3
「すみません!ここで影を取り返してくれるって聞いたんですけど!」
時刻は午後五時半をまわったところ、日が伸びてきたとは言え、外はだいぶ暗くなってきた頃、受付でそんな事を言う患者が尋ねてきた。
まだ他にも患者はちらほら残っている。
しかし、まわりを全く気にする素振りもなくその患者は受付にそう言った。
見たところ20代前半の女性である。言い方はぶっきら棒であるが、ショートカットの髪も綺麗に整えられており、フェザーニットのプルオーバーにタッグワイドパンツを着込み、足元はショートブーツと特に見た目におかしなところは見られない。
「うちは普通のクリニックでございますが、失礼ですが、どちらでそのような事をお聞きになったのですか?」
朔は努めて冷静に患者に質問した。
「N大付属の高橋先生がここに行けって紹介状書いてくれたんですけど」
そう言って、肩から下げていたバッグから封筒を取り出す。
朔はその封筒を見るなり、患者に気づかれないように小さくため息を吐くと、
「承知いたしました。影については後ほど診察室で医師とご相談くださいませ。マイナンバーカードはお持ちですか?」
何でもないことのように受付を始めた。
女性は自分で言っておきながら、まさか診てもらえると思っていなかったのだろう。
少し驚いた様子を見せたが、マイナンバーカードの登録を始めた。
「ではこちらの問診票にご記入をお願いいたします。ご記入が終わりましたら、受付にお渡しください」
「あ、はい。」
最初の威勢はどこに行ったのか、とても素直である。
トコトコと待合室の椅子にちょこんと座ると身体を丸めるようにちっちゃくなって記入を始めた。
何事かと見ていた他の患者も興味を失ったように、各々携帯をいじったり、目を瞑って自分が呼ばれるのを待ったりしている。
待合室は再び静寂に包まれた。
その女性の名は上村真凛と言った。
どうやら本日最後の患者のようであった。
「上村真凛さん、第2診察室にお入りください」
「は、はい」
勢いよく返事をして真凛は診察室に向かった。
「こちらへどうぞ」
晶湖が入口の扉を開いて招き入れる。
何故か真凛は顔をしかめた。
「こんにちは、医師の高橋晃輔です。えっと紹介状を読ませていただきました。影が無くなった、とのことでしたが…失礼ながら、今は上村さんに影はあるように見えますが⋯」
晃輔はいつものようになるべく低く優しく聞こえるように話しかけた。
「そうなんです。正確には影が薄くなったんです」
真凛は少しぶっきら棒に聞こえるように答えた。
「薄くなった?」
「そうですよ!信じてもらえないかもしれないけど、四、五日前だったかな?『あ?』って一瞬気持ち悪くなるような感覚があって、そんときはすぐに治まったんだけど、その後少ししてから自分の影が薄くなってることに気がついたんです。誰も信じてくれなかったけど。で、身体もなんかだるい気がするし、近くの病院行ったら一応っていうんで大学病院の先生紹介してくれて、おんなじように大学病院の先生にも言ったら…ここを…紹介してくれたんですョ。」
最後は自信なさそうな口調になっていった。
他に言っても信じてもらえないだろう。そもそも影が薄くなったなど、自分で気がつくのも珍しい。
「櫻川さん、隣からライト取ってきてくれる?オペ用の」
晃輔は晶湖に処置室から無影灯を持ってくるよう頼んだ。
「はい」
晶湖はすぐに裏から処置室へ向かう。
その間に晃輔は真凛に立ち上がるよう言った。
「上村さん、ちょっと立ち上がってもらえますか?」
「?」
真凛は無言で立ち上がる。
「一歩前へ出て」
「?」
真凛は無言で前へ出る。
晃輔はデスクの引き出しから懐中電灯を取り出すと真凛の足元を照らした。それから自身も立ち上がって自分の足元も照らしてみる。
「ふむ。確かに少し薄いかな?」
晃輔は真凛と自分の足元を何度も懐中電灯を交互させながら考え込む。
その間に晶湖がライトを引きずってきた。
「ありがとう」
晃輔はお礼を言うと、今度は真凛に何もない壁に立つように言った。
「ごめんね、上村さんこっちに来てここに立ってもらえるかな?」
真凛は何も言わず言う通りにする。
「ごめん、櫻川さん、ちょっと上村さんの横に立ってもらえる?」
「はい」
真凛は少し緊張した面持ちで真っ直ぐ晃輔をみた。
「眩しかったらごめんね」
晃輔は最初に晶湖にそれから真凛に照明を当てた。
そこにははっきりとまるで一段階薄くなっているかのような差が影から見て取れた。
晃輔はライトのスイッチを切ると、晶湖にライトを片付けるようにお願いして、真凛にはソファーに腰掛けるように言った。
「あの、どうなんですか」
真凛は最初の威勢はどこへやらすっかり大人しくなってしまった。
「結論から言うと、影が薄くなっていますね」
晃輔はハッキリと伝えた。
「嘘?ほんとに?やっぱりそうなの?」
真凛は驚きのあまり信じたいのか信じたくないのか、自分でもわからなくなっているようだったが、身を乗り出して続きを促した。
「よく気が付きましたね。影、盗られてますよ」
「え?」
「多分数ある中の一つを盗られたんでしょう。場所はどこだか覚えてますか?」
晃輔は淡々と聞きながらカルテに何かを記入していく。寧ろ真凛の方が呆然としていた。
「…先生、信じてくれるの?」
「そのために、あなたはわざわざこんな小さなクリニックまで来たんでしょう?」
晃輔は、書く手をとめて真凛を見ると、笑顔でそう答えた。
真凛の目に涙が浮かぶ。
「確か、立川のモール型ショッピングセンターだったと想うけれど⋯誰も、友達も信じてくれなくて…」
言ったかと思ったら、真凛はわんわんと泣き出した。
晶湖が慌ててティッシュボックスも持ってくる。
真凛は泣きながらティッシュペーパーを二、三枚引っこ抜くと目に当てて余計に大泣きになった。
晶湖は真凛の背中を撫でながら、落ち着くのを待つ。
その間に朔が珍しく紅茶を入れて持ってきた。
朔のこだわりなのか、コーヒーカップは真っ白で何の柄もないが、ティーカップは広い飲み口に金の縁取りがついている。
「ありがどう゛…ございま゛ふ」
鼻をずびずび言わせながら真凛は紅茶を飲む。
砂糖もミルクも入れず、フーフーと冷まして飲む姿は年齢より幼く見えた。
真凛が落ち着いてきたところで晃輔は話を進める。
「盗られたところがショッピングモールなら、照明の関係で複数できた影のうち一つを盗られてもその場では気が付かないでしょう。…なるほど、取られるときは人体に影響がでるのか⋯」
後半は独り言のようにつぶやきながら、カルテに記入する。
「その盗られた一瞬だけ目眩がしただけで、後は特に今体調に問題はありますか?」
「少しだるいくらいであとはありません…」
「そう。それはよかった。では特にお薬を出す必要はないとは思いますが、もし体調がおかしくなったり、これ以上影が薄くなったり、万が一にも無くなったりすることがあったらすぐに来てください」
晃輔はそこで一旦切ったあと、真凛の顔をみて付け足した
「これは、ないとは思いたいですが、身体が勝手に動いてしまうと思ったときもすぐ来てください」
「そんな事、あるんですか?」
真凛は気味が悪そうに問う。
「無いと、いいですね」
晃輔はわざと明るくニッコリと笑って答えた。
「⋯影は取り戻せますか?」
真凛は面食らったような顔をしたが、思い出したように不安そうに質問する。
「…そうなればいいとは思ってますが、こればっかりは正直まだわからないですね。必要なくなれば戻ってくるのか、そうでなければ消滅してしまうのか…」
晃輔は答えに困る。いかんせん前例がないのだ。
「そうですよね⋯でも、いまのところ体調に不安もないし、ちょっと影が薄いだけだし」
真凛はあえて明るく言ってみせた。
「こちらでも調べて見ますので、何かあったらすぐ来てくださいね」
「はい、よろしくお願いします」
真凛は素直に頭を下げた。入ってきたときは本人もたらい回しにされた気がして信じて貰えない悔しさと悲しさがあったのだろう。話してみれば素直な可愛らしい女の子だった。
真凛が出ていった後、晶湖は晃輔に少し戸惑いながら話しかける。
「あの…影って⋯」
晃輔は何が言いたいのか思い当たったのだろう、デスクの上に肘をついて、ため息をついた。
「先日の男性と関連性はあるだろうね。てか影を奪ったやつが影を動かしている犯人だろうね」
「それって、私の時みたいに呪い?っていうか、何かの呪術みたいなものなのですか?」
「何かの術…ではあるのかなぁ…ちょっとそこはまだわからない。ただ、今回の相手は人間じゃない、かな?」
晃輔は信じられないことをサラッと言った。
──人間じゃない。
「どうもこの無差別ぶりを見ていると、櫻川さんのときのように誰かが誰かを呪うとかそういうものではなさそうだね。」
晶湖はゴクリとつばを飲み込んだ。人間じゃないってどういう事?
「櫻川さんはさ、僕が普通の医者だけど、ちょこっと普通じゃないところも知っているよね」
晃輔は唐突に話しだした。
晶湖は突然で意図が掴めない。
「はい。その説は大変お世話になりました」
「あはは。そんな畏まらないで。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。」
晶湖の頭の上に?マークが浮かぶ。
「それでさ、朔さんも櫻川さんには女神のようにみえたりしたんだろう?」
晶湖はカッと顔が赤くなる。
「それはっ!夢の中の話でっ!」
時間とともに曖昧になってくる。あれは本当だったのか、中林は白骨死体で見つかったから夢ではないのだろう、だけど、どこまでが現実でどこからが眠っている間のことだったのか。覚えているのは朔さんがとても綺麗だったことだけ。だけどそれも現実かはわからない。
「でも、半分は正解?かな流石に女神ではないけれど、朔さんもちょっと普通じゃないところがある人なんだ…と言ったら櫻川さんは信じてくれるだろうか」
「それはっ!信じます。だって私をそして美咲も…きっと絹人も助けてくれたのでしょう?」
その時を思い出したのか晶湖の目に涙が浮かぶ。
「悲しいことを思い出させたね。ごめんね。」
晃輔は晶湖をソファーに座らせるとティッシュボックスを渡した。
いつぞやと同じだ。晶湖はくすくすと笑う。
晃輔は何故笑われたのかはわからないが、晶湖の気持ちが上向いたのを感じて話を続けた。
「つまり、僕のような中途半端に普通じゃない人間や、朔さんのようにとても強い力を持った存在がいるように、世の中にはモノノ怪とか妖と呼ばれる類の存在がいるんだよ。そういった存在を利用して呪術を行ったりするものもいる。櫻川さんのときはそっちだったね。今回は直接モノノ怪の類が動いているんだと思う」
「ということは⋯」
「その存在を捕まえない事には収まりがつかないかもしれないし、今後も影を奪われる人、影を操られる人が増える可能性がある」
晶湖は思い出す、ついこの間、助けられなかった男性を。
「…この間の人も…?」
「そうだね、きっとその男性は影を操られていた人なのだろう」
「それは、所謂妖怪とか言われてるようなものなのですか?」
「そうだね、よく怪奇小説とかホラー小説なんかで出てくるような類だと思ってもらって構わないよ」
「で、だ。」
晃輔は晶湖に向き直って座り直した。
「櫻川さんは今の話、全て信じてくれるかい?」
晃輔は膝の上に肘を乗せると顎の下で両手を組んで晶湖の目をしっかりと見つめる。
晶湖も晃輔の目をしっかりと見つめ返す。
それからそっと目をふせて晶湖は話だした。
「わたしね、初めて先生にお会いした時から信じてみようって思ったんです。壮亮先生もそうだったけど、お二人はいつも私の味方でいてくれて、変な事を言っても何の疑いもなく信じてくれて。だからこの先生たちは信用できる先生だから信じようって決めてたんです。その気持は全くかわってないですよ。だから信じます」
そういって晶湖はちょっと照れたような笑顔を浮かべた。
「おや、いつまでも出てこないと思ったら、お話されたんですか?」
真凛の会計が終わって診察時間が終了したのだろう、朔が珈琲を入れて入ってきた。
「ああ、今回はちょっと話さないのは難しそうだから」
「そういいながらも、いつもは誤魔化してきたくせに」
「え?」
「いやその、今までは」
「晃輔坊っちゃんがちゃんとお話したのは櫻川さんが初めてですよ」
晃輔があたふた言い訳を考えているうちに、朔はあっさりバラしてしまった。
「もっとも、櫻川さんも被害者のひとりという点では話が通りやすかったというのもあるのかもしれませんけれど」
自分だけが特別、と思ったところで話が通しやすかったと言われて何故か少し、少しだけ落ち込む晶湖だったが、今まで誰も聞かされなかった話をしてもらえたことが晶湖はとても嬉しかった。
「朔さんだって、今まで見たこと無いほど櫻川さんのこと気に入ってるじゃない。そして坊っちゃんはやめて」
仕返しとばかり朔のことも晶湖のバラす。
「それは当然でございましょう!こんな素敵なお嬢様、誰が嫌うとおっしゃるのです!朔はいつか他の殿方に櫻川さんを取られてしまうのではないかと気が気で仕方ないのです」
本当の理由は内緒である。
「やだ、朔さん、そんなことないですよ。それに…絹人が亡くなってまだ三回忌も迎えてないんですよ。そう簡単に忘れられたりできません…」
晶湖の目に涙が浮かぶ。絹人の事を思うだけで泣けてくるのだ。
朔は目元にハンカチを運びながら、晶湖を慰める。
「勿論そう簡単に思いの人を忘れることなんて出来ません。朔にもそんな記憶がございます。そう、未だに忘れること無く思い続けております。でもね、人は忘れていく生き物なのです。でなければ悲しくて、辛いことが多すぎて生きてはいけません。だから人は喜びも悲しみも全て思い出に変えていくことができるんですよ。櫻川さんのその思いはまだ新しすぎて思い出になるには時間が掛かるでしょう。でもいつか、思いの人を思い出す時に悲しいだけじゃなかったと思ってあげられるときが来ることを朔は祈っておりますよ」
朔の言葉に余計に涙がこぼれる。
「⋯朔さんの思いの人って⋯?」
「それはもう私の命を救って下さって、朔という名前をつけてくださった。恩人でございます。その方には既に奥様がいらっしゃいました。それでも朔は今でもずっと思っておりますのよ。」
「朔さん…一途…」
晶湖は自分の話で悲しくなったのか、朔の話で感動したのかわからなくなったが、とりあえず朔に抱きついて泣き出した。
──朔さんの思いの人って俺のひいひいひいひい爺さんくらいの話だよね?
何だか話はそれてしまったが、朔と晶湖が更に仲良くなったのはよかった?と思う晃輔であった。
男は影をとりあえず集めてみた。
沢山できた影のなかのひとつ、暗い中、電柱の下にできた濃い影、集めてはいろんな人間に付けてみた。
もとの主の元へ帰ろうと暴走したやつ、薄すぎて気がついてもらえないやつ、勝手に動き回って自滅したやつ。見ていて楽しかったけれど、最近派手にやりすぎた。自分を嗅ぎ回っている奴がいる。だいぶ近くまで来ていて、もうすぐ捕まりそうな気がする。だけど、その前に最後に花火をあげてやりたい。
そう盛大な花火を。そのためにはもっと影を集めなくっちゃ、そうあいつに捕まる前に──。




