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それからリメラリエたちがトランドールの城まで戻るのに要した日数は、三日程だった。各町に対となる魔道具が置かれており、その魔道具を順番に使うと城に戻ることができた。ただ、それなりに魔力を使うため1日にいくつもの魔道具を起動させるわけにはいかず、休みながら来たのだ。
トランドール側はリメラリエが消えた後、リヴァランへ使節団を送っていた。表向きには穏やかに、今回せっかく交流を持ったので、こちら側も派遣するというような内容だ。アキリアを使節団の代表として向かっていたものの、リメラリエへ渡していた魔道具の起動により転移し、先にリヴァランへ着いてしまった。使節団としては、一旦引き返す事になり、結局リヴァランへの派遣は取りやめとなった。
リメラリエが王太子の婚約者かどうかはともかく、大公家の令嬢を拉致したことには変わりはないため、リヴァランへの遺憾を示した文書を送ってはいるが反応はまだない。おそらく有耶無耶になり、また国交は途絶えていくのだろう。トランドール側もこれ以上追求はしたくない。簡単に城内の一部での魔力陣形の起動を許して、大公令嬢が攫われているのだから、逆の意味で問題である。
リメラリエといえば、屋敷に戻ると帰還を両親が泣いて喜んでくれたし、弟も無事でよかったといってくれ、とても温かい気持ちになった。
しかし、すぐに変化は訪れて、王太子の婚約者としての教育が始まった。毎日のように城を訪れては代わる代わる教師たちが色んな内容を教えていく。歴史などは本ばかり読んでいたリメラリエにはどうと言うことはない内容だったが、城での作法や、社交に関する知識などが抜け落ちているため覚えることだらけだった。
少しだけリメラリエに許されたのは、文官補佐としての仕事だった。国政を知るためには悪くないとされ、午前中だけ補佐の仕事をすることを認められた。当然アキリアの助言があってのことだろうとは思う。
しかし、戻って来てからはアキリアに一度も会えていなかった。あの日のことも実は自分の妄想なのでは?と思うが、王太子の婚約者としての教育をうけていると、現実か……とも思う。
この日は特に教育の日程でもなく、仕事も休みのため、屋敷の自分の部屋からぼんやりと外を眺めていた。慌ただしい日を送っているため、こう言う時間は正直少ない。
「何しよう」
そんなことを呟いていると、部屋の扉がノックされた。返事をすると屋敷の侍女の一人が、トレーに一通の手紙を乗せて来た。
手紙を受け取り裏をみるとトランドール王家の紋章で封蝋がされており、アキリアの名前が書いてあることに気づき心が弾む。
「え、ちょっと待って、まるで恋する乙女みたいじゃない?」
自分で自分の状態に驚きながらも、嬉しい気持ちが込み上げる。
「恋する乙女なのか……」
まさか自分にそんなことが起こると思わず、とても変な気分だった。そんな混乱があるまま、リメラリエは封を切った。
急いで書かれたと思われるその字は、それでもとても綺麗で読みやすいものだった。なんとなくアキリアのイメージ通りで笑みが溢れる。
『今日夕方頃に迎えに伺います。一緒に食事をしましょう』
たったそれだけの内容だったが、今のリメラリエには十分だった。久しぶりにアキリアに会えるのだと思うと嬉しくなる。やはり恋する乙女だなと自分で納得する。
***
時は少しだけ遡り早朝のこと。
アキリアは膨大な書類に埋もれそうになりながら仕事をこなしていた。王太子として戻るに当たっては、しばらく王太子としての仕事にしっかりと専念するように言われていた。
このところミリアルトだけではこなせない仕事もあり、かなり滞っていたものもあった。10年間逃げていたツケだと思えば、大したことないとも思えたが、それでもなかなか減っていかない書類に若干うんざりしていた。
それでもなんとかやろうと思えるのは、リメラリエのことだ。半ば強引な形だが、彼女が婚約者になった。それだけで心が躍る。
「にやけてるぞ」
そう言って来たのは、側に立っていたザイだった。アキリアが王太子に戻ったことで、近衛騎士が不足になり、騎士団内部でメンバーの入れ替えがあった。そこは王太子権限で、ザイを自分の近衛にしてもらい、少しでも自分がくつろげる時間を作った。ような気がしていたが、そうでもなかった気がする。
「どこが」
「嬉しいのはわかるけどさー、王太子的威厳はないな」
「うるさい」
「あんだけ惚れてないって否定しててこれだもんなーよく言うよなー」
「うるさい!」
子供のような喧嘩を始めて、仕事が進まない。ダメだと思い、アキリアは首を振って気持ちを切り替えようとする。
せっかく婚約者にはなれたが、城に戻ってきてからリメラリエと会う時間はなかった。王太子として戻るために急ぎの書類は手早く終わらせたが正式な書類などを片付ける必要があった。養子として受け入れてくれていたニルドール家への礼と謝罪もある。まぁ、団長は戻れたことを喜んでくれているようだったので、そこに対する心配はあまりない。
しかし、当然アキリアが王太子として戻ることを快く思わない者たちもいる。今更何故戻ってくるのか、何故そんな簡単に戻ることを許すのかと、直接国王に進言した者もいたと聞いている。
特にサヴァトラン家は反対派にいると聞いている。実はアキリアが王家から降下することを決めた時、その受け入れ先としてサヴァトラン家とニルドール家が手を上げてくれた。しかし、結局アキリアが選んだのがニルドール家だったため、現当主からはよく思われていないのも事実だ。しかもそのアキリアが王太子に戻ると言うと、ニルドール家は強い繋がりを得ており、明らかに今後の政治的介入に有利だ。
おそらく今後は一度臣籍降下した王子など王太子として認めないと、ミリアルトを押してくる可能性がある。これから起きる問題は頭の痛いものが多いが、自分で選んだことでそこに対する後悔はない。
あまり集中できていないのが自分でもわかり、ため息をつく。
するとザイが突然執務机に腰掛け、指に挟んだ小さな紙をひらひらと見せつけて来た。
「これなんだ?」
「わかるわけないだろ」
軽く睨みつけるとザイがアキリアをみて、にやりと嫌な笑みを浮かべる。
「ファクトラン大公令嬢の2週間分の予定表〜」
その言葉に思わず机から身を乗り出し奪おうと手を伸ばしたが、ザイの動きの方が素早くさっと紙は遠ざかる。
「いやー俺って主人思いの素晴らしい近衛騎士じゃない?」
「ちゃんとした近衛騎士はそもそもそんな馴れ馴れしくないし、主人の机に座ったりしない」
「あーいらなかったかー」
「ザイは素晴らしい近衛騎士だ。これからも頼む」
「だよな」
可笑そうにお腹を抱えてゲラゲラ笑うとザイは満足そうに小さな紙をアキリアに渡す。受け取ったアキリアはすぐにその紙をまじまじと見る。
するとアキリアは慌ててペンと紙を取り、何やら書き始め、しっかりと封をするとザイに手渡した。
「リメラリエ嬢に」
「やっぱりそうなるよな。今日逃すと予定日詰まりすぎ。お前もあんまかわんないけど」
そう言いながらザイはしっかり受け取る。
「しばらく声かけないでくれ、夕方までに今日の分は終わらせる」
「やる気が出たようでなにより」
ザイはそう言うと手紙を持って部屋を出た。アキリアの執務室には今のところザイしか入れないことになっており、ザイは外の侍女に手紙を渡しにいくのだ。
リメラリエに久しぶりに会えそうで、アキリアは頬が緩むのを自覚しながらも、彼女に会うためにも仕事に集中するため気持ちを切り替えた。




