004 筋肉と会話する人 (シゲティ)
「筋肉と会話しろっていつも言ってるだろう!」
騎士団の訓練所で息子のスパーキーと手合わせをしていた時、その声は見学所から聞こえてきた。
見学所には今、マルコス公爵令嬢が連れて来た見知らぬ令嬢とその侍女の二人しかいないはずだ。言葉は乱暴だが声は少女の声だったので、今の声はあの幼い令嬢の怒号と思われる。知り合いの騎士にでも声をかけたのだろうか。
それにしても筋肉と会話か。俺は8歳の時に死んだ父上以外に筋肉と会話する人を知らない。もちろん俺は筋肉と会話したことはない。
令嬢とは思えないその怒号が気になるものの、俺はスパーキーと模擬刀で打ち合いを続けた。
「シゲティ!何だその腸腰筋の動きは!」
腸腰筋って久しぶりに聞いたな。父上以外に腸腰筋って言う人を初めて見た。……シゲティって言っているが、俺以外に騎士団にシゲティっていただろうか。
「おい!今の踏み込みはもっと腸骨筋に力を込めれただろう!それは本気か!?トレーニングでも力を抜かずに常に本気を出せといつも言っていただろう!」
もしかして今踏み込みをした俺へ言っているのか?かつての父上とのトレーニングを思い出させる怒号を息子のスパーキーと変わらぬ年頃のご令嬢から飛ばされてる気がするのは間違い無いのだろうか。
「アビー様!騎士団長に失礼です!おやめくだい!」
今にも泣き出しそうな侍女が令嬢の暴挙を収めようと必死な声も聞こえてくるので間違いはないのだろう。少女からの俺に対するらしい突然の野次にどう対処したものかと途方に暮れた俺は、スパーキーとの手合わせを中断し模擬刀をおろした。
侍女からアビーと呼ばれていたが、まさか我が従兄弟オウエンの一人娘のアビーだろうか。第二王子殿下とのお見合いのために初めて辺境から王都に出てくるアビーに会ってほしいと、オウエンから俺の休日の予定を聞かれていた事を思い出す。
「おい!そこのお前!騎士団長である父上のことを呼び捨てにし、上からの暴言!処罰を覚悟しろ!」
手合わせを邪魔されて怒ったスパーキーが見学所の方へ駆け寄っていった、その刹那、
「えっ」
間一髪、本当に間一髪、予想だにしていなかった突きが俺を襲い、俺は本当に間一髪でその突きを受け止めた。
その突きは、思案に暮れている俺が瞬きしている一瞬の間で繰り出された。俺の瞬きの間で、20メートルほど離れた見学所からここまで移動し、その途中で息子から模擬刀を奪い、俺の眉間に向けて重い突きを繰り出したのはオウエンと同じ琥珀色の瞳の令嬢だ。
ドレス姿を着るような令嬢がする動きではない。なんなんだこの令嬢は。最初の怒号のあたりからこちらの様子を窺っていた周りの団員達も呆然としているようだ。
令嬢を見ると突きを受け止められた状態のままこちらを見て艶やかに笑っている。その笑顔を見た俺は、俺がトレーニング中に良い動きをした時に同じように笑ってくれた人を思い出した。
「シゲティ、手合わせをしてやろう」
この令嬢の言葉に従う必要はない。そもそも騎士団長の俺へのこんな言い方を許していい訳が無い。
「シゲティ、上段で構えろ」
でも目頭が熱いんだ。
知っている。俺は知っている。普段は無口なのにトレーニングの時だけ饒舌になる人を知っている。母上や俺とですら会話が少ないくせに筋肉とは会話してる人を知っている。筋肉と会話してるくせに表情筋だけとは不仲で剣を構えている時だけ艶やかに笑える人を知っている。トレーニングの時には“シゲティ”と名前を沢山呼んでくれる人を知っている。そう、俺はこの人を知っているんだ!
俺は模擬刀を上段で構え、目の前の令嬢に踏み込んだ。
「父上、いざ!」
「シゲティ!いい踏み込みだ!」
間違い無い。剣を合わせたら確信できる。父上だ。この令嬢は俺が尊敬し目標としている偉大な英雄ビフ・バフィントンだ。俺が8歳の時金槌のくせに溺れてる犬を助けるために川に飛び込んで溺れ死んでしまった、戦いの時とトレーニングの時以外は案外抜けている、大好きな、大好きな父上だ。
模擬刀を振りながら、父上の肩車を目当てにトレーニングを頑張っていた8歳の俺が泣いている。




