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少しの浮遊感の後、トスッと地面に着地する感覚があり、リメラリエは目を開いた。リヴァランの城とは違い、木の壁があるのを見て思わずホッとする。
近くにいるはずのアキリアを見つけて笑いかけようとした瞬間、彼の腕の中に閉じ込められた。背中までぎゅっと抱きしめられる形になり、リメラリエは自分の体の体温が一気に上昇するのを感じた。
「無事でよかった」
耳元で囁かれ心臓が飛び跳ねた気がした。しかし、イルネアの時のような恐怖は感じず、むしろ側にいることに安心する。もう大丈夫なんだと思わせてくれる。彼の腕の中は怖くない。
しかしだんだん気恥ずかしくなり、慌ててリメラリエは腕から逃れるように動いてみるが、アキリアの力に敵うはずもなく、虚しく終わる。あまりにアキリアが離してくれないため、声を掛ける。
「ア、アキリア様、そろそろ」
離してほしいと言ってみると、名残惜しそうに腕を解いてくれた。
「ここは?」
「もともと借りて置いた部屋なので大丈夫です。イクトが宿の主人に伝えに行ったでしょう」
言われてみるとイクトの姿がない。先程の様子を見られていたのかと思うと死にたくなるが。
「そう言えば、イルネア殿下に言っていたことはどう言うことですか?設定がどうのって」
リメラリエには全く理解できなかったため、その場は質問すらできなかった。「トランドールの王太子の婚約者をリヴァランの王弟が拉致した」と言うようなことを言っていたが、ミリアルト王太子に婚約者はいなかったはずだ。リヴァランの王弟はイルネアだが、彼が攫ったのはリメラリエである。
視線を外して言いづらそうな顔をするアキリアは、リメラリエをもう一度視界に入れると口を開いた。
「王太子と言うのは、私のことです」
「……、あ」
リメラリエはふと魔樹の森で見てしまった、アキリアの記憶について思い出す。あの時の彼は騎士服を着ていなかった。むしろ今目の前にいるのと同じような王族の装いをしていた。
デビュタントボールで不在だった王太子。10年前ならミリアルトが王太子としている年齢ではない。あの時会場にいなかった王太子というのは、アキリアだったのだ。
ニルドールでは養子だと言っていた。実際名乗る時もアキリア=ニルドールだと。
「今は、アキリア様は、ニルドール家ではなく?」
「トランドールに戻して貰いました。帰ったら王太子としての手続きや、膨大な仕事が待ってますが」
苦笑したアキリアはそれでもなんとなくすっきりとしたような表情に見えた。そんなに簡単に戻せるものなのか?と言う疑問などはあるが、何か条件付けがあったのかもしれない。それはリメラリエが知り得ることではないが。
「……じゃあ、婚約者と言うのは」
もう流石に予想はついたが、勘違いでも困るため、リメラリエは気まずい思いをしながら聞いてみた。アキリアも少し困ったような表情をしながらも答えてくれる。
「あなたです」
やはりそう言うことなのかと思った。
「トランドール内で、あなたをリヴァランに助けに行くには、理由が必要でした。ただ、拉致された事実はまだ表沙汰にはなっていないので、私はトランドールの使節団の代表としてリヴァランへ向かう途中でした」
「でも、あれですよね、そう言う設定と言うだけで」
そう言うと、アキリアは懐から一枚の紙を取り出し、それをリメラリエに手渡した。
そこには国王陛下と父のサインが入った婚約に関する文書が書かれていた。しかも、日付は1ヶ月前。
無理がある。
そう思って見上げるとアキリアはまた困ったような顔をしている。最近みる表情は本当にこの顔が多いなと思う。
「あまり驚かないんですね」
「え?」
「私が王太子と言うことについて」
「それは……」
流れてきた記憶を見てしまったからに他ならない。養子であることなどを考えるとそう言う可能性があることはなんとなくわかっていた気がする。
「魔樹の森で、私の魔力を取り戻した時、私に関わるものを意識してして吸い出していたら、アキリア様の記憶に私に関わる記憶があって」
申し訳なくなりリメラリエは俯く。あの時正直に伝えるべきだったのかもしれない。
「あなたに関する記憶、ですか?」
「はい。10年前のデビュタントボールで、私の靴が飛んで行った先が、アキリア様の背中だったようで……」
喋っていて色々恥ずかしくなる。そもそも靴が飛んでいくってどう言う状況だと言う気がするが、事実飛んでいっていて、アキリアに当たっている。その時には、会っていないのだから、それ以外の説明ができない。
アキリアは不思議そうに目を丸くした後、可笑そうに声を出して笑った。
「あの靴、リメラリエ嬢の靴だったんですね」
「すみません、そうです」
認めるのが恥ずかしくて仕方なかった。
「記憶を見てしまってすみません。その時のアキリア様が、今と似たような装いだったので……」
「そうですね。あの日が王太子として出席した最後の公式行事でした。まぁ、ほとんど出席してないようなものでしたけどね。あの時が、リメラリエ嬢のデビュタントだったんですね、もう少しまともに出ておけばよかったな」
独り言のように残念そうに言うアキリアに、リメラリエは自然と顔が熱くなる気がした。
「靴には感謝してるんですよ。あの時王族であることから離れることにしましたが、離れてみてよかったと思っています」
そう話すアキリアはとても穏やかな笑顔を見せた。なんとなく直視しづらく、話を戻さなければと思い、慌てて手にしていた紙を示す。
「で、でも、これはあくまでリヴァランへの提示用ですよね?」
アキリアとリメラリエの婚約が国王によって認められたと書いてある。リメラリエの父のサイン付きだ。ここまでやる必要性があったのだろうか。
「違います」
「え?」
「これは正式な書類です。まぁ少し日付が変ですが」
「え、でも」
リメラリエがアキリアを見上げると、アキリアに真剣な顔で見つめ返された。
「私と婚約してください」
そう言ったアキリアは極真面目な表情で、冗談などとして返すこともできないぐらいに。
リメラリエはすぐに答えを返すことができなかった。彼は王太子だと言った。ミリアルトは王子なのだから、アキリアは継承順位が一位の王子だ。婚姻した場合、リメラリエは王太子妃ということになる。
「む、り……、絶対無理です!」
そう言ったリメラリエに大してアキリアは見捨てられた子犬の様な表情をする。
「私ではだめですか」
「いや、だって、王太子妃とか無理……」
ぶんぶんと首を横に振るリメラリエにアキリアは笑う。
「私も学ぶことがだらけなので、そんなに気負わなくても大丈夫ですよ。ミリアルトもいますし」
ミリアルトと呼び捨てにしたことでようやく本当にそうなんだと言う気にリメラリエはなった。
「私は、貴女がいい。リメラリエ」
いつものアキリアなのに、いつものアキリアではあまりしないような言い方にどきりとする。リメラリエも自分が今までの政略結婚の相手と対峙したときと比べたら、まったく嫌な気持ちがないのはわかっていた。
「でも、たぶん色んな人に反対されますよ」
「それならそれで私が説得します」
はっきり言い切るアキリア、リメラリエはだんだん返す言葉がなくなっていく。だんまりしてしまったリメラリエの左手に、アキリアのすらりと伸びた手がそっと触れる。
「私と婚約してください」
もう一度真剣な瞳で問われ、リメラリエは小さく頷いた。その様子をみたアキリアは破顔する。少年のような笑みを見せる彼に、リメラリエもつられて微笑んだ。
「どんな助け方になっても、許してください」そう言っていたアキリアの言葉に納得する。あの婚約に関する書面の準備など、かなり強引な立ち回りをして来たんだろうなと思うと申し訳なくなる。
でも、いくら色恋沙汰から遠ざかってしまったリメラリエでも自分の気持ちには気づかざるを得ない。かなり誤魔化して納得させていたものの、あの時、アキリアの名前を読んでしまった。他の誰でもなく。
触れていた右手を軽くひっぱられると、そのままアキリアの腕に捕まる。
「ところでずっと気になっていたんですが」
アキリアは眉を寄せて、リメラリエの左頬に触れる。
「あいつに触れられたのはどこですか」
「へ?」
唐突な質問に思わず変な声を返してしまう。
「イルネア殿下のことですか?」
「そうです」
思い返すとゾッとする。逆らえない振り払うことができない体勢に、嫌な思いが蘇る。
「首を……」
そう言うとその言葉をなぞる様に、アキリアの右手が頬から首筋をなぞる様に下りてくる。イルネシアの時とは違う感覚に戸惑う。
「他は?」
「……、鎖骨のあたりを」
その言葉に従う様に、アキリアの手が首元から下へ降りて優しく触れていく。触れられるたびに熱を帯びていくような気がしてリメラリエは動けなくなる。思わず目を瞑りアキリアの手が離れるのを待ったが、さらに下へと進みそうな手に、リメラリエが目を回す。
「あ、アキリア様!!」
「すみません、あまりに可愛いので調子に乗りました」
さらっとそんなことを言うアキリアにリメラリエは目を白黒させる。
「そんな顔他の男にしないでくださいね」
そんなことを言って笑うアキリアに、リメラリエは最早どうしていいかわからなかった。
予約投稿忘れてた。。。




