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騎士宿舎の廊下をアキリアが歩いていると、後ろから明るい声が呼びかける。
「アキリア、なんか今楽しいことしてるらしいじゃん」
満面の笑みで話しかけてきたのは、アキリアと同じく黒い騎士服に身を包み、帯剣をした男性。アキリアよりも少しがっしりとした体格の、明るい茶色の髪をした男性は、よく見ると騎士団長の面影がある。
「ザイ……」
ザイ=ニルドール。騎士団長の息子であり、養子に入ったアキリアにとっては弟になるのだが、兄弟というよりは友人に近い関係である。
「なんでも大公家のご令嬢の旅の護衛役って聞いたけど~」
楽しいことと表現しておきながら、ほぼ内容は知っているらしい。
「絶対楽しいだろー、どんなお嬢様なんだ??」
興味深々と言った様子で聞いてくるザイに、アキリアはため息をつく。「だからお前は外されたんだよ」と言う。
「え、俺も可能性あったの?!」
「そりゃ、大公子息だろう?」
「え、じゃあ、なんで俺じゃなくてアキリアになったの?」
「性格の問題だろ」
そう言い放つと「えぇえええ」と声を上げたザイを置いて、アキリアは廊下をまた歩き始めた。ザイもそれに合わせるように隣を歩く。
「実際どうなんだ?」
「何が?」
「そりゃ、大公家のお嬢様に決まってるだろ?」
当たり前のように聞いてくるザイに目を向ける。
「大公家っていっても、うち以外だろ?どこの家のお嬢様とかまでは知らないんだけど」
「ファクトランだ」
言わなくてもどうせそのうち耳に入るだろうと思いアキリアは答えた。ザイの情報網は異常だ。どこから入ってくるのかはわからないが、言わなかったところで耳に入るのだから、答えておいた方がいい。
「ファクトラン?……、もしかしてあの変わり者って有名なお嬢様かー!」
ザイも知っていたらしく、パッと言葉が続いた。
「社交界に出ない、未婚の令嬢だよな。なんかあんまり俺も情報ないや。やっぱり変わりものだったか?」
アキリアは答えに詰まった。変わっていると言えば変わっている気もするが、噂で聞いていたような変わり者という印象かと言われれば、そうではない気もする。
正直まだよくわからない。
ただ、彼女の「自分がこの場所に生きていることに違和感がある」と言うことに何となく納得した。だから周りが変わっていると感じるのだろう。彼女自身が違和感を感じているのだから、周りにとっては当然なのかもしれない。
「よくわからない」
アキリアが素直にそう答えるとザイは「ふぅん」と少しつまらなさそうに答えた。ザイは腕を組みながら不自然にアキリアをのぞき込む。
「なぁ、可愛かった?」
「は?」
ザイの質問に間抜けな声が出る。明らかに情報収集と関係ない質問になぜ聞かれたかわからない。
「かわいかった……??」
疑問形で返すとザイが楽しそうにうなずく。
「未婚って言っても、俺たちより年下だろ?たしか、……26だっけ?まぁ、完全に行き遅れだけど、どうせ一緒に旅するならかわいい子がよくない?もちろん綺麗系もいいけど」
ただの護衛対象としか見ていなかったアキリアにはない視点で、ザイの質問に返事ができない。護衛対象の容姿など仕事上正直なんの関係もない。
「あ、その表情、そんなこと思い当たりませんでしたって言ってるな。女性に対してそれは失礼だろ〜」
護衛対象にそんなこと考える方が失礼じゃないか?と思ったが、ザイはにやりと笑うとポンとアキリアの肩を叩く。
「次までの宿題な」
「意味がわからない」
「頭柔らかくしないと」
何故か楽しそうに笑いながら手を振り、足早に元来た方へ戻っていった。
「何のために同じ方向に歩いてたんだ……」
相変わらずザイを理解するのは難しい。
***
その後、何日かファクトラン家の屋敷を訪れ、旅のための準備を進めた。どのような道を通るか、どこの宿に泊まるか、当然帰りのことも考える必要がある。食糧も途中で買い足す必要も出てくるだろうし、あらゆることを想定しておきたい。
そもそもリメラリエがどこまで耐えられるのか予想がつかない。かなりゆっくりとしたペースで進むしかないとは思っている。
そんなことを考えながら、ファクトラン家を後にしようとしたとき、ファクトラン大公から声をかけられ、別の部屋へ案内された。
「ニルドール卿」
今度は騎士での身分ではなく、貴族としての身分で呼ばれた。これはおそらく意図的に使い分けているのだろう。
「なんでしょうか」
ファクトラン大公は、わずかに口を開き、言い淀んだようにまた口を閉じた。言いにくいことなのだろうか。
「……、今から言うことはあくまで私の個人的な考えですが、どうか気に留めて置いてほしいのです」
そして、ファクトラン大公から聞かされた言葉に驚きつつ、承諾するように頷いた。
「……わかりました」
他に返せる言葉が見つからなかった。
***
そして、遂に旅に出る日がやってきた。
基本は馬車移動とすることとした。目立たないような馬車を選び、馬は騎士団から与えられた馬を繋いだ。馬車を引くための馬ではないが、頑張ってもらうしかない。必要な荷物は事前に載せてあり、あとはリメラリエが乗ればいつでも出発できる。
リメラリエは、いつもより質素で地味な色のワンピースに、フード付きのマントを身につけていた。しかし、鮮やかな蜂蜜色の髪が背中を流れ、際立って逆に目立つ。
「……、この辺りではいいですが、城から離れるほどフードまで被るようにしてください」
「あ、ですよね」
そう言うと、リメラリエはささっと自分の髪を右耳の近くてまとめて縛る。そして、すっとフードを被って微笑んだ。
「行きましょう」
その表情はまるで、新しいおもちゃを与えられた時の子供のような顔をしていた。ワクワクして、楽しみでしかたない、そんな表情につられて、アキリアも少しだけ微笑んだ。
「行きましょうか」
実は魔樹の森まではそこまで遠いわけではない。リメラリエがいたとしても、往復一か月もあれば戻って来られると思っている。実際自分一人ならば、馬で駆ければよく、半分ぐらいですむだろう。
また幸運なことに、基本的にはなだらかな平地が続く。高低差も無いのが救いだ。
アキリアは馬を走らせるため、馬車の前に座っていた。リメラリエは、馬車の中にいる形だ。
途中、馬を休ませるために、小川が流れる場所に立ち寄る。
「少し休憩します」
そう言うと馬車のなかからリメラリエが出てきた。その表情はなんとも言い難いつらそうな表情だ。我慢しているのがみてとれる。
「馬車酔いしましたか?」
「酔いと言うか、揺れと振動でお尻が痛すぎるんですけど!これはちょっと予想以上……」
とても令嬢とは思えない言葉を発するリメラリエに、驚いたものの、涙ぐむ様子に笑う。
「大公家の馬車とは違いますからね。配慮が足りずすみません。確か荷物の中にクッションを入れたはずです」
そう言って荷物からクッションを取り出すと、リメラリエは、両手を上げて喜んだ。
「やったぁあ!ありがとうございます!」
ぎゅっと渡された赤いふかふかのクッションを抱きしめる様子に淑女らしさはなかったが、アキリアは入れて置いて良かったとホッとした。
馬が水を飲む様子でさえ、彼女は興味深そうに眺めていた。手頃な大きさの石に腰を下ろして、じっとその様子を観察している。
「珍しいですか?」
声を掛けるとようやくアキリアのことを、思い出したような顔をする。
「そうですね。ずっと本か、魔力のことしか興味がなかったので。でも、相変わらずこの視界の向こうは、現実味がないです」
目の前にいる馬すら現実味がないらしい。彼女には馬の絵が流れて行くのとなんら変わらないと言うことか。
「私のことも、絵に見えるんですか?」
その言葉にリメラリエがわずかに首を傾げた。しかし、自分が言ったことだと思い至ったのか、少し悩みながら口を開く。
「そうですね、確かに話をしているのに、なんだか、絵の向こう側から話しかけられているみたいで」
彼女の感じている違和感というのはよほど大きいようだ。そんなことを思いながら、今日の日程を進めて行く。
まだ城から大きく離れたわけではないため、夜も宿に泊まることができる。
「おやすみなさい」
当然部屋は別々で取っているため、アキリアはリメラリエを部屋まで見送った。
明日の確認、準備をして、アキリアも寝床についた。
***
5日ほどは問題なく予定通りの日程で進めていた。リメラリエは毎日文句を言うこともなく、ただ馬車の中から不思議そうに外を眺めていた。
その様子は本当にただ、絵でも眺めているようなそんな姿に見えた。ここにいるのに、まるで自分はそこにはいないかのような、そんな雰囲気を感じさせた。
5日も立つと宿の食事もだんだんと質素になっていく。固いパンとスープと少しの肉、そんな食事になってもリメラリエはなんの文句も言わなかった。その宿の変化と共に納得したのか、そんな食事も当たり前のように受け入れていた。それがアキリアには不思議な光景だった。
彼女は大公令嬢だ。恐らくこんな質素な食事など取ったことなどないだろう。嫌な顔ひとつせず受け入れている姿が不思議で仕方なかった。
「リメラリエ嬢は、……質素な食事でも抵抗がないのですね」
アキリアは疑問を口にした。この言葉にリメラリエは、食事に目を落とし、初めて思い至ったような仕草をする。
「そうですね、……特に疑問はないです。ちょっと、パンが硬いかなとは思いますけど、そう言うパンも地域によってあるのは知ってますし」
10年前を思い出す。
初めて正式な騎士として遠征に行った時。携帯食がまともに食べられなかった時を……。リメラリエに比べて自分はなんて情けないんだと思う。以前の自分であれば、この食事すら食べられなかったかも知れない。
あの頃は自分が最も不幸な人間だと思っていた。実際にはとても恵まれた環境にいたにも関わらず、ただ自分の境遇に嘆きと不満を持っていた。そして、自らその場所から降りることを決めた。
それからは知らないことの連続で、これまでの自分が恥ずかしくてしかたなかった。
(随分と昔のことな気がする……)
6日目は朝から雨だった。だんだん城から離れて行くほど、道の舗装はなくなり、宿の質も落ちて行く。寂れた宿の窓から雨をみて、アキリアは今日の日程をどうすべきか悩んでいた。
雨でも先に進むべきか、ここまで順調にきたのだから、無理はせずに休んでおくか。休んだところで問題はないと思っているが、昨日のリメラリエの言葉が思い浮かぶ。
「予定通りに進むと、魔樹の森に着く日は満月なんです。満月の夜の魔樹の輝きは、普段の輝きとはまた違うようで……」
恍惚とした表情で語るリメラリエに、若干引いたのは内緒だが、1日休むことを伝えた場合反対される気がした。
そもそもそう言った内容は事前に聞かせて欲しかった。そうすればもっと日程に余裕を持って出発したが、そんなことを言っても後の祭りだ。
悩みつつも、アキリアはこの後の日程の選択を彼女に託すことにした。
「当然、先に参りましょう」
にっこり笑ってそう言った彼女に、なんとなく答えはわかってたなと思いながら、アキリアは仕方なく頷き、馬車を走らせることにした。
しかし、30分ほどするとその選択を後悔する。大きな音共に体に痛みを感じるほどの激しい雨が降り始める。道はぬかるみ、馬が足を取られる。あまりの強い雨と道の状態の悪さに、馬の疲労も早い。このままではまずい、早めの休息と日程の変更を考えなくてはと思った瞬間、乗っていた馬車がグラリと傾く。
アキリアは咄嗟に馬の手綱を捨て、後ろのリメラリエの身を守るために車内へ入る。傾きかけた馬車の中で、彼女が青ざめた顔で窓枠にしがみついているのが見えた。
素早く腕を掴み、なんとか自分の身に引き寄せるのと、完全に馬車が大きな音を立てて横転したのは同時だった。それと時を同じくして、馬の嗎が辺りに響いた。
強い衝撃で一瞬全ての音が消えたように感じた。
アキリアは自身の左身に痛みを感じつつ、リメラリエの安否を確認する。
「リメラリエ嬢!どこか怪我は?!」
彼女は呆然とした顔をしてた。心ここに在らずと言った表情は、これまでみてきた彼女の印象とはかけ離れていた。
馬車の中は運んできた荷物が散らばり、さらには
横転したせいで開いた後ろ側から、横殴りの雨が入り込む。
降り続ける雨に、このままでは体力も体温も奪われかねない。何も答えない彼女に、痺れを切らし、アキリアは、横転した狭い馬車の中で、なんとか彼女を横抱きにして、開いてしまった後ろ側から外へ出る。彼女に深くフードを被せ、自らも深く被った。
運良く馬に怪我がなさそうなことをサッと確認すると、片手で馬車から手綱を外すと、ついてくるように促した。
頭の良い馬は、アキリアに従うように歩き始める。それを確認してから、ぬかるんでとても歩けそうにない道を避け、木々の生い茂る森の方へと歩き始めた。
少しでも雨を凌げる場所に移動するしかないと考え、アキリアは頭の中の地図を必死に思い出していた。
この先の予定の村には到底まだまだ辿り着かない。しかもリメラリエもこの状態と来た。
今はとにかく雨を避けることが第一優先だと頭を働かせる。強い雨が視界をも遮り、先が見づらい。しかし、そんな中一際大きな木が目に入る。少し不恰好な形をした木で、ぐにゃりと大きく曲がった太い幹は真ん中に空洞ができていた。
アキリアは素早くそこへ移動することに決めた。
木の幹にできた空洞は思っていた以上に大きかった。リメラリエ一人であれば余裕で入れる上、アキリアもなんとか雨を凌そうだった。
彼女をゆっくりと地面に下ろす。意識はあるようだがどこかぼんやりとしていて、反応が薄い。
空を見上げるとまだ午前中だと言うのに、夜かと思うほど空が暗い。当分雨が止むことはないだろう。
(しっかり自分で判断して決めるべきだった。任務中だと言うのに気が緩んでる)
雲に覆われた空を睨みつけながら、アキリアは空洞を出ようと腰を上げるとマントが何かに引っかかったようで、躓き掛ける。慌てて振り返ると、それは何かに引っかかったわけではなく、リメラリエが掴んでいたからだった。
彼女の瞳は、いつのまにか正気を取り戻していた。ただ、その目には恐怖や不安が宿っている。
「どこに……?」
置いていかれると思ったのだろうか、その表情からは一人にしないで欲しいというのが見てとれた。
「荷物を少しでも回収して来ようと思ったのですが……」
今まで見てきた彼女はどちらかと言うと自信のある強気なイメージが大きかったが、初めてこんな憔悴した様子を見た。
(危険な目にあったんだ、それはそうか)
自分の判断ミスで危ない目に合わせてしまったことに不甲斐なくなる。あまりに不安げに見上げられ、アキリアは思い直し、彼女の横に座り込んだ。
「荷物を回収するのは、雨が弱まってからにします」
そう言うとリメラリエは、安心したのかマントの裾をそっと手放した。
二人は少し距離を置いて座っていた。
降り続ける雨が、木や地面を打ち付ける音だけが響き、視界を白く見せる。ひんやりとした空気が流れ、濡れた髪が冷たく感じる。幸いマントの防水機能で、中の服への被害は少ないが、風邪を引くのも時間の問題だ。
雨の音だけがするなか、リメラリエが静かに口を開いた。
「……私、初めて感じました」
ぽつりぽつりと話し始めた言葉に、アキリアは耳を傾けた。
「自分の選択したことで、恐怖を感じて、……自分は、ちゃんとこの世界に生きてるんだって……。命の危険に初めて、そう思いました」
食事の場面を追加しました。