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私は、なんて馬鹿なんだろう。
ずっと10年間、何をしても、映画館で座って、臨場感のある映画を大画面で見ているような気分だった。前世の"私"が、常に前に出て、何をしたって、それはある意味現実ではないような感覚だった。
人から話を聞いても、本を読んでも、「この世界はこういう設定なのか」ぐらいに思ってた。魔力が使えることだって、一種のファンタジーに過ぎず、それが現実であるなどと言う感覚はまったくなかった。
ただ、手のひらで起こることが不思議で、のめり込んでいった。でも、そこに命の危機や危険を感じることはなく、ただ綺麗で美しい装飾品となんら変わりないものだった。
魔力のことを知ることでこの世界に生きることを受け入れてきたと思ったが、そうではなかった。知るほどに"私"の世界との違いを目の当たりにし、少しずつ、心が離れていったのかも知れない。
しかし、さっきの馬車の出来事で、頭に雷が落ちたような気がした。長期に渡って前世の"私"の記憶が、私自身を蝕んでいたみたいだ。ようやく目の前の深い霧が晴れて、視界が晴れたような気がした。
これは、映画でも絵でもない。
激しい雨音と、傾く馬車。打ち付ける音はまるで私の間違いを責め立てているように思えた。
"私"の記憶が蘇ってから初めて死を感じた。
その時頭を流れたのは、"私"の記憶ではなかった。リメラリエとしての両親や弟のことだった。
結婚を嫌がるリメラリエと言い合いをする父や、人が変わったような彼女に不安そうな顔を向ける母、それに、いつからか話もしなくなった弟。
あぁ、私、ちゃんと私だったんだ。
死と言う恐怖を感じて、ようやく納得した。
ただ、記憶を言い訳に目を逸らしていただけだ。目の前のことから逃げて、私はここに生きてるわけじゃないと。
10年間も逃げ続けた。
今回の旅だって、どうせなんだかんだ自分の思い通りに行くに違いないと変な感覚があった。
今まで思うようになっていたのは、ただ両親が私の思うように、望むようにしてくれていたからだ。屋敷から出ずに、全てを知った気になって、一番大事なことを理解していなかった。
あぁ、前世も含めたら50年ぐらい生きてるのに、情けないなぁ……。
そんなことを考えながら、横に座るアキリアを見た。そして、深々と頭を下げた。
「私が安易に先に行くことを望んだせいで、アキリア様にもご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません……」
リメラリエの謝罪にアキリアは少し不思議そうだった。
「今の事態はどちらかと言うと私の判断ミスです。もっと安全を優先して、宿に留まるべきでした。これでは何のために護衛として付いてきたのか、わかりません」
アキリアの真剣な表情にリメラリエは、尚更申し訳ないことをしたと思った。満月の夜を望まなければ、恐らく彼は宿に留まった。余計な望みを言ったりしなければよかったのに。
「私が満月の夜を希望したせいですよね……。申し訳ありません」
最早謝るほかなかった。
「……26にもなって、自分の間抜けさにようやく気がつきました……。私、ただの世間知らずですよね……、はぁ」
その言葉にアキリアは少し首を捻る。
「……一般的な令嬢は、だいたい世間知らずだと思いますよ」
割と失礼な物言いに、リメラリエは横にいるアキリアに目を向けた。慰めてくれているのか、普通にそう思ってるのかはわからないが、なんとなく言い方的には後者な気がする。
「なかなか辛辣ですね」
「そうですか?……貴族の家の令嬢は、家や社交の場が全てです。本当の世界の姿なんて、知らなくてもおかしくないです」
ここで言う世界と言うのは、貴族社会以外の話をしているのだろう。ごく狭い世界を生きる貴族令嬢は、彼にしてみれば全員世間知らずに違いない。
「アキリア様は、世界をご存じなんですか?」
意地悪な質問かもしれない。そう思いながら、リメラリエは、あえて聞いてみた。アキリアは、その質問に困ったように笑った。
「私も、世間知らずの一人でした……。今も、知らないことは多いと思います。ただ、……昔よりマシかもしれません」
その時眩しい光と共に大きな雷鳴が轟いた。
驚きに身をすくめるとアキリアが庇うように前に立つ。
「雷は大丈夫ですか?」
アキリアの言葉にリメラリエは軽く頷いた。突然のことに驚きはしたが、雷を怖いと思うことはない。
「ただの自然現象ですからね」
時折鳴るようになった雷を見ながら言った。大きな音に驚きはするが、その物が怖いとは思わない。
ただ、若干前世の記憶的に木の中は危ないのではと言う気もする。
「そうですか、ならよかった。妹が雷嫌いだったので……」
アキリアも暗い雷雲を眺めている。何かを思い出しているような、そんな横顔に見えた。その時頭の隅に生じた疑問には目を伏せ、しばらくの間、二人は鳴り止まない雷を見つめていた。
***
1時間ほど経つとようやく雨が小雨に変わった。雨の音が弱まり、空の色も幾許か明るくなり、雷雲も流れて行ったようだ。
「私は荷物を取りに行きますので、リメラリエ嬢はここに」
そう言われたがとても待っている気にはなれず、首を横に振った。
「いえ、私も行きます。二人の方が荷物も持てますし、それに取捨選択する必要がありますよね」
「……わかりました。一緒にいきましょう。歩けますか?」
アキリアはすぐに考えを改めたらしく、リメラリエに手を差し出した。リメラリエは遠慮なくその手を借り立ち上がる。小雨を避けるため、再びフードを深く被る。その後ろを馬がゆっくりと着いてくる。
アキリアは来た道を覚えているらしく、迷うことなく進んでいく。しばらくすると、倒れた馬車がそのままになっているのが見えた。
着くとすぐにアキリアは馬車の状態を確認する。少しすると、リメラリエを見て首を横に振った。
「馬車は捨てて行きます。車輪が割れてしまっていて使い物になりません。持てる荷物だけ持って先に進みます」
何となくそうなる予想が付いていた為、リメラリエも軽く頷いた。馬車が使えないとなると、ある程度荷物を絞る必要がある。
「特に盗られた物などはなさそうです。貴重品や必要なものを選んで下さい。」
リメラリエは入れて来ていたお金、換金のための貴金属類や最低限の衣服を選び、小さな袋に詰め込む。当然クッションは悲しいが置いていく。
「持っていけない物は運べる分は、先程の木の空洞に運びましょう。運が良ければ帰りに拾えるかもしれません」
誰かに拾われる可能性もあるが、あんな森のなかだ、気づかれない可能性もある。
アキリアは一人でかなりの量の荷物を持つと再び先程の木の場所へ歩き始める。リメラリエもぬかるんだ道に足を取られながらもなんとかついていく。
必要な荷物だけを馬の背に器用に括り付けると、アキリアはリメラリエを見た。
「リメラリエ嬢は馬に乗って下さい」
「……、え?」
理解が出来ず聞き返す。
「今日の休息予定の村まではまだ距離があります。少しでも先に進みたいのと、リメラリエ嬢の体力温存のために馬に乗って下さい。私が手綱を引いて歩くので、走り出すことはないです」
引きこもりのリメラリエは馬に乗ったことがなかった。人によっては嗜みとして馬に乗ることもあるようだが、そんな嗜みは持ち合わせていなかった。だが、ここで断るなんてありえない。
「わかりました。……ただ、私、馬に乗ったことがありません……」
正直に白状するのが身のためだと思い、リメラリエは隠さずにそう言った。アキリアは特に呆れたような様子もなく頷く。
「大丈夫です。この子はとても賢いので、リメラリエ嬢を振り落とすようなことはしません」
そう言ってアキリアは馬の首の辺りを優しく叩いた。それに応えるように馬は耳を立ててリメラリエを見た。それを見てリメラリエは、無意識に馬に話しかけた。
「……初めてなの、よろしくね」
すると馬は軽く鼻を鳴らして見せた。
アキリアに協力してもらいなんとか馬に跨った。彼自身を踏み台にすると言うひどく恐ろしく申し訳なくなる方法で……。
初めて乗った馬から見る景色は、いつもの自分の視界より開けて見えた。最初は恐怖心もあったが、次第に好奇心が勝った。馬の上はなかなか楽しい。
それから二人は黙って進み始めた。