名前と距離感
さて、キーホルダーを手に入れた後、他にも店を物色したいといいだした副会長に付き合って、本屋さんと文具店に入った。
文具店で、私がちょっと可愛いデザインの大学ノートを、副会長がシャーペンの芯を購入した。
そして歩き疲れたので、駅近くのチェーン展開しているコーヒーショップに入った。
私はなるべく甘いものをたのんだ。
そこそこ混んでいたので、副会長にまとめてもっていくから席をとっておいてと頼まれ、何とか二人席を確保して、二人分の飲み物を持ってきた副会長に軽く手を振った。
「あ、副会長こっちです!」
すたすたと歩いてきた副会長が、座るなり私に言った。
「さすがに学園外で大声で副会長はやめてくれ…。」
あだ名みたいなものだけれど、やっぱり人目のあるところでは恥ずかしいのかもしれない。
「すいません。……えっと、じゃあなんて呼べばいいんですか?」
「普通に名前で呼べばいいだろ?」
はて…名前……。
せいりょう…であってたよね…?
「えっと…じゃあ先輩って呼びます。」
「何先輩だ…?」
副会長がピクリと反応した。
「大丈夫ですよー。私部活やってないんで先輩って呼ぶのは副会長だけですよう!」
「ははは、中原美耶子さん。俺のフルネーム言ってみろ?」
あらやだばれてらっしゃるー……。
副会長の笑ってない笑顔が怖い。
「せいりょう…先輩。」
「下の名前は?」
ちょっとまって!ストーカーの人が何度も呼んでた気がするんです!
だめだ…!なんか三文字だったのしか思い出せないっ!!
なんだったっけ?めちゃくちゃ会話の中で何度も呼んでたはずなんだけど出てこない!!副会長の左手首に黒子がある話は覚えているのに名前が出てこない!!
「…………。」
「俺がお前のフルネーム調べるより、お前が俺のフルネーム調べる方がよっぽど簡単なのはわかるよな?」
そうですね。むしろなんで私のフルネーム知ってるんだろう。呼びだした最初から既に知ってたよね。
「そして、調べようと思えばいつでも調べられたはずだよな。」
「うぅ……すいません。」
「はぁ……お前が俺にさほど興味ないのはわかっていたが、せめて名前くらいはちゃんと把握しといてくれ…。」
「ごめんなさい。」
この機会にちゃんと覚えよう。さすがに申し訳ない。
「えぇっと…ちゃんと覚えますから教えていただけますか…?」
おずおずと頼むと、副会長は飲み物についてきた紙ナプキンにボールペンで名前を書いて私にくれた。
固めの筆跡で「星陵斎」と書いてあった。へぇ、副会長の字こんなんなんだ。
あぁ、そうだ斎様だ!なんで出てこなかったんだろう。
「ちゃんと覚えました!もう忘れません!!」
「……ところでお前、俺のアドレスなんて登録してるんだ?」
副会長がふと気付いたというように聞いてきた。
副会長のアドレスの登録名……?あ、まずい。
「副会長のアドレスは副会長のアドレスとわかるように登録してますよ……?」
「目が泳いでるぞ。ちょっと携帯見せろ。」
この人の察しの良さが怖い。完全に沙汰をまつ罪人の気持ちで携帯を渡した。
アドレス欄を確認したのだろう副会長の眉がぴくりと動いた。
「ほーお、中原はペンネとメールしてるんだなぁ……。」
ぎゃあ怒ってらっしゃる!
「すいません!ごめんなさい!一時の過ちなんです!最近は脳内でちゃんと副会長って翻訳してました!!」
無言で携帯を操作されて、返ってきたときには登録名がちゃんと副会長のフルネームになっていた。
……慣れるまでしばらく、え?誰?ってならないか心配。
「どうせアドレスだけ替えてもなかなか覚えなさそうだし、二人きりの時は名前で呼べ。」
ため息つかれながら言われた。
え?それはちょっとハードルが高すぎませんか?
「な、名前ですか……?それはちょっとあれじゃないですか…?」
だって距離感が近いと言われたばっかりなのに、名前呼びってものすごく親しさが上がったような気がする。
「名前を覚えていないお前が悪いんだろ?」
「うぅ……星陵先輩……。」
「下の、名前。」
「……斎、先輩。」
「…もう一回。」
「…斎先輩。」
「もう一回。」
「斎先輩!」
「はい。」
三回目にしてようやく納得してもらえたらしい。柔らかい笑顔がもらえた。
不意打ちでそういう顔するのやめてほしい。ちょっとドキッとするじゃないか。美形って得だな…。
妙に喉が渇いたので飲み物を飲んでいると、副会長に呼ばれた。
「……中原。」
「はい。」
「…中原。」
「はい?」
「中原。」
「……はい。」
あれか、呼んでみただけーっていうよくあるやりとりかな?
さて、なんて返そうかなー…。
「……美耶子。」
「…は………い?」
どきりとした。私の驚いた顔を見て、副会長はにやりと悪戯っ子のように笑った。
「嫌がらせだよ。」
嫌がらせ。そうか…ちょっとした、いたずらのつもりだったんだ…。
でも……。
「嫌じゃなかったですよ…?」
「は?」
「私、別に副会長に下の名前で呼ばれても嫌じゃないです。だから嫌がらせじゃないですよ?」
今度は副会長が驚いて固まった。
そんなにびっくりすることだろうか?あ、そういえば副会長は以前に私が書記の人に下の名前を親しくない人に呼ばれるの嫌いって言ってるのをペンネ越しに聞いていたんだっけ。
私の中で、名前で呼ばせるのは特別って認識があるから驚いたのかもしれない。たぶんそうだ。
「あ、でもなんか恥ずかしいので今後も中原でお願いします!」
「嫌だ。」
妙にきっぱりと断られてしまった。
「え?」
「恥ずかしいだけだろ?いっぱい呼ぶからさっさと慣れろ。いいな、美耶子。」
副会長の美耶子呼びが決定しました。
その後、微妙に恥ずかしい空気が漂ってきた気がしたので、飲み物を空にして早々に店を出た。
駅まで一緒に行き、改札で別れた。
副会長とは電車が反対方向なのだ。
改札で挨拶をして別れたのだが、まぁ当然ホームで副会長の姿を見つける。向こうも当然私の姿を見つけている。
すぐに電車が来ればいいのだが、ちょうど先ほど出てしまったばかりらしく、次の電車まで私の方は5分ほどある。副会長の方はそこそこ人が並んでいるので、もうすぐ電車が来るのかもしれない。
気付かなければよかったのだが、気付いてしまって目までばっちりあっていると、微妙に無視して携帯を眺めたりするのもどうかと思ってしまう。
かといって距離が開いているので、大声で会話するわけにもいかない。
どうしようかと思っていると、副会長が携帯を操作している。
副会長から私をスルーしてくれたなら失礼にあたらないよね、と思って私もイヤホンをつけて音楽でも聞こうかと思っていると、携帯にメールが着た。
送り主に『星陵斎』と書いてある。
『明日になっても名前忘れるなよ?』と書いてあった。私が副会長の方を見ると、にやにやと笑っていた。
『わ、忘れませんよ!Σ(゜Д゜;)ギクッ』と返して副会長を見ると、無表情でまた携帯を操作している。しばらくして『え……そこは自信持てよΣ(゜д゜lll)ガーン』と返ってきた。めちゃくちゃ無表情で打ってた内容がこれなんだ。
くすくすと笑っていると、副会長にガン見されているのに気がついた。ちょっと恥ずかしい。
と思っているところで副会長の方に電車が来た。
副会長がそのまま電車に乗り、電車の窓から手を振ってくれたので、私も振り返して電車は発車していった。
私は口の中で何度か斎先輩、斎先輩と繰り返しながら電車を待っていた。
電車の中で気がついたのだが、せっかく距離感を考えると宣言したのに、自分の行動を振り返った結果が、どう見ても距離感が詰められているように感じた。
確認しようと由紀に電話したのだが、開口一番に呆れられてしまった。
『美耶子、馬鹿でしょ?なんで距離を離そうとして逆に縮まってんの?』
電話口の由紀の声は完全に呆れていた。見捨てないで、親友!!
「違うもん!ちゃんと距離を離そうとして可愛い雑貨屋さんとか行ったのに、副会長がめちゃくちゃ普通に入っちゃうんだもん!メンタルが強すぎるよ!完全にアウェー空間で他のお客さんにも見られていたのに、全く臆せず店内を物色してたんだよ!?」
『だから下着屋って言ったじゃん。そこなら確実についてこれないんだから遠慮するのに。』
「だって、ついてっていいよな?って聞かれてはいって言っちゃったのに、下着屋いきますとか言えないじゃんか!」
『んで、その結果ロッカーのカギがペアのキーホルダーになっちゃって、お互い名前で呼び合う親密性を手に入れたわけだ……。』
「うぅ…私の行動のなにがいけなかったわけぇ…?」
『全部。』
「全否定!?」
『だってペアのキーホルダー選んだの美耶子でしょ?名前呼びも嫌じゃないって言わなければ、たぶん呼ばなかったと思うよ。』
「でもそのあと恥ずかしいから呼ばないでって言ったよ!」
『もうGOサイン出たんだから、呼びたかったら呼ぶでしょ。今まで呼ばなかったのは、美耶子が勝手に名前呼びされるの嫌だって知ってたからでしょ。』
「……ちなみに距離感ってどうやったら離せるの?」
『もう手遅れな気がするから諦めたら?』
「うわぁぁぁん!」
距離感を離そうとがんばったのに、距離が縮まってしまっていたようです。
なぜこうなったし。
机に出していたジグソーのキーホルダーと、紙ナプキンに書かれた副会長の名前を睨みつけた。
綺麗なデザインのキーホルダーは机の上できらりと光りを反射していた。
見慣れない副会長の文字と名前は、まだ私の中に浸透するのに少し時間がかかりそうな気がした。