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一体どれぐらいの時間、二人でその景色を見ていただろうか。普通に暮らしていては決して見ることのない光景を、かなりの時間眺めていた。どれだけ見ていても飽きない、そんな魅力がここにはあった。
「リメラリエ嬢……」
ふと、アキリアに声をかけられて、彼の方に顔を向ける。
「……、使いましたね、魔力」
「あ」
その言葉にリメラリエは自分が約束を破ったことに初めて気がついた。あまりに気持ちが昂りすぎて、そんな約束はすっかり忘れていた。
「……、魔力持ちじゃない人への影響は?」
「……、あー。どうでしょう……」
リメラリエの曖昧すぎる言葉に、アキリアは大きくため息つき、しゃがみ込んでしまう。その様子にリメラリエは慌てて同じように膝を折る。
「大丈夫ですか?!」
返事をしないアキリアは、自分で膝を抱えており表情が見えない。いじけた小さい子に見えると言ったら怒られそうだ。
しかし、ぎりぎり聞こえるような小さな声でアキリアが話し始める。
「……魔力を使わないように約束させたのは自分なんですが、……この景色を見れたのは、とても嬉しいです」
その言葉に、「ですよね!?」とリメラリエが嬉しくなって声をあげると、アキリアがようやく顔を上げ表情を見せる。
その表情はまるで少年のような満面の笑みで、今までみた表情のなかで、最も眩しく感じるとても良い笑顔だった。
魔力の高揚とは別に、リメラリエの頬が少し火照る気がした。
「……、本の挿絵にあるより、実物はずっと素敵でした。アキリア様、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそありがとうございます。本来なら私は見えないものですから」
アキリアの言葉にリメラリエは微笑む。
「1人で行くことばかり考えてましたけど、アキリア様と一緒に見れてよかったです。良いものは人と共有すると、さらに良く思えますね」
1人で旅に出ることを考えていたが、魔力の輝きを放つ綺麗な光景をこうして人と共有して話ができると言うことに、とても幸せを感じた。
「……、そろそろ戻りましょうか」
アキリア自身も名残惜しそうだが立ち上がり、リメラリエに手を伸ばした。リメラリエもその言葉に頷き、手を取って立ち上がる。
あぁ、もう悔いはないかもしれないなぁ。
そんな事を思いながら、繋いだ手から自分の魔力を取り戻す。アキリアに流した魔力を回収しないと、影響が強く出過ぎる可能性がある。
ゆっくりと自分に関わる魔力を注意深く回収して行く。すると、頭の中をある光景が流れていく。
バシン。
なかなかいい音がして背を蹴られた気分だった。
慌てて背中を振り返るが誰もいない。視線を少し下に下ろすと、そこには白いヒールの靴が横たわっていた。
人気のない木々の生い茂る場所。
一目で質の良い服とわかるそれを身につけた男性が、華やかな王城から対照的な場所に佇んでいた。
「靴……?」
男性は首を傾げながらそれを拾い上げてみる。しかし、拾い上げてみたところで物は変わらない。真新しい白いヒールの靴だった。
首を傾げながらもそれをみて苦笑する。
「……勝手に、背中を押されたとでも思って置こうかな」
そっと靴を地面に置き直すと、男はもう一度だけ賑やかな声の聞こえる光の先を見つめると、その眩しい場所から目を逸らした。
リメラリエは、思わずアキリアに触れていた手を放した。パクパクと口を動かして、声を出せずにいる彼女に、アキリアが不安そうに顔を覗き込む。
「く、靴が……」
「靴?」
アキリアはリメラリエの言葉に彼女の靴を見る為視線を下げたが、特に履いているブーツに変わったところはない。
訳がわからずもう一度顔を上げるとリメラリエはやはり目を白黒させて、アキリアを見る。
「あの、靴が……、見つかりました……。ごめんなさい……」
「……、意味がわかりません」
それはそうだろう。
自分に関わる魔力を回収していたはずなのに、何故か彼の記憶の一部が流れて来た。自分に関わるものだけを回収したはずなのになぜ?と思ったが、記憶の彼が拾い上げた靴を見て、リメラリエは思い至った。
これは森に入る前にふいに思い出した、リメラリエの記憶と繋がるものだ。飛んでいってしまった靴など追いかけも、探しもしなかったが、その行方は人の背中に当たっていたのだ。しかも、この目の前にいるアキリアに。
ただ、先ほどの記憶の様子には不思議に思うこともあった。
アキリアのあの姿は、大公子息というよりは……。
考えに耽り始めたリメラリエに、アキリアが不安そうに覗き込む。
「どうしました?体調が悪くなりましたか?」
「え、いえ……。あの……」
何か説明をしようとしてみたが、勝手に記憶を覗いてしまったこともあり、上手く言葉に出すことができず、結局諦めてしまった。
「……、ごめんなさい」
「謝られることは特にないと思うのですが……」
「……、と、途中で魔力の回収を止めてしまったので、全部回収しますね!」
無理矢理笑顔を作り、再びアキリアの手を取る。
今度はもっと集中して、自分の魔力だけを意識的に回収する。関わる記憶まで引き摺り出さないように気をつけて……。
その後は無事に魔力だけを回収した。アキリアの体調も特には問題がなさそうで、お互いに胸を撫で下ろした。
***
それから半月ほどかけて屋敷へ戻ると、両親が涙目になりながら迎えてくれた。そして、最近はほとんど話すこともなくなっていた弟が出迎えてくれたことにも驚いた。
「よかった、無事に帰って来てくれて。ニルドール卿も娘に最後まで付き合ってくれてありがとう」
ファクトラン大公の言葉にアキリアは頭を下げただけだった。彼としては一度リメラリエが倒れたことが気にかかっているのかもしれない。
リメラリエの旅は終わった。
魔樹の森を見るという目的を達成した今、リメラリエにやりたいと強く思うことはない。ただ、気になることが一つだけできた。
「アキリア様、ありがとうございました」
リメラリエは深々とお辞儀をした。アキリアには感謝しても仕切れない。
「無事に戻れてよかったです」
アキリアも安心しきったような笑顔だった。いつもとは違う仕事をさせられ、きっとなかなかのストレスに晒されていたに違いない。
「……、お元気で」
一か月以上一緒にいた為、流石に少し寂しく感じた。アキリアは思った以上に気遣いをしてくれる、とても良い人だったと感じた。
「……、リメラリエ嬢もお元気で」
二人は本来なら出会うことも、共に過ごすこともない間柄だ。一人は変わり者で屋敷からほとんどでない、行き遅れの令嬢。もう一人は、大公子息であり、普段は女性からは引く手数多なはずの騎士。
アキリアは大公夫妻とリメラリエに最後に少しだけ頭を下げて、背を向けた。屋敷の玄関から、彼が門を出て馬に乗る姿を見送った。
リメラリエはしばらく見えなくなるまで、そこから動かなかった。
「……、リメラリエ、お前もしや……」
大公の言葉に、リメラリエが振り返る。
「お父様」
「な、なんだ、もしかして……」
少し期待する様な、しかし寂しく感じる様な複雑な心境をしたファクトラン大公を見て、リメラリエが大きく頷く。
「私、働きます!」
全然予想と違う事を言ってくる娘に、大公は流石に声を荒げる。
「なぜそうなるんだ?!ニルドール卿に惚れたとか、結婚したいとか言うパターンじゃないのか?!」
「お父様こそ何をおっしゃってるんですか?」
「二人で一か月以上生活していたのだろう!?」
「そうですけど……」
「なんか、こう、なかったのかね?!」
父の言葉にリメラリエは首を横に傾げる。
「何がです?」
「男女が二人だぞ?!ときめくこととかは起きなかったのか?!」
「ときめく……。あぁ、アキリア様は笑うと幼い感じがして、可愛かったですよ」
「可愛かった……、ニルドール卿は歳上だろう?」
「まぁ、そうですね?」
父の言葉の意図を図りかねて首を何度も傾げることになり、若干の首が痛い。
「……、もうよい。わしが悪かった」
「働いても良いと言う事ですか?!」
「もう何でも良い!わしは寝る!」
許可をもらえてわーいと喜んでいる娘と、心配と期待の狭間で揺れていた父親の姿が何とも対照的だった。
一応一区切りです。
ここまで来て何も進展がない感じで歯痒いですが、ゆっくり進んで行ければ良いなと思ってます。