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執務室の机に肘をつきアキリアは深いため息をついた。
「婚約者が可愛いすぎてどうしたらいい?」
アキリアが執務室の机でそう呟くとザイがあっさりと返事をする。
「仕事をしろ仕事を」
昨日のリメラリエをつい思い出してしまう。真っ赤になって恥ずかしがるところも可愛い。クッションで叩く仕草ですら可愛い。
「重症だ」
「お前の頭がな」
自分でもそう思う。なぜこんなに頭から離れないのか。リメラリエのことばかり考えてしまう。少し前の自分からは考えられない姿だ。
言い寄ってくる貴族令嬢を軽くあしらう事が常だったのに。臣籍降下しても大公家の一員で有ればある意味十分であり、もしかするとを期待する連中もいる。そんな狙いに傾くわけもなく、アキリアはこの10年間ほぼ女性と交流を持つことさえなかった。
「まさかアキリアがこんな骨抜きにされると思わなかったよ。それ自体は別にいいんだけど、進まないからとりあえずその記憶箱の中いれてしまっとけ」
そう言うとザイは一枚紙をアキリアの前に出し、アキリアはそのまま受け取る。
「明日?」
「あぁ」
「急すぎないか?」
「ファクトラン嬢に手を出そうとして失敗したから慌ててるんだろ」
「あまりに杜撰な計画じゃないか?」
それは王妃によるアキリアの暗殺計画であり、あまりにも稚拙なものだった。
「王妃側の体制が崩れ始めてるんだろ。陛下の承認が得られなければ、どれだけ足掻いたってダメだ。お前を王太子に戻した事で、ミリアルト殿下は国王になれないと悟った連中がこぞって抜け出してるんだろ。だからこんなに情報が出てくる」
所詮皆国王の掌の上で踊らされてるのだ。
アキリアはそう思う。自分の父親ではあったが、あまり家族だと感じた事はない。アキリアにとって家族は、母と妹だけだった。
常に国の益になるかどうかで判断している彼は、まさに王らしい王だった。しかし、益にならないと判断すれば、切り捨てるのも容赦ない。
病に臥せた母のことも、父は興味がなさそうに見えた。その時点で母は切り捨てられていたのかもしれない。徐々に力を強めていく第二王妃も野放しにした。止められないことを良いことに、彼女はアキリアの母の死を境に、自らの子を国王に付けることを願った。国王が止めないと知った周りは、彼女についた。
そして、ティナリアは死んだ。狙い通りであれば、アキリアも死んでいたはずだが、アキリアは臣籍降下を選んだことで、彼女はもう安泰だと思ったのだろう。
しかし、時は経ちミリアルトが成人後も、国王は彼が王太子と認めなかった。その資質を疑い、是とはしなかった。それでも、ミリアルトしかいないのだから、いずれはと思っていたところで、アキリアが国王に王太子として認められて戻ってきた。
彼女にしてみれば酷い仕打ちに違いなかった。
国王も決してアキリアを後継者として認めたわけではない。10年間逃げ続けて、国王もそれを放置されていたに等しいのだから。
争わせれば自動的に良い方が残ると、そんな風に考えているのだろう。
しかし、動いているのはあくまで王妃であり、ミリアルトではなかった。そこが、アキリアを悩ませていた。彼自身は王妃の影に隠れ、基本的に何もしない。公務は行っているようだが、どこまで自分で判断しているかもわからない。こなせない分がアキリアに流れてきているぐらいだ、あまり判断はできていないのかもしれない。
何もしていないが、王妃の意のままに動いていることを同罪として片付けるのは簡単だが、果たしてそれは全ての解決だろうか?
「明日の予定は?どこで来そうだ?」
「たぶんこの墓巡りじゃないか?」
「王墓巡祈だろ」
トランドール王家の独特の文化として、年4回代々の王墓を巡り、祈りを捧げるという習慣がある。今回の王墓巡祈は、アキリアに任されることになっていた。敷地内に点在する神聖な王墓を順番に回っていくため、少人数の行動となり、限られた護衛だけを連れて行く。通常に比べると確かに護衛の数は減る上に、巡る順番が決まっているため、次の行動が把握しやすい。
「そうだな、今のところの予定だとザイだけだったか?」
「あぁ、誰か追加するか?」
「……、いや、そのままでいい。あんまり増えて怯まれても困る。捕らえて吐かせる」
「できると良いけどな」
「俺を殺したところで、陛下が認めないと意味がないってなんでわからないんだろうな」
「跡継ぎが1人だけになればなんとかなると思ってるんだろ」
「……、陛下はそんな甘くない」
アキリアの呟きが虚しく宙に消えた。
***
「リメラリエ様、アキリア様からお手紙が」
マリーの言葉にリメラリエは手紙を受け取ろうと手を伸ばすが、マリーは渡してこない。
「どうしたの?」
「この手紙、少し違和感がありまして」
昨日の予期せぬ出来事のせいで、王太子妃教育の予定が組み直しになり、今日は少しだけのんびりした時間を過ごしていたが、マリーの言葉にリメラリエは気を引き締める。
マリーの持っている手紙には、トランドール王家の紋章で封蝋がされており、アキリアの名前が書いてある。が、それを見て首を捻る。
「マリー、これ、この前と字が違うわよね?」
「私もそう思います」
マリーが先日の手紙を持ってきて両方を掲げてみせる。封蝋は同じように見えるが、筆跡が異なる。
「マリー、気をつけて開けてみてくれる?」
頷いたマリーが、慎重に手紙を開く。特に中から何かが出てくると言うことはなく、中身も便箋だけのようだった。中から取り出し開くと、そこには封筒に書かれていた文字と同じ筆跡で、文章が書かれていた。
そこには王墓巡祈について書かれていた。明日、婚約者としてついてきてほしいと言う内容だ。
「王墓巡祈ってあれよね、習ったわ。過去の王様たちのお墓巡りよね」
「……あってはいます」
マリーに冷たい目を向けられた気がするが気にしない。そんなことを気にしていたら生きていけない。
「何か起きるってことかしら」
「十中八九そうでしょう。アキリア殿下に連絡してみるのがいいのでは?」
「そうね。……でも、言ったら来るなって言われるやつよね?」
「当たり前です。変なことは考えずアキリア殿下にご連絡ください」
「はい……。でも、どうやって?」
リメラリエの言葉にマリーが訝しむ。
「だって、考えてみてよ。こんな偽物の手紙が普通に届くのよ?どうして、ここから出した手紙がちゃんとアキリア様に届くの?マリーだって直接城まで持っていくわけじゃないでしょ?どうなるかわからないわ」
マリーが何も返してこないことをいいことに、立て続けに喋る。
「だから、行きましょう」
「どこへ」
「城に」
その答えを聞いたマリーから再び冷たい視線が突き刺さる。
「お会いしたいんですね」
「い、言ってないけどそんなこと」
「今日、暇ですもんね」
「暇、だけど……」
「お嬢様が恋する乙女だと言うことを忘れてました」
「自分で言うのは良いけど、人に言われるのはいやぁああ!」
恥ずかしすぎて悶えている主人のことは放っておき、淡々と出かける準備を始めるマリーだった。
そんな茶番を繰り広げたあと、リメラリエはマリーと共に登城した。今日はアキリアの送ってくれたドレスではなく、深緑のシンプルなドレスにしておいた。いつもの蜂蜜色の髪が揺れる。
毎日のように王太子妃教育のために城に来ているため、誰かに止められることもない。アキリアの執務室に向かえばどうにかなるだろうという安易な考えのもと城内の廊下を歩いていると、いくつも同じように並ぶ石の柱に人影が見えた。
隠れるように立っているそれに気づき、少し隠れるようにして近づく。後ろからマリーが「おやめください」と止めたが、リメラリエは気にしない。
「ミリアルト殿下」
リメラリエは柱に隠れていた人物に声をかけた。リメラリエの声にびくりと反応して、恐る恐る振り返る様子は恐ろしい何かを予感している表情だ。
目が合うとさらにびくりと反応され、後退られた。
「ファクトラン、大公、令嬢」
こっちがお化けか何かになった気分だ。どう考えてもめっちゃ怖がられてる。マリーは関わってはいけないと、視線で訴えてくるが、リメラリエは無視する。
「はい。こちらで何をなさってるんですか?」
見たところ周りには誰もいない。何かから隠れているのか、逃げているのかそんなように見えた。
「従者から、逃げています」
「そうでしたか。もう少し上手く隠れないと見え見えですよ」
リメラリエがアドバイスすると、困った顔をされた。
「隠れんぼはまずちゃんと自分の隠れられる場所に隠れないと、ここじゃ見えてますよ」
気にせずそういうとミリアルトは不思議そうな顔をした。
「何故、僕に話しかけるんです?」
「え、あまりに隠れるの下手だなと思って」
素直にそう言うとミリアルトは衝撃を受けたような顔をしてくるが、正直下手くそすぎるだろう。何故そこに隠れようと思った。もっと良いところほかにあるだろう。
「隠れんぼしたことないんですか?」
「な、い、です」
俯いてそう答えたミリアルトに、リメラリエはやらかしたと思った。まさか「ない」と言う返事が来るとは思っても見なかった。ただ、よく考えれば小さい頃でも王族は隠れんぼなんてしないかもしれない。
「誰も僕に話しかけたりしません。僕は、いないのと一緒ですから」
ミリアルトはなんでもないことのようにそう言った。言葉からは諦めが強く感じされる。
「僕に話しているようで、話していない人もたくさんいるんです」
なぞなぞか?と一瞬思ったがたぶん違う。ミリアルトを通して別の誰かと話しているという意味かもしれない。
「久しぶりに自分の言葉をしゃべった気がします。ありがとうございます」
何故かお礼を言われてしまって、リメラリエは慌てた。
「何もしてませんが……」
「見つけてくれてありがとうございます。どうか、お気をつけて」
そう言うと次の隠れ場所を探してか、ミリアルトは移動していった。
「お嬢様」
とんでもない恐ろしい顔をしたマリーがリメラリエを睨んでいた。あぁ、これ怒られるやつだ。
 




