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⑶『視覚と視点に於ける観念学』
⑶『視覚と視点に於ける観念学』
㈠
視覚を異常操作するという点で、視点は大きな役割を果たしている。例えば、萩原朔太郎の、竹、などを読んでいると、そのリズムもさることながら、文章の区切り方が、形式を孕んでいる処に注目すれば、その視点は、非常に難解なものに、変化するのである。
㈡
この、文章の区切りの視点というものは、小説の段落や、結びなど、様々に活用されているし、読者にとっては、深く読解すればするほど、なぜここで、句点読点が使われるのか、と言った、一種の疑問が生じる。これは、執筆者に、視点を強制されている状態だと言えよう。
㈢
これは、まさしく、一種の学問の範疇に入るだろうし、観念学としては、非常に高度で複雑な場合の、問題性の含蓄状態である。執筆者が、視点を生み出したのなら、読解者は、其れに呼応する形でしか、その文章を読めない。独奏者の勝利が、上記した内容に、看守出来るのである。