冬の日短
冬至だ。
日の入りの最も早い日でないというのは理解しているが、やはり特別意識の行く日である。
我が地域では天候もよくなく、最早17時には21時くらいの様相を見せていた。
昼が短いということは当然夜は長い。
これを冬の日短、と昔の人は呼んだらしい。
秋の夜長に冬の日短。
秋は夜が長くなり愛する人と過ごす時間が長くなるのを悲喜こもごも感じるのに対して、冬まで長くなると日中働く時間の短さに焦るせいなのだろうか?
それとも単に寒い夜は何よりも布団が恋人であるというのが今も昔も変わりはなかったのだろうか。
清少納言も枕草子で布団から出たくないと言っていたほどではあるが。
しかし、現代日本人において秋の夜長、冬の日短ほど縁の遠い言葉もない。
人間は明るさではなく時刻で労働を管理するようになった今、夜はけして長くはないのである。
独り身にとっては夜が長くないというのは優しい変化だろう。
恋人たちにとっては辛い変化なのだろうか?
それとも、暗くなろうが恋人には会えぬ。それ故の恋しさに焦がれる秋の夜長、なのだろうか。
風呂に浮かぶ柚子を両手で一人キャッチボールをしながら考える冬の日短。