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メディス=サヴァトランは、サヴァトラン大公家の三男だった。家を継ぐのは長男の兄であり、兄も力もまた家を継ぐのに申し分なかったため、三男であるメディスが大公家を継ぐことはまずなかった。成人してからも学生気分が抜けず、家でぼんやりと過ごすことが多かったが、一人ぐらいサボっていたところで、傾くような家ではなかった。
22歳を迎えても家でダラダラと過ごすメディスに、突然兄が仕事の話を持ちかけてきた。
「お前、人に魔力の扱い方を教えるの得意だろう?ちょっと魔力の扱い方を教えに行ってくれないか」
兄がそんなふうに言ってくること自体が珍しかったため、メディスは役割をよく理解しないまま引き受けた。
魔力の使い方を教える相手と言うのは、ファクトラン大公家の成人を迎えたばかりの令嬢、リメラリエだった。彼女の第一印象は可愛らしいお嬢様と言う感じだった。蜂蜜色のふわふわとした髪に、深い緑色の瞳をもつ少女で、誰もが目に留めるようなそんな可憐な見た目だったが、実際はやや見た目とギャップがあった。
「まずは、魔力の量を確認したい」
そう言って魔力量を確認するために手を出すと、リメラリエは戸惑うこともなくその手に自分の手を乗せた。
(これぐらいの子だと躊躇いそうだけど……)
まぁ、いいかと思いながら、彼女の中の魔力を確認して行く。メディスの赤い髪が舞い上がってから、遅れて蜂蜜色の髪が揺れる。
しばらく確認するのに時間がかかった。何故なら、彼女の魔力量は自分と近い量だったからだ。今時サヴァトラン家以外でこの量の魔力を持っているのは珍しくとても驚いたのを覚えている。
「どうでした?」
わくわくした様子で聞かれてメディスは苦笑する。
「僕と同じぐらいだ。早く制御できるようになった方がいいな」
「なんだ、脅威的な量とかじゃないんですね」
メディスから手を離すと、自分の手をそんなことを言いながら眺めていた。
「今のトランドールを考えれば十分驚異的だぞ」
「でも国を破壊できるレベルとかではないですよね?」
「……、国を破壊したいのか?」
魔力持ちの危険思想はかなり危ない。もしそう言う思考なら考えを改めさせるか、適切に対処しなければならない。
「いえ、単純にそう言う役割でもあるのかなと思っただけです」
意味が分からず答えを返せずにいると、リメラリエは曖昧に笑った。
すぐに実践したいと言う彼女に合わせて、理論をすっ飛ばして感覚だけで魔力の行使ができるように、何度か挑戦してみたが、直感で魔力を使うセンスが彼女にはカケラもなかった。
「ダメだ。理論からやるぞ。はっきり言って向いてない」
「えぇ……」
「あれだけの魔力があるのに紙一枚も持ち上げられていないのが僕には不思議すぎる」
この頃になるとメディスの口調も砕けたものになってきた。普通の令嬢とは明らかに違っていて、何故か貴族的な常識も欠けている気がした。
リメラリエは嫌そうに口を尖らせた。普通の貴族令嬢は少なくとも家族以外の前でそんなことしない。なんなら家族の前でもやらないだろう。
そうは言ってもどこか大人びたところがあり、自分のことを達観しているような節がある。
「そんな態度じゃ、婚約もできないぞ」
メディスのため息混じりの注意にリメラリエはすぐにあっさりとした返事を返す。
「まぁ、結婚できないでしょうね」
「……そこまで言ってない」
「あ、いえ、メディス卿を責めてるわけじゃなくて、わかってるんです。私は所謂政略結婚的なものができないなって」
リメラリエの瞳はどこか遠くを見つめ、その事実をすでに悟っているような言い方だった。
「魔力があっても結婚はできるぞ」
リメラリエは軽く笑ってから答える。
「そこは特に心配してないです。うーん、なんって言ったらいいんでしょう。私の持ってる余分なもののせいで?」
余分な物というのが何を指すのかは彼女は言わなかった。それは魔力ではなく、また別のもののことなのだろうとは思った。
「こうやってメディス卿に魔力の使い方を教わってる時も、他人事なんですよね」
意味がわからないと思ったが、リメラリエはそのまま言葉を続ける。
「何か自分とは違う世界を覗き見ているというか、他人がやっている、不思議な事象なんです」
笑って言ってはいるが、それはなんとなく彼女の本心である気がした。
「じゃあ結婚も他人事か?」
「そうなんです。だから、ダメなんです。私は、わかっているようでわかっていないから」
悲しそうな寂しそうな、なんとも言い難い表情をする彼女は、それを誤魔化すように笑った。
「直感的センスがないのはわかったので、理論おしえてください!」
メディスは何か返してやりたかったが、相応しいと思える言葉が思いつかず、代わりに本を10冊ほど渡す。
「全部読みなさい」
「多くない?!」
それから数年間、彼女には魔力の使い方を教えていたが、理論的な理解は早かったが、それに基づきいざ使うとなると、なかなか上手くいかないことが多かった。
「魔力はあくまで、媒体であってエネルギーではない。力を、他の力に変換する補助的役割だ。大きな力を使うことをしたければ、その力の元になる同程度の別の力が必要だ」
「要するに、エネルギー保存の法則ですよね」
「なんだって?」
「あ、なんでもないです。魔力が大きいと、大きな力を動かして変換することができるけど、魔力が小さいと、変換できるエネルギーも小さいから、規模の小さな魔術しか、使えないってことですよね」
正しく理解はしているが、魔力を動かしてエネルギーを得ることが上手くできない。
「魔力って何」
「……、ゼロからか」
唐突に言い出したリメラリエにメディスは眉を寄せた。すでに2年弱の時間が経過し、この時にはあと数ヶ月で、彼女の教師を辞めることが決まっていた。
リメラリエの教師を通してメディスの考えも少しずつ変わっていた。何もやる気がなかったが、自分が何をしたいのかを考えるようになった。
彼女は自分がしたいことを強く主張するし、それが通るまで諦めない。魔力の使い方を学ぶこともその一つだったようだ。
そんな彼女を見ているうちに自分のやりたいことや、どうありたいかを考えるようになった。
ただ、リメラリエはどうありたいかは常に欠けていた。将来的にどうありたいかはなく、その時やりたいことが彼女のすべてだった。
「なんだか、よくわからなくなって」
「……、深く考えたら負けだ。そう言うものだと思う方が楽だ」
「そう言うものです?」
「魔力とは何かなんて、そんなことは哲学者にでも任せておけ」
「なるほど」
何故か彼女はそれ以来魔力の使い方が格段にうまくなった。"そう言うもの"だと言う言葉がよかったのか、他に何かきっかけがあったかはわからない。
「私上手くなりましたよね?!」
そう聞いてくるリメラリエに軽く頷く。驚くほど上達したのは事実だった。そのため、注意事項を添えておく。
「あぁ、ただ、普段は基本的に魔力を使わないように」
「なんでですか?」
「そう言うものだ。魔力は他の力を別の力に変えるものだと言っただろう?むやみに使えば、自分や他人を犠牲にしかねん」
メディスの言葉に、リメラリエは頷いた。
「……、リメラ、僕は君の教師じゃなくなる」
「文官になるんですよね。父から聞きました。ぐうたら生活を終えちゃうんですね」
「君に言われたくない」
メディスの返しにリメラリエは面白そうに笑う。お互い家のことをしない成人、と言う意味では一緒だった。
「他の教師は本当にいらないのか?サヴァトランの中からたぶん教える人を出すことは可能だが」
「いえ、もう十分です。あとは理論と本任せでいきます」
些か不安になる解答ではあったが、本人がいらないと言うのだから、いらないのだろう。確かにとうに制御はできている。
「君ももう少し先を見たらどうだ?」
メディスの言葉にリメラリエは、目を伏せた。
「……生きるって難しいですね」
「死にたいわけでもないだろう」
そう言われた彼女はどうだろう?と首を傾げる。
「でも、生きている実感も薄いのかも……」
しばらく教師として時間を共に過ごすうちに、メディスはリメラリエを少し年の離れた妹のように感じていた。この、いつも危うい線の上を歩いているような状態の彼女を。
「魔力で困ることがあれば、相談しなさい」
「わかりました」
そう言ったものの、それから一度も彼女から連絡が来ることはなかった。
***
「アキリア卿はやめておきなさい」
長い説教のあと、メディスはそう言った。意味がわからずリメラリエは顔を上げる。
「何をです?」
「ザイ卿の方がましだ」
「だから、なんですか?」
「大変さが違う」
メディスの言葉に、意味が分からないと言う表情を見せる。
「君にも幸せになって欲しいと思ってる」
真剣にそう言ったのだが、思いがけない返し方をされる。
「それ惚気ですか。私知ってますよ、メディス卿がうちの侍女のライレーナと結婚したって!絶対私の教師をしてるときに仲良くなりましたよね?!」
メディスは黙るしかなくなった。




