27
日が沈む少し前に、ファクトラン家の屋敷の前に王家の紋の入った馬車が到着した。そうだったと思い急に緊張する。
リメラリエはいつもの感じで準備していたのだが、母と侍女に全力で止められた。いつものシンプルなドレスではなく、いつの間に用意されたかわからない少し凝ったデザインの薄紫色のドレスだ。リメラリエのあまり選ばないデコルテの大きく出るタイプのデザインで、胸元が心もとない。腰からふわりと広がる裾が、揺れる度色が変わるように見える。
髪はハーフアップにされ、ドレスに会う薄紫色の花が飾られている。
「……、気合い入れすぎでは?」
鏡を見てそう言ったリメラリエに、母と侍女は全力でそんなことないと言い放った。
そして、馬車から出てきたアキリアを見て、リメラリエは心の中で母と侍女に盛大に感謝した。
降りてきたアキリアは、紺色の詰襟タイプの長衣を着ていた。銀色の刺繍が銀の髪とあってとても似合っていた。おそらく王太子としての正式な服装ではないが、しっかり髪も整えられている。
目が合うとアキリアは優しく微笑む。
「とても綺麗です」
直球な感想にリメラリエは消え去りそうな声で「ありがとうざいます」としか言えなかった。
アキリアが手を伸ばしてくれ、リメラリエもその手を取り歩き出す。
「今日は急にすみませんでした」
「いえ、暇を持て余してたので助かりました。アキリア様こそ忙しいのですよね?大丈夫でしたか?」
「えぇ。今日を逃すわけに行きませんでしたから」
アキリアが馬車の前で止まり、先にリメラリエを馬車に乗せてくれる。後からアキリアが乗り、扉がしまる。
向かい合う形で座ると、リメラリエはなんとなく緊張した。会うのが久しぶりであり、あれから初めて二人きりである。以前の旅とはまた違う。
何も話せないでいると、アキリアが口を開いた。
「緊張しますか?」
そう言われてリメラリエは頷くしかなかった。その様子にアキリアも笑う。
「私もです」
え?と思って顔を上げるとアキリアが苦笑する。
「ずっと会いたいと思ってたんですが、いざ会うと……」
そこで言葉を切ると困ったように微笑んだ。途切れた言葉に、首を傾げる。
「……、触れたくて仕方ないです」
切ない声でそう言ってくるアキリアに、リメラリエは一気に赤くなるしかない。いつも優しく微笑み、時にはリメラリエを注意することもできる人だが、どうにも避けがたい色気を放たれリメラリエは早くも致命傷を負った。恨みがましい目で訴える。
「アキリア様って、そう言う人だったんですか?」
「そう言う人?」
「なんか、なんか、よくわかんないですけど!こっちはいっぱいいっぱいです!」
我ながらわけのわからない主張をしていると情けなくなる。
「私も結構限界まできてるんですが」
涼しそうな顔でそんなこと言われても信じられない。リメラリエがついじとっと見ると、アキリアが笑う。
「好きな女性といて、何ともない男なんていませんよ」
「す、き?」
まるで電源が切れたロボットのようになってしまった。今時(前世的には)ロボットだってもっと上手に話すはずだ。
「アキリア様、私のことが好きなんですか?」
「はい、もちろん」
何故か雷に撃ち抜かれたような衝撃だった。たしかに婚約してくださいとは言われたが、好きだと言われたのは今が初めてな気がする。
「アキリア様どこかに頭を打ち付けましたか?」
「何でそうなるんですか」
「なんか、義務的に婚約してくださったのかと」
「一体なんの義務ですか」
「だって、私はそうですけど、アキリア様は……」
その言葉にアキリアが素早い反応をして立ち上がるとリメラリエの隣に座った。
「私はそう、とは?」
「私は、その、アキリア様が、好き、ですけど」
また片言になるのはアキリアが近すぎるせいなのは間違いない。が、それを言い終わった瞬間視界は紺色になり、温かい優しい温もりに包まれる。それはアキリアに抱きしめられたせいだった。
リメラリエはあわあわしてしまったが、アキリアの声が頭の上から降ってくる。
「本当ですか?」
「……あの時アキリア様の名前を呼んでしまったぐらいですから」
ぐっとさらに力強く抱きしめられた気がした。
「リメラリエ嬢こそ、仕方なく頷いてくださったのかと。それでも私は十分嬉しかったのですが」
どうやらアキリア自身も不安に感じていたことがあり、なんだかそれほど遠く離れた存在になったわけじゃないことがわかりホッとする。
「……、私は狡いやつなので、あなたが頷いてくれそうな言葉を選んで問いかけました」
「え?」
「今度、必ず言い直します」
何か決意したようなアキリアに、リメラリエはよくわからなかったが頷いた。
「そして、どうも私の気持ちが全然伝わってないようなので、もっと努力します」
そう言って笑った。
馬車が止まったのは城の外にある王家御用達のレストランだった。リメラリエも何度か家族と来たことはあったが、今回通された部屋は初めての場所だった。
大きな丸いテーブルと椅子が二脚あり、その向こう側にはくつろげるようなソファとローテーブルまで置かれていた。
「すごいですね……」
「私も久しぶりすぎてちょっと驚きました。以前はこんな部屋じゃなかったような気もするんですが」
アキリアはそう言いながらも、リメラリエに椅子をすすめる。すぐにレストランの代表が挨拶に来て、食事が給仕によって運ばれる。
そこからはゆっくりと美味しいご飯に舌鼓を打っていた。会えなかった間にしていたことなどを話すと、とても楽しく感じた。
「やっぱりとても忙しいんですね」
「これまで逃げていた分を取り返さなきゃいけないですからね。リメラリエ嬢には、余計な勉強をさせることになってしまって申し訳ない」
「いえ、やっぱり私も10年間サボってたツケなんだと思います。見事に社交関連がさっぱりですから。今思えば大公令嬢なんだから、ちゃんと学んでおくべきでした」
勉強自体はさほど苦ではない。前世でも勉強する習慣があるため、本を読んだり話を聞くことはまだ大丈夫だ。しかし、いざ実践となるとそうはいかない。魔力の使い方も似たようなことがあった。
デザートまで全てを食べ終えると、給仕が何かを持ってきてアキリアに手渡した。そしてそのまま部屋の中は二人きりになる。
彼が手にしたものをよく見るとそれは、ワインボトルだ。興味津々で見つめるリメラリエに、アキリアが笑いかける。
「良いお酒、手に入れたので一緒に飲んでくれますか?」
いつかの約束にリメラリエは嬉しくなって頷いた。
二人はソファの方へ移動し、隣り合うように座ると、アキリアがワインボトルを開け、二つのグラスにワインを注いでいく。
「どうぞ」
赤いワインで満たされたグラスを受け取ると、アキリアもグラスを掲げたため、二人で小さくグラスを鳴らした。
グラスを鼻に近づけるとすぐにふわりと芳醇な葡萄の香りが漂う。うっとりして、少しグラスを傾け口をつける。鼻で嗅いだ香りとは違い直接語りかけてくるイチゴに似た香りに、渋みと酸味の絶妙なバランスの味がリメラリエに美味しさを訴える。
「美味しいです!」
パッと横にいたアキリアに視線を向けると、彼はまだグラスに口をつけてはおらず、にこにことリメラリエを見ていた。その顔にどきりとする。
「気に入って頂けたようで何よりです」
アキリアはひどくゆっくりとした動作でグラスに口をつけた。何ということはないはずなのに、リメラリエは目が離せない。
「でも、よく考えたら、ザイ卿とのお約束でしたね」
「あいつは、きっと俺に殺されたくないと思うので、遠慮してくれると思いますよ」
言葉は丁寧だったが不意にでた"俺"にときめく自分が憎らしい。リメラリエと話しているときは、基本的に"私"を一人称としてアキリアは使っている。しかし、騎士の同僚との会話では"俺"を使うのだろう。
感情を誤魔化したくてリメラリエはワインをぐいっと飲んだ。正直美味しすぎてどれだけでも飲めそうだ。
「リメラリエ嬢は、ワインがお好きですか?」
「ワインに限らずお酒が好きです」
そう口にするとリメラリエはあることを思い出した。
「アキリア様は、エールよりワインがお好きですか?」
「そうですね。よく飲むのはエールですが、ワイン好きです」
思い出したことを続けて聞いてみることにした。
「フェモはお嫌いですか?」
「えぇ、あまり好んでは食べませんが?」
アキリアは質問の意図を図りかねているようだった。楽しくなったのでそのまま続けることにした。
「リルフェがお好きですか?」
そこでアキリアが激しく咽せた。思わず背中をさすると、アキリアが涙目になって尋ねてくる。
「まさか」
「イクト様が教えてくれました」
頭を抱えたようなアキリアに可笑しくなりリメラリエは楽しい気分がどんどん膨れ上がる。ワインも美味しくてとても幸せな気分だった。
「子供っぽいですよね」
「好きなものは人それぞれです」
リメラリエの言葉にアキリアが嬉しそうに笑う。こういう時の彼の笑顔は少年のような笑みで、リメラリエが好きだなと感じる表情でもあった。思わず手を伸ばしてよしよしと頭を撫でると、アキリアが耳まで真っ赤な顔になる。その顔を見てリメラリエもハッとして、手を引っ込めた。
「ごめんなさい!」
「いえ、嫌だったとかではなく、人にそんな風にされた記憶がないので」
二人であわあわしつつ目が合ってお互いに笑い合う。
「むしろあなたに触れて貰えるのは嬉しいです」
「……、そう言う台詞いらないです」
どうして良いかわからなくなるため顔の前にワイングラスを持ってくると、スッとそれを取り上げられる。
「全然伝わってなかったので、努力中ですよ」
アキリアの笑みにリメラリエは赤くなるしかない。お酒のせいなのか、アキリアのせいなのか。絶対後者には違いなかった。
「もう少し飲んでもいいですか?」
「でも、明日も予定たくさんありましたよね。あまり飲みすぎない方がいいのでは?」
「そうでした」
「それに、これ以上一緒にいたら何するかわかりませんよ」
すっとアキリアの長い手がリメラリエの頬に触れ、するりと蜂蜜色の髪を軽く撫でる。深い青色の瞳がリメラリエを求めて来る。前世でも今世でもこんなふうに見つめられたことはない。
その手はすぐに戻って来て、リメラリエの耳元に軽く触れる。くすぐったさに少し目を閉じると、何かが唇に触れた。一瞬のことに驚いて目を開けると、アキリアの顔がずっと近くにあり、リメラリエは何も喋られなくなってそのまま固まってしまう。
「まだ飲みますか?」
「……、やめておきます」
「残念です」
と言ってアキリアは笑ったが、好きだと言われた意味をリメラリエはようやく真に理解した気がした。




