それは低い視点から始まった
「ごめんなさい!」
意識を取り戻し、生体ポットの水槽から目覚めて立ち上がったばかりの俺の目の前に、こちらに向かって深々と頭を下げて謝る女性、世界待機局の担当官の姿があった。
「なんで謝ってるんですか?」
「それはですね」
目の前の担当官は顔をそらし、視線を宙に巡らせる
俺はそんな彼女を見上げていた
見上げていて気がついた
そういえばいつもより視線が低い
なにより、待機世界に戻ってくる時は全裸だ
そのため、管理官もそれに対する性別の人が対応してくれるはずだ
俺が「戻ってくる」時にいつも対応してくれるのは
目の前の彼女と同じようなデザインの制服に身を包んだ
「男性の管理官」だった
俺は、マペット起動用の生体水ポッドから出たばかりの自分のボディを見てみた
いつもより低い視点
長めの銀髪
なにより胸も股間のアレもない平たい身体
「まさか」
俺は目の前の壁に取り付けられている高さ1.5mほどの大鏡に駆け寄る
そして、その姿を見るなり「ぎゃー」と叫んだ
そこに映し出されていたのは、慎ましい身体をした銀髪の少女だった
「ごめんなさいっ」
鏡に映った俺(少女)の向こう側の景色に、先ほどの管理官の女性がさらに深々と何度も頭を下げて必死に謝る姿が映り込んできた。
「こちらの手違いで、その少女のマペット体で融合処置がされてしまいました」
冗談じゃない!
俺は20代後半の高身長イケメンナイスガイのはずだ!
エリート街道を進み続けていた俺が、なんでこんな色気のかけらもない少女の姿になってるんだ
驚きと事態の悪さから叫びだしたい衝動を押さえつつ、深呼吸をして平静になり頭を切り換える
そして、先ほどから後ろに映り込んでいる彼女に振り返ると事態の打開を聞いてみることにした
「すぐ元の身体に戻せますよね?」
そう問われた彼女の全身が一瞬ビクッと震えた
こういう反応をする人の次の言葉はほぼ決まっている
「それが、そのぅ、システムの関係ですぐというわけには」
ああ、やっぱり
「じゃあ、いつなら本来の姿になれるんですか?」
こちらの質問に対して、彼女は焦りながらもスカートの後ろポケットから手のひらサイズの薄い機械を取り出した。システム上のトラブル対応マニュアルが表示されるであろう小型の機械に、俺のさっきの質問を声で入力している。
「ちょっと待ってくださいね」
そういいつつも彼女の視線はその機械の表示板をじっと見つめている
回答を待っているのだろう、とりあえず俺も待つことにした。
その間に近くのテーブルに畳んで積み上げられたバスタオルを手にすると身体を拭き始めた。
改めて新しい身体を見てみると、皮膚の表面あちこちにメンテナンス用のアクセスポートが見える
男のボディの時と位置は同じだが、下腹部に関してはデザインが違っていた
この辺は性別の違いが影響してるのかなと勝手に納得しておく
「回答来ました。えっと、次の期間まで無理だそうです」
「へぇ、次の期間まで?って、無理だそうですじゃない!」
薄暗いが広い鋼鉄製のホールに、少女の甲高い声が響きわたり反響する
それは自分でもびっくりするほど高い女声だ
だが、そんなことは今はどうでもいい
「むむむ無理に『引きはがす』と、脳とマペットの接続が原因で、一生動けなくなる危険性が、あ、あるそうですから」
俺は彼女に近づきつつジト目で見上げる
彼女はこちらの、外見以上に漂う迫力におびえていた
ただ、これ以上彼女にせまっても事実は変わらないだろうと思った俺は「はー」っと息を吐き出すと
「まぁ、仕方ないか」と全身の力を抜いた。
「よろしいのですか?」
「よくないけど、今のところまずいのは外見だけだからな。マペット体なら多少の無茶も効くだろう」
「ありがとうございまs」
「許したわけじゃないぞ。解決策がわかったらすぐに知らせろ。それまで我慢してやる」
「は、はいっ」
彼女は笑顔のまま深々と頭を下げた
俺はマペット用ポッドの横に用意された衣装に身を包みつつ
慎ましいボディのマペット体だったことに感謝した
ブラの付け方など知らないし、そういう趣味はない
「ところで」
「はい」
「『誰』のミスでこうなったんだ?」
「え、と、それは『私』です。ぶはっ」
嬉々とした答えを聞くなり
俺は持っていたタオルを彼女に向かって投げつけた
「なにするんですか!」
突然の攻撃に彼女は驚きつつも抗議してくる
「素直に早く言ったからタオルで済ませたんだ。もし誤魔化していたら」
「誤魔化していたら?」
一呼吸置いてから俺は言った
「ミスの保障として、あんたの『活動期間』を請求してやるつもりだったよ」
「か、勘弁してください」
この世界における個人の『活動期間』は、お金と同等かそれ以上の価値を持っている
これは、個人が資産を持ち越せないこの世界で作られた絶対にして唯一の資産でありルールだ
時間こそ、この「待機世界」で一番価値のあるものである
まぁ、本当に請求したとしても、理由が理由だけに受理されるかどうかは微妙なところだ
しばらくして、俺の立てていた声と物音から異常に気づいた警備兵2人がやってきたが
管理官が事情を説明したため、特に問題なくその後の外出手続きは続行された
数分後
マペット体の動作チェックと市民用IDを手に入れた俺は、公的機関でもある「待機世界局」のビルの玄関にいた。左手の腕側面に埋め込まれた小型ディスプレイに表示された「残存活動時間」のチェックは完了
俺はこれから、3ヶ月間の「生活」を行えるようになった
「さて、最初にどうしようか」
ドジな管理官のミスで少女のマペット体となってしまった俺は
ひらひらのワンピース型制服に身を包みながら
家族と友人と職場に対する言い訳を考えた
そして、その手間と労力と、相手からの反応を考えると
大きなため息をついた
しかし今思えば、この「マペット取り違え」が起こったからこそ、俺は『生きのびる』ことになる。
この時点ではまだそれを理解できてはいなかった
つづく
期待する人が増えるようならプロット出してくる予定です