借り物競走と視線と恐怖
副会長と連れ立って選手の集合場所に向かったが、さすがに完全に到着する前に離れることにした。
どう考えても副会長が注目されるからだ。
「じゃあ、試合中は敵だがお互い適当に頑張ろうな。」
「適当なんですか?」
「参加選手はみんな適当だ。借り物でお題をこなして得点が入るのは、先着順に十位までだ。それ以外は得点が入らないので、試合としてはそこで終わりになる。
なのでお題の犠牲者になるのは十名だけだ。そいつらは完全に晒し者になる。そしてお題がお題だから、みんな晒し者になるのは嫌なんだ。なので生徒会メンバーは誰もやりたがらない場合、率先してお題をこなさなければならない。……拷問だ。」
なので借り物競走は、基本的に選ばれた人気者達が、コスプレしてあたふたしているのを眺める競技なのだと教えてもらった。
だから、だらだらと試合を引き延ばしても誰も怒らないのだ。ポイントが不自然なぐらい高いのも、犠牲に見合った対価と捉えるべきなのだろう。
なんてろくでもない競技だ……。
「だからまぁ、お前もほどほどに頑張れ。」
「ありがとうございます。あの……私は斎先輩を応援できないんです。クラスメイトからきつく注意されてるので……えっと、なので全力で斎先輩の邪魔をしに行きますね!負けません!!」
私がぐっと拳を握って宣言すると、副会長が思い出したように言った。
「あぁ、そういえばお前は、俺の妨害要員として参加させられたんだったな。」
「そうですよ……。あの……借りられてくれますか?」
副会長は私の質問に、どうしようかとわざとらしく悩みだした。
そして、悪いことでも考えていそうな笑顔で、私にそっと、こう答えた。
「上手にお願いできたら、考えてやるよ。じゃあな、悪魔さん。」
そう言って副会長はすたすたと言ってしまった。
集合場所から黄色い声援が上がった。
私も集合場所に到着して、時間になったので係の生徒から簡単なルール説明を受ける。
基本的に魔法は禁止。ただし身体強化の魔法で、脚を早くするくらいは許可されているらしい。
一斉にスタートして、何箇所かあるお題ポイントのお題をひとつ引いて、指定されたお題のものを借りてゴールまで持っていく。ゴールでお題を発表し、審判の判定でお題クリアかどうかが決まるらしい。
借り物は借りる相手の許可がなければならない。選手が選手を借りる場合は、借りられる選手は強制的に無得点になる。ちなみに出場するだけで、出場ポイントというものが入るらしいが、それすら無効になるらしい。
なるほど、みんなが副会長を妨害しろといった意味を理解した。
私が副会長を借りることが出来れば、副会長の出場ポイントが無効になってよし。副会長を借りて十位以内に入ればさらによし。もし借りることが出来なくても、最低でも私が出場することでポイントは手に入るのでよし。
それならば単純に考えて、一年生の誰かを出場させるよりは、副会長の得点を潰せる可能性がある私を出すのが美味しいわけだ。副会長はみんながけん制し合っている場合は、率先してお題をこなさなければならない義務があるのでなおさらだ。
ん?つまり副会長は私に借りられた場合、ポイントは無効になるし最悪私のお題に付き合うことになるという、ものすごく無意味な出場になるということだよね。
でも、茶化した言い方をしたけれど、私がお願いしたら付き合ってくれるということだ。いくら副会長だって、私の借り物に付き合って私の学年の得点に貢献すれば、クラスからそれなりに怒られそうなのに……。
そう思うと、果てしなく副会長に申し訳なく思う。
でも私が参加させられた理由が元々それなので、私は可能ならば副会長を潰しにいかなくてはならない。
「……よし、私もそれなりに頑張ろう!」
小さくやる気を出して、自分に活を入れた。
借り物競争の選手が出場門に登場すると、観客達からは恐ろしいほどの大歓声が沸き上がった。
どれほど待ち望まれていたんだ、この競技……。私は出場選手の集団にまぎれて、会場の熱気にびくびくしながらスタート場所まで歩いて行った。
そしてピストルの合図で、競技がスタートした。
みんな駆け足で、お題の置いてあるポイントまで軽やかに走っている。私も真似してついていく。
一番近くのお題ポイントに到着して、係の人が魔法でくるくるとその場で球体状に風を操り、お題の紙を飛ばしている。
他の選手に習って私もその魔法に片手を突っ込み、お題の紙を一枚掴んで邪魔にならないように少し離れた場所で、お題の紙をぱらりと開いた。
『キスする相手』
…………これを借りてこいって?
「え、嘘でしょ……?」
たしか、クラスメイトが以前言っていた例だと『キスしたい人』とかだったはずだ。したいってことは希望だから、しろってことではないと思っていたんだけど、このお題の言い方だと、確実にその場でキスすることまでが含まれている感じだ。
「お題舐めてた……これは公開処刑だ……。晒し者って比喩とかじゃなくて、本当に晒し者なんだ……。」
あちこちで、絶叫や苦渋の表情をした選手達がいる。うん……気持ちはすごくよくわかる。同じように隣で青い顔をしていた選手のお題をちらりと盗み見てしまった。『自分を最大限賛美した愛のポエムを自作し、告白してくれる相手』だった。あれはあれできついものがありそうだ。
とりあえず、とぼとぼとクラスのみんなの元に向かう。
みんながお題はなんだと詰め寄ってきたので、無言で紙を見せた。
「あの……女子の誰か、一緒に来てくれませんか……?」
私が助けを求めると、満場一致で「副会長のところに行け!」と言われた。
「行くのが嫌だから頼んでるんだよ!!」
私の絶叫に、様々な激励の言葉がかけられた。
「何のために中原を出場させたと思ってるんだ!このためだろ!!」
「大丈夫!断られたりはしないだろ!」
「中ちゃんならきっと出来るよ!」
「頑張れ、中原ならたぶんいけるぜ!」
「見守ってるから、当たって砕けておいで!」
何も嬉しくない。応援などいらないから協力してよ……。
「もう、いいよ!由紀にお願いするから!」
私がやけくそ気味に言うと、それはだめだと怒られた。
選手として参加してる由紀のポイントが無効になるだろと諭された。あなた達が協力してくれないから、由紀に頼もうとしたのに……。
だから他学年の、副会長のところに行け!と念を押されて送りだされた。間違っても同学年の選手に頼むんじゃないと釘を刺された。
同学年以外の知り合いなんか副会長以外いるわけが……。
「あ、いた。」
一人いた。他学年の選手じゃない知り合い!!
私は急いで彼女の元へ向かった。
「先輩!あの、お願いします!私に借りてもらえませんかっ!!」
私は到着早々、息も整わないままで、勢いだけで言いきった。
「あら、中原さん……?」
私の登場に小首をかしげてびっくりしている風紀委員の人を、縋るような目で見つめる。
風紀委員の人は少し困ったように頬に手を当てて考えていたが、やがて仕方ないわね、と言うような聖母のように柔らかい表情で口を開いた。
「中原さんが、どうしても私がいいと言うのならば……――――」
「ちょっと待ってくれ!!」
私が風紀委員の人に光明を見出していたまさにその瞬間に、制止の声が入った。
私と風紀委員の人が同時に振り向くと、侍の恰好をした男子が立っていた。どうやら彼も風紀委員の人を借りたいらしい。
風紀委員の人は私と侍の人を見比べて、私に申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさいね、中原さん。これも一応学年対抗だから、私は同学年の彼を優先しなくてはいけないの。申し訳ないけれど、他を当たってもらえるかしら?」
「いえ、こちらこそすいませんでした……。」
私はとぼとぼと踵を返した。
うぅ……、風紀委員の人も駄目、由紀は選手だから駄目、なのにクラスメイトは協力してくれない。……完全に退路を断たれた。
「あと……副会長しか残ってない。」
ちらりとクラスメイトの方を見ると、口々に叫びながら同じ方向を指さしている。
あちこちで色んな歓声が上がっているので、みんなが何をいているかまるでわからないが、たぶん激励の言葉とあっちに副会長がいるぞ、みたいなことを伝えてくれているのだろう。そんな協力いらないから、クラスメイトが誰か一人借りられてくれればいいのに……。
その場でしばらく悩み、私なりにお題の解釈による回避方法を見つけたので、とりあえず副会長の所にいくことにした。
副会長のところに行くと、副会長もお題を睨みながら嫌そうな顔をしていた。そしてものすごく注目を浴びていた。
あそこに行かなきゃならないのか……やだなぁ……逃げたい。
そろそろと近づくと、副会長に注がれていた視線が、私の方にも向きだした。
「あ、悪魔だ。」
「例の悪魔が来たぞ。」
「あぁあの噂の……。」
「悪魔が来ちゃった。」
「うわぁ、マジで来たよあの悪魔。」
「信じられない!本当に悪魔が来た。」
悪魔、悪魔連呼するのやめてほしい。
いや、衣装にちなんで言ってるの分かってるんだけど、なんか……やだ。
周りでひそやかに悪魔コールが始まり、それまで観客を完全にシャットアウトしていた副会長も、私に気付いた。
副会長が気付いた瞬間に、周りが異様に静かになる。
完全にことの成行きを見守られている……。
逃げたくてたまらない!私が若干のろのろと副会長に近づくと、副会長が私に話しかけてきた。
「美耶子、どうした?」
「……副会長、わかってて聞いてるでしょう?」
言え……言うんだ!!断られたらそれはそれでラッキーだと言うことにしておこう!
「私に……借りてもらえませんか?」
周囲が不自然なぐらい静まり返っているので、私の声がよく通ったような気がして恥ずかしかった。
副会長が私の言葉を聞いて返事をしようと口を開いたその瞬間、私の背後から声がかけられた。
「待った!斎を借りるのは俺だっ!!」
私が背後を振り返ると、目に眩しいほどの金髪が美しい豪奢な海賊がいた。
金髪に青い瞳、少し外国の血が入ったような印象のやたらと整った容姿、そして副会長を斎呼びして、他の選手とは一線を画す衣装の完成度。
生徒会会長の二条院天理先輩だ。副会長と親しい相手として真っ先に名前が挙がる人物だ。
会長の登場にあたりがざわついた。
「三角関係?」
「三角関係だ…!」
「斎様をとり合って彼女と親友が睨みあう!?」
「痴情のもつれ?」
「斎様をとりあう恋の戦い!!」
「え?副会長がヒロインポジションだと!?」
「悪魔と海賊が一人の神父を奪い合い!」
「美しき神父を手に入れるのはどっちだ!!」
「この展開は……美味しい!!」
「斎様は恋と友情どちらを選ぶんだ…?」
「やべぇ…超面白い。」
周りで見てると楽しそうでいいですね。私はちっとも楽しくないです。
私と副会長と会長の視線が混じり合い。緊張が生まれる。
私はこの時点で半分諦めていた。さっきの風紀委員の人と同じ状況だ。
風紀委員の人だってあの侍の人がこなければ、多少クラスから非難されるかもしれないリスクを負ってまで、私に協力してくれようとしてたのだ。
けれどさすがに、私のために同じ学年の仲間を蹴ることはできないから、侍の人を選んだのだ。
そして副会長もそれは変わらないだろう。
他の人ならば、もしかしたら私を優先してくれたかもしれないと少しだけ考えたが、相手は親友の生徒会長だ。
学年対抗だし、会長に協力するのが当然だろう。この場で私を選んだ場合、後で絶対にクラスメイトに責められそうだ。たとえそれが副会長であっても、会長を筆頭に文句ぐらい言われるだろう。
事実、副会長も私と会長を見比べて、かなり苦渋の決断を迫られているようだった。
張り詰めるような静寂の中……副会長が一人の名前を告げた。
「天理……。」
副会長が声をかけたのは生徒会長だった。
分かっていても少しショックだ。……まぁ仕方ない。断られたから大人しくクラスの女子に協力してもらおう。
帰ろうかと思っていたら、副会長が続けて生徒会長に尋ねていた。
「お前のお題はなんだ?」
「これだけど?『熱烈な愛の告白をしてOKしてもらう相手』だな。告白した上でOKもらわなきゃならないみたいだな。もちろん冗談だから気にするな!」
会長はお題の紙を見せながら答えた。
なるほど、これはこれで鬼だな。生徒会長に告白されて断る女子はいないだろうが、その後の方が問題になりそうなお題だ。
すると副会長は今度は私にも同じ質問をしてきた。
「美耶子、お前のお題はなんだ?」
「え?『キスをする相手』ですね。」
「よし、一緒に行くぞ美耶子。」
「え?」
「はぁ!?」
私の手をとった副会長に、私と会長の声が重なった。
「おい斎ちょっと待て!」
「なんだ天理?」
「いや、その子を贔屓したい気持ちは理解できる。けどここは俺を優先するべきじゃないのか?明らかにお前を妨害するための要員だろ、その子。その子なら同じ学年の女子に協力してもらえればいいんだから、お前が断ったって困ることはないはずだ。」
会長の言ってることは全部その通りだ。というか開始前に私自身が副会長への妨害要員だと言ってあるし……。
「学年やポイントなんてどうでもいいことだ。俺の中で大事な問題じゃない。そんなことよりも、同じ晒し者にされるのならば、お前の愛の告白を受けるのと美耶子のキスの相手に選ばれるの、どちらが俺にとっていいかなんて言わなくてもわかるだろ?」
副会長が至極当たり前の様な顔をして会長に言った言葉に、顔が真っ赤になった。
「じゃあ二人とも選ばないで自分のお題こなせよ。」
「絶対嫌だ。」
即答した。副会長は一体何のお題を引いたんだろう。
副会長が行こうと促してくれたので、私は副会長と手を繋いでゴールを目指す。
途中で私達と同じように、借りてきた相手の手を繋いでゴールを目指す数組の選手達がいた。
「走りましょう副会長!」
「あぁ。」
一斉に複数の選手がゴールまで走りだした。誰だって同じダメージを負うのなら、せめて高得点が欲しい。
魔法を使って走力を底上げして駆ける。けれど、私達は他の選手より少し遅い。私達と言うか、副会長は私に合わせて走ってくれているので、私が遅いのだ。
走力の底上げ魔法は、元々の足の速さと魔力の強さに影響される。私は決して足が遅いわけではないので、たぶん魔力の強さや技量的な問題で負けているのだ。
次々に他の選手に抜かされて、ゴールを目指す選手達の中で最下位になってしまった。
「あぁ…負けちゃう!!」
「仕方ないな……勝たせてやるからしっかりつかまってろ!」
副会長が言いきる前に、私の体がふわりと浮いた。訳も分からず副会長にしがみつくと、副会長は私をしっかりと抱きかかえた。
お姫様だっこ……などと浸る暇もないくらい、副会長は勢いよくぐんぐんと加速して、かなり差が開いていた他の選手達に恐ろしいスピードで追いついていく。
「ひゃあ――――っ早い早い怖い怖い怖いっ!!」
周りの歓声や風景を置いて行くような速度での強い風に目も開けていられなくて、悲鳴を上げて目をつぶって副会長にぎゅっとしがみついた。
「美耶子、美耶子……。おい、ゴールしたぞ。」
「……え?」
ようやく耳の感覚が戻って風がやんだと気付き、掛けられた声にそろりと目を開けると、副会長が困ったように笑っていた。
「しがみついてくれるのは悪くないんだが、いつまでもそうしてると競技が終わらないぞ。」
「え?あっ……!!ひゃあ、ごめんなさいおります!おろしてください!!」
抱っこされたままだったので、慌てておろしてもらう。
そしてそそくさとやってきた審判が、お題の紙の提出を求めたので、私が自分のお題の紙を渡す。さっきびっくりして落とさなくて良かった……。
審判の人がマイクでお題を読み上げる。
「トップは1-C、中原美耶子選手。借りてきた相手はご存じ生徒会副会長!お題は『キスする相手』ですっ!!」
会場が大熱狂に包まれた。
そして言われて気付いたのだが、トップでゴールしていたらしい。副会長どれだけ速いんだ……。そして、私に合わせてものすごく遅く走ってくれていたんですね。すいません。
大熱狂の中、副会長が私に尋ねてきた。
「ちなみにお前はこのお題をどうする気だ?」
「一応私なりに回避方法を考えてきましたよ?ようは私が副会長に何らかの方法でキスをすればいいわけですよね?」
前半は副会長に、後半は審判の人に向かって確認するように言った。審判の人も「そうとれる解釈なら回避してもいいですよ。」と言ってくれた。
「では、はりきってお題をどうぞ。」
私は片手で、影絵遊びでおなじみのキツネを作り、それを副会長の頬にぴとっとくっつけた。
「ちゅ。」
と口で言って、キスを表現してみた。どうだこの回避!間違いなく私が副会長にキスをした!!
そして審判をみる。
審判は「え?それだけ……?」と言う顔をしていたが、一応合格としてくれた。
けれど、それで納得をしなかったのが観客だ。
ありえないと言いたいのかなんなのか、絶叫の様な声があちこちから荒れ狂う波のように沸き上がる。
「おそらく……俺がお前を抱きあげてゴールしたのも悪かったんだろうな。あの後にこれでお題を逃げようとしたから、肩透かし感がよりひどいんだろう。」
副会長が冷静に考察する。
一応審判の合格判定をもらったのでお題はクリアしたはずなのだが、完全に周りの空気がそれを許していない感じだ。
「困ったなぁ……。えっと出来れば、もう一度お題をこなしてもらえますか?何か違う形で。」
審判の人もこの流れで、もう退場していいですよとは言えなかったようだ。再度お題をこなすことを求めてきた。
私はその言葉に困り果てる。
「えっと……一応さっきのでだめだったら、キツネ越しの間接キスぐらいまでは考えてたんですけど……あと副会長にもキツネ作ってもらってキツネ同士でキスするとか……。ありですか……?」
私がそういうと、審判の人もたぶんそれでは観客が納得しないだろうと言った。
私がうだうだと悩みながら、ようやくほっぺちゅうぐらいの覚悟を決めようとしていた時、待ちきれなくなったのか、どこからともなくキスコールが起こった。
「キース!」
「キース!キース!」
「キース。キース!」
「キスしろー!」
「逃げるなー!」
「やっちゃえー!」
「キース!キース!」
「キッス、キッス!」
初めはひとつの声だったキスコールは瞬く間に広がり、大きな波のように私達を取り囲んだ。
借り物競走で盛り上がった熱気と、お祭り騒ぎの空気が巻き起こした大きな波だ。ここで逃げだすことは許されないと言う無言の強い圧力の様なものがあった。
沸き起こる様々なキスコールに、私は真っ青になったり真っ赤になったり忙しい。
ほっぺちゅうで許してもらえる空気なのだろうかと副会長を見上げると、副会長は周りを見て、煩わしそうに眉を寄せていた。
その瞬間、私の中に子供のころの記憶がフラッシュバックした。
あの時も、教室中が私と男の子を囲んで囃したてていた。
男の子は嫌そうに眉を寄せて周りを見ていた。副会長も、そもそも周りが色々と言うのを嫌がるタイプだ。だからこそファンや、色んな人達を無視して黙らせていたのだ。
集団が作り上げた独特の空気と視線の圧力。
副会長とあの時の男の子が重なって見えた。
不安で呼吸が浅くなる。ぶわりと汗が噴き出すような感覚があった。さきほどまでとは全く異なる意味で、心臓の音がうるさくてたまらない。けれど脈拍は早くなっているのに、ひやりと冷たい何かが背中を伝うようだった。
あの男の子は悔しそうな顔で、怒りを握りしめるように拳を握りしめていた。
由紀との会話がよみがえる。
――――別に色々言われるのは平気。確かに恥ずかしくていたたまれないけれど、それを理由に副会長を避けたりはしないよ。私が茶化されることで副会長を嫌いになることはないから。……私が怖いのはもっと別のこと――――
副会長も嫌そうな顔で、怒りを抑えるように拳を握っている。そして周りをにらみつけたまま、煩わしそうに小さく舌打ちした。
あの時由紀には言えなかった、私の恐怖が膨れ上がる。
――――私が怖いのは……周りに言われたりしたことで副会長が傷ついたり、嫌な思いをして、私から離れていってしまうこと……――――
堪えていた恐怖がこみあげて、視界が滲んだ。
私はぼやけた視界の中で、必死に副会長の姿を見つめて、手を伸ばす。
恐怖で声が出ない。だから、手を伸ばして掴まなくてはだめだ。
あの時のように失くすことなど、もう嫌だ。
もう……失いたくない。
私は……副会長を失いたくない……だから手を、伸ばさなくちゃ。
私にとっては恐ろしいほど長い時間をかけて、副会長の袖を掴んだ。
副会長が私を見つめて、ぎょっとしていた。その表情すら、もうぼやけてよく見えない。
私は声を振り絞って、喘ぐようにしてなんとか告げた。
「ごめん、なさい……。わ……煩わせ、て……ごめ、なさい……。嫌いに、ならないでぇ……は、離れちゃ、やだぁ……。」
「美耶子……。」
それだけしか言葉にならなかった。
視界が紫一色に覆われた。副会長が肩に掛けていたストラだ。
そのまま副会長をぼんやりと見つめていると、副会長はストラを私の後頭部にひっかけたまま、ぐいっと自分の方に引っ張った。
私はストラに引っ張られるままに、頭から副会長に身を寄せる。副会長はそのままストラに引っ張られている私に顔を寄せた。
副会長は少し顔に角度をつけて、私に寄せただけだった。
けれどその瞬間、大歓声が巻き起こった。
私はストラに阻まれて周りが見えなかったが、副会長はストラを引っ張って私と自分の顔が隠れるようにしていたから、おそらく周りには私と副会長がキスをしたように見えたのではないだろうか。
そして副会長はそのままストラでしっかりと私の顔を隠して、私を小さな子供のように抱き上げ魔法を使って加速して、大きな歓声を置き去りにするようにして、その場を離れた。
私は副会長にしがみついて、幼い子供のように肩を震わせていた。
副会長はどこかに走って来て、どこかに腰を下ろしたらしい。私の視界はストラに覆われて、紫一色でわからない。
私は抱きあげられていた状態から、座った副会長の膝の上に横座りになるように乗せられた。
副会長の肩にしがみついていたのだが、ストラをずらされて私を心配するような表情の副会長に顔をのぞきこまれた。
私は静かに涙をこぼしながら副会長を見つめた。
副会長は私の涙を柔らかく拭うように、頬に手を当てて私に尋ねた。
「美耶子……。どうした?……何が怖かった?」
柔らかく慈しむように掛けられたその声に、恐怖で緩んだ涙腺がさらに壊れてしまった。
私はぼろぼろと涙を流してしゃくりあげながら、懸命に自分の気持ちを副会長に伝えた。
過去に好きだった男の子と副会長が重なって、あの時のように周りに囃したてられて、副会長が嫌な思いをしたことが怖かったと。同じように嫌な思いをした副会長が、自分をつき放して、嫌いになってしまうのではと不安に駆られたことを、嗚咽交じりに吐きだした。
副会長は、感情のままにとぎれとぎれの言葉にしかならない私の気持ちを、ただ静かに聞いていた。
そして全て言い終えた私に告げた。
「ごめんな、美耶子。お前が怖がったのは、俺のせいだな……。周囲を見て、煩わしいと思っていた俺の態度が不安にさせたんだな。
お前はちゃんと試合前に言っていたのにな。自分だけを見てろ、と。なのに……それを守れなかった俺がお前を傷つけたんだな。本当にごめん、美耶子。」
何度も何度も謝罪を繰り返しながら、私の涙を拭う副会長に、私は泣きながら尋ねた。
「せ、っ先輩、斎先輩…は、私を嫌いになったり、ひっく、し、しない?」
「しないよ。」
「は、離れていったり……しない…?」
「しないよ。俺は美耶子のものだ。美耶子以外見ない。好きだよ、美耶子。大好きだ。不安にさせて本当にごめんな…許してくれるか?」
「うん……うん……。」
私は副会長の謝罪の言葉に何度もうなずいて、そのまま涙が止まるまで副会長に縋りついて泣いていた。
副会長は優しく、しっかりと私を抱きしめながら、好きだよ、と何度も繰り返して私に伝えてくれた。
優しく抱きしめてくれるこの体温を、この人を、失わなくて心から良かったと安堵した。
あの時の男の子とは違う。ただなんとなく一緒にいて、仲良くなったからではない。
初めはいじわるされたり、からかわれたりした。
次にほんの少しの優しさと、意外なノリの良さを知った。
そして弱さと、苦しみを知った。
最後に強さと優しい心と、かっこよさを知った。
失うかもしれないと感じた恐怖と、失わなくて済んだという安堵の中で、ひとつだけはっきりとわかったことがある。
私にとって副会長が、失うことが出来ないぐらいに大きな存在になっていること。
あの男の子の時と違って、手を伸ばして縋りついて泣いてでも、失うことを恐れた人であること。
ドキドキするのも、顔が赤くなるのも、手を繋ぐと恥ずかしいのも、何をされても嫌だと思えないのも全部全部、副会長だから。
あぁ……私は、副会長のことが……。
斎先輩のことが、好きなんだ