第7話
けれども、世の中とはそうすんなりいかないもので──
部品は、取り寄せられないことはなかった。取り寄せることはできる。しかし、問題はかかる時間の長さにある。通常なら、二、三日で準備できるのだが、丁度在庫がなく、次に入ってくるのを待たなければどうにもできないということだった。
誠一郎は必死に交渉したが、入ってこないものはどうにもできない。
しかし、なんとか、六日で届けるという約束を取り付ける。首の皮一つ、ギリギリのところで生き延びる。 届いたその日に取り付け作業を完了させることができれば、一週間以内という期限にギリギリ間に合う。部品が午前中に届いてくれれば、納期には十分に間に合わせることができるのだ。
これで、ランスに残念な連絡をせずに済むとほっとする誠一郎。通信機で連絡をつける。
「──という訳で、ぎりぎりになってしまいますが、なんとか一週間以内に間に合わせることができそうです」
『おお、はいはい~。じゃあ、よろしく頼むよ』
「それまでは、なんとか大丈夫そうですかね……?」
『そうだなぁ~検査工程の担当には申し訳ないけど、我慢してもらうしかないだろうなぁ。その辺は、俺から言っておくから大丈夫。いや、ありがとうね、ほんと』
まだ問題は解決していないが、そういってもらえると、助かる。
後は、部品到着までの間、さらに状況が悪化することのないよう、他設備含めてしっかりと保全業務を行っておくことが、自分にできることだろう、誠一郎は通信機を切りながらそう思った。
トラブルは起きてしまったが、まだ、大事に至る前に解決することができそうだった。ランスの功績によるところが大きいながらも、何はともあれ、良かった。
こうして、慌ただしい一日は終わり、誠一郎は数日の平穏を手に入れることが出来た。
部品到着の日。
部品の発送元があたふたして、もし部品が期日内に届かなかったらどうしようとわずかな不安を抱えていたが、その心配は杞憂に終わる。
その日、機械事業部の詰所には無事、成分調整弁が到着した。ほぼ予定通りの到着。ランスにはすでに話を付けてあるので、使用中ということはないはずだ。これなら、今から作業を開始すれば無事一週間以内という納期を守ることができる。
この仕事を無事終えることができたら、ランスに前もってこの先の増産の予定について話し合い、今回のように不備が出うる個所を重点的に整備しなければならない、などと考える。
考えつつ、現場へ向かい、ランスに一言挨拶し、作業を開始する。
作業そのものは、複雑なものではない。容易なもの。けれど、取り換えの作業を完了させるだけではいけない。その作業に加えて、調整や試験を行っていく。部品そのものを変える訳だから、普段のメンテナンス作業よりも念入りに、慎重に。このライン全体のスタートとなる部分だ。ミスは許されない。
慎重に、けれども、手際よく。
人間界での社会人経験は、十分に生かされていた。基本的な技術に関していえば、困ることはほとんどない。一つ二つと留め具を外し、入れ替え、動作の確認。繰り返す。
一時間と少しが過ぎた。一段落つく。けれども、まだ安心はできない。何故なら、試験が終わっていないからだ。試運転をしてみて、数値が正しいものを示せば問題はないが、そこで数字に異常があれば、その原因を見つけて直さなければならない。しかし、あまりにぶっ通しで作業をし続けたため、少し休憩をしようかと考える。
座って汗をぬぐう誠一郎に近づくのはランス。
「どうだい、休憩、付き合わない?」
くい、と食堂を指さす。飲み物でも一杯どうか、という誘いだ。現場の人間は肉体的に疲れることも多く、時間があくと小まめに休憩を取る。これはサボっているという訳ではなく、水分の補給だったり、なかなかまとまった全体会議ができない現場なりの知識の共有手段の一つだったりする。それなりに重要な意味を持つ行為なのだ。本来なら、誠一郎もこの誘いを受けていただろう、しかしながら、今の誠一郎は時間的に追い詰められていた。そんな精神的余裕はない。
「えっと、まだ試験が残ってて……午前中に終わらせて、午後からは試運転してもらいたいなと思ってるので……」
「いや、いいよいいよ、別に少しくらい遅れてもさ」
きっと、ランスは、自分へのプレッシャーを和らげるつもりでこう言ってくれているのだろう。だが、その好意に甘える訳にはいかないし、何より、ここでさぼって納期に間に合わせることができなくなるというのは、たとえ、ランスの言葉であっても容認することは難しかった。
「いえ、大丈夫ですから、すみません、もう作業戻りますんで」
誠一郎は少し強めにランスの誘いを断る。
ランスは少し怪訝そうな顔をしつつも、
「二宮くんがそういうのなら仕方ないね! ああ、でも、無理はしないでよ~キッティラさんに怒られちゃうからね、あの人怒ると人死ぬから」
冗談めかして笑いながらそう言う。誠一郎の中で、ゼロに近づいていたカティへの恐怖ポイントが少し上がる。それはさておき、少し悪いなと思いつつも、誠一郎は、作業を再開した。作業が再開されるのを見届けると、ランスは姿を消す。
そうして作業を続けることさらに一時間。少し時間的には余裕のない作業ではあったが、正確に慎重に行われた調整作業は単体の試験で問題を出すことなく、午前中に誠一郎のすべきことを終わらせることができた。その旨をランスに伝え、午後からでも稼働してもらいたいということを伝えると、
「お、ありがとね~。結果は今日の夕方にでも知らせるよ」
という返事をもらう。
こうして、後は結果を待つのみとなり、誠一郎は少し遅めの昼食を取りに行くのだった。
昼食を取り終え、詰所に戻る。
解放感に襲われる。山場を乗り切った解放感だ。正確には、まだ乗り切ってはいないのだが、問題の個所を直したのだから、問題はなかろう。積もり気味の書類仕事を終わらせて、今日は残業せずに帰ろうと画策する。カティの助けを借りることなくやりきったという事実に、達成感を覚えつつ、まだ席を外しているカティに早く報告したいとうきうきする。
──しばらくして。
誠一郎の通信機がコール音を鳴らす。時間からして、ほぼ、間違いなく、ランスからの通信だろうと考えられた。少しテンションを上げ気味に、誠一郎は通信機を取り応答する。
「はい、二宮です」
『ああ、二宮くん? 結果なんだけど──』
ランスの声の調子は、誠一郎と比べてあまり高くない。一抹の不安が誠一郎の頭の中を過る。
『うーん、たぶんね、これね、調整前と変わってないねぇ』
「えっ……」
誠一郎は、一瞬、理解ができない。変わっていない、とはどういうことだろうか。そして、理解する。自分の作業が間違っていた可能性があるという事実に。
『うん、変わってないねぇー。どうしよう、一旦こっち来れるかな?』
しかし、すぐに、自分の作業が間違っていたという可能性ではないということに気がつく。何故ならば──変わっていないのだから。もし、作業が間違っていたのなら、なんらかの差が出るはずなのだ。
「は、はい。すぐに向かいます」
頭の中で色々なことを考えつつ、なんとかそれだけ言葉を返す。頭にあるのは、失敗したという思いばかり。冷静になろうと苦心しつつ、ヘルメットなどの装備を整えてスライム生産ラインへと向かう。
歩くうちに、少しずつ、少しずつ、思考が整理されてくる。冷静を取り戻し、後悔の念が出始めたところで、調合釜前につく。そこではランスが待ち構えていた。顔に、わずかながら笑顔、というか、苦笑がある。無表情や怒った顔をしているよりは余程救われる。
「まぁま、この辺座ってさ」
「はい、すみません」
二人は空いている場所に腰掛ける。誠一郎の頭の中では、色々な考えが巡っていた。まず、おそら
くだが、自分の午前の取り付け作業は間違っていないということ。これは、確かだろう。変わっていない、という結果が物語っている。
「さて、と。これが、一回全工程通して最後に出した検査結果。それで、これがこれまでの成分調整
弁交換前の記録。見ての通り、誤差にほとんど差異はないんだよね」
改めて見せられると良くわかる。簡単に言えば、成分調整弁の交換作業は意味がなかったということ。いずれ変えなければいけなかったにしても、今回の成分の誤差の件とは無関係だったという見方が正しい。
「いや、ごめんねぇ、俺の言ってたこと間違ってたなぁ」
うーんと照れ笑いのように笑いながら言うランス。確かに、成分調整弁の取り換えによって治るということを進言したのは、ランスだ。だが──
「いえ……とんでもないです。そもそも、この現象の原因を見つけるのは、自分の役割でした……申し訳ありません……」
そう、誠一郎が、後悔するのはそこ。これは、ランスの責任などではない。紛れもなく、原因の特定をせずにランスの声だけを鵜呑みにし、本来自分の役割であるはずの原因の追究をしなかった自分に責任のほとんどはある、と誠一郎は思った。
「いや、ああ、それで、申し訳ないんだけど、俺、この後現場ミーティングがあってさ……」
その困ったような声を聞き、誠一郎は、とっさに返答する。
「大丈夫です! 自分一人でなんとかしますから! すみません!」
「いや、いや、はは、ごめんね」
そういうと、よほど急いでいるのか、ランスはその場を離れて行ってしまった。この結果を報告するためだけに時間を作ってくれていたのだろうということがうかがえる。
さて、と誠一郎は少し心を落ち着けようとする。
詰所に戻る余裕もなく、一つ一つ頭の中でやるべきことを確かめようとする。
「まずは……原因の調査、か」
しかし、確かめるも何も、まずはそこ。そこが解決しないことには、その先はどうしようもないのだ。逆に言えば、その一点を解決することさえできれば、この問題は何とかなる──ように思えた。しかし、それは誤り……
「……納期!」
そう、問題は、時間。たった一つの問題にして、最大の難所。そして、納期を守ることは──不可能だ。
不可能。どうあっても不可能。後残された時間は、たったの数時間に過ぎない。原因を調査、究明するだけでも、どれだけの時間がかかるのか見積もりさえつかない。振り出しに戻っているのだ。見積もり時間さえつかない地点まで戻ってしまっている。
誠一郎は頭を抱えた。どうすればいいのか、どうしようもない、どうしようもできない。やってしまった、一週間という納期が守れないどころか、何日かかるかさえわからない。
ここにいても、仕方がないだろう。ふら、ふらと生産ラインを見て回る。稼働はしている。ただちに影響はないかもしれない。
しかし、ランスの言っていた納期を守ることはもう無理。原因がどこにあるのかさえ見当がつかない、というより、考えることができていない。
そんなで、ぼーっとしていたのか、近づいてくる影に誠一郎は気づいていなかった。
とんとん、と肩を後ろから叩かれて、ようやくその存在に気づき、振り向く。
「や!」
そこにいたのは、小さな、ヴァンパイア。カティ。なんとも作業着もヘルメットも似合わない少女の外見のそれだが、今の誠一郎には、それが、とてもとても頼れる上司だった。思わず、目頭が熱くなる。
「……あれ──キッティラさん、どうしてここに?」
その声に、キッティラは何がつぼにハマったのか、あっはっはっは、といつもより一つ多く声をあげて笑い、
「どうしてって~! そんなことより、そっちこそ、どうしたのよ。そんなこの世の終わりみたいな顔してさぁ……ぶっ、わは、あっはっは」
どうやら、カティは、誠一郎のこの世の終わりみたいな顔がつぼだったらしい。誠一郎が深刻そうな顔をしているのに、あまりにも笑うもんだから、誠一郎も、なんだか少し馬鹿らしくなってくる。
「ちょっと、キッティラさん……! 笑ってる場合じゃないんですって……」
思わず、少し強く言う。が、すぐに、カティに怒りをぶつけるのは全くの筋違いだと気づく。むしろ、今は、カティに力を借りないといけない時なのだから。自分に責任があり、カティには一切の責任はない。そういった状況なのだ。にも関わらず、自分はカティに力を借りようとしているのだ。
「いやぁ、なんか戻ってくるのが遅かったからさ、心配になってね。どっかで襲われてやしないかと」
うぅん、心配の方向が若干違うが、心配してくれていたことは確かなのだろう。なるほど、時間を見るとすでに就業時間を二時間も過ぎている。あまりに長い時間反省会をしてしまっていた。そして、時間のことを思い出す。そうだ、納期……。一瞬晴れていた気持ちはすぐに曇った。
「おいおい、どうしたんだ、せいちゃん。なんかあったの? 大丈夫?」
「……すみません。ミスをしました」
誠一郎は謝り頭を深々と下げる。後悔のすべてをのせたように深く、強く。その声を聞いたカティは、一瞬目を細めて、優しい顔になったが、すぐに、やんわりとしていた目が強くなり、誠一郎を捉える。
「何が起きているのかは知らないけれど、とりあえず頭を上げて。たぶん、謝るのは私にじゃない」
顔を上げた誠一郎の目に、カティは、何故だか、美しく映った。