011 ララの片思い (ライオネル)
「殿下って本当に気持ちが悪い人ですね」
最近の放課後は、校舎の屋上からアビーがトレーニングをしている訓練所を眺め、ひとり物思いにふけるのが日課になっている。
そんな私の貴重なプライベートな時間、勝手に乗り込んできて罵倒してきたこの失礼な令嬢はリリー・サロメ。女狐ララから生まれ変わってきてまで私の邪魔をする憎き奴だ。
「アビー様から殿下に避けられてるって言われて、じゃぁ殿下は放課後何してるのかって気になって尾行してみたら、訓練所には行かないくせにこんな所から覗いていたなんて。気持ち悪くてびっくりしてます」
アビーは私が避けていることに気づいてくれていたのか。アビーが私のことを少しは気にしてくれていたのだと喜んでいる自分に気付く。
「殿下、今、アビー様が避けてることに気づいてくれてたって喜んでませんか?はぁ気持ち悪」
「王族に気持ち悪いは不敬がすぎる。言葉には気をつけろ」
前世、アラスターに対する女狐ララの不敬が許されていたのは、王族以外で初めての二属性、しかも二属性のうち片方が珍しい光属性だったからに過ぎない。前世と同じ感覚が許されると思わないようにと釘を刺す。
「えー、でも光属性ってだけで特別扱いじゃないですか。あの貧乏伯爵令嬢だったブランシェちゃんが今や王妃様になってるくらい、って、あー、ブランシェちゃんの実家が没落寸前だったって話、もしかしてタブーだったりします?」
母上は属性検査で光属性と分かった7歳から、もう1人の光属性ララに魔法の使い方を教示されていたらしい。そんな母上は今でもララの命日には墓参りをしているくらい女狐ララを敬慕している。
「リリーが光属性って分かった時は、王妃様は忙しくて教える時間が無いし、私も両親に付いて諸外国を廻国したいしってことで、光属性についての指南書をくれたんですよね。ずっとこの丁寧な指南書はあの素敵な王妃様が書いてくれたんだって感動して勉強してたんです。それが!ララの記憶を思い出したら、これはブランシェちゃんに光属性の魔法を教えるためにララが試行錯誤して作った本だ!って気付いて笑っちゃいました」
まだ自分がアラスターの生まれ変わりだと気づいてなかった幼い頃、ララの墓参りに行く母に付いて行ったことを思い出す。
この私が女狐ララの墓参りをしていたなど人生の汚点だ。
「しかも、ブランシェちゃんの妹のフローラちゃんがシゲティのお嫁さんなんですよ!ブランシェちゃんの家に家庭教師に行く時はシゲティを連れて行ってたんですけど、当時のシゲティは美人姉妹に全然興味を示さないで庭でトレーニングばかりしてたんです。そんな2人が結婚するなんて。政略ではないから2人のラブロマンスがあると思うんですけど、シゲティから聞き出すのは至難の業だし、スパーキーちゃんは知らないって言うし、フローラちゃんは亡くなってしまってるし。これはもうブランシェちゃんから聞き出さないと!って思ってるところです」
そう。スパーキーの母のフローラは王妃の妹。つまりスパーキーと私は従兄弟だ。
と、そんなことはどうでもいい。長々と話すこいつは一体ここに何をしに来たんだ。
「何の用だ」
「やっと聞きましたね!無視とか本当、アラスターの時から嫌な感じ。アラスター殿下が結婚できなかったのも納得です。ライオネル殿下もそのままじゃ永遠に結婚できないと思いますよ」
「アビーと結婚するから大丈夫」と言い返したい。言い返したいのに自信がなくて言い返せないことに苛立つ私は、リリーを睨むことしかできない。
「アビー様と婚約していると言い返して来ないし。最近はなぜかアビー様を避けてるらしいし。シゲティがいて、可愛いスパーキーちゃんがいて、ララまで現れた今、疎外感を感じているのですか?」
それも少しはある。少しはあるが、
「ちがう。アビーが騎士団長とスパーキーを可愛がっているのは以前からだ。お前が増えたところで変わらない」
「では、アビーに自分がアラスターだとバレることに悩んでるんですか。こんなにも傲慢な殿下でも悩むことがあるなんて本当びっくりします」
こいつ、本当に嫌いだ。
今週末、ヴァリエール公爵家、ラバース辺境伯家、バフィントン伯爵家にリリーを加えた顔ぶれで王家の食事会がある。名目は「ライオネルの婚約者一家とその仲良しさん達のお食事会」。
リリーも加わっていることで、ラバース家とバフィントン家はその食事会の意味を予想しているだろうが、ヴァリエール公爵家は一体何の陰謀に巻き込まれるのかと、今頃その食事会の意味を必死に思案している所だろう。
王家はその食事会で、ライオネルがアラスターの生まれ変わりだと明らかにし、アビーがビフの、リリーがララの生まれ変わりだと気付いていることを言及する。亡くなって30年経つ今でも熱狂的ファンのいる英雄が転生しているという秘密を、王家、ヴァリエール公爵家、ラバース辺境伯家、バフィントン伯爵家、それにリリーを加えた者たちだけで共有することにしたのだ。
そう、つまり、私がアラスターだとアビーに明かす日が来たのだ。
今までバフィントン家、ラバース家の2家はアビーがビフの生まれ変わりだと知っているのは自分たちだけだと思っていた。
私がアラスターの生まれ変わりだったために王家もビフの生まれ変わりに気付いていたが、ラバース家から言われるまではと特に何もせず静観していたのだ。
そこへ、先日の入学式でのリリーの一件が起きた。バフィントン家とラバース家の秘密にララの生まれ変わりまで加わったのだ。
その上、イーサンは私がアラスターの生まれ変わりだと勘付いた気がするし、リリーに至って私がアラスターと確信しこのように話しかけてくるのだ。
入学式の後、リリーをエスコートした兄上に、リリーは女狐ララの生まれ変わりだから気をつけるようにと忠告したのだが、それが父上に伝わり、祖父上に伝わり、祖父上がリリーと会いたいと言い出したのだ。亡くなった祖母マルヴィータと仲の良かった女狐ララと祖母の思い出話をしたいのだ。
それを聞いた父上がだったら自分はビフ様の生まれ変わりのアビーと話したいと我儘を言い出した。父上は英雄ビフのファンなのだ。
そんな夫と舅の普段と違う様子に感づき、何なんだと母上が兄上を問い詰め、兄上は全部母上に話してしまった。聞き出せる相手を見極め的確に兄上を問い詰めるあたり母上はタチが悪い。
大好きなララ先生がリリーとして生まれ変わっていると知った母上のその後の行動は早かった。すぐに、王家の男を取りまとめ、王家、ヴァリエール公爵家、ラバース辺境伯家、バフィントン伯爵家の4家での食事会を計画したのだ。もちろん食事会にはリリーも入っている。
それが、今週末にある「ライオネルの婚約者家族とその仲良しさんたちのお食事会」だ。
ヴァリエール公爵家はビフの生家で、現ヴァリエール公爵はビフの弟の息子で現宰相だ。ビフの弟の前ヴァリエール公爵ナックも存命で、宰相も漏れなく英雄ビフファンなのでヴァリエール公爵家を仲間外れにするのは良く無い、ということらしい。
「私、殿下がどうしてアラスターだとバレることに悩んでいるのか全くわからないのですが、どうしてですか」
言いたく無い。
アビーと婚約してから3年も必死にアピールしているのに今だ友達以上の感情を持たれていないことも、以前アビーからアラスターのことは何とも思っていなかったと言われてることも、ライオネルがアラスターの生まれ変わりだと分かったらララの生まれ変わりのリリーの方が大切になるんじゃないかと恐れていることも、全部言いたく無い。
「そうですか」
「っ!光属性は心が読めるのか!?」
「いや、何言ってるんですか。今の全部口に出してましたよ、殿下」
こんなに迂闊なことをしたのは初めてだ。言いたくは無かったが、本当は誰かに知ってもらいたかった気もする。その誰かは決してこのリリーではないが。
食事会の開催が決まり、私がアラスターだとアビーに知られ、アビーにとって私が「なんとも思っていない」アラスターになることを恐れた私は、アビーとどう接したら良いかわからなくなり徹底的に避けてしまっている。
元々学年が一つ違うから接点は少ない。ランチを一緒にとらず、放課後の訓練に参加しないだけで全く会わない。
「そうとう追い詰められてるんですね。はぁ、大丈夫。アビー様が殿下よりリリーの方が大切になることはないですよ。それに私もアビー様のことは恋愛感情で好きではないですし」
「やはり!貴様、ビフへは名声目当てで近づいただけだったのだろう!」
「そんなことはありません!ビフのことはちゃんと愛してました!……ララはちゃんと愛してたんです。けど、ビフからは愛されてなかったんです。って何その顔、そんなにびっくりしたアホ面の殿下初めて見ます。って言ってもアラスター時代しか知らないので、ライオネル殿下はそんな顔をする人なんですか?」
ビフがララを愛していなかった?何を言っているんだ。ビフはララ以外に恋人はいたことがないし、もちろん愛人などもいなかった。アラスターが毎日ララへの嫉妬に苛まれる位には、こいつはビフと一緒にいるところを晒していたじゃないか。
「ビフはララのことはもちろん好きでしたよ。でもそれはサニーやナック様への思いと同じ“家族としての愛情”だけでした。……王族の殿下なら理解できると思うんですけど、英雄として偶像視されてたビフは他人からの好意を素直に受け取れなかったんです。“三頭竜を倒した英雄”だから敬われているだけ、とよく言ってました。その上、ビフには甘やかされてた両親から手のひらを返されて冷遇された過去があるんですよね。ビフ信者の殿下は気づいてたと思うけど、ビフがトレーニングの時以外に笑いかける人間は冷遇時代でも心を砕いてくれたサニーとナックと友達のパウルの3人だけ。結婚して、シゲティが生まれた後にやっとそこにララとシゲティも入れましたけど」
ビフとララは“積極的なララと何故か断らないビフ”という恋人時代を経て、いつのまにか結婚していた。
数多の女性から口説かれ袖にしていたビフがララのことだけは断らなかったことから、ビフはララのことが好きなのだなと、周囲の皆は2人の結婚を祝福したのだ。もちろん私は祝福などしなかったが。
「なんで私がビフと結婚できたかというと、きっと同じように周囲から無条件で敬われて浮いた人間だったからですよ。ようは特別な恋愛感情じゃなくてただの共感です。恋人時代と結婚した当初は、無口なビフは言葉に出来ないだけで自分の事を愛してくれてるんだと思い込んでたんです。でもね、結婚して5年経った時にベンジャミンと触れ合うビフを見てる時にふと気づいたんです。あれ?私よりベンジャミンに笑いかけてる回数の方が多く無い?って」
ベンジャミンとはビフが冷遇時代から可愛がっていた、ビフが川で溺死する原因となった憎き犬畜生だ。
「そしたら、私ってビフに愛してるって言ってもらったことないなって、私に笑いかけてくれるのもシゲティのついでばっかりだなって、もしかして私とベンジャミンって同列じゃない?って、気づいたんですよ。結婚して5年目で子供がいる時に今さら自分の片思いだったことに気付いたんです。って殿下、その顔すごい性格わっる!ここで笑うようなやつを何で励ましてるんだろ、私」
そう言ってリリーはハンカチを取り出して涙を拭いた。少し前から泣き出していたが、ここでハンカチを差し出すような仲ではない。
「これは私の勝手な予想だけど多分そうじゃないかと確信してることなんですけどね、ビフは死ぬまで恋愛感情を知らなかったと思います。だから、殿下が不安がってるアビー様がリリーを好きになるっていうことは起こりません」
ビフは恋愛感情を知らなかった、か。城へ帰ったらアラスター時代から作っている“英雄ビフ伝記”を書き換えないとな。
そして、ビフもアビーも初恋はまだなのだ!と喜んでしまっている自分に気付く。
「はぁ、めっちゃ笑顔になってるし、何この嫌な奴。こんなのがアビー様の婚約者とか納得できないんですけど」
こいつは私のことが嫌いだ。今のララの片思い話を聞いても、こいつが私とアビーとの仲を取り持つメリットが見つからない。
「おい、お前、何が目的だ」
「……ラシュガードの販売権が欲しいなと」
ラシュガード。金槌の完璧な克服のために夏に沢登りトレーニングをするアビーのため、3年前に転生魔道具師と開発した水に濡れない服のことだ。こいつはその存在をアビーから聞いたのだろう。
「6月の水祭りで貴族令嬢や市井の女性に売りたいんです。水祭りの目玉の水魔法の演芸、昔は透明な傘で見るのが普通だったらしいのに、いつのまにか傘をさすのは無粋だって風潮になってるじゃないですか。それで傘をささないと水に濡れてしまうからって水着で参加する人や、濡れて肌が透けてもかまわないって人が増えたせいで、近年は“水魔法の演芸を近くで見る女はすぐやれる”とか言われて、貴族令嬢は遠目にしか見えれなくなったんです。せっかくの芸術的な水魔法の演芸を近くで見れないんですよ。で!アビー様に聞いたラシュガードなる服を!ぜひ!わが!サロメ家で!専売する!権利を!ください!」
先ほどまで泣いていたとは思えない早口で捲し立てるこいつはララとは違うのだなと気付く。女狐ララは子爵家の庶子で、実家の子爵家を嫌っている印象があった。こいつはサロメ家では愛されて育ったのだろう。
「はぁ、お前が勝手にここにきて1人で盛り上がって話していただけであろう。お断りだ、と言いたいところだが一つ条件がある」
リリーは握った両手をあごの下に付け、上目遣いでこちらを見つめてくる。こいつのこういうあざとい所が心底鼻につく。
「その、ラシュガードを開発した転生魔道具師にキャメラの小型化を依頼していたのだが、どうも光属性の魔力が必要らしく途中で開発が止まっている。母上にお願いしても全く協力してくれなくて困っていたのだ」
「……息子が変態の道を突き進めるのは嫌でしょう。それはブランシェちゃんは悪く無いと思います」
「キャメラの小型化に協力してくれるのならラシュガードの国内専売権と国外輸出権もやろう」
「喜んで協力させていただきます!」
そう言って、リリーは鞄から紙とペンを取り出しその場でラシュガードの販売権についての書類を作成しだした。30過ぎまで生きた女は逞しいな。
「殿下、これはおまけで言うんですけどね、私は本当にアビー様のことは恋愛感情で好きではないんですよ。たった7歳の時に愛してくれてた親から冷遇されるようになって傷付いて、大人になったら今まで差別してきた人たちから英雄として崇拝されるようになって戸惑って、他人の愛を信じられないそんなビフの可哀想で寂しい所がララは途方もなく愛おしかったんです。それは愛されて育った今のアビー様には感じないんです。それに、私ももうララじゃ無い。リリーの目の前にビフがいても愛おしく感じるかはわかりません」
女狐ララはキーラー子爵の愛人の子だった。2歳の時に愛人が亡くなりその後は孤児院で育ち、7歳の属性検査で光と水の二属性と分かったからと孤児院から子爵家の持つ市井の別宅に引き上げられ平民として育ち、学園入学時に子爵家の庶子になったという経歴だったはずだ。
ビフと同じように周囲から手のひら返しをされ、その後の偶像崇拝まで同じ。こいつが言う通りビフがララに共感したというのもわかる気がする。
「キャメラの小型化、お前に協力させるために母上が撮ったスパーキーの子供の頃の写真を餌にしようと思っていたんだがその必要が無くてよかったよ」
ひたすら書類を書いていたリリーが顔を上げてこちらを見た。
「ありがとうございます!」
「はぁ、あげるとは言ってないだろう」
「でも、今度の食事会でブランシェちゃんに見せて欲しいと頼むことができます。写真の存在を知らなかったらブランシェちゃんに頼むこともできなかったです。それが分かってて言ってくれたのでしょう?」
ふん、そう思うならそう思っていればいい。別に感謝しているわけではない。今日の話を聞いて私とアビーの関係が良くなったわけでも無い。
ただ、私の中の蟠りが消えた。
“前世でララを愛していたアビーが私に恋愛感情を持ってくれない”のと、“前世から全く恋愛感情がないアビーが私に恋愛感情を持ってくれない”のでは、同じ“愛してもらえない”でも意味が全く違うのだ!
今日からは、恋愛感情を持てないアビーへの自分の一方的な片思いなのだと覚悟した上で愛し続け、アビーが私に特別な恋愛感情に目覚めるように努力すればいい。
「はい殿下、この書類にサインをお願いします」
「サインの前にちゃんと読ませろ。お前のことだから不当にサロメ家側が得するような条件を盛っていかねないからな」
そして私はラシュガードの販売権の代わりにキャメラ小型化開発への大きな一歩を取り付けた。
2023年1月19日の活動報告にて登場人物の家系図&髪目・リボン・タイ色をまとめた画像を公開してます。




