第17話
作業そのものの難度は、さほど高くなく、普段の保全作業と比べても技術的に難しいといったことはなかったが、何せ不慣れ。誠一郎はもちろん、カティでも多少資料を読みこまないとどこをどう触っていいのか難しく、一つ一つの状態をチェックして直していく作業は骨が折れた。
そして、その次の敵はその設置場所である。一つを修繕し、その次の迎撃施設の設置されている場所まで、長い時は二十分以上も歩く必要がある場合があり、魔王城表側の広さが良くわかる。こんなところに単身乗り込んで、幾多の戦闘をこなし、罠を潜り抜けた後、魔王と対峙するなど正気の沙汰とは思えなかった。
そのことについて、誠一郎はカティに聞いてみたが、答えてもらっても、別次元のこととしか捉えられないので、勇者を同じ人間と思うことは止めておいた方が無難だという結論に達した。相手が何者であれ、今、誠一郎がやるべきことは、勇者撃退ではなく、ボストロの要望──すなわち、ユーザーの声に応えることなのだから。
作業は翌日以降も続けられた。途中、カティや誠一郎は自分の担当の保全作業のために抜けることもあったが、幸い、二人の本来の担当工程である生産一部に関する仕事については、最低限の保全作業以外は、トラブルが起きることもなく至極健全に運営された。そのこともあり、三、四日の間、二人はボストロから指示された担当分については、ペース通りかそれ以上の早さで作業を完了させることができており、作業は順調かに思われた。
そんなある日、再度作戦会議が催される。
召集をかけたのはボストロで、参加者はボストロをはじめとして、カティ、誠一郎、ジンの計四名。時間になり、全員集まったところで、まずボストロが口を開く。
「作業が押している中、すみません。しかし、勇者来襲まで予測では後一週間を切っています、今一度日程を見直す必要があると思いましたので……」
ボストロの深刻そうな声に疑問を浮かべるのは、誠一郎。
「何か問題があったんですか? 自分たちの方は予定通りに進んでいるのですが……」
誠一郎の言う通り、カティと誠一郎が担当する箇所については、順調に進んでおり、残り一週間もあれば十分作業は終わるどころか、二、三日残して終えることができる見込みさえ出てきていた。しかし、ボストロの口から出た言葉は、まさに、青天の霹靂。
「いえ……問題は、ジンさんの担当分でして……」
ボストロは、手にしていた資料を三名に配る。そこに記載されていたのは、ジンの作業の進捗具合。そして、予想に反して、その作業はほとんどと言っていいほど進んでいなかった。
「だから、それは、ボストロさんにも言ったけど、部品の代えがなかなか届かなかったからだって」
その様子をカティは横目でにらむが、口は出さない。
「ですけど、これでは間に合いませんよ」
ボストロの声は、少し怒りを含んでいた。ジンはそれでも怒らずに、というよりは、興味がなさそうに、
「まぁ……罠の一つや二つ、動かなくても、あれだけ強い勇者相手なら何の影響もないでしょうよ。そんなに気合いれなくても、いいんじゃないですかね? いや、もちろん、俺だってやれるだけのことはやってますよ」
「それは──!」
だが、ボストロはジンの言うことが事実だということを知っているのか、それ以上、ジンに強く言おうとしない。そこで、誠一郎が口を開く。
「だからといって、それを判断するのは自分たち機械事業部の人間のすることではないですよね、それに、全くの無駄ではないですよね?」
「……………」
ジンはその指摘を無視する。
「とにかく……それなら、私たちが手を貸す他ない、か」
これ以上時間を無駄にするのが耐えられないのか、カティは、その喧嘩のようなやり取りを中断させるようにして、間に割って入る。誠一郎は少し不満げではあったが、それでも、カティがしたいことは分かる。残り一週間しかないのだから、言い争いをしている場合ではない、という考えだろうと予想できた。カティという人は、そういう人だ。
ボストロもまた、カティの言いたいことを察してか、話題をもとに戻す。
「はい、その通りです。私も、召喚陣の方の打ち合わせやら調整やらで時間を取られてしまっていて、申し訳ないのですが……。なんとしても、勇者が来るまでに、迎撃施設を完璧な状態にして、勇者を迎え撃ちたいんです。キッティラさん、二宮さん、なんとか、よろしくお願いします」
そういうと、ボストロは二人に対して頭を下げる。すかさず、カティがそれを止める。
「いえ、ボストロさんが頭を下げるようなことでは決してないんです──そうですよね、ジンさん」
そう言うと、ジンの方をきっと睨み、さらに続ける。
「ジンさん、私は、あなたのことをまだ信じたいんです。一人のプロとして、エンジニアとして、万策を尽くして、やってくれますか」
カティの真剣な問い。ジンは居心地悪そうに、分かってる、とだけ答えた。
新しい担当分が二人に割り振られる。一週間でこなすには、厳しい仕事量。とても終わるとは思えない。ボストロは己の作業に戻っていき、ジンもまた、自分の仕事の続きをするべく部屋を出る。しかし、誠一郎は、悩んでいた。
「キッティラさん……これ、終わりませんよ」
予定表とにらめっこして、見積もりを頭に浮かべ、これまでこなしてきた作業から残りの見積もり時間を計算してみる。これまでの作業が予定より早く終わったことや、今後もう少し慣れにより作業の効率アップが見込めるとして計算しても、やはり、数日は足りない。
「……終わらないね」
カティもまた、策なしといったところだろうか、その表情は重い。
誠一郎は考えた。何か策はないのか、と。しかし、そうしている間にも時間は過ぎる。カティが部屋を出て作業をしにいこうと身体を動かしかけたその時、誠一郎は、至極単純な、根本的な解決に気づく。
「一人で、作業します」
そう、その解決策とは、カティと別れて作業をするということ。これまでの作業中に、何度か危険な目には合っているものの、だからといって、これが不可能だとは思えない。動作確認を一人でやる方法だってもちろんあるし、何より、今の難境をなんとか乗り越えるには、これくらいの危険を冒さなければ、無理、不可能。それほどに切羽詰まっている日程だった。
「……それは──できない」
けれど、カティの返事は、重い。
「キッティラさん、お願いします。大丈夫です、きちんと注意して行いますし、何かあったらキッティラさんにすぐ連絡します……!」
「だけど──危険が」
カティが心配するのは当然のことだ。一人で作業ができるほど己の身を守れる力を誠一郎が持っていないのは明らかだ。けれども、誠一郎はそこにどうしても逆らわなければならない。
「キッティラさん……! 僕は、万策を尽くしたい」
それはかつてカティより教えてもらったこと。もう二度と同じ過ちを繰り返したくないという誠一郎の思いだ。カティはしばらく無言で腕を組み、考えていた。この人間の少年を危険にさらしてよいものかどうか。何もそんなに高い確率で、死の危険に直面するという訳ではない。そして、仮に二人で同時に作業を行っていったとしても、一週間でメンテナンスを終えることのできない施設の数はせいぜい二つや三つ。その二つや三つに、この少年の身を危険にさらす必要があるのか──
「せいちゃん、わかった。せいちゃんの気持ちはよぉく、よぉおくわかった! その気持ち、しっかり受け取っておこう。だけど、今回は、ダメ。せいちゃんの強い気持はよくわかった。その上で、私が却下の判断をした。もちろん、気持ちがあったから出来なくてもいいという話じゃないし、せいちゃんの立場ならその提案はするべき提案だったと思う。そして、その提案を吟味するのが私の役割なの。だから、せいちゃんが罪悪感を感じる必要はない、いいね?」
カティはそういうと、誠一郎ににっこりと力強い笑顔を向ける。ここまで言われたら、誠一郎も主張を引き下げざるを得ない。過去にもそうであったが、カティがここまで長い言葉を使って、自らの思いをきちんとぶつけてくる時というのは、決まって彼女なりにしっかりと考えた結果であると感じたからだ。
この日もそうして作業が始まった。
作業量が増えたからといって、ぞんざいに作業をするのはもっての他。それで間違いをしてしまって作業のやり直しとなったら元も子もない。よって、手際よく作業をしようという努力はするが、一方で、雑に行う訳にもいかない。幸いにも、この修羅場に、生産一部の大きな仕事が舞い込んでくるということはなかったため、作業は思ったよりも順調に進んでいく。
施設は一つ一つ、元あるべき姿を取り戻していき、侵入者を拒むそれは、ボストロが望むものへとなっていく。
そうして四日が過ぎた。
「……終わらない……」
誠一郎が、その日の作業時間を終え、ぼやく。
「……休み、どうしようか」
そう言うのはカティ。彼女としても、休みをなくしたくはない、が、どうしても終えなければいけないという思いもある。
「マウロさんも言ってましたし、これ終わった後、しっかり休みましょう!」
誠一郎も、何日も連勤で出るのはあまり気が進むものではないが、ここは修羅場、乗り切るには、およそそれしかなかった。
二人は決意を胸に、休日出勤という魔の切り札を切ろうとしていたのである。
二人が休日出勤の決定をしたその日の夕方。
二人よりも余程早く仕事を切り上げている者がいた。それは、機械事業部勇者迎撃施設チームのジンその人である。
彼は足早に作業を切り上げると、使っていた道具などを早々に詰所に片付け、さっさと着換えを済ませる。その手際の良さを作業に活かすことができれば、どれだけカティと誠一郎、そして、ボストロが助かっていたか分からない。ジンは仕事が終わったことをいいことに、ふんふんと鼻唄交じりに帰路につく。この様子を、修羅場に巻き込まれている他三人が見たら、一体どれだけの怒りを覚えるか分からない。しかしながら、勤務時間が過ぎてしまった今、彼を引きとめられる存在は残念ながらいないのだ。
そんな彼を、静かに、物陰の闇に潜み、見つめる者がいた。
ジンはその何者かに気づくことなく、上機嫌に魔物の街へと繰りだしていく。
その後をつけるのは、先ほどの、物陰に潜んでいた何者か。姿は非常に小さく、移動は宙をひっそりと舞うようだ。その姿黒く、この夕暮れの景色の中では見事に景色に調和し、何者の目にも非常にうつりにくくなっていた。ゆえに、ジンもまた、それに気づかない。
さて、一方、その頃、勇者は魔王城へとかなり接近していた。
交易の街ハザマを旅立ってからすでに一週間以上の時間が経過している。だが、勇者が勇者と言われるだけあり、彼は微塵の疲れも感じさせない凛とした姿で歩みを進める。
ただ一つ、何か様子がおかしいところがあるとするのならば、彼が、魔物とあまり戦闘をしていないことだった。
魔王城に近づくにつれ、本来なら激化するはずの戦闘だが、それがあまり起きない。恐らく、彼は何かしらの術法によって、魔物の匂い、オーラを纏っているらしかった。
非常に珍しいという訳ではなく、初歩的な術。また、道具によっても行えることではある。勇者が一人で旅をするうえでの工夫の一つであろう。だが、いくら戦闘を避けるといっても、全てを全て避けられるはずもなく、力の強い魔物はその偽りを見破り果敢に攻撃をしかけていっていた。
しかしながら、勇者の力は見事なもので、それら魔物は勇者の体力をほとんど減らすこともできず、次々と撃退されていく。そして、その知らせは次々と魔王城に届いていた。
魔王城内では色々な噂が飛び交う。
「今回の勇者は慎重派らしい」
「慎重派というよりは、魔物との戦闘を避けるためにゆっくりと移動する必要があるのでは?」
「しかしそれでも慎重ということに変わりはなかろう、迎撃設備は正しく動くだろうか」
色々な噂は、しかし、けれども、誠一郎やカティの耳にまで到達することはなく、彼らが今知っているのは、勇者の到着が遅れるらしいという話くらいだった。




