第9話
「ところで、せいちゃん。私のアドバイス覚えてる?」
もちろん、覚えている。
「万策を尽くすべし、ですよね……?」
しかし、それが一体──自分が正しく理解できていないのは確かだが。
「意味わかった?」
「いえ……」
答えあぐねる。
「本当は自分で気づいて欲しいんだけど~……んー、そうだな、じゃあ、万策を尽くすってどういう意味?」
どういう意味を言われても、すぐには思い付かない。それとなくイメージを伝える。
「できる限りのことをする、とか、あらゆる手段を尽くす、とかいった感じですかね?」
「うん、たぶん正解!」
たぶん……?
「じゃあ、せいちゃんは万策を尽くした?」
それは、
「はい……自分にできることは、すべてやった、と思います」
その答えに、カティは少し視線を泳がせる。
「うーん、そうだね、確かにその通り。自分できることは、全てやってると私も思うよ~。でもね、それは、万策を尽くしたとは言わないかな」
「……?」
誠一郎が疑問の顔を浮かべているのを見ると、カティは言葉を続ける。
「ヒントは、今、この状況は万策を尽くしたと言える」
「えっと……」
まだ、ピンとこない。
「もう一つヒント。せいちゃんは、自分でできることは全部やってる、というか、やった。でもそれだけじゃダメだった……ということは?」
誠一郎はここで気づく。そう、自分は、自分でできることしかやっていなかったということに。
「そろそろ、気づいてきたかな?」
「……はい。もっと早くに、頼るべきでした」
「そうだよ! もう!」
カティは誠一郎のその言葉を聞いて、一際大きく声を出すし、これまで微笑みや優しい笑顔に溢れていたその顔をむすっとした顔に変える。
「万策を尽くすって、出来ることを全部やることって知ってるのに! 私に頼ることは、その一番の武器になることじゃない? なんでそれをしないのさ!」
ぐぅの音も出ない。もっと最初から頼っていれば良かったという気持ちの正体がようやく明らかになった瞬間だ。カティの怒りは、誠一郎の失敗に対する怒りではない、頼らなかったということに対しての怒り。
「あ、それともう一つ! これも少しこのことに関係するんだけどね、せいちゃんは現場で私に謝ったでしょ。その時、私は何て言ったか覚えてる?」
覚えている。
「えっと、謝るのは私じゃない、と」
「うん、そう。じゃあ謝るべき相手は分かった?」
謝るべき相手……それは、迷惑をかけた人だ。もちろん、カティにも迷惑をかけたが、今回、何故自分がここまで追い詰められたのかという論拠は、納期にある。つまり、その納期を破ることによって困る人に対して罪悪感を覚え、謝るべきなのだ。
「……ランスさん、ですね」
「そうだよ~! その気持ち忘れちゃダメね、そんで、実は、ランスさんにも謝る必要はないのですっ!」
カティは、怒りを含んだ顔から、したり顔になる。
「それは、どういう……?」
「それはだね、せいちゃん、ランスさんと納期について、本当にちゃんと話し合った?」
誠一郎は思い返す。いや、話し合ったはずだ。一週間以内にやってほしいと言われたし、きちんとメモも取ってある。
「話し合いました。一週間以内、そう、増産とかがあるかもしれないから、一週間以内に、と……」
「あ~、たぶん、そうだね、そうかも。じゃあ、その納期が延びるかって相談した?」
それは、していない。一度言われたことを絶対だと思っていたから……。
「いい? サボれって訳じゃないけど、納期がどうしても守れない今回のような状態になったら、言いにくくても納期が延びるかどうか聞く、間に合いませんと報告するのも、万策を尽くすうちの一つだと思うのよね、私は。あ、遅れ慣れてるって訳じゃ──ないこともないけど……」
失笑するカティ。
「だから~私はランスさんに聞いてあげた訳よ! そしたら、一週間以内ってのはあくまで目安で、増産計画もみっちり日程が決まってる訳でもないから数日ずれるのは構わないって言ってたぞぉ~?」
ブイッとピースをこちらに向けてくる。その言葉とポーズを見て、誠一郎は、気が抜け、身体から緊張がすべて抜けていくような気さえした。はぁ、良かった、という安堵。そして、カティに対する感謝。
「あ、ありがとうございます!」
思わず一礼してしまう。
「いやいや、かわいい部下のためだもの、私も頭の一つや二つ下げるさ。というのは冗談で、ランスさん、逆に、せいちゃんにその事をなかなか伝える時間がなくてごめんって謝ってたよ」
伝える時間が──思い当たる節がある。そういえば、休憩を断った……。これからはコミュニケーションを大切にしようと心に誓う誠一郎。
「さて!」
ガタとカティが立ちあがる。
「もうこんな時間だから帰るよ~。残りは明日明日! 本当ならこの後食事でもどうって言いたいところだけど……もうこんな時間だからね、また今度部内で歓迎会でもやってあげよう」
誠一郎もつられて立ち上がる。
「えっと、本当に、色々とありがとうございました」
カティはぽんぽんと肩を叩くと、じゃあね~と去っていった。誠一郎も、明日やることだけでもリストアップして帰路についた。
それからの展開というのは、意外にも意外、思ったよりすんなりことが進んでいく。
まず、誠一郎は、翌日朝一番にランスのもとへ出向き、これまでのことの謝罪や感謝。ランスは
「いやいや、そんなそんな、こんなに一生懸命やってくれて……大丈夫大丈夫」
と言ってくれていたので、おおよそ、この件は解決ということでよいだろう。
さらに、魔力管への魔力供給を担当していた部署へと連絡し、相談の約束を取り付ける。
魔力管担当部署の人間とはすぐに話ができ、調査の結果、魔力供給の担当者の入れ替えが行われていたことが判明した。すなわち、今回の不調の原因というのは、魔力管に送られてくる魔力の具合がよくなかった、その結果、成分の変化がうまくいっていなかったという内容のものだったのだ。その人間の銚子によって結果が変わってしまうというのがこの魔力というものの怖いところ。担当者は、誠一郎に対してこれでもかと頭を下げていた。異変に対してあまり気づいていなかったようで、今後細心の注意を心がけると共に、調子が違う時などはきちんと検査担当者に連絡するなどしてその旨を結果に反映するという形となった。
時間はかかるかもしれないが、これで安定供給への道のりは確保できたし、それよりなにより、この問題の原因が明らかになったということが、誠一郎はもちろんのこと、ランスにとっても大きな成果だった。
このようにして、事態は一段落した。
詰所の自席に腰掛ける誠一郎は、今回の件に関する書類作成などを行っていた。最後の結果報告までが業務。せっせと書類を作る。
これまで誠一郎が人間界で行ってきた保全業務では、現場であるなどの理由で手書きによる作成をせざるをえない書類も多くあったが、一方で、詰所などコンピュータのある場所で行える作業について、多くは機械による入力を行ってきた。しかし、今は違う。ありとあらゆる業務は全て手作業が要求され、ゆえに、時間は作業量に純粋に比例して増えていく。その点、どうしたものかと思い悩むが、こればかりは、どの会社でもありうることだ、仕方がない。
そんなことを思いながらの座り仕事。飲み物に手をつける回数が次第に多くなる。
しかし、これは何も誠一郎一人に限ったことではない。詰所にいる時間が長いマウロなどは何の資料か見当もつかないが、業務時間中誰かに話しかけることなければ、すごい集中力で書類仕事を行っている。飲み物にも手を付けない。話しかけられるとすぐにそちらに答えるような姿ばかり見てきたので、こうして見てみるのは新鮮だ。さらに、話しかけられて話し終えた後、自分の作業に戻る時間も早い。早いというより、気持ちの切り替えに時間を要していない。
はぁ、だから部長になれたのかなぁなどと考える。いつも怒られていると言っていたが、あれで怒られるのは、仕事ができないからというより、人が良すぎるからだろう。人が良すぎるゆえに、仕事を多く抱える、しかし、それでもこなしてしまう優秀な人間だからこそ、この変わり者ばかりの部署内で長を務めることができるのだろう。
それに比べて、生産二部担当チームの狼人間の人はどうか。うーむ、相変わらずのなまけっぷり、な気がする。そのうち問題でも起こさないか見ているこっちがはらはらしてくる。
そんなことを考えて、ようやく自分が人間観察に夢中になって仕事から手が離れていることに気がつく。これではどちらがなまけ者か分からない。いかんいかんと気を引き締め直し、再び、目の前の書類に向き合おうとした。
そして、静寂を破るのは、いつも決まってカティだった。
「やーやー! 皆さん、そろそろ業務の疲れもたまってきたところで」
詰所に入るや否や、皆の注目を集める。注目を集めても、全く動じないのがこの人のすごいところだ。それだけ勤め慣れているということの表れでもあるだろう。何年勤務しているのか段々と気になってくるが、それは、謎だ。
「部長~! 部長!」
カティはすぐにマウロに話しかける。旧知の間柄なのだろうか。それを一切面倒がらない部長も、いい人だ。いい人すぎる。
「ん、なに?」
「ほら、例の、せいちゃん歓迎会の!」
自分の名前が出され、仕事に戻ろうとしていた誠一郎は、気になって顔を上げる。歓迎会、この前言っていたあれだろうか。
「ああ~ あれね、あれ……」
いつもは適当にあしらうマウロなのだが、時間が就業時間の終わり間際だったということからか、そういえばと返事をする。
「というわけで、皆さん、出席お願いします~。店は、交流担当の私が用意しておくので、日程調整だけ回覧板で協力してください~」
カティは、よくわからないが、交流担当らしい。道理でものすごいコミュニケーション能力だ。顔や体に似合わないが。
「せいちゃん、君は何が何でも来るのよ! 仮に人間を殺すことを生きがいにする魔物に遭遇して殺されたとしても、私がヴァンパイアにしてよみがえらせてあげるから、危険を感じたら相談しなさい」
ああ、やっぱりそういうのできるんだ、この人。いやいや、というか、そんな危険な目に遭遇しうるのか、この場所は。職場と寮を行き来する以外どこにも行きたくなくなってくる。ここに一人、休日引きこもりマンが生まれようとしていることをカティは知らない。
なにはともあれ、自分のための会らしい。悪い気はしないし、普段、カティやマウロくらいとしか部署内の人とは話すことができないので、交流を深めるという意味ではありがたい。
そんなテンションのまま、あれよこれよという間に、二宮誠一郎歓迎パーティが開催されることとなったのだ。
誠一郎は、この時全く考えていなかった。この職場にいる人たちは人間ではないということ。そして、酒という魔の液体が呼び覚ますのはそんな彼らの本性だということを。
というか、人間以外でも酒に酔うという事実を認知できていなかったのである……!