19
時間は少し遡り、前日の夜。
「え、アキリア様??どうしてこんなところに?!」
いよいよ明日がお茶会かと思うと、リメラリエはなかなか寝付くことができなかった。場所もいつもと違うと言うのもあるかもしれない。今日は屋敷ではなく城内の一室を借りていた。何人かの侍女たちを屋敷からつれ、出来るだけ来賓棟からは遠い場所の部屋を借りた。
お茶会に出席できない事態になるのが、ファクトラン家的にもトランドール的にも一番困ると判断したため、当日の移動が困らないようにしたのだ。
元々護衛しやすい様にしばらくの間の城内からの出勤も提案されていたが、屋敷の方が良いと言い断っていた。だから、屋敷内や移動の護衛にイクトが派遣されたというのもある。
侍女が温かい飲み物を出してくれたりしたが、寝台に横になっても眠れず、リメラリエは諦めたところだった。
少し風にでも当たろうかと思い、ショールを羽織り、バルコニーへの扉を開いた。
するとそこには、人影があった。月明かりに照らされバルコニーの床に映るそれに一瞬恐怖を感じたが、視線を上げた先には見慣れた銀色の髪の男性がいた。
そこで冒頭に戻る。リメラリエは驚きに声を上げた。
リメラリエが見た時には、アキリアはバルコニーの手摺に腰掛けていた。
「少し、話をしたくて」
申し訳なさそうに言うアキリアは、項垂れた子犬の様だった。たぶん、してはいけないことを理解していてやっているのだろう。なんかおかしくなり、リメラリエは少し笑う。
「そちらでは寒いですよね。どうぞ中へ」
リメラリエが扉を開いて中へ促すと、アキリアは首を横に振る。
「いえ、突然訪れたのに中に入るわけにはいきません。それに、……リメラリエ嬢は、そんな簡単に男を部屋に入れてはダメですよ」
「でも、アキリア様ですし」
リメラリエの言葉にアキリアは少し困った顔をする。最近出会うとよくこの顔をする気がする。アキリアは何に困っているのだろう。
「私はもう護衛騎士ではないですよ」
「それは、知ってますけど」
彼がリメラリエの護衛騎士になったのは、あくまで旅の間だけ。短い期間の臨時的なものだ。
リメラリエが訝しげに首を傾げると、アキリアはゆっくりと近づいてきた。
部屋の白いカーテンが風で大きく揺れる。バルコニーへの扉を開けているせいで、風を抱き込み大きく外に張り出す。
まるでその影に入る様に、アキリアはリメラリエの側に立つ。
「私が側に立つのは、怖くないですか?」
視線が左手に移ったのを見て、イルネアの件を思い出すことを心配しているのだろう。その心配にありがたく思いつつ、首を横に振って見せる。
「アキリア様は助けてくれましたし、怖くないですよ」
リメラリエが見つめられていた左手を持ち上げて何ともないとひらひらさせて、微笑むとアキリアは少しだけホッとしたような表情を見せる。そう言えば、あの時助けて貰ってからは一度も話せていなかった。アキリアは心配してくれていたのかもしれない。
その持ち上げた左手をアキリアのすらりと長い手が捕える。ごく弱い力で触れられる。
鼓動が無意識に跳ねた気がした。
しかもアキリアはそのまま自然に貴族同士の挨拶のように少し膝を折り、彼の口元がリメラリエの左手の甲に触れた。まさか突然そんなことをされると思わず、冷静を装うのに全気力を必要とした。
そして、まるで何事もなかったかのように、アキリアはそっとリメラリエの手を離した。
リメラリエの内心は混乱と恥ずかしさで大荒れだった。ほとんど社交にでないため、挨拶だとしても慣れていない。どう振る舞うのか正解なのかわからない。こんな時ばかりは社交さぼるんじゃなかった!と激しく後悔した。
そんな大混乱のなか、アキリアは静かな口調で質問を投げかけてくる。
「リメラリエ嬢は、……リヴァランへ行きたいですか?」
「え?いえ。あ、他国に興味がないわけではなく、一回ぐらい行ってみたいなと思わなくもないですけど」
「ずっとそこに住む気はないということですか?」
「はい。だって、私の家は、トランドールにありますから」
その言葉にアキリアは納得した様な顔を見せるが、不安そうな色を見せて質問が続く。
「もし何か起きたら、私が助けに行くことを許してくれますか?私が、護衛騎士でなくとも」
どう言う意図でアキリアが聞いているのか、リメラリエにはよくわからなかった。でも、真剣な様子のアキリアに質問をすることも躊躇われた。
ただ、イクトはリヴァランに拉致される可能性も示唆していた。そうした場合のことだろうか?と推測する。何をどう答えるか迷ったが、一番受け入れる予定のないものを答えておくことにした。
「私は、リヴァランに嫁ぐことを望みません」
リメラリエのその返事に、アキリアは少し表情を崩して嬉しそうな笑みを見せた。
その表情ダメ!
普段どちらかと言うと凛々しい表情を見えることが多い彼が、子供のような笑い方をするタイミングがある。どうもリメラリエはこの表情に弱かった。
「何度も自分に言い聞かせてみたんですがダメでした。どんな助け方になっても、許してください」
アキリアの表情に呆けていたリメラリエは、何の判断もなく首を縦に振った。彼は安心した様に、リメラリエから離れ、バルコニーの手摺がある端へ歩いていく。明かりが届きにくく、表情は見えない。
「おやすみなさい。良い夢を」
「おやすみなさ、えぇえ?!」
途中で言い切れなかったのは、アキリアがバルコニーから軽やかに飛び降りたからだ。慌ててバルコニーの手摺まで走り、下を覗き込む。
上手く着地したらしいアキリアはそのまま走り去って行くのが僅かに見えた。彼は城内には詳しいので、暗くても迷うことなく進めるのだろう。
「人間ってそんなに丈夫だっけ?」
よくわからない疑問を口にしてから、リメラリエは一度自分の頬を軽く叩く。
「痛い」
リメラリエの呟きが冷たい風に霧散する。
短すぎた!
ちょっと前の話の最後を変えました。




