第3話
誠一郎は案内された男性用更衣室の指定されたロッカーに入っていた作業着に着替える。新品の作業着。しかし、スーツよりはよほど動きやすいし、馴染む。作業帽を後ろポケットに突っ込むと、更衣室前で待っていてくれたカティと合流し、今度は食堂へと移動する。
食堂は薄暗く、あまり食欲をそそられない環境。食堂は食堂らしく、カウンターで職員に注文を言うという形式。食堂はまだ昼少し手前ということもあってか、人影はまばらだ。しかし、その人たちの食べているものは、どうにも、何か、でかい、肉、のようなもの……。
誠一郎の心配は、果たしてこの食堂に自分が食べられるものがあるのだろうかというただその一点だった。もはや、ここにいる人たちが何を食べていようとそのことに干渉する余裕などない。ここで食べられるものがあるか否かは、今だけでなく、この先ここで生きていけるかということにも関わってくるのだから。
食べ物のメニューは、目を疑うようなものがたくさんあったが、唯一食べられそうなメニューがある。「ダークエルフ用定食」。確かに、エルフは、人っぽいし……と一人なんとなく納得してその定食を注文してみる。出てきた料理は、なるほど確かに誠一郎がイメージするエルフらしい食べ物。基本的に、植物系。しかし、何より助かったのは、パンという食べ物が主食として存在することだ。白米まで高望みする気はなかったが、パンなら十分だろう。出された料理を手に、席を探すと、いち早くカティが着席していたのでその対面に座る。
「あれ、せいちゃんはダークエルフだったっけ」
んん?と疑問符を浮かべ聞いてくる上司。
「い、いや、人間ですね……」
ひきつった笑顔でそう答えつつ、カティの食事を見ると、トマトジュースらしき赤い液体がコップに入れられたもののみだ。理由は良くわからないが、目の前で肉塊をがつがつ食べられずに済んで少しほっとする。もしそんな事態になっていたら、きっとこの先この目の前のカティという上司を心の底から信頼するのは難しくなってしたかもしれないし、日々の業務中、人間界では感じる必要のないようなストレスを延々と受け続けることになっていただろう。
「キッティラさんは、ダイエット中ですか?」
「? いや、違うよ」
ダイエット中という訳ではないらしい。この赤い液体、一体……。
「……横、いい?」
透き通った女性の声でキッティラに話しかけてきたのは、褐色肌に黒髪というキッティラとは正反対のような色合いの人。髪は肩にかかるくらいの長さであるからか、作業着の中に入れられていることはなく、作業着という服の上からでも女性らしさがより強調されているような体だ。そして、特徴的なのは、耳が横にとがっているということだろうか。
「あぁ、レニちゃん。仕事区切りついたのね」
どうやらカティの知り合いらしい。自己紹介していた時には姿が見えなかったので、他の部署の人なのかもしれない。考えていると、誠一郎の横にも目の前の女性と全く同じ顔の分身が表れる。え、え、と目をぱちくりさせていると──
「横、失礼するね」
という声は男性のもの。そういえば、体に凹凸は少なく、男性っぽい体つきだ。どうやら瓜二つだが別人のようだ。戸惑っている誠一郎を見て、カティが口を開く。
「ああ、そうだ。せいちゃん、この二人は同じ部署の技術開発チームの二人で、レニ・エングリンドとレム・エングリンド。女がレニちゃんで男がレムくんで、二人ともダークエルフ──って普通は見れば分かると思うんだけど~大変だな、人間くん。それで、技術開発チームはうちの部署、いや、この魔王城の中でもかなりデキるチームって言われてるから、お世話になることもあるかもよ~挨拶しておきな」
同じ部署。技術開発だから、詰所で仕事をしていなかったのだろう。
「二宮誠一郎です。今日から、生産一部チーム、キッティラさんの下でお世話になります。よろしくお願いします!」
元気に挨拶をする。レニは無言で聞き遂げ、レムはパチパチとにこにこして迎えてくれる。男の人の方は接しやすそうな人という感触を覚える。
「僕がさっき紹介されたレム・エングリンド。さっき驚いてたけど、お察しの通り、レニとは双子ね。僕が弟、レニが姉。立場上、名前では呼びづらいかもしれないけど、苗字だとレニと被っちゃうから、レムさんとかでいいからね」
爽やかな話し方。最初は瓜二つだと思ったが、表情が非常に明るいことから、間違えることはなさそうだ。
「あ、そう、年齢は、三十──」
と、ここまで言ったところで、レニがキッと睨みを利かせる。双子だから、レムの年齢が分かれば、必然的に女性であるレニの年齢もわかるのだ。そこを気にしたのかもしれない。そんなレニが口を開く。
「……レニです。よろしく」
レムとは相反して、無口な人なのだろうか。技術屋らしいといえば、技術屋らしい。
「あれ? 二宮くんはダークエルフに近い種族なのかな? 人間って聞いてたけど」
レムも、カティと同じようなことを聞いてくる。やはり、ダークエルフ用の食事を食べているからだろうか。親近感をもってもらったところでやんわりと否定し、
「そういえば、ここって、人間用の食事はないんですかね?」
と、カティやレムに聞いてみる。ダークエルフ用の食事は、洋風ではあるものの、特にいつも食べている食べ物と変わりはないのだが、ダークエルフ用と書かれていたことから、もしかしたら食べてはいけなかったのではという疑問がいまさらになって頭に浮かんできたからだ。その疑問に、レムが答える。
「うーん、人間がいないからねー。ダークエルフも後数人しかいないし……。ああ、いいと思うよ、これ食べておけば。カティさんよりはバリエーション豊かだろうし、栄養もそれなりに接種できるはず。僕らダークエルフと人間は必要な食事似ているからね。味付けは物足りないかもしれないね」
はははと愛想よく笑う。言う通り、植物系の食材ばかりで、肉類が皆無。かといって、他の肉系らしきメニューは、下手をすれば血がしたたっているわ生だわで、誠一郎にはあまりにもワイルド過ぎる。それらよりはよほどマシだと思えた。ついでに、ここぞとばかりに誠一郎は、カティに対して疑問をぶつけてみる。
「えっと、キッティラさんは、何を飲んでいるんですか?」
その疑問に、今頃かという顔をして、カティが反応する。
「これ? これは血液だよ~」
血液。私たち人類の体宿る赤い神秘の液体。
「……血液というと、血ですか? えっと……」
戸惑う誠一郎を見て、レムが驚いたように言う。
「あれ~? 人間界でもヴァンパイアって結構メジャーだと思ったけど……あ、もしかしてカティさん、二宮くんに話してないでしょう~」
「あ~そうえいば、私のこと話してなかったかもね。ごめんごめん、気になったなら聞いてくれればよかったのに」
質問を受け付けていた時、仕事のことでと言われたので質問をしてはいけないと思って聞けなかったのだ。ともあれ、ここでわかったからよしとしよう。よしとしよう? ヴァンパイア!?
「ヴァンパイアって、あの! 血を吸う……?!」
うわぁと驚く誠一郎。無理もない。ヴァンパイアといえば、人間の生き血をすすって生きる妖艶なる怪物という印象があまりに強すぎるのだから。身震いする。
「ん~そうだねぇ~。あ、でもこれは希望してる人が提供してくれてる血液だからね、無理やりじゃないぞ? 私も若い頃は、せいちゃんとか若い子の血を吸ってワルイコトしてたなぁ~あっはっは」
「……レニも、襲われそうになった……でも今は大人しい」
……たぶん、なんとなく、大丈夫。そう思わないとこれからやっていけない。そして、やっぱり人じゃなかった。道理で変に美しかったり肌が白かったり、予想しうる年齢と外見が全く一致しない訳だ。もうこの辺りは納得していくことにした。一つ疑問が解決したところで、まだ全員の食事が残っていることを確認し、もう一つ気になっていることを聞いてみることにする。
「ついでに、もう一ついいですか? 自分、人間で、人間界から来たみたいなんですけど、なんで言葉が通じるんですかね」
それに反応してくれるのはまたしてもレム。
「ええ! そういうことちゃんと説明しないでいいの、カティさん!」
「え~、あ~ごめんごめん~。でも私召喚に関してはあんまり詳しくないからさぁ、そもそもよ、人事部が召喚したんだから、人事部でそういうことは話してくれなきゃ、ねぇ、レニ!」
「……うん」
レニという人、イエスマンだ。いや、しゃべるのが面倒くさいだけだろうか。関心のなさそうなことには大体肯定しているように見える。そして、そこを狙って同意を求めるカティも、これまた、分かっている。
「そうだ。ダークエルフって家庭の事情で召喚とか詳しいでしょ? ちょっとこの時間に説明してあげてよ~私も聞いておくから、ははは」
笑顔がまぶしいが、言っていることは単なる説明の放棄に他ならない。
「もう、仕方ないですね。詳しいというか、基本的なことくらいしか分からないから、本当に詳しく知りたかったら、時間あるときにでも、人事部へ行ったほうがいいかもしれないけど、一応説明してみるね」
という前置きの後、レムの説明が始まる。
「まず、二宮くんがここ魔界に来れたのは、召喚されたからだね。召喚ってのは、簡単にいえば、条件に一致する人が世界を超えて呼び出されるんだよ。だから、きっと、二宮くんは人間界で仕事探しでもしてたんじゃないかな?」
はい、と返事をする誠一郎。うむ、確かに、労働条件は色々な面で自分の希望を一致していそうだ。
同時に、それでかと納得のいく点も出てくる。あの時、何故かこの求人に応募しなければいけないという非常に強烈な感覚に襲われたのは、そういった働きかけがあったからだ。一応、理屈は通る。変な世界から召喚されるほどに、自分の思いは強かったのだろう、と変に前向きに捉えておくことにする。
「それで、言葉が通じるのは、召喚の副作用というかなんというか。言葉って情報を伝える道具な訳で、二宮くんの頭の中の、もともと持っていた言葉の情報の概念が、召喚されるときに形成されるこっちの世界との繋がりで、こっちの世界の言葉の情報の概念と一対一で関係を築いて脳内の言語情報の構築を──」
「……レム、そういう難しいことはいいから。仕事じゃないんだから」
誠一郎がついていけなくなりそうなところで、黙していたレニから突っ込みが入る。レニが、技術屋の悪い癖の一つ、語りたがりが出ていたことを察したのだ。レムはごめんごめんと謝る。途中から意味は全く分からなくなってしまったが、このレムさんがとてもいい人だということは感じ取れた。
「ま、そういうことだよ、せいちゃん」
にこーっとヴァンパイアな笑顔で誠一郎を見るカティ。なんとなくは、分かった。要するに、召喚によって言葉も一緒に変わったということだろう。今、現に通じているのだから、これ以上突っ込んだところでどうしようもない。
そんなことを話していると、全員の食事が終わる。カティに至っては、飲むだけなのでもっと早く終わるのではと思ったのだが、いわく「ある程度ゆっくりじゃないと飲めないよぉ~吸血だってそんな一気にしたら人死んじゃうでしょ」だそうだ。
食事が終わり、誠一郎の心配ごとは一つ減った。そう、食事がとれるということ。少なくとも、この食堂を日々使うことができれば、死ぬことはなさそうだ。
技術開発チーム二人組は仕事が忙しいのか、さっさと解散していってしまった。
誠一郎は、またもカティの後に続き、詰所へと戻っていく。自席につき、ふぅと一息。部長とすれ違う。
「あ、部長頑張ってくださいね~」
笑顔で送り出すカティ。そして、身体を誠一郎の方へと向ける。
「さて、と! じゃ、現場に挨拶にでも行きますか?」
いよいよ現場だ。生産一部、モンスター生産工程。色々なことがありすぎて気にしていなかったが、果たしてその現場というのはこれまで自分が培ってきたノウハウが活かせるような場所なのだろうかというプレッシャーを感じつつも、期待もあった。カティと誠一郎はヘルメットを装着する。これもまた、誠一郎にとっては慣れ親しんだ装備だ。より気が引き締まる。