第19話
「ジンさん、この問題、本気で私が表に出せば、あなたのクビどころか、部長のクビまで飛ぶよ。でも、私はそんなことに興味はない。ただ、ただ、今のこの直面している問題を解決したい、それだけ」
その音量は大きく、普段から声が大きめのカティであったが、その倍は出ているかのように思えた。強い怒りを感じとることができ、詰所の空気がビリビリと震えているような気さえした。ジンは、貫ていた沈黙を破る。
「いや、でもな、別に俺は何も──」
だが、彼の返事は、カティが期待したものではない。そして、ようやく事態を把握したボストロが、静かに重く、けれども、ジンの発言を遮り口を開く。その様子は、もうこれ以上ジンの話を聞きたくないということを意味していた。
「ジンさん、俺だって、一応、一緒に仕事をしてきた仲だ。だけど、キッティラさんがそういうなら、それを信じない訳にはいかない……。だから聞かせてもらいたい、これはどういうことだろうか」
そう言って、ボストロは机の上に、自らが持っていた手元の資料を放り投げる。最終チェック結果が事細かに表にされたものに、たった今、ボストロがチェックマークをつけた用紙。そのチェックマークが物語るのは、
「これ、最後のチェック作業で、修正が必要になった迎撃施設の中で、最初のメンテナンス作業の担当者がジンさんだったものにマークをつけました」
誠一郎は、思わずその卓上に投げられた紙を覗き見る。
「これを見てもらえれば明らかです。修正が必要になったのは、ジンさんがメンテナンスの作業をしたものだけだ」
ジンは険しい顔をし、けれども、それに反論する。
「そ、それは、確かに……俺の力不足かもしれない……」
カティは、その言葉を聞き終え、大きく、ため息をつく。
「もう、良いでしょう、ジンさん。ジンさんが、仕事終わりにどこかに行っているということ、そして、どこへ行って何をしていたかということ、全部私は分かっているんです。私を誰だと思ってるんですか? 夜の種族ヴァンパイアですよ」
ジンは、ここで酷く驚いた表情をカティへと向ける。怒りとも悲しみとも取れるその複雑な顔は、それら複数の感情と共に、それ以上に、大きな驚きがあった。
「そ、それは──! そんなもの……!」
ジンにあった勢いは失われ、表情は、今までの力ないものではなく、焦燥が強く表れ、見るからに余裕のないものとなる。
「さっきから、私は言っているんです。ジンさん……あなたは、もうどうしようもないことをしてしまった。だけど、その処分は私がするものじゃない。私がしたいのは、ただ、ボストロさんの声にこたえるということ。だから早く、直すべきところを教えてください」
カティの目は未だ怒りを含んでいたが、それよりも、ジンに対する要求が叶うことの方が優先されるのだろう。あまり怒りを表に出すことなく、ひたすらに、ジンに要求を続ける。
ここまで、来て、ようやく誠一郎は事態を飲みこむ。つまり、それは──
「ジンさん……! まさか、あなたって人は、わざと!」
それに気づき、思わず声をあげる。止めようがなかった。何故なら、自分の作業が裏切られたのだから。いや、裏切られたのが自分だけなら、その声を発するほどには怒ることはなかったかもしれない、だが、裏切られたのは自分だけではない。カティも、そして、何より、ボストロも、このジンという男に裏切られたのだ。
「自分には、何がどうなっているのか、その細かいことまでは分かりませんよ、でもね、ジンさん、あなたが裏切ったってことは分かる。キッティラさんが言っていることや、ボストロさんがチェックマークをつけてくれた紙が何よりの証拠……!」
「せいちゃん! いい、もう、ジンさんに対して責任を求めるのは、今は、やめておこう。もちろん、せいちゃんの気持ちは分かし、ジンさんのことを許せる訳なんかじゃない。だけど、今は、ただ、目の前の仕事をなんとか終わらせたい。せいちゃんだって、そういうつもりでしょう」
誠一郎は、カティに止められ、自分が無意識のうちに立ち上がり、ジンに詰め寄らんとしていることに気づく。そして、カティの言い分はもっともだと理解する。今は言い争っている時じゃない。
「さあ、ジンさん、もうこの問題の裁きについては私たちの手の届かないところにある。だけど、仕事は、目の前のしなくてはいけないことは、まだ私の手に、せいちゃんの手に、ボストロさんの手に届くところにあるんだ、もういいでしょう、早く言ってください。私は、絶対に逃がさないし、絶対に、諦めない」
カティが必死な表情で言う。ジンがそれでも答えないのを見て、ボストロが問い詰める。
「ジンさん、あなたは一体何をしたい? 自分は悪くないと言いたいんですか? ……もちろん、俺も、キッティラさんも、そんなことに興味はないんですよ」
それでもなお、ジンは沈黙を貫く。
「……ジンさん、今は、まだ私の曖昧、ということになっている目撃情報とボストロさんのチェックマークをつけてくれた用紙、二つの状況証拠しかない。今はまだ、ね。物的証拠が出る前に、自分から言ってもらいたい、この意味がわかりますよね」
カティのその言葉が決定打となったのか、ジンはついに弱々しく口を開く。
「すまない……」
ジンの口から出たのは小さな謝罪。だが、カティはその言葉が終わるかどうかの間髪ないタイミングで、
「そんな謝罪はどうでもいいから、早く問題解決に協力しなさい」
その声は酷く冷たく、ジンに現実を突き付けた。この場でカティは、謝罪など求めていないということ。それを裁くのは、カティではないということを頑なに示したのだ。つまり、ジンに残された道は、謝罪でもなければ、釈明でもない。ただ、今目の前に立ちはだかる問題を片付けるために力を貸すということのみなのである。
「……わかった」
ついに、ジンは観念したのか、了承の言葉を口にする。
その傍らで、誠一郎は、怒りをぶつけようとして堪えていた。必死に堪えていた。きっと、誠一郎一人が気づいたのなら、ひたすらに謝らせただろう。とにかく自分の気が済むまで、そして、ボストロやカティの気が済むまで、謝らさせただろう。だけど、それでは意味がないということをカティとボストロが気づかせてくれた。ゆえに、踏みとどまれた。
今すべきは罪に対する攻撃ではなく、目標を達成することなのだ。自分以上に怒りをぶつけたいのは、きっとボストロだ。そのボストロが、その目標を達成するということを成し遂げようとしているのに、それを阻むような真似をする訳にはいかなかった。
そして、ついにジンが、説明をはじめる。
「簡単だ、今回の勇者の放つ魔力の属性をもっている者が通っても罠が発動しないようになっていたり、ある一定の体重だと罠が発動しないようになっていたり……。大丈夫だ、俺が担当したところ以外は何も小細工はしていないし、俺が担当した罠については、どこをどのようにして動作しなくなっているのか、ある程度は覚えている……。それを、修正していけば、今日中には……」
力なく説明する様子を、他三名も静かに聞いていた。
「分かった。もう十分だ。その作業にジンさんは参加しなくていい、俺が代わりにやるから、この迎撃施設の一覧に、内容を記載していってくれ」
ボストロは、そう言うと、ジンに先ほどのリストを渡す。ジンはもう完全に諦めたようで、そのリストに、どの項目についてどのように問題があるのかを記載していった。力なく記載していくその様は、情けなく、悲しい。
これで、全ての迎撃施設を、時間以内に、正しく動作させることが可能となる。さっそく、ボストロ、誠一郎、カティの三名はそれぞれの作業に取り掛かった。
作業途中、カティが誠一郎に話しかける。目線は手元を見ており、作業の手を緩めることがなかったため、誠一郎は、一瞬誰に話しかけているのかわからなかったが、周りにいるのは自分だけだということを考えると、これは、独り言ではないと判断できた。
「……せいちゃん、もっと早く判断出来なくて、申し訳ない」
誠一郎は、その謝罪が自分に向けられているということにわずかに時間を要した。
「えっと……いまいち、自分には何が起きていたのか理解できていないんですけど……」
「そうだね、これは、私の一方的な謝罪。私自身が、万策を尽くせていなかったし、誠実になれていなかった……」
誠一郎は手を動かしながらも、カティが何かに後悔しているだろうということは分かった。その後悔を自分が拭い去れるとは思っていないが、しかし、思うところはある。
「いいんじゃないですかね、だって、こうして、無事に作業が出来ていて、ボストロさんの思いをきちんと達成できているっていう今があるんですから」
その言葉が、果たしてカティの気持ちを楽にしたかどうかは分からない。カティは、そっか、と一言言うと、
「これは、ただの独り言。本当は、あそこまで言うつもりなくてね、何せ、部長に迷惑がかかるし、迷惑どころじゃ済まないかもしれない。ジンのやつはどうなってもいいんだけどね……。だけど、せいちゃんを見てて、せいちゃんが身を粉にして全力を尽くしているのを見てね、気持ちが変わったよ。もちろん、ボストロさんの様子も、だけどね」
誠一郎は、なんと返して良いのかわからず、また、発言の真意もはかりかねたが、悪いことを言われている訳ではないだろう頷いておくことにした。
その後、作業は順調に進む。
といっても、迎撃施設全ての手直しが終わる頃には、深夜。
カティ、誠一郎、ボストロの三名がそれぞれ作業を終え、詰所に戻る。
「おつかれさまでした。本当に、本当に、ありがとうございました」
ボストロが、深々と頭を下げ、誠一郎とカティの両名にお礼を言う。
「いえ、とんでもない……」
「さて、後は、明日の来襲を待つばかりですね、えっと、明日は、確か全部署休みでしたっけ?」
「……あ! そうか、そうだ、せいちゃん、ごめん、言うの忘れてた……! って、あれ、せいちゃん!? 大丈夫?」
誠一郎はそんな二人の会話を聞きながら、ふっと立ちながら意識を飛ばしていた。無理もない、一日徹夜明けでこの日も夜まで労働だ。とっくに、徹夜明けの覚醒状態は限界を迎えており、作業がすべて無事に終わった今、緊張状態が抜けたことで、全ての疲労が誠一郎の身体を襲っていたのだ。
カティの声かけも虚しく、そのまま倒れそうになる身体をぎりぎりのところでカティが支える。片手でひょいと支えてしまうあたり、流石、ヴァンパイアといったところ。さすにが倒れこんだところで、意識が戻る。
「うわっ、っと、と! す、すみません、キッティラさん! えっと、あの、なんでしたっけ!?」
自分が完全に意識を飛ばしてしまっていたことに気づき、過度に慌てる。そんな誠一郎に、カティは、あっはっはと笑いつつ答える。
「明日、休みって話! とりあえず明日一日ゆっくり寝な! そんで、その後もしばらくは修復班とか以外はそこまで仕事もないだろうし……生産一部の保全作業は全部私がやっておくからさ、数日休みなよ」
任せなさい、と自らの胸をぽんと叩く。
「い、いや、それは、申し訳ないですよ……!」
「大丈夫、大丈夫、私ヴァンパイアだし、それになんたって、せいちゃんの上司だからね」
その言葉に、思わず感動する誠一郎。徹夜明けの極限状態というせいもあるかもしれないが、今の彼には、このカティという上司がまさに天使のように見えた。ヴァンパイアだが。
これをもって、勇者迎撃施設部の、勇者来襲前のメンテナンス作業は無事終了する。
翌日。勇者は予定通りに来襲した。
その戦闘は熾烈を極めた。ぐっすりと眠りこむ誠一郎であったが、前日の作業が徹夜の激務でなければ、誠一郎の部屋まで届くような戦闘音に自らの身の危険を感じ、満足に眠ることもできなかったのではあるまいか。
勇者は順調に足を進め、誠一郎やカティが死ぬ気で調整した勇者迎撃施設によって多少の損害を被りながらも、魔王のもとへとたどり着く。
無論、魔王城サイドも、そこまで攻め込まれることはないなどと気を抜いてなどいない。誠一郎やカティが死ぬ気で施設を直していた間、魔王城サイドも死ぬ気で勇者に対する対策を練っていたのだ。何せ、本当に命がかかっているのだから。
いよいよ、魔王との決戦。勇者の手持ちの道具もほとんどそこをつき、残るは自らの身体と身にまとう装備品のみ。身一つで、魔王との戦いが始まる。
「よくぞきた、勇者よ。わしが第四代目魔王である」
「御託はいい……! 色々と計算違いはあったが、ここで、勇者であるこの俺が、この身一つで、お前を倒す」
その戦いは、付け入る隙もなく、壮絶。壮絶ゆえに、ほんの小さな差が、勝敗を分ける大きな差となる。
勇者の戦術は至ってシンプル。自らの身体を魔力で強化して、魔王と戦う。武具や防具の威力ももちろんあったが、それだけで、いくら経験を積んだとしても生身の人間が魔王とう存在に抗うことは難しい。ゆえに、勇者の生命線は魔力。魔力さえ正しく供給され続ければ──
「やるな……! 貴様」
魔王相手でも互角、いや、それ以上の戦闘を続けることが出来た。ゆえに──
「……! 魔力が!」
魔力が底をつきることは、そのまま勝敗を決することに直結する。戦闘で消費する魔力は、道中で罠を避けたり、身を守ったりする魔力とは比較にならないほど多い。
「残念だったな」
魔王の力が勇者を単純に上回っていたのか、という問に対して、完璧にイエスと答えられるかは誰にも分からない。この魔王の勝利は、魔王対勇者という戦いにおいての、魔王の勝利ではない。魔王城対勇者という戦いにおいての、魔王城の勝利なのだ。
誠一郎やカティが正しく迎撃施設を動かせたから勝てた、ということは断言できない。しかし、勇者を少しでも追い詰めたということは紛れもない事実だった。誰に褒められる訳でもない、だが、ボストロのしたかったことは、ここに叶ったのである。
勇者は敗れ、再び魔王城に安息が訪れた。
誠一郎の仕事はこれからも──続く。




