衣装と宣言
「美耶子……すごい露出だね。それ、悪魔だよね?」
衣装に着替えて、日焼け止めを塗りなおしている私のところに来たチャイナドレスの由紀が、開口一番に言った言葉だ。
紅茶色の髪を左右でお団子にして、髪飾りをつけている。ノースリーブのチャイナドレスは深いスリットの入った濃紺で、髪と肌との対比でシンプルだけれど、とても鮮やかで綺麗だ。気の強い由紀の雰囲気ともよく合っていた。
足の深いスリットがきわどい感じだけれど、比較的真っ当なコスプレだった。いいなぁ……。
私は自分の姿を見る。
エナメルの様な生地でできた、体のラインにぴったり沿う悪魔の衣装は、背中と肩と胸元が大きく開いている。
胸と背中を犠牲にお腹は隠してもらえたのだが、チャックが本来の衣装の丈のままなので、胸下までしか存在しない。なので布は継ぎ足されて丈は腰まであるのだが、前は開いているのでへそはちらちらと見えているのだ。生地が重めだし、ズボンと接合出来るようにしてあるから、走っている時に服がはためいてお腹が出ることはない、とは風紀委員の人の言葉だが、逆にいえば、へそだけは常にちらちらと見え続けている。予算的な問題でチャックを新しくつけ替えることはできなかったので、そこはどうしようもなかったの、と申し訳なさそうに言われてしまった。
ズボンは同じくエナメルの短パンで、ひざ丈のブーツをはいている。イメージとしては、露出が異様に高いライダースーツと言えば一番近いかもしれない。もはやそれはライダースーツの意味がない気がする……。
頭には矢印の様な触角のカチューシャをつけて、背中に蝙蝠の羽、ズボンのお尻には同じく矢印の様な尻尾がついている。髪は少しでも背中を隠すために、おろして背中に流している。肩はむき出しのくせに、何故か肘丈のエナメルの手袋を装着している。親指部分とそれ以外で分かれているような手の甲までの手袋なので、本当に申し訳程度に肘から下を覆っているだけのものだ。
こんなものいらないから、この布を別の場所を隠すために使ってほしいと思った。
私は由紀の姿と自分の姿を比較して、その差にちょっと遠い目をしながら説明した。
「うん……。悪魔だよ。衣装そのものは、演劇部の劇で使われたサキュバス役のものらしいんだけどね。衣装のチョイスが私に対する嫌がらせとしか思えないよ。」
「副会長を一人占めするファンの敵の悪魔って言いたいのか、副会長を誘惑した小悪魔って言いたいのか微妙なところだね……。」
「どっちだろうが嬉しくないイメージだよ……。あ!それより見て見て!この羽と尻尾、特殊な骨組みで出来てるから魔力を通すと動くんだって。すごく無駄に凝った仕様だよ。」
そういって私が尻尾をひょこひょこ動かすと、由紀が面白そうに感心していた。
「あ、由紀ちょうどよかった。背中に日焼け止め塗ってくれる?手が届かないの。」
「ん、いいよ。後ろ向いてー。」
由紀が引き受けてくれたので、髪を持ち上げて前に流して背中を晒す。
「うわぁ……一見、髪の毛に隠れてわからないけど、背中びっくりするほど開いてるね。肩甲骨まで開いてる……。美耶子、背中綺麗でよかったね。」
「そうなのかな……?まぁ見苦しくないならいいんだけど……。これ走ったら確実に背中見えるよね?やだなぁ……。」
「でも美耶子可愛いよ。可愛い悪魔だね。」
一応露出が高いことに関しては、ライダースーツみたいな服は、怪我をしないように厚手の生地で作られるからとても動きにくいので、むしろ露出が高い方が手足は動かしやすいから、競技で走ることを考慮すれば露出が高い方が理に適っているとは風紀委員の人の言葉だ。
完全にフォローの言葉だと思ったが、風紀委員の人の優しさだけはありがたく受け取っておいた。風紀委員の人は他にも何人か衣装を担当しているので、私の最終調整を終えたらすぐ次の人のところへ行ってしまった。「斎様の衣装を楽しみにしていてね!」と輝かんばかりの笑顔を残して……。
なるべくぎりぎりまで更衣室にとどまっていた私は、お昼終了のアナウンスを聞いて、由紀と連れ立って選手の集合場所に向かった。
さすがに途中ですれ違った体操着姿の人達に注目されるのは恥ずかしかったが、選手の集合場所に近づくにつれて個性豊かな衣装の人達が増えてきたので安堵した。
「自分がコスプレしてるって意識があっても、周りがみんなコスプレしてると、なんかあんまり恥ずかしくないのが不思議だね。」
私が周りの人をきょろきょろと眺めながら隣の由紀に話しかけると、由紀がいなくなっていた。
「あ、あれ?由紀?由紀さーん!」
消えた。一瞬のうちに消え去った。あたりを見回しても全然由紀らしき姿がない。っていうか色とりどりの衣装が賑やか過ぎてよくわかんない。
借り物競走は学年混合の個人競技にあたるので、スタートも一斉に行われて完全にばらばらなのだ。一度はぐれるとゴールまで見つけられない気がする。
「一緒にスタートまではいようと思ったのに……まさかはぐれちゃうなんて……。うぅ~由紀~?」
選手の波に押されつつ集合場所に向かいながら、先ほどとは違った意味で周りを見回していると、足元でにゃおんと鳴き声がした。
「あれ、ペンネ?こんな人ごみにいたら踏まれちゃうよ!」
ペンネは人ごみをするすると器用に塗って歩きながら、集合場所へ向かうのとは少しそれた道に歩いて行く。こちらを振り向いて尻尾をぴっと高く上げた姿は「ついて来い」と言っているようだったので、私も何とか人ごみを縫ってペンネの後を追った。
ペンネを追いかけてわき道をするすると移動する。校舎と校舎の間の渡り廊下の向こうの少し入り込んだ場所にある、何も住んでいない池がある謎の空き地に続く道だ。集合場所からはさほど離れていないからすぐ戻ることは可能だが、何か用事がない限りはまず誰もこない場所だろう。
校舎を曲がった先には予想通り副会長がいた。……いや、違うな……。ある意味予想外だった。
神父の恰好をした眼鏡の副会長がいた。
長いコートの様な黒い学生服を着て、肩から紫の長い帯の様なものを掛けている。胸元には十字架のネックレスもある。
余分な装飾はほとんどない。帯に十字架の刺繍の様なものがあるくらいだ。
だが、素晴らしい……。
私の姿を見てだろうか、ちょっと目を見開いて固まっているが、そんな表情でもまったく良さが損なわれないくらい、とても副会長によく似合っている。
眼鏡と、非露出的な神父の服が禁欲的な中にも色気を感じさせて、逆に抑制された背徳的なエロスの香りが感じられる。副会長の艶やかで冷たい感じの美貌にも絶妙にマッチしていて最高だ。先ほど遠目で見た時の様な無表情でいれば、より冷徹な感じが際立って、人を寄せ付けない空気が神秘的にすら感じるだろう。帯の紫色もすばらしい。なんとなく神父が肩にかける帯って言うとたいてい白か赤くらいを一番に連想するのだが、あえてここで紫を選んだ制作班に賛辞を贈りたいくらいだ。エロいよ!紫はエロい色なんだよ!!副会長の藍色の髪にもよく映えて、とても綺麗だ。つまり何が言いたいかって言うと……
「神父服最高――――っ!!お祓って下さい――――!!」
「落ち着け悪魔。」
胸を抑えてひざから崩れ落ちた私を、副会長が呆れたような目で見ていた。あぁ、このローアングルも素晴らしい。眼鏡をクイッとやりながら、ちょっと見下してほしい。
私の想いが届いたのか、副会長はため息をつきながら眼鏡を押し上げ、私の腕を掴んで立たせてくれた。
ちなみに副会長が教えてくれたのだが、コートの様な学生服はスータン、肩に掛けている帯はストラという名称なのだそうだ。副会長も衣装を作った制作班から聞いたらしい。ストラの色にも実は意味があるらしいが、あまり興味のなかった副会長はよく覚えていないらしい。まぁそうせコスプレなので見た目重視で選んだだろうからどうでもいいだろう、が副会長の見解らしい。
私が頬を染めて大興奮ではしゃいでいると、副会長が慌てて私の腕をがしっと掴んで、私の動きをとめた。
「おいっ!跳ねるな!!色々と危ない!!」
言われて自分の恰好を思い出して、跳ねるのは自重した。
そしてちらっと自分の腕を見て、副会長が掴んでいるのが、自分のむき出しの二の腕だと気付いた瞬間、先ほどまでとは意味合いの違う赤色が顔に広がった。
「あっ…………。」
「ん?…………あっ。」
私が気付いたのに少し遅れて、副会長も気付いたらしい。ぱっと手を離した。
「…………。」
「………………。」
しばらく無言で照れる。
私が目をそらして照れてる間に、副会長は改めて私をまじまじと見ていたらしい。
視線が恥ずかしかったが、おずおずと副会長に尋ねてみた。
「斎先輩……あの、私……どうですか……?」
「……その恰好で上目遣い、やめてくれないか?」
「べ、別に意図してやってるわけじゃないですよ!この距離でこの身長差なら、誰が見上げたって上目遣いになるんですからね!!」
「いや……そうじゃなくてな……うん、なんでもない……。頼むから他の男に俺と同じ距離で話しかけるなよ。」
妙にしっかりと忠告された。素直にこくんと頷いてみた。
そして副会長に、由紀にもした衣装の説明をしてみた。羽と尻尾が動くことも見せてみた。
私としては衣装はともかく、羽と尻尾に関しては結構面白いので自慢したいポイントだったのだが、副会長はあんまり尻尾や羽には興味なさそうだった。
「っていうか斎先輩どこ見てるんですか?」
「美耶子を見てる。」
全力ではぐらかされた。
「斎先輩は女の子は胸派ですか、お尻派ですか?それとも脚派ですか?さぁ、どれですか?」
「女子にされたい質問じゃないな……。」
「ちなみに私は脚派ですね!」
「お前が答えるのか。」
「男性なら眼鏡と鎖骨です。」
「知ってる。」
「ちなみになに派ですか?」
「美耶子派で。」
ずるい。どうあっても逃げる気だ。
「うまいことごまかして、言及を避けましたね。」
「別に俺が好きなのはお前だから間違ってないんだよ。」
さらっと言われた。
かっこつけて逃げられただけってわかっていても……照れるからやめてほしい。
私が照れてもじもじしていると、副会長が思い出したように告げた。
「……そういえば、その恰好の感想だったか。」
言われた言葉に、次に来る感想を意識してちょっと緊張した。
副会長はそんな私の様子を見て、柔らかくくすりと笑い、私に告げた。
「可愛い悪魔だな。誘惑されそうだ。」
「っ!!……えっと、あ、そ、そうですか……!えっと、えっと……ふへへ、やだ!……嬉しい…ふへへ。」
副会長に、可愛いって言われた。
やばい、どうしよう!なんか嬉しくて困る!!
由紀に同じようなこと言われた時は普通だったのに……。
口元の緩みが抑えられなくて、照れたようににへらっと笑ってしまった。
熱を持った頬を両手で押さえつつ、私が感情を持てあまして真っ赤になりながらにやにやしていると、副会長が小さく「くそっ!」とつぶやいて、私を壁際まで追いつめた。
そのまま校舎の壁に両腕をついて、腕の中に私を閉じ込めた。
副会長は私の肩に頭を乗せるような形で俯いているので、私からは副会長の顔が見えない。けれど、ほんの少し耳が赤い。
ぴったり密着しているようで、実は副会長は俯いている前髪が少し私の肩に触れている以外は、一切私に触ってはいない。
けれど、腕の中に閉じ込められて、呼吸が止まりそうなほど緊張した。
肩に時折かかる、副会長の息がくすぐったい。
「可愛いな、美耶子。あんまり誘惑しないでくれ……。閉じ込めて、誰にも見せたくなくなるだろ。」
「……もう、閉じ込められてますよ。」
私の問いに副会長は何も言わなかった。
やがて、ぽつりと同じ言葉を繰り返した。
「……見せたくない。」
「斎先輩だけが見つめててください。そうすれば斎先輩だけの悪魔ですよ。」
副会長のストラを掴んで小さく、けれどはっきりと告げた。
「私は斎先輩以外の視線はどうでもいいです。恥ずかしいけれど、それだけです。私にとって重要なのは斎先輩の視線ですから、他は関係ありません。」
私がそう宣言すると、ゆっくり顔をあげた副会長は少し困ったように笑って言った。
「俺の悪魔は怖いな。どんどん溺れそうだ。」
「……ところで斎先輩。そろそろ借り物競走の時間が迫ってますよ?行きましょうか!」
笑って告げた私に、副会長が顔を寄せた。
副会長の唇から視線が放せず見つめていると、おでこにちゅっと柔らかい感触があった。
意味がわからず数秒間停止してしまい、何をされたか理解してさらに数秒固まった。
おでこを押さえてびっくりしたままの顔で副会長を見上げる。
「は、ぇ……?いまのは……。」
「マーキングだ。俺のものだからな。」
少し悪戯っぽい目を細めた副会長は笑っている。
「お前は俺の悪魔なんだろう?」
「え?……あ、はい。」
そう言った。私がそう言ったのだ。
副会長はそのまま私の手をするりと繋いで歩き始めた。
繋いだ手はほとんど力が入っておらず、私が少し腕をずらすか、歩調をずらしてしまえば簡単にほどけてしまいそうだった。
そう、ほどけてしまいそうなほど弱い力で握られている。
だから……、私はその手がほどけないように、そっと握り返した。