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わたしの〔ソウル〕こっくりさん  作者: 俺(41)
第一夜「こっくりさん」
6/22

四.

 悠花はるかの祖父――朔哉さくやが愛車のエブリィに乗って橘家に戻ったのは、午後五時を過ぎてからだった。

 帰宅直後の祖父に、部屋着の甚平に着替えた悠花が、掴みかからんばかりに詰め寄った。

「おかえりおじーちゃん!あのね、友達がね、こっくりさんでね!……」

 ものすごい早口で捲し立てる孫娘。

 その勢いに若干引きつつも、元教員の(さが)か、話だけは聞いていた祖父は、やおら口を開いた。

「すぐには無理、ですね」

「そんな!」

 先ほどの小夜子と同じようなやり取りである。


 教員だった朔哉にとって、悠花は孫娘であると同時に、困った生徒でもあった――ありていに言ってしまえば、問題児なのだ。

 確かに年齢のわりに素直だし、純粋無垢なところはある。

 だが、無垢だから天使に違いない、というのは間違いだ。

 例えばトンボを捕まえて羽をむしる子供は、悪意があってそれをするのだろうか。それは違うと、誰もが言うだろう。

 何も知らないがゆえに、そうしたことを平気で行なう――無垢とは、残酷で、おそろしいものでもあるのだ。

 だから悠花も、軽軽にとんでもないことをしでかすし、それがまずい事と気付けば普通にごまかす――嘘を吐けない性格ゆえか、それはそれはへたくそに、ではあるが。

 朔哉は悠花に対し、そうした認識を持っている。

「また、何かやらかすのではないか」という危惧を抱くのも、無理からぬことであろう。

 とは言え下手に隠し立てすれば、この孫娘はまた暴走して何事かをやらかしかねない。

 ならばある程度の手ほどきは必要だろうと、朔哉は考えた。

「とりあえず着替えさせてください。話は、その後で」

 なんと、まだ玄関だったのだ。


 朔哉が部屋着に着替え、リビングで小夜子の淹れたお茶を啜るまでのしばらくの間、悠花はダイニングテーブルの、朔哉の向かいの椅子に座って、呆然自失していた。

 無理もない。頼みの綱だった祖父が、あっさりとその綱を切ったのだ。

 そんな孫娘をちらりと見て、席に着いた朔哉は、視線を落とす。

「〈こっくりさん〉に代表される、目に見えぬ存在(モノ)ばう子供の遊び」

 あれはね、子供に制御できるような代物じゃあないんです――。

 その語り口は、実に淡々としたものだった。

 制御云々で言えば大人だって、ある種の才能がなければ似たようなものだ。

 朔哉によれば、〈こっくりさん〉は降霊術と呼ばれる呪術の一つである。

 ――〈こっくりさん〉。

 「狐狗狸」あるいは「告理」または単にカナで「コックリ」とも表記される。

 それは古くは十九世紀末にも、大いに流行した。

 と、仏教哲学者で教育者でもある井上円了が著した妖怪玄談という書に記されている。

 井上はその書において、無知蒙昧の輩こそにコックリは容易に発現し、逆に高学歴の徒ばかりになるとコックリは降りてこないことに言及し、コックリとはプレイヤーの願望や思い込みを表出する機構でしかないと喝破した。

 十九世紀末のコックリは、現代のそれとは違い、呪符と十円玉の形式ではなかった。

 これも妖怪玄談からであるが、コックリは外国から伝わったテーブルターニングと呼ばれる降霊術を起源とする説を採る。

 本来は、不安定なテーブルに霊を降ろし、質問に二択で答えさせるという形式だったが、本邦の文化的特性に合わせて改変され、一尺余り(三十有余センチ)に切った竹を巴に組んだ不安定な脚にテーブル板代わりの盆を乗せてコックリを喚ばい、同じく質問に二択で答えさせるという形式になった、とされる――。

 悠花は顔を上げる。

 朔哉の表情は普段と違い、やけに精悍な、教員然とした威厳を放っていた。

 老人は目の前の紙を持ち上げた。

 参考にと悠花が書いた呪符である。

「僕らはこれを〝()〟と呼んでいますが、これはもう立派な呪具です」

 呪具。

 それはまじないに使う道具の総称である。

 八卦はっけ卜占ぼくせん、加持祈祷、神具法具に遁甲盤とんこうばん

 古今東西、人類の歴史はまじないと共にあった。

 呪具はそれを助け、幾多の命を救い、さらに多くの命を奪った。

 呪具には、力がある。

 人を狂わすこともできる、途轍もない〝力〟が。

 だからこそ井上は、迷信を無知蒙昧と切って捨てることで、民衆が安易に呪具に手を出さぬように縛めたのだと朔哉は考えていた。

 しかし朔哉は、敢えてそこまでは言及せず、目の前の問題だけに話を絞った。

「喚び符にも様々な形式がありますし、その作法も千差万別です。以前流行った時のものは呼び符としては粗悪品レベルでしたが……」

 前世紀末に流行したこっくりさんの話である。お世辞にも使えるようなものではなかったと言う。しかし、

「今回のこれは、かなり本格的なものです」

 もちろんそれは喚び符に限った話ではない。周辺の小道具まで含めての話である。

 こうしたことに精通した人物が関わっているんでしょうね――。

 朔哉は嘆息した。

 ――それは。

 ユーチューバーの……と、悠花が言いかけたところで、

「……まあ、子供に用意できるレベルでの話ですが」

 朔哉はそれまで自らの手元を見ていたが、突如、視線を上げ、それが悠花を捕らえた。

 突然視線で射竦められ、悠花は言い淀んだ。

 こんなに鋭い視線を朔哉から向けられたのは、初めてだった。

 いたずらをして怒られた時でも、もう少し緩やかだったはずだ。

 呪符――喚び符――を、人差し指で何度か叩きながら朔哉は、

「こんなものをどこで知ったのか、わかりませんが……これで喚べば、高い確率で喚ばうことはできるでしょう。ですが、操縦方法のわからない機械を、いきなり乗りこなすことはできますか?」

 アムロならともかく――。

 そう言って、また視線を落とした。

 一昔前の学生ならまだしも、悠花にはわかりにくい例えだったかもしれない。

「悠花さんの話からすると、そのお友達は確実に〝さわって〟いるでしょうが――」

〝|障り〟とは、〝物ノ怪(もののけ)〟(俗にいう妖怪や幽霊、鬼――神や悪魔、仏をも含むことすらある――などの、一般に不可知とされる存在(モノ)の総称)が、人や物、現世のあらゆる物事に及ぼす影響を指す。

 何かに(とりつ)かれて奇行に走るだとか、あるいは化かされて奇態を晒すといった小さなものから、日照りや津波といった大きなものまで、物ノ怪が関わる人にとって害ある影響は全て、障りと称する。

 そしてもちろん、人の死も――。


 ――障り?物ノ怪?

 聞き慣れない単語に困惑しつつも、解説を聞く限りは、オバケのタタリと言い換えても差し違えはなさそうだと悠花は感じた。

 だが悠花にとって、重要なのはそこではなかった。

「さっき、『すぐには』無理って言ったよね。霊能者の人は、いつ来れるの?」

「きかん……あー、いえ、『そういうところ』に連絡しても、こちらに来られるのは早くて週明けといったところ、でしょうね」

 なんせ、忙しいところだし、特に最近は出動件数が増えているという話だし――。

 朔哉は口ごもりながらそんなことを言った。

 大きな組織なのだろうか。出動件数などという言い方は、まるで消防署のようだ。

 しかし、そんな公務員組織は、少なくとも悠花は聞いたことがない。

 そのへんはよくはわからないが、とりあえず伝手はあった。

 そして、どうやらそれは間に合いそうにないこともわかった。

 それが悠花の認識した現実であった。

 たったの一日で、あそこまで痩せてしまった級友が、あと二日もの間、あのレベルの〝障り〟に耐えられるかと聞かれたら、誰に聞いても「無理」以外の答えは出ないだろう。

 月曜日に来るという霊能者を悠長に待っていられる余裕など、ありはしなかった。

 そんな悠花の心中を気遣ったのかどうなのか、朔哉は

「それにしても、障りの進行が急すぎますね……なにか、別の要素もあるのかもしれませんね」

 と独語してから立ち上がり、自室に向かった。

 気持ちの落ち着かない悠花は、朔哉の後を追う。

 祖父が大儀そうに部屋の収納から取り出したのは、木箱に収まった、不思議な形をした木製の棒だった。

 木箱の大きさは幅五十センチ、奥行き二十五センチ、高さは二十センチほど。中には木の棒が新聞紙を緩衝材に十数本、詰まっていた。

 木の棒は長さ二十センチ前後、直径は太い部分で三センチほど、握りやすいように棒の中央部が膨らんでいて、両端は若干細い。

 棒の先端は尖っている。刃と呼ばれるその先端の、少し手前からそれを囲うように、角――と呼ばれるもの――が四本、突き出していた。

 いわゆる、五鈷杵(ごこしょ)であった。

「何もしないより、だいぶましなはずです」

「これ……何?」

 朔哉の言葉の意図が掴めない悠花。

金剛杵(こんごうしょ)の一種です。サンスクリット語ではヴァジュラと呼びます。その名のとおり、金剛――ダイヤモンドですね、ダイヤと同じくらい硬いものという意味があって、雷を操るとされています。お寺のお坊さんが儀式に用いたりしますね」

 あるいは仏像がそれを手にしているのを、社会科の教科書などの写真か何かで、目にしたことはあるはずだ。

 材質は木製あるいは金属製だが、いずれも金剛杵と呼び、鈷の数により呼び名が変わる。

 鈷が二本なら刃と合わせて三鈷杵、四本なら五鈷杵、六本なら七鈷杵になる。

「……これでモノノケを、殴るの?」

 悠花が思ったままを口にすると、朔哉は顔をしかめた。

「そんな物騒なことしませんよ。これは、まぁ、雷を落とすこともできますので攻撃に使えないこともないですが……基本的には守るために使います」

 雷を操ることができるのは高位の修験者や徳の高い僧など、ほんの一握りに過ぎない。

 それを聞き、悠花は五鈷杵を攻撃に使うことは諦めた。

「どうやって守るの?」

「こうして……守りたいものを中心に、東西南北に一本ずつ、五鈷杵を置きます」

 朔哉は、佳奈の眠る布団に見立てたA4サイズのチラシの前後左右に、一本ずつ先端を外側に向けて置いていく。

「これで、完成です」

 北向きの五鈷杵は外側の刃が黒く、東向き外側が青、南向きは赤、西向きは白で、全方位とも内側は金色だった。


 この配色は、古代中国の五行思想と関わりがある。

 五行に於いてこの世界は、五つの元素で構成されており、五行すなわち水木金火土――水は金(金属)に凝集し、木は水によって養われ、木は燃えて火を生む。そして燃えたものは灰となり土に還り、金属は土から掘り出される――が、生滅盛衰することで互いに影響を与え、万物が流転するという思想である。

 五行には対応する方角と色とがあり、水は北で黒、木は東で青、火は南で赤、金は西で白、そして土は中央で黄色となる。

 さらに各方角には四獣、あるいは四神と呼ばれる神獣が対応し、北は玄武、東に青龍、南が朱雀、西には白虎が配され、各々がその方角を守護する。

 その中央には黄龍あるいは天帝が座し、四獣に護られながら世界に君臨するとされる。

「これが一番簡単で、かつ、強度のある守りの空間――結界――を作ります」

 これは、五鈷杵の方角と色を四獣に、中央を守護すべき対象(天帝)と見立てることで、物ノ怪の障りから身を守るという――五行にあやかり〝四神結界〟と呼ばれる呪術である。

「見立て――つまり、『aはAということにしよう』という決まり事です」

 北に向けた五鈷杵の黒色の刃を玄武――北の守護神とするように、そういう見立てを呪術的に正しい方法で組み上げる。それが、呪術の第一歩である。

 目的があり、それに適した神仏や神獣を選び、その力を得るための見立てをし、道具を揃え、呪文あるいは呪言を唱えて神秘の存在を喚ばう――それだけでは意味はない。

 喚ばった存在を崇め宥め賺して操り、目的を果たしてこその呪術である。


 こっくりさんで言うならば、それを喚ぶのは目的ではない。

 人や物事の秘密を知るという目的がある時、それに最も適した存在が管狐くだぎつねなどの狐狸妖怪であり、それを喚ばうために、こっくりさんのような儀式を執り行う。

 正方形に切った和紙に書き入れた鳥居を神社に、硬貨をお稲荷様――こっくりさんに見立てて敬意を示す。

 北の窓を開けることで迎え入れる意思を表し、口上でもって狐狸妖怪のお越しを願い、供物で来訪の歓迎を伝える。

 ロウソクを灯すのは、迎え火であると同時に、喚ばった物ノ怪を一時的に硬貨へと封じる役割もあった。

 こうして喚ばった物ノ怪に、本来の目的――秘密の暴露をさせるのである。

 このように、目的のための見立てを組み上げていき、ある程度の再現性を確保したものが呪術である。だから一つでも欠ければ、呪術としての(てい)をなさないし、もしそれで喚ばわれる存在(モノ)があるなら、それはまともな存在(モノ)ではない――と言えた。


 さて、五鈷杵による四神結界である。

 ――見た目では、よくわからない。が、結界という名称に悠花は聞き覚えがあった。

 漫画などでは、それを習得するために特殊な修行などを必要としていたはずだ。

「何か、唱える呪文とかあるの?」

「ありません」

 悠花の質問に対し、朔哉の答えは簡潔にして明瞭だった。

「ないの?」

「必要な呪言は、すでに本体に書き込んであります」

 確かに、握る部分に文字が細かくみっちりと書き込まれている。

 修行した者が扱うのならともかく、素人ならこれが最善です――朔哉はそう言った。

 ――便利なものだなぁ。

 悠花は感心した。

「これで『ある程度』までの物ノ怪なら、これがその障りを防いでくれるでしょう」

 朔哉はそう言うが、気になるのはその『ある程度』がどの程度かということである。

「……ちなみに佳奈ちゃんに(とりつ)いてる物ノ怪が、『ある程度』以上に強い場合は?」

「壊されますね」

「ええ~」

 それでは困る。そんな悠花の反応に、朔哉はフォローを入れた。

「壊されるまでは、きちんと護ってくれます。使わない手はありません」

「……よかった。壊れるまでは、頑張ってくれるんだね」

 悠花は少しだけ安心した。

 朔哉は先ほど取り出し実演してみせた、一組の五鈷杵をまとめて悠花に持たせた。

「では、これを佳奈ちゃんの家に持って行きなさい。使い方は……大丈夫ですね」

「うん。ありがとう、おじーちゃん!」

 悠花は満面の笑顔で、祖父に感謝を伝えた。

 朔哉もその笑顔につられ、表情を緩めた。


 いぶかしむ佳奈の母親に、五鈷杵による四神結界をレクチャーし、悠花が家に帰りつく頃には午後七時を過ぎていた。

 悠花は遅めの夕飯を摂りながら、不思議なことをよく知る祖父に、疑問をぶつけた。

 なぜ、こんなことに――物ノ怪に関して――詳しいのか。ということを。

「大学教員だったのは悠花さんも承知でしょうが、専門は民俗学でした」

「民俗学」

 よくわからない――というのが、悠花の正直な感想だった。

 ――民俗学とは、その国や地域といった、特定の集団の中で生活する人々の、生活の中に根付いた習慣、習俗、しきたりなどの風習を分析し、その由来を考察、検証することによって、対象集団の伝統的な思考様式を明らかにしようという学問である。

 大雑把に言えば、昔話から当時の生活水準や生活環境を考え、「なぜそれを行なっていたのか」を合理的に説明するもの、と言えよう。朔哉はその内でも、

「狐狸妖怪や幽鬼――幽霊、鬼――などの、所謂〝物ノ怪〟、その分類が専攻でした」

 書籍や各地でのフィールドワークで得られた伝承の残る物ノ怪を、妖怪や幽鬼あるいは狐狸、化生けしょうといった属性別に振り分け、似たような名前の物ノ怪同士の同定と峻別をするなど、とにかく細かく分類するのが特色である。

「僕の家系――橘の家が代々、そういう方面に親和性がありましてねぇ」

 やや遠縁に当たるものの、橘 崑崙(こんろん)という人は、物ノ怪の出てくる話などをまとめ、一八〇二年に『北越奇談』という本を刊行している。

 とはいえ、彼がこの道に進んだのは、それに影響されてのことではない。

「まあ僕の場合は、必要に迫られての結果ですが」

 元はといえば小夜子――悠花の祖母がきっかけであったという。

 ――おばーちゃんの、眼のことだ。

 朔哉は敢えて言及しなかったが、悠花は察した。

 小夜子の病の原因が、物ノ怪にあると言うのなら、まずは物ノ怪のことを知らねばならぬ。

 そうやって調べていくうちにその方面の様々な知識が増えていった。

「大学に進学してからも調べて調べて、細かく細かく分類していたら、気付けば物ノ怪分類学なんてニッチな分野で国内第一人者と呼ばれるようになっていました。……本当に狭い専門の中での話です」

 それでも教え子の数も百や二百では足りない程度にはいるし、その中には一端の学者になった者もいれば、何があったか、祓う側になった者もいた。

 悠花が時々見かける黒服や、妙な格好の者は、そのほとんどが朔哉を頼りやって来たかつての教え子であるという。

「悠花さんに渡した五鈷杵も、彼らから譲り受けたものです」

 以上、何か質問は――朔哉は面白くなさそうに顔を上げ、悠花の顔を見た。

 説明の口調が大学の先生のようで(事実准教授であったし、そもそも悠花は大学の講義など受けたことなどない)、悠花は少し感心した。

 悠花は祖父の顔貌をまじまじと見た。

 朔哉は今年六十八歳になる。

 前述のように、大学で教鞭を振るっていたが、定年を前に後進に道を譲り、退官した。十年ほど前のことである。

 時を同じくして悠花の母親はこの世を去っている。

 朔哉の退官が悠花の母親が急逝した時期と合致するのは、まだ幼かった悠花の世話をするという名目もあったようだ。

 年齢的には老人と言えるものの、見た目には、それほど老けていない。顔の皺も年齢ほど多くはないし、よく見れば精悍な顔付きで、誤魔化そうと思えば五十代後半で通せそうである。

 悠花は見慣れているせいか気にならないが、眼つきも鋭いほうだ。だからだろうか、元(准)教授という肩書と相まって、地区の顔役などを請われることが多い。

 頼る方も、知性と共に力強さのようなものを感じ取ったに違いない。

 しかし身体付きは細身寄りの中肉中背で、それほどがっしりとした体格ではない。そのため荒事に関しては、朔哉は見た目どおりだ。

「おじーちゃんは、〈こっくりさん〉と戦えないの?」

 悠花の問いに、すでに食事を終えた朔哉が茶を啜りながら答える。

「無理ですねぇ」

 完結明瞭である。

「〈こっくりさん〉と一つに括っても、その正体は様々ですから」

 そう言って朔哉は天井を見上げる。

 つられて悠花も天井を見る――LEDのシーリングライトが、まぶしい。

 素人が手を出して火傷するようなことは徹底して避けるべき――それが朔哉の持論だ。

 たまに、視えずともお祓いでなんとかなる場合もあるとはいえ、そういうことのほうが稀なのだ。

「幽鬼――鬼や幽霊のことですね、それと狐狸妖怪の類では、対処法が異なるんです」

 生兵法で立ち向かってどうにかなるほど、物ノ怪退治は容易なものではないのだろう。

「もちろん、僕でも倒せるような物ノ怪はいるでしょう。ですが、何が原因で障っているか判っていたとしても、そういうことは特殊な訓練を受けた方々に任せるべきです。とても危険なことですからね」

 ――特殊な訓練と言うと、

「修行僧、とか?」

 悠花は、よくはわからないが、そういうことをしてそうなイメージのある単語を呟く。

「修験者――山伏や、一部の神主などの中にも、副業で祓魔ふつまやお祓いをされている方はいます。ただ、その大半は形だけの、ニセモノが多いようです」

 それは残念なことだ。

 悠花はややがっかりしたが、物ノ怪の分類に気になることがあったので聞いてみた。

「そう言えば、妖怪と、鬼や幽霊は別物なの?」

 先ほどから聞いていて引っ掛かった部分である。

 目の前に専門家がいるのだ。せっかくなので、気になることは聞いてみることにした。

 すると、朔哉は流暢に語り出した。

「この世とあの世。よく聞く言葉ですね。この世は物質世界、あの世は精神世界などと言われてはおりますが、そうではありません――別の解釈もありましょうが、ここではこの解釈を採ります。さて、この世には、ヒトの目には見えなくとも確実に、『ある〝存在(モノ)〟』が()る――この話は、そこから始めなければなりません」

 大学の講義で何度も繰り返した言葉に違いなかった。

 長くなるので要約すれば、この世には物質としての人間の他に、存在としての狐狸妖怪が在るのだという。

 人は〈居る〉。

 狐狸妖怪は〈在る〉。

 大雑把に言えば、人に触れるものは〈居る〉し、触れないが存在するものは〈在る〉。

 一方、鬼と幽霊は例外はあれ、基本的にはあの世にしか存在しない。

 とはいえ、存在として在ることは狐狸妖怪も幽鬼も変わりはない。

 その最大の違いは〝魂魄(こんぱく)〟であると言える。

 こん、つまりたましいは、この世に留まるために必要なエネルギーである。これが様々な原因により摩耗し消滅すると、ヒトも狐狸妖怪も漏れなく、あの世へと向かう。

 そして(はく)とは、この世の生きとし生ける存在全てのたましいの中に浮かぶ、核のようなものである。そして、その魄こそが、その持ち主の性格だったり性質だったりを決める因子なのだという。

 だから魄しか持たない幽霊という存在は、往々にして理性的な行動を取らず、欲望に従うような素振りを見せるのだろう。

「つまり、魂というエネルギーの有無が、両者を分ける決定的な要素ということですね」

 朔哉の説明は長かったが、それでも悠花の頭にはすんなりと入ってきた。

「すごいすごい!どうしてそんなことまでわかったの?」

 高い声で、はしゃぐように質問する悠花に、

「そんなに囃すほどこのことではありません」

 朔哉は謙遜しつつ、

「様々な資料を読み漁り、確かな力を持つ霊能者の話や、怪異に遭遇して難を逃れた人たちの証言などを元に突き詰めたら、そう結論するしかなかっただけという話です」

 それだけ調べても小夜子さんの視力を奪った物ノ怪は特定できませんでしたが――。

 准教授と言っても、そんなものですと、やや自嘲気味に呟いた。

 祖母の失明の原因が掴めなかったのは残念だし、祖父が無念に思うのは仕方ない。

 それに、悠花には地方大学の准教授になるのがどれほど大変なのかわからない。

 わからないが、その過程の副産物として大学の准教授にまでなったのだから、それだけでも十分にすごいのではないか。

 彼女はそんなことを考えた。

 朔哉はおもむろに、ダイニングに掛かる時計を見た。すでに午後八時を過ぎている。

「早く夕飯を片付けてしまいなさい。しばらくは僕らにできることはありません」

 祖父にそう言い付けられ、悠花は残りの食事を平らげると、入浴してから床に就いた。

 しっかり食べて、寝る。

 非常時にあって日常を続ける努力というのも、大事なのである。


 ――佳奈ちゃん、無事でいてね。

 と、クラスメイトの無事を祈りながら、悠花は床に就いた。

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