第2話
カティは、薄暗い更衣室の自分のロッカー前で黒のゴシック調の普段着からお洒落な要素の一切を排除した作業着に着替えていた。長い後ろ髪をポニーテールに結い、作業着の中へと入れこむ。こうしておかないと汚れが酷い。髪はヴァンパイアの美貌の一つだから切るわけにはいかない。後ろのポケットには作業帽も完備だ。現場へ行くときは作業帽に加えてヘルメットも装着する。ぬかりはない。
「よしっ!」
今日もまた仕事が始まる。
そういえば、今日は新人が召喚されるという話を聞いた。その説明などもしないといけないだろう。種族は何が来るだろうか。人型という要請は何度も何度もしていたので、その辺りは守ってくれると助かる。
カティは着替え終わると詰所へと足を運ぶ。
「おはようございます~」
カティの見かけとは正反対の陽気な声がオフィスに響く。すでに三人ほどが作業を開始している。
「おはよう~」
皆、それぞれに挨拶を返す。カティはそれらを聞き遂げると自席に座った。途端、自席に設置されている通信機からコール音が鳴る。一息つく間もなく通信機を取り、受け答え。
「はい、機械事業部、キッティラです」
『人事部です~、おはよ~カティちゃん~』
通信機から甘ったるい声が飛んでくる。カティの知り合いらしかった。
『あ、朝一で申し訳ないんだけどね~たぶんもう少ししたら大広間に人間の男が召喚されると思うから~よろしく~』
「えっ! 私がもう直接担当するの? 人事部で最初の面倒見てくれるんじゃないの?」
『ごめん~こっちちょっとてんてこまいでさ~忙しいの~ということで、よろしく~』
こっちだってと反論しようとしたら、ブツッという音がして通信が切られてしまった。どこもかしこも忙しい。増員要請が通っただけマシと思わないといけない。人間の男という点では、召喚が魔界からされていないことだけは確かだろう。果たして納得してくれるのかはわからないが、働く意志のある人間しか召喚されないはずだから、なんとかうまいこと説明しないといけない。
「もー! 部長! ちゃんと人事部に話通しておいてくださいよ~」
とはいえ、文句の一つも言わないとやってられない。椅子を後ろに引きながら、この機械事業部の部長マウロに向けて文句を飛ばす。
マウロは自身の作業を中断し、自信のなさそうな猫耳をピクと動かして答える。
「ごめんねぇ、あっちも忙しいっていうからさぁ」
病弱そうな青白い肌がよりいっそう申し訳なさを醸し出している。この人に謝られると、カティもあまり強くは言えない。仕方ないですねぇ、と納得すると、席を立ち、大広間に向かう。
誠一郎は、カティに連れられて詰所に来ていた。カティに案内されるがままに、カティの横のデスクを「それ、君の机だから」と与えられ、着席する。詰所内には一応人型だが、耳とか肌の色とか大きさとかが人じゃないっぽい方々が三人ほどおり、何やら作業をしている。デスクの数は十ほどあるので、別のところに行っているのだろうか。はたまた、人員不足でデスクが余っているのかは不明だ。
誠一郎がまず感じた違和感。デスク上にあるはずのものがない。そう、それはコンピュータの存在だ。なるほど、見回してみるとそれは自分だけではないようで、どの人間のデスクの上にもコンピュータはない。他の人たちの机の上は、作業道具らしきものが片隅においてあったり、紙の資料、回覧板、筆記用具、通信機、などで埋まっている様子。しかし、作業環境は職場それぞれ。そんなに他の職場が良いなら他の職場の子になっちゃいなさい、という話だ。
あたりをきょろきょろ見回していると、カティが説明を開始する。
「せいちゃんね、あ~、何かわからないことある?」
めちゃくちゃざっくりしている。
「ええっと、何もかもが分からないですね……」
誠一郎も正直に答える。
「だよね~」
あっはっはと笑うカティ。
「まずは、どこから説明かな。せいちゃんはここで働く、うちは給料を出す、ここは魔王城の機械事業部、設備の保全を行う」
片言のように説明をする。意味がわからないが、確かに、この詰所にいる人間じゃない方々を見る限り、そうとでもとらえないと説明がつかないかもしれない。
「あとは~、社員寮があって、部屋の連絡は事前に来てて、それは今日の仕事終わりに紙渡すね~」
社員寮もあるらしい。
「うーん、そのくらい?」
全然そのくらいでは収まりがつかない。
「い、いやいや! というか! あれ? おかしいですね、僕、職業安定所からここを紹介された気がするんですけどね……。できれば人間の世界の仕事をやりたかったなぁ~って」
その言葉にカティはええっと驚きの声をあげる。
「あら! せいちゃんは人間界のお人なの~! それは、若いのに大変だねぇ。召喚術に導かれちゃったものは、もう、運命だよ運命。適正あったんだよ~。食事とか合わないかもしれないけど、ううん、ま、頑張らっしゃい!」
誠一郎は大真面目に話をしたはずなのだが、何がおかしいのか、カティは、あっはっはという威勢の良い笑い声をあげながら、誠一郎の肩をバシバシ叩く。この人、見かけによらず相当力があるようで、肩が痛い。口ぶりからして、実は年上だったりするのだろうか? 女の人に年齢を聞くのも、このタイミングで年齢を聞くのもおかしいので口にはしない。そんなことよりも、だ。
「えーっと、自分はどうやって生きていったら……」
もう何もわからない。しかし、そんな心配そうな言葉をよそに、カティは実にたくましく答える。
「大丈夫大丈夫! 仕事はすぐ慣れるから。私もうれしいよぉ~もうここに勤めて二十年近く経つけど、ようやく人手が増えるなんてね~」
二十年……。一体この目の前の美少女は何歳なのだろう。
「そんな心配そうな顔しないでさぁ。仕事は忙しいかもしれないけど、きちんと教えてあげるから! せいちゃん、何歳?」
「二十一です」
「ええぇ!? わ、若い……まだまだこれからだね! 頑張れよ若者~」
話がどんどん進んでいく。確かに自分は若いかもしれないが、この目の前の美少女……一体何歳なのか……。
「さて、と。じゃとりあえず、私がやってる仕事、えっと、これからせいちゃんがやる仕事ね。それ、ざっくり説明しとくわ。それから、詰所のみんなに前で挨拶してもらってー。忙しいから全員揃わないかもしれないけどね……。その後、作業着とかロッカーに入ってるはずだから着替えてきて~そしたら昼かな」
誠一郎はメモを出そうとして、ようやく自分の服装に気がつく。いつの間にかスーツだ。あまりにも一気にことが進み、その確認さえしていなかったことに今頃気がつく。よかった、スーツなら胸ポケットにメモ帳が入っているはず。
「おぉ、メモ帳! えらいねぇ、最近の若者は。真面目だ! 私の若い時なんかもうその場その場でしのいでたもんなぁ」
大丈夫か、この人。はは、と愛想笑いを返しておく。
「よし、じゃあ、まず、ここは機械事業部。魔王城の設備を保全する仕事が多いね。後は、機械的な技術も担当してる。その中でも、私たちは魔王城生産一部の設備保全チームね。生産一部っていうのはモンスターの生産部署。ちなみに、生産二部がアイテムの生産部署。ああ、そうそう、担当といっても、もし他のチームが忙しくなった時は、応援に行くことも多いから、他のチームのことも少しだけ。城施設保全部とか勇者迎撃施設部とかが魔王城にあるんだけど、そういった機械を多く使ってる部は応援しにいかないといけない可能性高いから覚えといて、担当者も、えーっと、あ、今出払ってるな。ま、もう少ししたら一旦帰ってくるでしょう、昼前だし」
あたりを見わたすと、なるほど、確かにほとんどの人が出払っている。残っているのは一人だけだった。顔色がものすごく悪そうだ。だから残っているのだろうか。
「ああ、今残ってるのはこの機械事業部の部長さんで、マウロさんね。部長でいいけど。あー、人間界から来たならわかりにくいかもだけど、あの男は猫系の獣人で肌の色が青白いのは、生まれつきね」
「あ、そうなんですか」
体調が悪いという訳ではなさそうだ。獣人というのは、なるほど、頭に猫耳がついていることでわかる。最初猫耳のコスプレをした頭のおかしい人だと思ってしまったことについて心の中で謝る。
「後は、そうそう、自分たちの生産一部の仕事。これは、うーん、ま、昼から現場に直接行ってみようか」
「よろしくお願いします」
いつの間にか慣れつつある自分が怖い。きっと、仕事の場だからなのだろう。述べられたことはきちんと覚えておかないと、なじまないと、という社会人魂が目の前の人やその他色々と不条理な出来事を気にしない方へと思考を動かしているに違いない。
「後は、何か仕事のことで聞きたいことある?」
言葉が通じる不思議とか、あなたは一体なにものですか、とか色々と聞きたいことはあるのだが、仕事のことと前置きされると、難しい。
「えっと、生産一部のチームは今までキッティラさん一人だったということですよね?」
「そう~大変だったんだから! 十年くらい前はほとんど機械とかもなくてさ、暇なくらいだったんだけど、ここ最近はほんとに機械が増えてきてね~」
愚痴のスイッチを踏んでしまっただろうか。
「もう大変大変! その点、勇者迎撃施設部チームなんて楽よぉ~。なんたって勇者が来る時しか作動しない罠の保全だもん。あいついっつもサボってるのよ、先輩社員とはいえ許せないわ、ほんと」
ごほんごほん、と部長マウロの咳ばらいが聞こえる。新人に先輩社員の悪口を吹き込むなといわんばかりにカティの方を頼りなさそうな目つきで見ている。それを感じ取ってか否か、カティは部長を呼ぶ。
「部長~ 暇ですよね~ はい、新人君にある程度話したので、部長こっちきて何か、心構えでも話してやってよ~」
ええっ、と驚く誠一郎だったが、一方のマウロは、はははと小さく笑いながら席を立ってこっちへ来た。
「はじめまして、私が機械事業部部長のマウロです。よろしく」
うぅん、いかにも頼りなさそうだ。本当に暇なのだろうか。しかし、相手は部長。きちんとお辞儀をしておく。
「といってもねぇ、話すことは~」
「ほら、せいちゃん、何か聞きたいことあったら聞いておくんだぞ!」
そう言われても……。
「キッティラくん、あの、私さぁ、昼から月末報告会議でその資料仕上げないとなんだけれどもぉ」
どれだけ腰が低いんだ、この人。全然暇じゃないじゃないか。もっとしっかりしてほしい、と切に願う誠一郎。
「あっはっは! それは大変ですね! まぁた5代目魔王候補さんにどやされるんですか、部長~」
楽しそうなキッティラにまるで同調するように、愛想笑いを返す部長。
「もう、キッティラくん、代わりに出てよ~」
いや、意外に楽しそうだ。そういう空気の職場なのだろう。それじゃこれで、と部長が自分の机に戻る。さて、この職場になじむことはできるだろうかと不安も少し感じる。
そうこうしていると、ちょうどタイミングよく、ぞろぞろと数人が詰所に戻ってきた。なるほど、お昼前だからだろう。数人の机は埋まらないが、設備の保全となると、昼だからこそ、つまり、設備が止まっているからこそできるタイミングというのも重要になってくるわけだ。
「よし、昼休憩前に、前で挨拶済ませちゃいな」
カティが立ちあがり、詰所全体が見渡せる位置、詰所全体から見渡される位置へと移動するので、誠一郎もそれに続く。
「はい~、皆さん、ちょっとお時間よろしいですか? 新人の二宮誠一郎君です。人間界から来て、今日から就任ということなので、自己紹介聞いてあげてください」
詰所で一息ついていた人たちが数人がこちらへと視線をうつす。誠一郎は何も考えていないことを思い出す。あたふたしながら、口を開く。社会人を何年かやっていたとはいえ、また、小さい詰所で聞いている人はほんの数人であるとはいえ、こういった瞬間は緊張するものだ。
「た、ただいまご紹介にあずかりました、二宮誠一郎と言います。前の会社でも、設備の保全を行っていました。慣れないことも多くあり、ご迷惑をおかけすると思いますが、以後よろしくお願いします」
カティの豪快な拍手とそれに隠れるようにパチパチというまばらな拍手によって、自己紹介は締めくくられる。無事乗り切ることができたようだ。そもそも、あまり関心がなさそうだったが、それを聞き終えると、それぞれの人はばらばらと席を立ち、詰所を出ていく。
「お、いい時間。さ、着替え待っててあげるから、着替えたら食堂に行こうか、せいちゃん」
そういうとカティはにんまりと笑って詰所を出ていってしまう。行こうか、ということは一緒にどうかということだろう。誠一郎も相変わらずカルガモの子供のように後ろについていくのであった。