第16話
議題は至ってシンプル、しかし、難題。
「二宮さんはここは初めてだし、キッティラさんも、ここは久しぶりでしょうし、少しだけ設備も増えたりしてるので、ざっと、まずは勇者迎撃施設部の説明をした方がいいですかね?」
ボストロの申し出に、誠一郎はもちろん、カティもうなずく。
「勇者迎撃施設は大まかに二種類あります。一つは生物系の罠。これは召喚陣、つまり、異界から魔物を呼びよせるものが主流で基本的には、魔力による作動になります」
「せいちゃん、召喚ってのは、あれね、君が呼び出されたみたいなの。勇者迎撃のための召喚陣となるとそんな簡単なものじゃないから本当に一部の限られた者しか扱えないから、ここに私たちの出る幕はないね」
「はい、その通りです」
二人の説明を聞いて、誠一郎も、なんとなく理解する。とりあえず、自分たちの仕事の管轄にはないということだろうから、頭の片隅に留めておく程度にする。
「もう一つ、こっちが二人になんとかしてもらいたい方なんですけれど、物理系の罠──つまり、例えば床に刺だとか、歩数を歩かせるための騙し壁だとか、そういうものですね。変わったところで行くと、毒床やもっとダメージの大きい魔力が込められた通路だとかもあります」
「兵士とか大量の敵相手だとこういうのないとこっちもつかれちゃうもんねぇ~」
カティが感慨深そうに言う。あたかも戦闘を経験したことがあるかのように。
「その通りですよ~! 大事な罠なんです!」
「それらの装置の整備が追い付いていない、ということですか?」
誠一郎の質問に、ボストロは、そうと一際大きな声で同意し、続ける。
「追い付いていないどころか、どうにもどれもうまく作動しなくて……。人間が通ると動かないだとか、たぶんこれは設定重量の問題かなと思うんだけれども──他にもね、刺の整備不良だとか、とにかく不備が目立ってね。俺も集中してなんとかしたいところなんだけど、やっぱり技術的な仕組みはどうにもならない部分も多くて……。俺は、ほら、この部署一人でやってるからさ、召喚陣の調整だとかにも色々と時間がかかるわけよ……」
ボストロは唸る。
「ということは、私たち二人の仕事は、その整備されていない設備を片っ端から調整していく──ってことですか……いやぁ、きっついですね、仕組みもあんまりわからないし……」
「あー、必要な資料とか、探すのは自分がやるからさ」
カティが厳し気な表情を見せつつ話したのに対して、ボストロはそう言うと、卓上の資料を適当に取って見せ、再び卓上へと戻す。なるほど、紙媒体としてはきちんと仕様書は存在しているようだが、部屋から一つ一つ必要なものを探しだすには外部の人間では時間的にも厳しいところがある。その点は一つ安心できると言えよう。
「間に合っていないのは、物理系の罠も生物系の罠も両方なんです。生物系については、私が担当者と話を進めて正しく動作するか等を確認して回ります。ですので──」
ボストロは卓上の紙の資料から何枚かを抜き取って、カティと誠一郎に渡す。
「お二方には、これらの物理系の罠のメンテナンスをしていただきたい。お渡ししたのは、簡単な資料ですが、部屋にはまだそれらに関する資料は残っていますので……」
そう言った後、小さな声で、付け加えるように、
「ジンさんは、資料無しでも作業できるはずなんですけどねぇ……」
と言うと、ため息をつく。その話が終わった、その瞬間の出来事だった。ガチャという音と共に、ドアが開く。驚いて三人ともがそちらへと目線を移す。そこにいたのは──ジンだった。思わず、カティが立ちあがり、詰め寄る。
「ジンさん……! 一体今まで何をしていたって言うんですか! もうとっくに就業時間のはずですけど!?」
敬語ではあるものの、語気は強い。ボストロの気持ちもくみ取ってのことだった。カティがここで声を荒げなければ、きっと代わりにボストロが飛び出していただろうから。カティの身長ではいまいちインパクトに欠けるとも思ったが、その想像は全く外れ。その勢いは強く、さほどむちゃくちゃなことを言っているという訳でもないのに、若干の威圧感さえ感じる。ジンはその言葉を聞き終えると、だがしかし、あまり悪びれる様子もなく、頭をかき、その横を通り過ぎて会議スペースとなっていた場所の椅子にどしんと腰掛ける。
「あ~、そうそう、整備、整備してたんだよ、文句あるのか?」
誠一郎も、あまりにも不誠実な態度に、一瞬ジンをにらむ。その様子は、あまりに偉そうで、ボストロに申し訳なくなった。
カティは、自席に戻ると、座る。
「……へぇ、整備ねぇ、道具もなしにね」
小さな声で、だけれども、全体に聞こえるようにねっとりとささやく。ジンは不機嫌そうに、
「とにかく、俺は俺でやらないといけないことをやってたんだよ。会議中なんだろ? 俺に構っていないで続けてくれ」
とだけ言うと、腕を組んで、顎をくいとやり会議を続けるように催促する。
「……続けましょう」
ボストロが怒りをこらえつつもそう言ったので、なんとか会議がこのまま進捗することとなった。この場で最も怒りを抱えているのは、間違いなくボストロなのだから、その本人が言うのならば、それに従うのがカティと誠一郎の取るべき行動だった。
「ジンさんの指揮の元でやってもらおうと思ったんですが、全体の進捗は私が管理します。ので、ジンさん、キッティラさん、二宮さんの三名はそれぞれ、逐次保全作業をしていってください。……といっても、あー、二宮さんはキッティラさんとあまり離れない方がいいと思うので、二人は一緒に作業していってください」
ボストロがそう仕切ると、ジンが不満そうに声をあげる。
「俺が、ボストロさんの指示で動く必要あるんですかね? 自分一人でやっていったほうが効率的かなぁと思うんですけどね」
睨みをきかせるその態度に、カティが口を開く。
「その、ジン様の言う通りにやっていった結果が今なのではないですか? 現場の人がそう言っているのだから、私たちエンジニアはそその声を尊重するのも仕事だと思いますけど……なんなら、マウロさんにどうするべきか聞きましょうか?」
カティは、けれども、視線をジンの方へ向けることは一切なく、言う。ここまで鮮やかに言われると反論の仕様がないらしく、ジンは口をつぐむ。不機嫌そうだった顔が、面倒くさそうな顔に変化し、これ以上干渉してやるもんかという態度なのか、机に肘をつく。
「それでは──」
その後、ボストロによって、各人がどこを担当するかの振り分け、作業内容の確認が行われた。
カティと誠一郎は始終、専心し、メモも取りつつ聞いていたが、ジンはけだるそうに、どこを見ているかもわからぬような態度で聞いていた。
「じゃあ、私たち二人はさっそく作業に入ります」
聞き終えたカティと誠一郎の行動は早い。それもそのはず、全てを一つ一つ見ていけば相当の時間がかかる。勇者到着までのおおざっぱな予定日付を考えても、なんとか間に合うという限界のスケジュール。時間を無駄にすることはできない。
こうして、それぞれがやる気をもって、あるいは、けだるげに、それぞれの担当箇所へと散り、作業が開始される。
「いや、それにしても、すっごいですね、この罠……かかったら死んじゃいますよ、即死ですよ……」
誠一郎が、ボストロから渡された紙資料を読みながら呟く。誠一郎とカティの二人が作業を進めるのは、大きな落とし穴の罠。資料曰く、人が一人特定個所を踏むことで、床が開き、大きな針が敷き詰められた床に落下していくという古典的な仕組みだ。ダンジョンと呼ばれる場所に多く設置されている、最も初歩的且つ効果的な罠。こういう罠の一つ一つも正しくメンテナンスをしてあげなければ、正しい挙動が期待できない。
現場に到着し、挙動確認はもちろん誠一郎の身体でする訳にもいかないので、どうするのかと思っていたのだが、
「よし、じゃ、とりあえず私が動作確認するから、見てて~」
と、カティが罠作動位置と思われる場所を力強く踏みしめる。
「ええ!? ちょ、ちょっと、うあぁ!!」
思わず、声をあげる。ヴァンパイアは不死身だとはよく聞くが、こんなところでホイホイ命を落としてもいいのだろうか、いや、そんなはずがない。そんなゾンビよろしくなとんでも行為に及ぶカティ。
「……あれ?」
だが、カティの姿は床の下に沈んでいくことはない。罠の不発、だろうか。
「あっはっは! 何びびってんのもうせいちゃん~」
笑うカティは置いといて、誠一郎は問題の個所へと足を運ぶ。この罠をきちんと動くように整備しないといけな──
「いっ!?」
「あっ! ちょっと!」
誠一郎が問題の個所に足を踏み入れた、その瞬間の出来事だった。ガジャンという轟音と共に、床が──抜ける。
「いいぇええええ」
誠一郎は時間が止まるのを感じた。少し前の自分の言葉を思い出す、死んじゃいますよ、という言葉を。
そういえば、魔界に来てから魔界らしい危険な経験はしてこなかった。命の危機を感じた出来事といえば、食事会の時にカティに吸血された時くらいだった。だけど、今は違う。色々な出来事が走馬灯のように頭を駆け巡る。スライム生産工程のランスさんの顔、技術開発チームの双子の顔、そして──今目の前にあるのはカティの顔。
「あぶないな~」
誠一郎は、カティにお姫様だっこのような形で抱きかかえられていた。身体に風穴は空いていない。身体はカティの腕の中にあり、当のカティはというと、浮いていた。ふわ、ふわと宙を浮いている彼女だが良くみると、羽ばたいていることが分かる。
「えっ……と、あ、ありがとうございます」
ひとまずお礼を言う。きっと、カティがいなければ、今頃魔界どころか死後の世界だっただろう。視線を下にやると、もちろん、そこには大きな針の山、そして、犠牲になってだろう人間たちの骸骨……。ぞわわと誠一郎の背筋が凍える。
「ところで──キッティラさんは、何を?」
ぱたぱたと浮かぶカティに、当然の疑問を投げかける。
「何をって、飛んでるよ~。あ、羽はこれね、あんまり関係ないの、浮力はほとんど魔力で~」
つまり、カティは罠を作動させても、特に問題なく逃げられたということで、誠一郎はその全く逆だったということである。カティは、誠一郎を抱えつつふわふわと穴の外へと出ると、誠一郎をよいしょと降ろす。
「軽いね~」
そんなことを言っている彼女は、何故か楽しそうだ。そこで、誠一郎は一つ疑問が浮かぶ。
「ところで、勇者って、こんな罠にかかるものなんですか?」
こんな原始的な罠──無論、人間からしたらとても強力で恐ろしいものではあるのだが──に勇者が引っかかって、はい終わり、ではあまりにもあっけない。そんな勇者が魔王を倒せるとも考えにくい。目の前のカティでさえこうして人一人を軽々救いあげることができるくらいの力を持つのだから。
「ん~、かからないね~。床系の罠ってよほどの間抜け者しかかからないよ。こういうところを歩く時は、普通になんかしらの術式をかけておくものだからさ、ちょっと浮いたり」
となると、当然、
「ということは、あれ……これ、整備する意味、あるんですか……?」
そう、思い当たってしまうのだ、その疑問に。だが、カティは、少し考えて、答える。
「勇者相手には確かに効果は薄いかもね。大量の兵士だったり、大軍を率いて人間の国の軍勢が来る時はもっと効果あるんだけれど。ただ、勇者相手でも意味がないことはないよ。だって、回避するための魔法を使うのにも、精神力は使う訳だからね。これによって魔王様に勇者がたどり着く頃にほんの少しでも勇者の力を削れていれば、意味がないことなんてないのよ」
「そういう、もんですかねぇ……」
疑問を拭い去ることが出来ない誠一郎。自分にできることは確かに目の前の仕事をこなすことではあるのだが……。
「そういうもんなの! さ、さ、せいちゃん、さっさと作業開始しちゃおう~! ほら、さっき一人分の重量じゃ機動しなかったでしょ。確かに、人を二人巻き込むって言う点ではこれも有効なんだけど、今回勇者は一人って噂があるからね……。珍しいこともあるもので……。だから、一人でも機動するように調整しましょう」
ともあれ、これも仕事である。きちんと正しい重量で動作するように、保全作業を開始するのであった。




