黒猫に連れられて
『暗闇の白い手』を考えていた時に思いついた、もうひとつのお話です。
作中の表現がその作品に酷似している部分があります。
短編予定なので、もう1度更新したら終わらせようと思っています。
「はぁ・・・今日もダメだったなぁ・・・・」
大学を卒業して3年、なんとか商社に就職できたものの、人前に出ると恐怖で言葉が出ない。
業績を上げる事ができず、上司からも同僚からも冷たい視線を浴び続け、耐えられなくなって結局退職。
お決まりのダメ人間の完成だ。
無職となったままでいられるはずもなく、職探しをしているわけだが、さすが不況、なかなか仕事が見つからない。
「接客できれば仕事があるんだけどな・・・」
出来ないことを呟き落ち込む。
赤椿明
それがボクの名前だ。
ボクは他人が怖い、何を考えているのかわからないのがとても怖い。
小学生の頃、両親が事故で他界してからは、対人恐怖症がさらにひどくなった。
親戚のおじさんやおばさん、クラスメート、福祉施設の職員や児童相談所の人でさえ怖いと思った。
『腫れ物を扱う』っていうのは、ああいう事を言うのだろう。
親戚はボクの面倒を押し付け合い、最後には福祉施設に入れようとしていた。
他人と生活を共にするなんて、絶対ムリだ。
遠縁のおばさんにお願いして、数ヶ月に1度様子を見に来るという形で、両親のいない持ち家で一人暮らしをさせてもらえるよう頼み込んだ。
普段あまり話をしない、ボクの鬼気迫る説得で、親戚一同は無言のまま頷いていた。
それからはずっと独りだ、掃除も洗濯も料理も全部自分で出来るようになった。
日雇いで稼ぎつつ、親の遺産を切り崩しながら、なんとか生活は出来ている。
「ボク、こんな時間になにしてるんだい?中学生は学校の時間じゃないかな?」
お昼ごろ駅前を歩いていると、突然呼び止められる。
慌てて振り向くと、そこには警察官が居た。
不審そうに見詰める瞳、この目が怖い。
「あのぅ、ボク未成年じゃないんですけど・・・」
いつもこうだ。
26歳に見えない外見、中学を卒業してからずっと悩まされてきたこと。
ショタっ気のある女性からは変なお誘いを受けるし、最悪なのは同性からなぜか告白されるという・・・
おそらく、そんな心的外傷から、人前で話す事が怖くなったのだろう。
最悪だ。
「ん?本当に未成年じゃないのかな?ちょっと身分証か何か見せてくれる?」
警察官の黒い瞳がジッと見詰めてくる。
怖い、ホント怖い。
泣きそうになりながらサイフから免許証を取り出して渡すと、不審そうに確認する。
「あ~、これは失礼しました」
バツが悪そうに頬を掻きながら謝罪される。
いいよ、どうせボクは年相応に見えないんだから・・・半ば投げやりに考えていると免許証を返される。
「最近は、未成年が違法薬物を所持している場合がありますので、特別警戒をしているんですよ」
いい訳めいたそんな言葉に、ボクは内心怒っていた。
いや・・・ちょっとまて、ボクは違法薬物を持っているように見えたということか!
この黒目警官に、そんなあやしいヤツだと思われたということじゃないか!
腹が立つが、対人恐怖症のボクに、そんな強く言うこともできない。
「そ、そうなんですか。たいへんですね・・・」
こうして無難な対応しかできないわけで。
「それでは」と、黒目警官は去っていった。
はぁ、ホントついてない・・・
こういう時はさっさと帰って引きこもるにかぎる!
コンビニに寄って簡単な食べ物を買い、我が家へ帰る。
都内とは名ばかりの、東京の片隅でひっそりとボクは暮らしている。
年季の入った扉を開けると、小さな玄関が温かく迎えてくれる。
「ただいま」
帰宅の挨拶を述べても、誰かが返してくれる事など無い。
襖を開けて室内へと入ると、大きなコタツがボクの居場所だ。
「はぁ・・・・」
手を洗う事も忘れて、ドカリと座布団に座ると、帰ってきたと実感する。
「ホント、どうしたらいいんだか・・・・」
背中を壁に預け、いつものように途方に暮れる。
「また、倉庫整理のバイトでもするか」
独り言を呟くと、静かに目を閉じた。
それから一週間、就職先も決まらず、新宿にある服飾の倉庫整理に出掛かていたボクは、1匹の黒猫に出会った。
「ニャー」
人懐っこいその猫は、ボクの足までやってくると、身体を擦りつけてじゃれてくる。
「お、なんだ?お腹でも空いてるのか?」
首元をそっと掻いてやると、嬉しそうにゴロゴロ鳴く。
「そうかそうか、ここが気持ちいいのか」
夢中で撫でていると、バイトの時間が近づいていた。
「っと、そろそろやばいな」
慌ててコンビニへ行き、ネコ缶を買って与えると、美味しそうにモグモグ食べ始めた。
「それじゃ、ボクはもう行くからな。またな」
最後にひと撫でしてから立ち上がると、黒猫が「ニャー」と鳴いた。
「いってらっしゃい」とでも言ってるのだろうか?
可笑しくなってクスリと笑い、ボクはバイト先へと向かった。
大きなビルのひとフロア全てを倉庫に使っているアパレル会社。
今日はここでピッキングと呼ばれる作業をする。
「それじゃ、注文書通りにサクサク箱に詰めてくれよー」
監督する社員の指示の元、販売店から注文された品物を箱詰めしていく。
誰とも話さなくていいこんな仕事は、ボクに向いていると言って言いだろう。
「赤椿君、ちょっといいかな?」
不意に社員に呼び止められ、ボクは作業の手を止めた。
「な、なんですか?」
極度の対人恐怖症のボクは、挨拶以外で話す事など無い。
「いや、君は作業も早いし実直な人柄だ。できればアルバイトリーダーになってほしいんだが・・・」
アルバイトリーダー。
それは新人アルバイトの指導や受け入れをする、複数のアルバイトを統率する立場の仕事だ。
「す、すみません。ボクにはちょっと出来ないです」
人と話す事が苦手なボクには、絶対に向かない仕事。
「ん~・・・そうか。無理を言ってすまないね」
申し訳無さそうにする社員に、ボクの方こそ恐縮する思いだ。
社員がそそくさと立ち去ると、ボクは安堵の息を吐き出した。
「はぁ・・・緊張した」
軽く手が震えている。
いつまでも呆けている場合じゃない。
早く仕事に戻らないと。
注文書を片手に、次々と棚から商品を箱詰めしていく。
気が付けば、いつのまにか日は傾き、室内の白熱灯が眩しく光を放っていた。
「よし!それじゃ、今日の作業はここまで。明日も作業に登録している人は、引き続きよろしくな!!」
社員が帰りの挨拶をすると、室内で作業していたアルバイト達が退出していく。
「ボクも帰るか・・・」
更衣室でパーカーを羽織ると、荷物片手にビルを出た。
空は暗くどんよりしているのに、街の明かりはキラキラと煌いていた。
「眠らない街って言うんだよね」
新宿。
特に駅の周りは一晩中明るく光が灯り、終電を過ぎても人だかりが消える事は無い。
いつもの道で駅へと向かうと、コンビニの角であの子に会った。
「ニャー」
可愛らしい真っ黒な体毛。
小さな身体を振るわせて、黒猫はボクを待っていた。
「お?なんだ?ボクを待ってたのか?」
近づいて頭を撫でると、嬉しそうに目を細める。
「ハハ・・・可愛いなぁおまえ」
ボクが笑うと、黒猫も嬉しそうに尻尾を揺らした。
「ん~・・・ボクの家に来るか?」
寂しかったのだろうか。
ボクの口から出た言葉に、ボク自身驚いた。
「ニャー」
黒猫はひと鳴きすると歩き出す。
「ありゃ・・・・行っちゃうのか」
置いて行かれたボク、せっかくだから姿が見えなくなるまで見送ろうと手を振ると、黒猫はボクに向き直った。
「ん?」
首を傾げて不思議そうに見詰めると、黒猫は「ニャー」と鳴いた。
「着いて来いって事か?」
立ち上がり傍へ寄ると、黒猫は満足そうに歩き出す。
「ハハ・・・なんか散歩してるみたいだな」
隣を歩く黒猫に向かい、ボクは何度か言葉を掛けた。
「・・・猫相手なら話せるのになぁ」
ボソっと呟く、自分自身の愚痴。
黒猫は慰めてくれているのか「ニャー」と励ましてくれた。
「ありがと」
やがて、1軒の建物の前で黒猫が立ち止まる。
「ん?どうした?」
不思議に思いその場にしゃがむと、黒猫は建物の入り口にある扉を引っ掻き始めた。
「カリカリ」と音を立てて、まるで中に入りたがっているように。
「野良だと思ったら、ここがおまえの家なのか?」
立ち上がって見上げると、建物の全体が見渡せる。
周囲をビルが取り囲み、場違いな造りの西洋風の1軒屋。
「童話の中から出てきたみたいな建物だな」
そこへ「ガチャ」と音を立てて扉が開いた。
「メイ、やっと帰ってきたのね・・・・まったく、心配したんだから」
1人の女性が扉を開き、黒猫を抱え上げる。
白く長い髪に、蒼い瞳。
日本人離れした顔立ちに、黒いワンピースがとても良く似合う。
「・・・・綺麗だ」
言葉が漏れた。
いや、それ以外の言葉が出なかった。
ボクは、あまりの美しさに身を固くした。
「どなたですか?」
透き通るような美声が、ボクの体を通り抜ける。
「あ、ぼ、ボクは・・その・・・・」
しどろもどろになるボクに、黒猫は「ニャー」と鳴いて援護してくれた。
「あら?メイのお友達ですか?」
女性に抱えられた黒猫が、満足そうに目を細める。
「あの・・・よかったら、紅茶でも飲んでいきませんか?メイがこんなに懐いてる人、とてもめずらしいので」
クスっと笑うその姿に、ボクの胸は高鳴った。
「お、おねがいします」
対人恐怖症のはずのボクが、この時ばかりはよくがんばったと思う。
応答がおかしかったのに後で後悔したけど。
女性に案内されて室内へ入ると、そこには色とりどりの骨董品が並べられていた。
高級そうなサイドテーブルに、懐中時計や人形が飾られている。
奥には銀の燭台やお皿などが綺麗に並べられ、室内を幻想的な空間へと変えていた。
「そこでお待ち下さい。すぐに紅茶を淹れて来ますので」
カウンター横に設置された椅子へと促され、女性は隣の部屋へと消えて行った。
いつの間にか開放された黒猫がボクの膝に飛び乗ると、眠そうに欠伸をすると船を漕ぎ始める。
「おまえ・・・すごい家の子だったんだな」
あまりにも突然の出来事に、緊張からか身体が奮えた。
手持ち無沙汰に黒猫を撫でていると、ティーセットをトレイに乗せて女性が戻ってきた。
「あら・・・本当に良く懐いていますね」
ニコニコ笑う女性に、ボクの心臓は鼓動を速めた。
「お口に合うといいんですが・・・」
女性は紅茶の他に、貝殻状の焼き菓子を出してくれた。
「マドレーヌです。お昼に焼いてみたんですが、私以外食べる人がいなくて」
微笑みながらそんなこと告げる女性。
これは・・・誘われているんじゃないだろうか!?
まぁありえないけど。
「そ、そうなんですか・・・・とっても美味しいでう」
緊張から噛んでしまったボクに、優しく微笑みながらクスクス笑う。
もう・・・死んでもいいかも。
「それで、どこでメイと会われたんですか?」
膝の上で寛ぐ黒猫に、綺麗な白い手が伸びる。
うわぁ・・・手まで綺麗だよ・・・・
黒猫の首元をくすぐる白い手は、指先も細くてとても人間とは思えなかった。
「あ、この子・・・メイでしたか。近くのコンビニで会って、すごく人懐っこかったんですよ。それでご飯をあげたら食べてですね・・・・」
饒舌だったと言っていいだろう。
ボクはがんばった。
かつて、人前でこれほど言葉を発した事があっただろうか。
何故か参加させられた、大学の辞達学会(弁論部)の活動以来だろう。
「まぁ!ご飯を食べたんですか?私以外からご飯を食べるなんて、今までなかったのに・・・・」
驚く女性に「・・・はぁ」としか返せないボクは、ヘタレだろう。
「あら、私ったら名前も言っていませんでしたね。メイが人を連れて来るなんて初めての事で」
慌てたり朗らかに笑ったり忙しい人だけど、ものすごく綺麗過ぎて、ボクの目にはとても眩しかった。
「改めまして、メイの飼い主の北川梓と申します」
丁寧に挨拶をする梓さん。
その所作は気品溢れるものだった。
「あ、ボ、ボクは赤椿明と言います」
慌てて頭を下げると、梓さんは驚いた。
「あら。家のメイと同じ名前なんですね」
クスクス笑う梓さん。
「ほ、ほんとだ。言われるまで気付きませんでした」
なんだ。
この子、ボクと同じ名前だったんだ。
全然気が付かなかったよ。
膝の上で眠る黒猫は、相変わらず身じろぎもせずに眠っていた。
「それで、赤椿さんは、おいくつなんですか?普段着のようですけど、今日は学校はなかったんですか?」
不思議そうにボクを見詰める梓さん。
間違い無くボクを高校生か、最悪中学生と思っているのだろう。
「きょ、今日はアルバイトの帰りで・・・あと、ボクは26歳です」
おずおずと話すボクに、梓さんは驚いて目を丸くした。
「え!?ご、ごめんなさい。てっきり中学生かと思って・・・」
申し訳無さそうな顔をする梓さん。
まぁ・・・良く勘違いされるので、いい加減慣れたけど。
「い、いえ、いいんです。良く間違われるので」
なんとか場を持たせようと紅茶を啜ると、ほのかに甘い香りがボクの鼻をくすぐった。
「そうなんですか。失礼ですが、アルバイトとおっしゃっていましたけど、定職に就く気はありませんか?」
不意に告げられた質問に、ボクは身を乗り出した。
「あります!でも、ボクは人と話す事が苦手なので、面接しても落ちてしまって・・・・」
事実、ボクの対人恐怖症はものすごいもので、筆記試験に合格しても面接でことごとく落とされていた。
「まぁ・・・それでしたら、うちで働きませんか?このお店は祖母の物なんですけど、今は私が引き継いでいるんです。接客は私がしますので、よかったら事務仕事をお願いしたいです」
突然舞い込んだ吉事に、1も2もなくボクは飛び着いた。
「ぜひお願いします!こんな素敵なお店で働けるなんて、夢のようです!!」
本当は『こんな素敵な梓さんのお店で』なのだが、いくじなしのボクに言えるはずもなく・・・
「よかった♪断られたら、悲しくなってしまうところでした♪」
声を弾ませ、両手を胸の前で組んで喜ぶ梓さんの姿に、ボクは顔を赤らめた。
正直、めちゃめちゃ可愛いかった。
「それでは、明日の朝10時に、ここへいらして下さい。色々準備しておりますので♪」
その後は、お店の前まで送り出して、梓さんは見送ってくれた。
ボクはあまりの嬉しさにニヤニヤ笑い、帰りの電車の中で不審人物に間違われて大変だった。
「よーし!明日からがんばるぞー!!」
地元の駅で、人目も憚らず叫ぶボクを、駅員が冷ややかに見詰めていた。




