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⑸『視覚と視点に於ける観念学』
⑸『視覚と視点に於ける観念学』
㈠
自分が見ている世界が、映画の様な世界だとしたら、其の人の視覚は、立派な映画監督である。そんな、たわいもない日常にも、現実に、絵を見る心があれば、其の人には、画家の才能があるかもしれない。人間とは、複雑に出来ていて、観念学を思考しなくても、観念学を送っている日常を生きている人もいる。
㈡
例えば、31歳で死んだ、キース・へリングの絵画は、自分としては、とても気に入っている絵画の範疇に入るのだが、所謂、人間のデフォルメの様な絵画世界が、どの様な視覚と視点で、キース・へリングに根付いていたかは、全く分からない。しかし、多くの人々が、キース・へリングを、称賛している。
㈢
映画監督の話から、キース・へリングの話へと、飛んだ文脈になったが、要は、現実を見る心の視点が、どの様であれば、どの様な絵画が描けるか、ということなのである。キース・へリングが、映画監督をやったら、とても面白い映画が出来ていたのではないか、という、空想に浸りながら、視覚と視点に於ける観念学の、終わりとする。