眠ってた
この国の第一王子の婚約者でありながら、ありもしない罪を問われて断罪される。牢獄で死ぬ。
気が付いたら、4歳の子ども、婚約関係が始まる前に戻っている。
呪いのように繰り返す。
事態は一向に変わらない。いつも私の言葉は届かない。
もう嫌だ。苦しい日々の繰り返し。私は何のためにいるのだろう…
***
「はーいぃ、お疲れさまっしたー!! おはようごっざいますー!」
牢屋で死んだ。はずだった。
視界がぼやけている、気がする。だけど耳に無遠慮な大声が入ってくる。
「ハロー、ハロー! はいはいはい、えー、平塚エリさん、現在38歳、あ、先月誕生日っすね、おめでとうざーまーす!」
何、何だ、煩いな、と怒りを抱いた時に、別の声が割り込んだ。
『恐れ入ります、お客様。ご負担ない程度で、少し頭を持ち上げていただけますよう、よろしくお願いいたします。ご協力に感謝します』
とても柔らかな丁寧な女性の声。とはいえ、アナウンスのように聞こえる。
「大丈夫、だいじょうぶ、目、開きますかね? やれるでしょう、だって治療は終わってますからね、おめでとーござーまーす! ご帰還、おめでとー!!」
やたら耳元で、雑に感情の籠っていない、しかし間違いなく人間の声が響いた。
あまりの煩さ、不快さに、私は目を開けた。
橙色の、暗い室内が、見えた。
あれ、いつもの、天蓋じゃない…
何度も何度も、同じ繰り返しの生で、決まって初めに見ていた光景じゃなかった。
コンコン、と音がして、目の前、横から暗くて良く見えない、人の顔が現れた。
「あー、起きた起きた。おつかれさまーっす!」
「え、ここ、誰、何・・・?」
疑問は口から零れ落ちた。
私の戸惑いなどお構いなしに、ベッドが傾き、上部を覆っていたらしい透明なケースが左右に動いて消えていった。
少し遠くから、
「眠り姫、起きたぁ?」
とどこか面倒そうな女性の声が聞こえた。
***
私は説明を聞かされた。
いろいろこちらに話しかけては来るけれど、丁寧な感情は籠っていない、軽薄な態度の男性からだ。
その彼は機械に身体を固定されている。
「俺も治療中なんっすよー」
と、自ら面倒そうながら教えてくれた。それ以上の自己紹介はまだ聞いていないので何者か分からないが、私への説明役のようだ。
時折、私のベッドが声を出す。
『少し頭部を冷やし、足元を温めさせていただきます。体調の計測はしておりますのでご安心くださいませ。万が一不快を感じられました場合も自動的に抽出し対応致しますが、ご希望の際には変更可能ですので右手小指の傍のボタンに触れてくださいませ。ご用件をお伺いいたしますので』
ベッドの方が丁寧だ。
プログラムされたものだけど、と思ってから、私は自分の記憶を掘り起こす。
私には、前世の記憶があった。
日本人だった。働いていた。29歳だった、はずだ。独身で、通勤途中で、多分事故で死んだ。
その記憶を持って、中世ヨーロッパ的な世界に生まれ変わった。
王国があって、その中の上位の貴族の娘。裕福な暮らしが送れたはずなのに、なぜかことごとく不運で不幸に見舞われて、獄死したのだが。
それで。前世の記憶と照らし合わせると、ここは中世ヨーロッパ的な世界では無くて、日本の世界に近い、ような。
「えー、まだ意識取り戻してないって、えー、お名前もう一度呼びまっすよー、平塚エリさん、今、西暦20XX年、5月3日、平塚さん、今38歳でーす!」
「今井、説明雑過ぎや。お前自分が起きた時の事思い出さな」
「おでん先輩、じゃあ変わります?」
「お前の仕事やろ。あとこれからの仕事仲間やろ」
「初めての先輩役っすもん。助けてくださいよー。おでん温かいの奢りますからー」
「大根とコンニャクと卵のセットが良い。2週間」
「1週間で良いじゃないっすか。1週間」
感情希薄な男性の声と、明らかに関西弁な女性の会話を聞きながら、私はおでんについて思い出した。
おでんね。食べたなぁ。仕事忙しくてご飯作るの面倒だなって思った時にコンビニで買ってさ。コンビニによってちょっと違うらしいんだけど、疲れてるから最寄りのコンビニにしか寄らないからどこが良いとか・・・オデンか。
私の目の前に、頬のこけた女性の顔が現れた。
「あのさ、とりあえず、おでん食べる? そこの今井に、私と姫の分、買って来てもらうから。体調万全だけどやっぱり、初めはおでんって胃にも良いと思うんだよね。・・・行ってきて、今井」
「今からっすか?」
「ワンコロボお使いに出すだけやろ」
「あの・・・」
私は声を出した。声を出したら、急に目の前の展開が現実味を帯びてきた。
「ここ、どこ、でしょうか」
「今井の仕事やで」
「おでん奢らせておいて? まぁ良いですよ、言いますよ、平塚エリさん、ここ、『死後安眠研究所』。覚えてます? 事故とか病気になった時の、保険に、平塚さん加入してましてー、で、治療技術ができたらこうやって起きるか起きないかの選択もできてー、あ、違う、平塚さんは違った、あんまりにもシステム通りにいかない不幸な夢見続けるからシステムに負荷かかってまして。丁度治療方法も確立されたので、それで、ここ見てください」
男が私に、透明なタブレットを見せた。
あ、契約書ね、と、私は当たり前のように思った。
「ここ、例外が適用される場合の項目なんっすけどー、『当社システムに重大な被害を与え、契約内容の金銭を超えると判断された場合、契約者の事前選択に関わらず、当社の判断で契約者を起床させる』、今回これに当てはまります」
「えーと」
理解できていないので私は呟いた。
「今井。ワンコロボにおでんや、早く」
冷たい目をした女性が男に短く告げ、それから私に目をあわせた。
「大丈夫。ゆっくり思い出しても良いんやし。えー、でも困ってると思うし何でも聞いて。それでな、一つ良いこと教えてあげるわ。あんたずーっと、嫌な人生の夢見続けてたやろ? 王子様の婚約者やのに他所の可愛い子に横取りされて濡れ衣で牢獄死。36回ぐらいずーっと、死んでも繰り返してた」
私は頷いた。その通りだった。
「起きたから、もう大丈夫。あれは夢や。もうあんな嫌な夢見なくてかまへん。とりあえず、美味しいもの食べよ。おでんやけど。あのなぁ」
女性が笑った。実に嬉しそうだった。
「私もあんたと同じやねん。事故って、死んだと思ったら、転生してて・・・それ皆夢やねん。思い出してきたんちゃう?」
***
なんとなく、今が現実で、話されることが真実だ、と思い始めていた頃に、私の身体は椅子の形になったベッドに座り、テーブルを囲んで、ワンコロボ、と呼ばれていた犬のロボットが運んでくれたおでんを食べた。
美味しかった。
「おでんって、私のいた異世界、っていう名の夢の世界にはなかってん。食べれる今が本当に幸せやわ」
と女性がしみじみと言った。
「おでん先輩、おでん食べたさにストーリーシステムのエラー引き起こして強制起床ですもんね」
「世界が私の食欲についてこれへんかってんな。平塚さんはそういうの無かった? おにぎり食べたいわぁ、とか。悪役令嬢ストーリーやったし、おにぎりはないはずやねん」
「おにぎり・・・食べたいですね」
と私は笑った。
事態はまだよく呑み込めていないが、戻って来たんだな、という感覚があった。
どうやら私は、29歳の時に事故に遭い…死んではいなかったらしい。
その前、18歳の時に私はコンビニで行われたキャンペーンで、ある保険に加入した。
事故や病気で治療不可状況になった場合、『眠り続け、転生したような夢を見させてもらう』契約だ。
私は一番安い、『悪役令嬢に転生して幸せに暮らす』テンプレパターンにした、らしい。
なお、『夢』を見る状態になった時、本人が『これ契約したから夢だ』と気づいてしまうと楽しさが減るので、契約をしたことを忘れる催眠も受けたらしい。