第5話
結局、その後、カティが詰所に戻ってきたのは退勤時間間際。
「ごめんごめん、ちょっと現場での作業が長引いちゃってね。ああ、普段はそこまででもないんだけどね、ちょっと設備切り替えだったから手間取っちゃってさ。それで、とりあえず稼働はしたからこれから1,2時間様子を見てもらって、最後の点検しないといけないの。だから、申し訳ないんだけど、今日のところは、せいちゃんのお世話はもうできないのよね。寮への案内図とかは、えっと」
そういうと、机の引き出しを開けて紙を漁り、一枚の紙を見つけ当てて、誠一郎に渡す。
「これ、これに部屋番号とかも書いてあるから。後は寮行ってくれればなんとかなるからさ、ああ、作業着は着替えてね。んで、出勤時間とかも紙に書いておいたから」
とだけ説明される。要するに、今日のところはもう帰っとけ、ということだろう。そういうのなら、仕方ない、帰るしかないのかもしれない。のろのろとしていると、
「いいの。今日は帰っていいのいいの! 明日から頑張って貰うからねぇ~大変だぞぉ~。私も今日は稼働日だから残るだけで、普段は結構帰ってるからね」
普段帰ってるのか、と心の中でツッコミを入れる。ともあれ、これだけ催促してもらったら帰ってもいいだろう、そう判断して、帰り支度を終える。
「お疲れさまでした、お先に失礼します」
挨拶と共に、詰所を後にする。他に、勇者撃施設部担当者の狼人間さんもあくびをしながら帰っていく。ううん、やはり、この人、本当にサボってるのではなかろうか。疑いの視線を投げかけると噛みつかれそうなのでやめておく。
詰所を後にして、渡された紙に書かれた地図の通りに道を行く。寮というのは、この城の中にあるらしい。それにしても、この魔王城、どれほどの大きさなのかその全容未だに計り知れないところがある。さすが、魔王の城。魔王の城を人間がうろうろしていて死なないのか少し心配になってくる。
すれ違う人は、いや、人というか、生き物は人型のものが多い。それがまだ少し安心はできるのだが、時々通る四足歩行のいかにも戦闘開始しますという格好をした化け物や、ドラゴンのような外見のごつい人たちとすれ違うとさすがにぎょっとする。退勤あとにも関わらず、勤務中よりもストレスを受けながら、寮へと向かう。ストレスといっても、胃が痛いストレスではなく、生命の危機を感じるストレスだが。
着いた寮での就寝までの流れは、思っていたより相当に簡単に終わった。
受付の人、寮長さんにここに来た経緯を話すと、すでに話は通してあったらしく、すぐに部屋に案内され、朝食と夕食を取ることができる食堂の場所も教えられ(幸い、その食堂にもダークエルフ用のメニューがあった)、後は特になし、だ。寮長さんが、人らしからぬ何かだったことを除けば、これまで過ごしてきた社員寮となんら変わりないように思えた。加えて、売店があるということも教えてもらう。
部屋も、人間が住むということが事前に告知されていたからか、テレビやパソコンといった電子機器こそないものの、ベッドと布団はしっかりとあり、寝るに不自由はしなさそう。目覚まし時計があることには驚く。丁寧に、部屋着も用意されていた。スーツからすぐに着替える。
そうして、夕食を取り、暇を感じつつ、売店へと足を伸ばすと意外にも立派。書籍なども置いてあり、これで自分も魔界になじめる──ことはまだ先かもしれないが、暇すぎて死ぬということはないだろう。冷静に考えて、この良くわからない世界で生きていけるだけ御の字だ……。
売店に行っても当然金など持ち合わせていないので、ベッドの上でごろごろとしていると、すぐに眠気。初日でこれだけのことを体験したのだから、無理もない。遅刻し無いようにと目覚ましをセットする。
目を閉じると思考はすぐに宙を舞った。
翌日。
予定通りの時間に起床し、朝食を取り、出勤。新人なので通勤時間が徒歩でほんの数十分だと言っても、スーツは着ておく。もう少ししたら、普段着などをそろえようと思いつつ。
更衣室で作業着に着替え、詰所へと出社する。まだカティは来ていないのか、机にカティの姿は見えなかった。
始業時間になり、始業のベルらしき音が響き渡る。それにも関わらず、上司は出勤してこない。体調でも崩したのだろうか。どうしたものかと、ひとまず昨日の続きの作業でもしていようと考え、カティの卓上にあった機械のマニュアルを手に取る。コンピュータがないということは、これから先、必要な情報があったとしても、アナログで対処しなくてはならないということだ。機械の作り自体は誠一郎がこれまで保全してきたものよりもシンプルで、教科書で習うような知識で対応できるほど基本的なものがほとんどだった。しかし、機械そのものの特色というのは、どうしても知っておかなければ修理をするにも怖い。
そうして、11時が過ぎ、昼前……。
「おはよ~」
人がまばらになった詰所のドアを開けてやってきたのはカティだった。相変わらず似合わない作業着、作業着の中に入った銀のポニーテールをふらふらと揺らしつつ、着席する。ギィという音が椅子に深く腰掛けたという情報を与える。
「どうしたんですか、キッティラさん」
「おお、おはよう、せいちゃん。いやね、昨日2時間くらい残業だったからさ~。ほら、ヴァンパイアって朝弱いでしょ~」
おおぅ、ディスイズカルチャーギャップ。そうか、この世界はそんな感じなのか。いいのか悪いのか、よくわからないが。しかし、誠一郎が思うのは、溜まっている仕事のこと。現場の人たちは困っているのではないだろうか。
「えっと、あの、でも、仕事いっぱい溜まってませんか?」
「あ~そうか、そうね、案件のファイル見てたね~そうそう、いっぱい溜まっててね。やってはいるんだけど終わらないんだこれが~せいちゃんにも頑張って貰うからさ」
ある意味、正しい労働者なのかもしれないが、これでいいのかと少し不安になる誠一郎。しかし、頑張って貰うという言葉をもらえたということは、
「じゃあ、早速今日から自分も現場の仕事手伝いますよ」
けれども、カティは誠一郎の予想の反して、その言葉に賛同しなかった。
「いやいや、まだ後一週間は手伝いとか資料整備とかそういう業務やってもらうよ~やる気は買うけど、まだ機械の仕組みも覚えてないでしょ? ほら、あとは、うん、色々とね!」
上がそういうのならば仕方がない。それに、言うことにも一理ある。
かくして、カティはまだすぐ現場に行ってしまった。昨日と違ったのは、カティが作成しなければいけない書類仕事を任されたという点だ。
コンピュータがないだけあって、紙書類の量が相当に多い。整備が間に合っていないものもあれば、部長に報告がされていない修繕内容などもあったようで、それらの書類をまとめるという仕事を仰せつかった。
この日から、誠一郎の行動パターンは決まった。
多くの時間は、詰所内で書類の整備に追われた。思っている以上に量は多く、果たしてどうしてこんなに溜まってしまったのだろうと考える。答えはすぐに出る。そもそも現場での作業が多いからだった。なるほど、誠一郎が詰所で書類仕事をしている時間イコールカティが現場に行っている時間な訳だが、一日のうち、ほんの数時間を除いてほとんど誠一郎は書類仕事をすることになった。
つまり、カティは現場の仕事を優先して書類関係の仕事に手がつけられていなかったのだ。そのツケがどこに回ってくるかというと、
「あの~、二宮くん、少しいいかな……」
部長だった。
部長から、この案件はどうなっているのかという声がたびたびかかる。そのたび、誠一郎が答えるということが何回か続いた。
そのように仕事をこなしていく中で、誠一郎は疑問を感じていた。確かに、この書類仕事ならば、その合間合間に機械の設計書などを読むことができて、知識を蓄えることはできる。だが、やはり、少しは現場に行きたい、そういう気持ちが抑えきれなかった。
そんな思いを悟ってか悟らずか、カティがスライム生産工程の保全に行くときは同行することになった。
生産ラインの機器を調整する傍らで、誠一郎はカティの点検の様子を事細かに見る。
「いや、すみませんね~」
「いえいえ、いいってことよ」
カティとランスとのコミュニケーションの機会は多く、もう少し早く、早急に終わらせることはできないものかと誠一郎は未熟ながら考えるのだった。この調子だと、きっと他の現場でも、同じようにしていることだろう。それらの時間を短縮することができれば、仕事が溜まって身動きがとれなくなるような状態に陥ることは少しは防げるのではないかと思ったのだ。
「キッティラさん、ランスさんと仲いいんですね?」
ランスとの会話が終わり、機器の整備作業をしている時、確認ついでに聞いてみる。さすがに雑談を減らせとまで言うことは難しいが、このくらいの質問なら問題はないだろう。事実、カティとランスはかなり長い付き合いのようにも見えた。
「ん~、そう見える? オークとヴァンパイアっていう種族上ね、わりと上下関係がある種族間だから、結構気を使うんだよね」
機器をチェックしながら、視線は機器のままに、カティは答えた。もちろん、誠一郎も視線はカティの手元にある。
「あ、点検結果は書いていってね」
二人で来ているので、記入については誠一郎の仕事だ。
「はい。えっと、やっぱ、ヴァンパイが上ってことですか?」
「そうそう、魔界の掟みたいなもんでね。だけど、仕事でそれを意識されちゃうと、やりづらいんさ」
少し困ったような顔で返答するカティ。人間界とはまた違った悩みなのだろうか。といっても、実際の職場でも、上司や部下、もしくは、親会社の社員と子会社の社員という関係が色濃く出る職場もあるので、似たり寄ったりなのだろうと思い直す。どこの世界でもそういうことはあるのだろう。
「大変なんですねぇ」
だからこそ、コミュニケーションをより多めに取っているということだろ
うか。納得しきれない気持ちはあるが、ひとまずここは機械の仕組みを理解することに思考を注ぐことにする。
そういった作業、そして、詰所での書類に関する仕事は、しばらくの間続いた。
期間にして、当初カティが言っていた通り、一週間程だろうか。
その間、ほとんど残業はしなかった。そういう文化なのかもしれない。残業をしなくても、カティが特別さぼっているというようには感じなかったし、事実、ほとんど休憩を取ることなく、就業時間は動き続けているということがよくわかった。
その一方で、コミュニケーションの時間は多めだということも感じた。それは、スライム生産工程での出来事だけに過ぎず、詰所内でも時折いろいろな人に話しかけたり、または、他の人から話しかけられたりすることも多かった。誠一郎のこれまで勤めていた職場でも同じような光景は多く見られた。だが、それほど仕事が山盛りになってパンクしているような状態ではなかったという点が一つ違うところだろう。
ゆえに、そんなに話をしていていいのかなぁという思いも拭いきれない点の一つではあったのだ。
そんな誠一郎だったが、一週間で大方の仕事を覚え、研修もどき最終日には自分一人でカティが見守る中スライム生産工程の簡単な修繕作業をこなすことに成功する。
「お、ちゃんと動いたね。よかったよかった。あ、ランスさん、動きましたよ」
「ありがとう、キッティラさん~、っと、あ違うか、えーっと二宮くん!」
「いえ、勉強させてもらいました」
一礼をして言う。その後、カティが続ける。
「んで、これからは、このラインの保全はせいちゃんに任せようと思うからさ。よろしくね、ランスさん」
ランスは少し驚いたような顔をしてから、
「おお、そうか、よろしくな、二宮くん」
と言う。言葉では問題なさそうな風だが、隠すことは苦手なのかその巨体に若干戸惑いの表情が見え隠れしていることが誠一郎からも見て取れた。そんな顔を見て、技術的には、自分もカティに勝るとも劣らないレベルだということは分かってきたし、これからの保全で見返してやろうと心に誓う誠一郎であった。そう、結果を出せばいいのだ。この日から俺の活躍の日々、生産一部保全チームの快進撃がはじまるのだ、と。
カティはそう息巻く誠一郎の横顔を暖かく見守っていた。