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「アキリア様ずっとお仕事されてたんですよね。私は帰りますので、どうかゆっくりなさってください」
もう用は済んだとばかりのリメラリエに、アキリアが焦る。せっかく会えたのに事務的なことしか話さず終わりなんてあまりにもひどい。思わずザイに視線を送ると、ザイがマリーに話しかけた。
「明日のことについて事前に少し話をしておきましょう。もう1人護衛を増やすので、その辺りも含めて」
そう言ってザイがマリーをうまく連れ出して行く。リメラリエは侍女が離れて行くと、若干不安そうな表情に見えた。
「アキリア様、私も向こうへ」
ザイの姿が消えていった扉の方を指差すリメラリエに、アキリアは首を横に振る。せっかくのザイの珍しく気の利いた行動が水の泡になる。
「どうして逃げようとするんです」
「……、アキリア様には会いたかったですけど、2人きりは不安になるので」
会いたかったと言うその言葉だけで救われた気分になる。手紙や伝言で済ますこともできるのに、わざわざ来てくれたと思えば、アキリアの不安は若干消えて行く。
「リメラリエ嬢の不安はなんですか?」
そう聞かれるとリメラリエは少しアキリアから視線を逸らし、ギュッとドレスの裾を掴む。
「なんだか、一緒にいると、……流されてしまいそうで」
何にとは言わない。最近の自分のリメラリエへの行動が原因だとは思う。でも、この言葉は、アキリアとしては嬉しいことだ。なんなら流されてほしいが、さすがにそんなことは言えない。
どう返すか迷っているうちに、リメラリエは言葉を繋げる。
「アキリア様が困ることのないようにしたいです」
「私が、困ること?」
「婚約はしましたけど、結婚はしていないですから、今後もっと国のための良縁があったら、それは……」
アキリアはリメラリエの言葉を最後まで聞いていられなかった。どれだけ伝えても伝わらないような不安が襲ってくる。リメラリエはわかっているようで、わかっていない。どれだけアキリアが欲しているのかを、理解していない。
アキリアがこの場所に戻ることを選んだのは、リメラリエが欲しいからだ。誰にも奪われない地位と場所が欲しかったからだ。戻ったからには当然より国のために良いことを行っては行くが、あくまでそれはリメラリエがそこにいて初めて成り立つのに。
アキリアにとってリメラリエのいないこの場所など、ほとんど価値がないに等しい。ミリアルトにくれてやっても構わない。どうせ自分も国王の掌で操られている1人だ。
彼女はするりと抜け出していってしまいそうな、そんな存在だった。もともと彼女自身、自分がこの場所に生きていることに違和感があると言っていた。リヴァランへ連れ去られたときのように、突然どこかに消えてしまうのではないかと思う。
簡単には手に入らない気はしていたが、何故こんなに離れて行こうとするのだろうか。何が彼女をそうさせるのだろうか?
静かにアキリアの中で冷たい怒りの感情が沸き始める。誰に対する怒りなのかはわからないが、彼女を繋ぎ止めて置くこともできない自分自身かもしれない。
いつの間にか、アキリアの影がテーブルを挟み向かい合っていたはずの場所から、リメラリエの方に落ちていた。
「私がここにいるのは、貴方を手に入れるためです」
するりとリメラリエの腰に手を回し右手を取ると、彼女の蜂蜜色の髪がぱさりとソファに広がった。一瞬の出来事に驚いたような彼女の顔を、真上から見下ろした。
「リメラリエ、貴方がほしい。他の誰でもなく。貴方がいないなら、この場所を選んだ意味がない」
何度言っても伝わっていないような気がして、言葉に哀しさと虚しさが募る。このまま彼女を自分のものにしてしまおうかと言う不埒な考えが過ぎったところで、アキリアはハッとしてリメラリエの上から飛び退いた。
リメラリエの瞳から涙が溢れたのだ。
泣かせてしまった事実にアキリアは、自己嫌悪を抱く。これではリヴァランの王子と何も変わらない。それでなくともあの時のことをリメラリエは恐怖に感じていたはずだ。そんな彼女をソファに押し倒すなど、最低すぎる。自分を殴りたい。
「すみません、……侍女を呼びますね」
最早彼女に触れることさえ躊躇われ、彼女を起こすことも出来なかった。アキリアはリメラリエから離れ、ザイと共に部屋を出たマリーを呼んだ。
部屋を出ていったリメラリエの表情は無理をして作っている笑顔だった。形式的な挨拶をして別れた。リメラリエたちが部屋から出ていったのを見届けると、アキリアはその場にへたり込んだ。
「死にたい」
「何をやらかしたんだ?」
「押し倒した」
「気が早いな」
「リメラリエ嬢が離れていこうとすることに自分が不安になって、心が保たなかった……弱すぎる」
「自己分析はよくできてるんじゃないか?」
ザイの冷静な返しに頭が痛くなる。
アキリアはなんとか執務机の椅子まで歩いて戻るが何もする気が起きない。
「もうダメだ、なんか全てがどうでも良くなった」
「仕事は?」
ちらりと執務机に積まれた山積みの書類に目をやった。気持ちは変わらない。
「どうでもいい。彼女を泣かせるなんて、死にたい」
珍しくアキリアのじめじめとした様子にザイがため息をつきつつ、叱咤する。
「死ぬ前に挽回しろ。お前がこんなに想う女性なんて出てくるわけないんだからさ」
「わかってる。わかってるけど、今は無理だ」
完全に電源が落ちたように机に突っ伏したアキリアに、ザイが苦笑いをした。
一方のリメラリエは無表情で、マリーをつれて早足気味に城内の廊下を歩いていた。そして、唐突なその速度を緩めたため、マリーも立ち止まる。
「マリー」
「はい」
「私、押し倒されるのダメみたい」
リメラリエの言葉にマリーはハッとしたように側に寄り添う。平然と歩いているように見えたが、その体は少し震えていた。
マリーはリヴァランでの出来事を一通り聞いているため、何にリメラリエが恐怖を感じていたかは理解している。
「アキリア様が嫌なわけじゃないのに、拒否してしまったの」
青ざめた顔で腕を自分の体に回して、ギュッと守るようにドレスを握りしめている。マリーはリメラリエが落ち着くように、手を握り締めた。
「そもそも婚約者が押し倒してくる方が間違ってます」
マリーの言葉にリメラリエが呆けた顔をする。
「当たり前じゃないですか、まだ婚約者ですよ。アキリア殿下がお嬢様のことを好きなのは見てれば良くわかりますが、結婚されるまで当然我慢すべきです」
「でも、もう嫌われてしまったかも」
そんなわけないと思ったが、マリーは敢えて何も言わなかった。部屋で見送ったアキリアは、明らかに凹んでいた。リメラリエも今かなり凹んでいるが同じレベルだ。
マリーとしては良い薬だろうぐらいに思う。少しアキリア殿下は調子に乗りすぎだ。世間知らずで、若干恋愛に疎いお嬢様に手を出しすぎだ。
「お嬢様はどうしたいのですか?」
「私?」
「そうです。相手にどう思われているかよりも、お嬢様がどうしたいかが大事です」
マリーの言葉にリメラリエが少し考えると、案外さらりと答える。
「私はアキリア様の隣にいたい」
わりとあっさり出てきた答えにマリーは驚きと共に微笑む。
そうだ、恋する乙女は不安にもなりやすい。感情の多少の浮き沈みなど些細なことだ。どうしたいのか決まっているならばそれでいい。
「そうしたら良いですよ」
「いや、勝手に出来ないし」
「それならば、掴み取ればよろしいのでは?お嬢様は、もっと我儘に生きてみたらよいと思います」
「十分我儘だけど」
「それは、旦那様にだけでしょう?アキリア殿下に我儘など仰られたことなどないのでは?」
お嬢様は旦那様にはよく我儘を言い困らせることはあったが、あくまで身内だからなのだろう。基本的に知らない誰かに迷惑をかけるようなことをする方ではない。
成人してからのお嬢様は人が変わったようだった。近くにいるようで、違う場所にいるかのように振る舞うお嬢様が不思議でしかたなかった。急に大人びて、そして、離れた。
マリーは小さな頃から彼女を見てきた。とてもよく懐いて側に寄ってきた彼女が、突然少し離れた場所から微笑むような存在になった。
自分が何かしたのかと思っていたが、全ての人に対してそうだった。唯一言い合ったりしていたのは、旦那様だけだった気がする。
それでも最近、少しまた良い意味で変わったようにマリーには見えていた。
「どうだろ。さっき言ったかも……」
目を泳がせたリメラリエに、マリーも思い当たる。
「王墓巡祈の件は、私も驚きましたので後でお説教です」
「えぇええ!そんな殺生な!」
「さぁ、屋敷に帰りましょう」
「あ、待って。明日のために寄り道を」
「何をおっしゃっているんです?」
「アキリア様の隣を掴み取るための方策」
にっこり笑ったリメラリエにマリーは余計なことを言ったかもしれないと後悔した。
遅くなりました…




