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あの異例な仕事から、すでに半月が経とうとしていた。
アキリアは元の第二騎士長としての職務に戻っていた。第二班は城内の警備を主な仕事としており、毎日は淡々と過ぎていく。しかも騎士長となると、実務はほとんど事務処理が多くなり、騎士長に与えられる部屋で仕事をこなす事がほとんどだ。
また、第一班は王族の近衛騎士であり、第三班は城外の警備を主な仕事とする。
騎士長室で一人で書類仕事をこなしていると、扉がノックされる。
「アキリア騎士長、イクトです」
「入ってくれ」
アキリアの返答に扉が開く。入って来たのは第二班に所属するイクトだった。第二班の騎士服である黒い服を着た、短髪の黒髪に黒い瞳という黒尽くしの騎士だ。
「騎士団長が、騎士長たちの集合をかけてます。近々隣国の使節団がくるみたいで、その件で話をするみたいです」
「わかった、すぐ行く」
アキリアは立ち上がると、椅子に掛けていた上着を羽織る。
「すまないが、この後の訓練についてはザイに従うように伝言を頼む」
「承知しました」
騎士団長の息子ザイ=ニルドールも同じ第二班に所属しており、彼がこの班の副長を務めるため、後のことは彼に任せる。イクトが頷いたのを確認して騎士長室を後にした。
騎士宿舎内にある騎士長室と違い、騎士団長室は城内に一室があるため、ある程度ちゃんとした格好をしていく必要がある。
城内を歩きながら、ついでに部下の様子も確認していく。真面目に警備に当たっているものもいれは、サボっている様子の者もおり、後で指摘しなければなどと思う。
もう少しで、騎士団長室と言うところで、前方右手の通路から女性が歩いてくるのが見えた。本を両手で胸の辺りに抱えながら歩く横顔に、アキリアは既視感を覚える。
しかし、ここにいるはずのない人である。
(疲れているのか?)
アキリアはリメラリエとの旅を自分が楽しんでいたことに、帰って来てから気がついた。久しぶりの旅ということもあったかもしれないが、彼女を気遣いつつ、日程を組んだりすることも、通常の事務処理よりずっと良かった。
なかなか思いがけないことをする彼女に驚かされつつも、それも楽しかったのかもしれない。
しかし、あの仕事は異例中の異例で、もう二度とないものだ。彼女に会うこともきっと二度とない。
そう思っていた。
アキリアが気にし過ぎて視線を感じたのか、前方を歩いていた女性が彼の方をみた。すると、女性はパッと明るい笑顔を見せ、アキリアの方へ駆け寄って来たのだ。
そして、アキリア自身も女性の正面からの顔を見て驚愕する。
「アキリア様!」
その声は、半月前までよく聞いていた声だった。
よく見ればこれまで降ろされていた髪は結い上げられ、ずいぶんと以前と印象が違う。しかし見慣れたふわふわとした蜂蜜色の髪に、意志の強そうな深い緑の瞳はリメラリエそのものだった。
「リメラリエ嬢……」
驚いているのはアキリアだけのようだ。リメラリエの方は、にこにこと微笑みかける。
「王城にいれば、いつかアキリア様に会うこともあるかなと思っていました」
「どうして、ここに……?」
信じられず困惑していると、リメラリエが可笑そうに笑う。そして、すっと自分の服の裾をつまみ上げる。
「私今、文官補佐として働いてるんです」
よく見れば彼女の着ている服は文官たちと同じ色合いの服だった。女性はあまり見かけないため、ワンピース型になっているものは珍しい。
「一体いつから……」
色々と聞きたいことが出てきて、話したいと思ったのだが、彼女が歩いてきた方向と同じところから誰かがこちらに近づいてくる。
そしてそのまま彼女に声をかけた。
「リメラ、これもついでに頼む」
彼女の後ろからそう声をかけたのは、アキリアも見知った男だった。
「……、メディス卿」
メディス=サヴァトラン。四大大公家の一つ、サヴァトラン家の三男で、肩に着くぐらいの赤髪に、同じく赤い瞳をもつ、文官らしい細身の長身の男だ。ニルドール家は代々騎士を輩出してきたが、サヴァトラン家は文官や魔術に秀でている家門だ。
メディスの声にリメラリエは振り返る。彼が持ってきた本を追加で受け取る。
「わかりました」
笑顔で頷くリメラリエに本を渡すとメディスはアキリアを見た。視線を向けたまま、リメラリエに質問をする。
「君は、アキリア卿と知り合いなのか?」
「はい。とてもお世話になったんです」
「……、そうか」
メディスの視線にアキリアは思わず冷たい視線を返す。
正直メディスや他のサヴァトラン家門に連なる人物と、ファクトラン家は仲が良くない。文と武は昔から馬が合わない。アキリアの場合はそれだけではなかったが……。
「早めに頼む」
そういうとメディスは元来た方へ戻っていく。リメラリエも急かされたせいか、「仕事中でしたね。ではまた」とあっさり手を振り、歩いて行ってしまう。
アキリアは引き止めることもできず、立ち尽くした。
リメラリエがいたと言う事実にまだ混乱していたが、何よりも気になったことがあった。
(気に食わない……)
久しぶりに黒い感情が自分の中に流れ始めたことに、この時はまだ自覚がなかった。




