騎士団長とスパーキーは2人とも女狐ララにそっくりな顔なのが憎たらしい。
この親子とイヴァンの3人に加え、時々ラバース卿も早朝デートの護衛になる。多忙なラバース卿は時間がある時にしか参加できないため、沢登りが定番になってからは仕事でしばらく辺境へ戻っているために顔を見てない。
沢を登りきり今は山頂で軽く休憩をしている。休憩とはいえこれ以上アビーとのデートを邪魔されたくない私は護衛の3人に釘をさすことにした。
「騎士団長、スパーキー、イヴァン、私とアビーのデートを邪魔しないように極力黙っていてくれないかな」
私の忠告を聞き、イヴァンとスパーキーは2人でコソコソと話し出す。
「デート?……俺、当家の早朝トレーニングに殿下が加勢してるんだと思ってたんですけど」
「イヴァン、本当のこと言ったら殿下がかわいそうだよ。アビー嬢が殿下とのお茶を断るからトレーニングに参加しているんだって本当は分かっているのにデートだと現実逃避してるんだよ、きっと」
全部ちゃんと聞こえているからな。そんな少年たちを他所にアビーと騎士団長は2人そろって首を傾げている。
「これはデートで、お前達3人は護衛だ」
そう言い切った私を見たアビーは何か考え込み、珍しく長文を喋った。
「ライオネル殿下、婚約者たるものデートをしないといけなかったですね。デートとは街へ買い物や劇を見に行く事。この早朝トレーニングは違うと私も知ってます。女性の私からデートへ誘わないといけなかったのに、気を使ってこれをデートだと言ってくださっているのですよね。至らず申し訳ございません」
アビーのデートの認識がおかしい。知っているという言い方から経験の話をしていると思われる。アビーではなくビフの経験、つまりビフのデートはいつもララに誘われて街に買い物や劇を見に行っていたということなのだろうか。あのあざとい女狐ララなら、女性に興味のなかったビフをはしたなく自分から無理矢理デートへ誘い、デートは女性から誘うものだと自分を正当化させてビフに思い込ませていたとしても不思議はない。
ここでデートの認識を正す事なく黙っていたらアビーの方から街デートを誘ってくれるのでは?と気づいた私はアビーの次の言葉を待とうとした。でも、女性からデートに誘ってもらうのを待っているというのは情けないのではないだろうか。これは断じてビフが情けなかったと言っているのでは無い。あれは女狐ララがはしたなかっただけだ。アビーが誘う動機は婚約者としての義務なのだ。情けないにもほどがあるだろうと、私は声を出した。
「アビー、デートは女性から誘わないといけないものではないよ。君が謝る必要はない」
アビーは首を傾げてこちらを見ている。そんな顔も可愛いと思う。
「この早朝トレーニングがハイキングデートだったらいいなと思っただけなんだ。そのために邪魔者達が黙ってくれたら君と2人きりみたいで嬉しいなと思って。……でも、街に買い物や劇を見に行くデートもしてみたいな。近々お休みの日を合わせて2人で街にお出かけしませんか?」
「……はい」
「すっごい渋々の返事で笑える!」
「イヴァン、しっ!聞こえる!」
デートに行くとアビーの言質が取れた!やはり今日は良い日だ。渋々の返事なのはデートの日にトレーニングが出来なくなることが嫌だからだろう。
アビーの中で私よりトレーニングが上なのは仕方ない。トレーニングはアビーの生きがい、トレーニングの否定はアビーの否定に均しい。アビーにとって私よりも他に重んじる人間がいなければ、私よりもトレーニングを優先しても問題ない。要はアビーが大切にする人間の中で私が一番になれば良いのだ。
それはそれとしてイヴァンとスパーキーには腹が立つ。どう報復してやろうかと考えていると、イヴァンが話に入ってきた。
「今やっている劇は『第二王子の英雄』ですね。先王の弟だった第二王子と英雄の話です。憧れの英雄が題材だからと見に言ったんですが、第二王子のヤバさがヤバすぎてドン引きだったのでデートにはオススメできません」
「あー、私も『第二王子の英雄』は祖父の英雄が題材だからと公開すぐに父上と一緒に見に行きましたが観客は女性ばかりで気まずかったです。ああいう男同士の友情物って“ブロマンス”と言って女性に人気らしいですよ」
視界の端で騎士団長も頷いている。それにしても私の前世アラスターとアビーの前世ビフの友情話か。私とアビーのデートで見に行く場合は正解なのだろうか?あと、イヴァンの言う“第二王子のヤバさ”とは何のことだ。皆目見当もつかない。
私と同じく不思議そうな顔をしているアビーを見たイヴァンが劇の詳細を説明する。
「英雄の死後後追い自殺したことで有名なアラスター殿下の伝記のような話だったかな。アラスター殿下が調子に乗ってる幼少期から始まって、まだ平騎士だった英雄との出会いがあって、三つ頭竜襲撃で挫折した後に英雄の信奉者になって、英雄の死後に後を追って自殺するって感じ」
ビフを亡くしてひどく神経衰弱したアラスターは、ビフが溺死した川に自ら飛び込み死んだ。そのためアラスターは英雄の後を追って自殺した悲劇の天才第二王子として劇や小説の題材となっている。英雄ビフとセットで有名になっていまってるのだ。
アラスターだった私から言わせると、アラスターの死は自殺ではない。アラスターは一欠片も死にたいとは思ってなかった。ただ、ビフが死に、もうビフから得るものが無くなってしまった人生。アラスターの生きがいとして追っていたビフの痕跡が、ビフが溺れた川にビフと同じように溺れる事しか残ってなかった。その結果死んでしまっただけなのだ。
デートに誘えたことで気分が高揚していた私は、ふと、アビーに、つまりビフに、聞いてしまった。
「アビーは有名なあのアラスター殿下についてどう思ってる?」
この疑問に対して、私がアラスターだと知らないアビーは正直な気持ちを返した。
「前は三属性もあるなら一属性貰えないかなと思ってましたけど、身体強化の奥深さに目覚めた後は特に何とも」
「……何とも?」
「はい。アラスター殿下が英雄ビフに憧れる気持ちはわかります。私もつい最近まで英雄に憧れてましたし。後追い自殺した人はアラスター殿下だけではなかったと歴史書で読みましたし、彼は王族だから英雄に憧れる人達の中で世間の人たちの目についていただけでは?」
アラスター本人に聞かれたならば忖度し返事に配慮を含めただろう。自分はアラスターだと明かさずにアラスターについてどう思っているかなどと聞き出す姑息な事をした私が悪かったのだ。
三つ頭竜襲撃の日以降、騎士に限らず多くの者たちの憧れとなったビフにとってアラスターは、ただの信奉者の内の1人だった。“何とも”思っていなかった。王族だから信奉者の中で目立っていただけだろうと言われてしまった。
目頭が熱い。今泣いてはいけない。私は必死に王族として鍛えたポーカーフェイスを作る。
アラスターにとってビフは己の人生を変えてくれた人、自分の心を動かす唯一の人だったのに。ビフにとってアラスターは有象無象の内の1人に過ぎなかった。はっきりとビフに言われてしまった。
ビフと女狐ララのデートを偶然見かけた時、トレーニング後にシゲティを肩車しているビフを見た時、シゲティの属性検査の帰りにララと3人で手を繋いでるのを見た時、アラスターの時に感じた胸の痛みが蘇る。胸がナイフで切りつけられたように痛い。
ビフの特別をララやシゲティに与えてるのを見ると胸が痛む。胸が痛むのは尊敬からくる嫉妬だとアラスターは思っていた。そのアラスターの胸の痛みを思い出したライオネルは気づいてしまった。
ビフはアラスターの特別だった。その特別は恋愛感情だったのだ。そしてアラスターはビフから自分と同じ特別が欲しかったのだ。だからビフの特別を与えられてるララを見ると胸が痛かったのだ。ビフが同性だったことで自覚していなかっただけで、ララと結婚したビフに失恋していたのだ。
「ライオネル殿下?」
必死に涙を流すまいと黙ってしまった私にアビーが声をかけてくれる。
私はライオネルだ。もうアラスターじゃない。
アラスターはビフの特別にはなれなかった。死んだ後に失恋に気付くようでは仕方ない。アラスターがビフの特別になりたかった気持ちと寸分変わらず、私ライオネルはアビーの特別になりたい。
アビーと婚約者になってからの積極的なアピールは、アラスターからビフへの気持ちどころかライオネルからアビーへの気持ちも気づかず、何も考えずにただただ無意識に欲望のまましていたことだと気づく。これではアラスターの時代から成長していない。
自分の気持ちを自覚したことで、アビーの特別になれるようにちゃんと考えて適切な努力をしようと決意する。お見合いの時の調子に乗っていたライオネルの失策はまだ尾を引いている。今はライオネルがアビーと良い関係を築くことを優先しないと。
「……アラスター殿下の劇はやめておこうか。アビー、今何か欲しいものはない?一緒に買い物に行こう」
死んだ後に自覚してしまったアラスターの失恋は城に帰った後に癒せばいい。今晩は祖父上にアラスターの兄として話を聞いてもらおう。




