18
次の日、朝起きると屋敷の玄関ホールに黒い服を来た騎士が一人立っていた。髪の毛も瞳も黒で真っ黒尽くしの彼はほぼ表情がなかった。笑顔もなく、怒ってるという様子でもなく、ただ表情がない。しかも体付きもかなり細身で騎士らしくない。
「リメラリエ、彼がしばらくの間日中の警護をしてくださるらしい。陛下からの打診なので受け入れるように」
父の紹介を受けると真っ黒な騎士は頭を下げた。
「第二班のイクトと申します。よろしくお願い致します」
制服から見ても分かるが、アキリアの班に所属している騎士の一人なのだろう。姓を名乗らないと言うことは、貴族出身ではないのかもしれない。
「リメラリエ=ファクトランです」
リメラリエが名乗ると、少しだけ目があってすぐに頭を下げられた。
父は仕事を休んだらどうかと言ってきたが、リメラリエは休む気はさらさらなかった。何故求婚されたぐらいで仕事を休まなければならないのか。むしろ色んな事を考えないためにも仕事をしたい。
文官執務室に行くと、中にいた全員がリメラリエを見た気がした。いつもと違う視線に居心地が悪い。どうせならいつものようにさっと目を逸らされる方がありがたい。
気の利くメディスは早々にリメラリエに資料探しのネタを与えて、執務室から追い出した。ちなみにイクトも執務室では、じっとリメラリエの横に立っており、二重の意味で居心地が悪い。
せっかく与えて貰ったので、意気揚々と図書室に向かう。イクトはリメラリエの少し後ろを静かに歩く。
いや、不自然じゃない?
リメラリエは思わず後ろを振り返るが、真っ黒な騎士はそこにいる。イクトの表情は変化しない。先程から後ろを歩くイクトは本当に音がなかった。思わず足元を見るが、ちゃんと靴は履いている。
「忍か!」
思わず小声で呟くと、イクトの耳がぴくりと反応したような気がした。気のせいかもしれない。
図書室に着くと、リメラリエは諦めたように、書見台の椅子に座り込んだ。資料を探しには来たものの、やる気がどこかへ行ってしまった。
視界に真っ黒な騎士が目に入ったので声をかけてみる。
「イクト様は第二班になって長いんですか?」
「3年ほどです。"様"はいりません」
思ったより普通に返してくれたことに驚きつつ、最後の言葉は無視し、せっかくなのでこのまま会話を続けてみる。
「アキリア様は騎士団ではどんな感じです?」
「真面目な方です」
「じゃあ、ザイ卿は?」
「不真面目を装ってますが、基本的に仕事はしっかりこなされます」
なかなか面白い回答がきて、リメラリエは楽しくなってきた。もう少し質問を続けてみた。
「今回の私の護衛はどうやって決まったんですか?」
「騎士長が立候補しましたが、団長に却下されて止むを得ず私が」
この騎士、素直すぎる。ただ、アキリアが立候補してくれたことが、リメラリエ的には嬉しかった。
「危険なんですか?」
「相手の意図がはっきりしているのでわかりやすいですが、拉致などの危険性がなくもないです」
この騎士、素直すぎて、警護対象を不安に陥れて来る。なんだろう。
「拉致なんてあり得ます?犯人バレバレでは?」
「それでもシラを切れる自信がある場合は可能性として存在します。相手は、魔力持ちですから」
イクトの返答に、リメラリエは不意に背筋が凍る気がした。魔力、それはどうしてもリメラリエには意識的に考えなければ、存在を忘れてしまうものだった。自分が魔力持ちであっても、普段から魔力を使うわけではないため、存在自体を忘れてしまうことがある。
リヴァランは魔力を日常的に使う国だとわかってても、危険が及ぶときに魔力を使用することまで頭が回っていなかった。リメラリエは危険な使用方法については、教えられていないため、その辺りも影響しているのかもしれない。
「その可能性は、考えてませんでした」
「そのために護衛としてついていますので」
イクトの淡々とした口調は変わらない。
「もう少し面白い話しません?」
これ以上この話を続けると碌な話にならないと判断し、話題の変換を求めてみる。
「私は何でも構いません」
案外応じてくれるらしい。リメラリエはうーんと悩んでからくだらないことを思いつき言葉にする。
「好きな食べ物は?」
「騎士長のですか?」
この質問で何故アキリアの好きな食べ物になるんだ?とリメラリエは思いながらも、まぁいいかと思い「それでもいいですよ」と答えてみる。
「リルフェが好きです」
「え?」
リルフェとはこちらで言うところの子供のお菓子で、前世のラムネに似ている。物によっては金平糖みたいなものもあり、小さな砂糖菓子に近い。
「アキリア様、リルフェがお好きなんですか?」
「宿舎の騎士長室の机にたくさんあります」
イクトは極真面目に答えてそうだが、普段リメラリエが見れない姿を覗き見ている気になってしまう。しかも、アキリアのイメージからリルフェはなかなか思いつかない。聞いてはいけない事を聞いてしまって、心のなかで悶えるリメラリエに、イクトが追撃する。
「野菜は何でも食べますが、フェモはあまり好きではないようです」
フェモとは緑色の少し粘り気のある野菜でモロヘイヤみたいなものだ。
「お酒はエールを好んで飲みますが、実はワインの方が好きです」
なんか突然たくさん喋り始めてリメラリエは焦って、両手を上げ待ったを掛ける。
「何でそんなに急に色々話がでてくるんです?!」
さっきまで必要なことしかしゃべらなかったのに何故?!と困惑していると、イクトは至極真面目に答えた。
「ザイ副長から、ファクトラン嬢からアキリア騎士長の個人的なことを一聞かれたら、十答えるように言われています」
一度しか会ったことがないのに、心の中であいつかぁああと思ったのは内緒だ。
「イクト様、それ絶対職務じゃないんでやらない方がいいですよ!」
「重要な任務だと聞いています」
「いやいやいや、おかしいですよね?」
「騎士長の心の平穏のために」
「もはや何の話?!」
まだ話し続けようとするイクトにリメラリエは耳を塞いで抵抗するしかなった。
そんなくだらない抗争をしたあと、大人しく資料を探して図書室を後にした。歩きながら美味しいリルフェの売ってるお店は……と考えていた自分を殴りたい。
***
あっという間に、イルネアとのお茶会の日はやってきた。場所は城内でと言われていたので、リメラリエはそれなりに安全だろうと思っていたが、イクトの方はとても警戒しているようだった。
「城内ですから、そんなに警戒しなくても、他の騎士もいますよね?」
「一瞬です」
「え?」
「ファクトラン嬢の隙が一瞬あれば、魔力の発動は造作もないです」
「魔力を発動したところでどうするの?」
「転移です」
イクトの言葉にファンタジーだなと思ったが、言葉にはなんとか出さなかった。そしてそのまま最悪の事態を口にする。
「気づいたらリヴァランです」
あっさり言うイクトに途方に暮れる。
「た、対策は……」
すると、イクトはどこからか何かを取り出し、リメラリエに差し出す。それは紐の付いた空色の石に見えた。素直に受け取ろうと手を伸ばすと、イクトはすっと手を引いて触らせないようにした。
「今のように、相手から差し出されたものを簡単に受け取ってはいけません」
「あ」
相手が何を条件に魔力を発動させるかわからない。一番危険なのは相手に触れていること、または何か関連するものに触れていることだ。
「騎士長が実演しないと理解してくださらないとおっしゃってました」
リメラリエは乾いた笑いを返すしかなった。アキリア的には言葉で言っても理解しない人に分類されているのだろう。旅のことを思い返せばそうかもしれない。
「これは必要なものなので受け取ってください。騎士長がサヴァトラン卿に依頼して用意したものです」
サヴァトラン卿?どの人だろうと疑問に思ったが、空色の綺麗な石に目が奪われ、そのまま聞くことはなかった。
「お茶会の間も肌身離さずお持ちください」
リメラリエは素直に頷いた。サヴァトラン家に頼んだと言うことは、なんらかの魔力を使ったものなのだろう。
短くてすみません…




