愛しい貴女のお名前は(後半)
前半・後半同時投稿です。
発表会の会場に着くと、テイセー王子は指示も待たずに国王へと突進する。
「父上、婚約破棄通告書をこの眼で見なければ納得いきません」
コッソリと魔法の力で王命をもはねのけ、王子は頑固に主張する。国王の御前にありながら、ゴショーク嬢は身を寄せてアレコレ指図してくるが、そんなものは振り払い押し退ける。
「触れないでいただこう」
とうとう王子は、いつもの抑揚が無い声で宣告する。
「まあ」
ゴショーク嬢は聞く耳を持たず、腕を絡めてきた。それを振り払いながら、テイセー王子は奏上する。
「父上」
「なんだ、騒々しい。控えよ」
ゴショーク嬢の瞳が妖しく光る。先ほどまでコケティッシュな空色だった瞳が、刹那血赤に染まる。
テイセー王子は、その隙を逃さない。
「死霊め。ついに正体を現したな。操られはせぬぞ」
世継ぎ限定の老衰以外で死なない魔法を応用して、テイセー王子が編み出したのは、状態保存の魔法だ。
「こやつの眼をご覧下さいませ、父上」
テイセー王子が淡々と述べる。国王を筆頭に居並ぶ王公貴族の顔が、一斉にゴショーク嬢の眼の方に向いた。
令嬢の赤い眼が、ますます赤黒く燃え上がる。
「貴様、まだ」
テイセー王子の保存魔法では足りなかったのか。ゴショーク嬢の危険な力はいや増して、発表会場を満たして行く。
テイセー王子は、老衰以外で死なない魔法により、妖術や死霊の力に抵抗力がある。しかしそれは、国王だとて同じ筈。何故王様は、操られてしまったのか。
一昨年亡くした王妃が胸に開けた穴が、すがる何かを求めたのだろうか。
「皆様、お気を確かに」
王子は無表情で魔法を使う。
「テイセー殿下のお召しに応じ、ミオトシ公国エラーミル、御前に参上つかまつります」
「貴様、勝手に」
深々と正式な礼をして、呼び寄せの魔法でテイセー王子に連れてこられた公女殿下が口上を述べる。すかさず衛兵が、他国の公女への態度とは思えぬ暴言を吐き、腕を掴もうとする。彼女も王城の自室に軟禁されていたのだ。
大切な婚約者への暴挙を許すテイセー殿下ではない。無表情で排除の魔法を使う。衛兵は、あっという間に会場から外へと押し出されてしまった。
「通告書をこれへ」
「テイセー殿下、御前でありますぞ」
王の段取りを無視した王子に、世襲大臣が物申す。
「死霊の支配下にある者に、従う謂れはない」
「テイセー殿下」
やはり段取りを無視したエラーミルは、婚約破棄通告書を手渡す。
「さて、これを確認する前にすることがある」
「はい」
「エラーミル公女殿下、浄化の義を」
「はい」
ゴショーク嬢の眼から血が流れだし、その喉からはグルルと獣のような唸り声が漏れる。
操られた人々が、一斉にテイセー王子とエラーミル公女に飛びかかる。
テイセー王子は、素早い動きで取り寄せの魔法を使った。手には、目映い銀の剣。柄頭に巨大なルビーがついている。その紅玉は、死霊令嬢の血赤に光る瞳と違い、澄みきった清廉な輝きを放つ。
「馬鹿な。聖剣継承の義はまだだ!」
操られた国王が玉座を蹴って叫んだ。王は、そのまま怒りを露にして王子に掴みかかる。
剣身を横に倒して切っ先を王に向けた王子は、絵面だけ見れば反逆者だ。ルビーの輝きが白銀の刃を渡り、その切っ先から国王へと向かう。
「ご心配無く。拝借の魔法に過ぎません」
いつもの無表情と共に王子が放つルビー色をした光の筋が、グルグルと国王に巻き付いた。
テイセー王子と背中合わせのエラーミル公女は、聖剣の付属品である宝剣を手に操られた貴族達に立ち向かう。
聖剣のレプリカのような小さな銀の剣は、柄頭にエメラルドがついている。その煌めきと呼応して、エラーミルの瞳も聖なる輝きを放つ。
ミオトシ公国の血筋には時折、誤謬を見抜き正す力を持つ女性が現れる。エラーミル公女もそうだ。その力を宝剣で増幅し、愛する王子の聖剣と合わせる。
彼女も多少は護身術の心得があった。波状攻撃を仕掛ける死霊の下僕達を前にして、美しいシャンパンゴールドの絹の靴が、軽やかに跳ねる。幾つかの初歩的な型を駆使して、公女は宝剣を振るう。
公女の宝剣からも、光の筋が飛び出した。右へ踏み出し、大臣を縛る。左へ下がり、次席大臣を拘束する。前へ突き出せば秘書官を纏めて絡げる。横に払えば諸侯を一山に積み上げて、エメラルドの網を被せる。
王子の魔法によって中央で動きを止めたまま、グルルと唸り続けるゴショーク嬢は、流した血涙で顔中に赤黒い線がついている。
「仕上げだ」
「はい」
手下をみんな拘束し終えて、2人は死霊令嬢に向き合った。2人の剣から赤と緑の透明な光が放たれて、撚り合わされて混じりあう。
王子の糸目から覗く淀んだ瞳と同じ茶色になった光が、ゴショーク嬢を包む。
光がひときわ強くなると、部屋中の王侯貴族が正気に戻る。彼等はキョロキョロと辺りを見回して、互いに何事か囁きあっている。
真ん中のご令嬢の目も、爽やかな空色に戻った。そこには、死霊の血赤だけではなく、コケティッシュな色も失くなっていた。
彼女はキョトンと会場となった広間の中央に立ち尽くす。
◆◆◆
「大義であった。追って沙汰をいたす」
王様の指示で、エラーミル公女が下がらされる。今度は丁寧にではあるが。
「父上」
王子の抗議には取り合わず、
「大切な次期王妃を死霊の手から守った功績、忘れはせぬよ。ミオトシ公国に戻った後も必ずや力になろうぞ」
と、退出させられる公女の背中に声をかける。
「何故です」
「何を言う?資質、家柄共に最も相応しいものを伴侶に選ぶのは当然じゃ」
死霊の力が無くとも、差し替えは続行されるようだ。ゴショーク嬢は、国内の有力貴族の娘で魔法の天才である。小国の公女を何とかして廃したかった国王は、今回の騒動を利用する気だ。
当のゴショーク嬢は、文字通り憑き物が落ちてオロオロするばかり。
「この書類は無効です」
王子が必死に訴える。書類に書かれた女性の名前は「ミシット国エミリア王女」となっている。勿論、王子が誤字魔法で差し替えた表記だ。
「書き換えるまでじゃ」
あくまでも公女排斥を主張する国王は、全く聞く耳を持たない。
「では、この国は第二王子に」
「何を言う?老衰以外で死なないのは長子のみじゃ」
王に老衰以外の死因が可能ならば、暗殺が企てられるだろう。安定したキニューミス王国が潰れてしまうかもしれない。
「俺には関係ありませんね」
明らかな謀反に、専制国家の家臣団が王子拘束に動く。
その時、大人しく扉に向かっていた公女エラーミルが、ふっと柔らかく微笑んだ。
「死霊に付け入られる度に、わたくしどもがお力になりますわ」
「何だと?」
「ですが、テイセー殿下に仇なすおつもりならば、お覚悟を」
優しい笑みを浮かべたまま、公女は国王の瞳を射抜く。
「例えば、今みたいに」
エラーミル公女の力は、誤謬を正すものである。その瞳が緑を深め、力を発動させる。
「ふふっデリートですわ。全部やりなおしよ」
「まてラミ」
「ご安心下さいませ、テセ殿下。わたくしどもに誤謬は存在致しません」
「なんだ、そうか」
エラーミル公女にとって、2人の未来を否定する力は総て正すべき誤謬である。
「それに、そうね。ゴショーク嬢は被害者だから、平和な過去からやり直せますわ」
彼女の人生から、悪霊事件は抹消されるらしい。ゴショーク嬢は、よく呑み込めない顔をしている。
「うふふ、国王陛下。別の現在でお会い致しましょ」
どうやら、ここキニューミス王国は、死霊に乗っ取られそうになった事件が無かったことになるようだ。
「うむ。では俺も協力しよう」
テイセー王子は、くすんだ緑の剛毛を揺らして愛しい公女に素早く近づいた。
「俺は上書きの魔法で過去を書き換えてしまおう」
「まあ。素敵」
相変わらず無表情なテイセー王子に、公女エラーミルは薔薇色の頬を更に濃く染めて寄り添った。
◆◆◆
キニューミス王国の魔法家系ランチョウ家のゴショーク嬢は、自宅の部屋で荷造りをしていた。
彼女は魔法の天才だった。魔法ではない死霊の力には屈してしまったが、魔法に対する抵抗力はたいしたものだ。
「はあ、怖かった」
上書きも消去もされず、総ての記憶を持ってはいるが、死霊にとり憑かれていた期間は意識がなかった。彼女からしてみれば、突然王宮のきらびやかな広間におり、次期国王夫妻とおぼしき男女が歴史を書き換える瞬間を目撃してしまったのだ。
記憶を持っていることが知られたら、何をされるか解らない。彼女自身は大丈夫だったとしても、家族や友達、そして仲良しの侍女達が危ない。
「友達には黙って行けば、手を出さないでくれるかしら」
甚だ不安だが、友達まで共に逃げるのは不可能だ。秘密を共有しない事がせめてもの対策である。
「お嬢様、お仕度よろしいですか」
父の従者が呼びに来た。皆の用意が終わったのだ。
その日、キニューミス王国から魔法家系がひとつ消え失せた。無表情な王子とその美しい婚約者は、特に気に止めなかったようだ。ランチョウ家は、2人の未来にとって書き換えるべき「誤植」ではなかったからである。
(完)
契約書の氏名違いは、実際に経験しました。人違い?と問い合わせたら誤記でした。
今回の主な修正誤字。なかなか面白いのには出会えません。
鼻(花)
王侯貴族(横行貴族)
会場(解錠)
宝剣(封建)