07 アレ・テタルの冬支度
その日は厚い雲で日中の日差しが遮られ、寒さが身に染みる一日だった。夜は強い風がカタカタと窓を揺さぶり、面会室にはどこからか冷たい風が忍び込んでいた。マユは普段は脱いでいる上着を着て、毛布にしっかりとくるまった。
一の鐘のころにようやく風の音が聞こえなくなったが、そこから一気に冷え込んだ朝、マユは寝過ごした。
「……あれ?」
全身が重怠く、息を吸い込むと喉の奥がヒリヒリと痛む。
目は覚めているのに、体が動かせない。何故だ。
遠くで鐘の音が聞こえたような気がする。
「朝の、てつ……だ、い」
今は何の鐘だろうか。
コンコンと遠慮がちなノックのあと、控えめに開いた扉の隙間から、金髪がひょっこりと現れた。ぼんやりとしていて顔が判別できない。
「うわ、この部屋寒いっ。マユ、起きてる?」
声でチェルシーだとわかった。
起きている、と返事をしようと息を吸った途端、咳が出る。
「お……ゴホッ、ゴホッ」
「大変、マリーさんっ、院長ー!」
咳が止まらない。
胸を叩くような苦しい咳が出るたびに、喉が裂けるように痛む。
ドタバタと飛び込んできた複数の足音と、「なんで部屋が寒いんだ?!」という驚きの声が遠くに聞こえた。
+
雪咳だった。
はじめての雪が降るころにかかる病で、喉の痛みと咳が特徴の風土病だ。その原因は明らかだ。
「すまん、面談室の暖房設定を忘れていた」
朝方とは真逆に、ほかほかに温められた面接室の長椅子の前で、膝を突いたゾルドランがマユに頭を下げていた。
十二月に入って急激に冷え込むようになり、数日前から孤児院でも暖房を使用しはじめていた。食堂にある暖炉の熱を魔道具で増幅し、子どもたちの寝所や作業部屋、大人たちの執務室や寝室に送り込んであたためるのだ。その魔道具は正常に動いているのに、マユの寝泊まりする面会室だけ温風が送られていなかったのは。
「魔道具の設定が去年のままで……去年は面談室を夜に使っていないなかったから、暖房の対象から外していたんだ。本当に、すまん」
今の面談室は暑いくらいにあたためられてぽかぽかだ。
マユは寝間着代わりのシャツ姿で、毛布に包まり横になっていた。雪咳の薬を飲んだらすぐに症状は治まったのだが、マリーに明日までしっかり寝て休めと命じられている。
「もういいです。お薬代も出してもらったし。ちゃんと回復してるし、院長は仕事に戻ってください」
「だがマリーが」
謝罪し続けるゾルドランはマユの見張りも兼ねているらしいが、正直、見られていると休めない。それに。
「私が嫌なんです……もうすぐ成人する女の子の寝所に居座るのは、倫理的にもどうかと思いますけど?」
「厳しいなぁ。俺は純粋に心配してるだけなんだが……はぁ、わかったよ」
院長は悲しそうにため息をついてゆっくりと立ち上がった。
「今日と明日の飯は俺からの詫びだ、しっかり食ってくれ」
薬で雪咳の症状を抑えているが、完治にはしっかりと食べるのが一番なのだ。残したら罰金を取るぞ、とマユが心おきなく完食できる言葉でゾルドランが脅す。
「それとな、マユは金を使うのは嫌かもしれんが、古着屋で冬着を買うんだぞ」
「余分なお金はありません」
「学費は二月の終わりまでに貯めりゃいいんだろ? まだ二ヶ月もある……この寒さは二ヶ月も続くんだぞ。冷え込みももっと厳しくなる。そんな薄着じゃ、何回も雪咳で寝込むことになりかねねぇぞ」
雪が降ってからは薬草の採取量が減っており、手取額も減っている。そこに寝込んだ日数の無収入と契約の日額三十ダルが響く。せっかく貯めた金がドンドン減ってゆくのは計算に疎い子どもでもわかる。
「働きたいなら健康を維持しろ。そのための冬支度だ、商人の言葉で先行投資っていうやつだ。金勘定が得意なマユなら、いくらまでなら使えるか計算くらいできるだろ」
「……はい」
「明日チェルシーに古着屋を案内させる。ウチの子どもたちに古着を寄付してくれてる店だ。ちゃんとあったかくなるんだぞ」
ゾルドランの言葉はもっともで、さすがのマユもしおらしく頷いた。
院長が部屋を出ていったのを確かめてから、マユは毛布を引きずって収納場所にゆき、荷袋から何本かの木筒を取り出した。乾燥薬草入れだ。
「この感じだと、たぶん……このくらい?」
雪咳の薬とケンカしないように、ほんの少しだけつまみ取って口に入れる。これで明日にはすっかり治っているはずだ。
完璧に直すため、マユは長椅子に戻って目を閉じた。
+
翌朝、いつもの時間に起きて手伝おうとしたマユは、マリーに面談室に追い返された。
「今日は手伝わなくてもいいってゾルから聞いてるでしょ。顔色もまだ万全じゃなさそうだし、朝食に呼ぶまで寝てなさい」
こっそり飲んだ薬草も効いている。マユとしてはすっかり治ったつもりなのだが、その主張は誰にも聞き入れられなかった。
「マユってほんと、頑固よね」
呼びに来たチェルシーに呆れられながら、丸芋のたっぷり入った牛乳スープの朝食で体を芯から温める。雪咳の薬を飲まされてから、成人して出て行った孤児の残した古着を着せられた。
「古着屋までの移動で悪化したら大変だもの」
「わざわざ買いに行かなくても、これを売ってもらえたら十分なんだけど」
「なに言ってんの、これ雑巾にする籠から引っ張り出してきた服だよ。もっとまともな冬服を着なきゃ、採取中に雪の中で凍え死んじゃうんだからね」
擦り切れて布が薄くなった冬服ではあたたかくないだろうと、チェルシーが自分のマフラーをマユの首に巻き付ける。
「貸してあげる。古着屋までの間だけよ」
「あったかい……ありがとう」
チェルシーの冬着もマユが借りたボロ服と似たり寄ったりだが、マフラーだけはたっぷりの毛糸が使われていて、肌触りも良くぽかぽかだ。
「気に入った? それ職人目指してるユーリアに編んでもらったの。みんなで狩った隠れ羊の毛をつかってるんだよ」
各ギルドが共同で運営する孤児院には、冒険者修行する孤児だけでなく、職人修行をする子も多い。九歳のユーリアは編み物が得意で、職人ギルドから服飾材料を預かってさまざまなものを編んで修行しているそうだ。
「あのさ、すぐにじゃなくていいんだけど、マユがいっぱい稼いだら、ユーリアに何か依頼してくれないかな? 材料があったら、手間賃はそんなにかからいなんだよ」
「うん、いいよ」
「ホント?」
「このマフラーあったかいし、編み目がキレイだし。毛糸が安く手に入ったらお願いするね」
やった、と弾けるように笑ったチェルシーに手をとられ、マユは下町へと向かった。
+
孤児院が懇意にする古着屋は下町の隅にあった。周囲の店も含めて、平民の中でもあまり裕福ではない層が顧客らしい。まだ閉店時間ではないためか、店は施錠されていた。
チェルシーは裏口に回り込んで戸を叩く。
「モリーさん、おはよう!」
「はいよ、今日はその子かい?」
「うん、少し前に入った子なの。マリーさんがよろしくって」
店主に事情を説明したチェルシーは、マユを預けてそのまま冒険者ギルドに向かうという。
マフラーを返して彼女を見送ったマユを、頭の先から爪先までじろじろと見て、マリーによく似た丸っこい中年女性はニヤリと笑った。
「細っこいねぇ。さて、いくらまでなら出せるんだい?」
「ご、五百ダルなら」
「厳しいね。まあいくつか見つくろってみるか。こっちにおいで」
裏口から店内に入る。所狭しと並べられた古着を掻き分け、姿見のある周囲だけぽっかりと開いた場所に招かれた。
「その予算なら色味は無視するしかないね。シャツはコレとコレ、セーターはちょっと無理だから、ベストだね。これ着てみな」
渡された冬着はどれも継ぎ接ぎが目立つが、布地はしっかりとしていた。きちんと洗濯されていて不快な匂いはしない。むしろほのかに薬草のような香りがして、マユには心地がよかった。
「そのワンピースの下にこのズボンをはいて、上着は……少し大きいのにしようか。成長しても着られるからね」
ズボンは薄手だが、もこもことした不思議な素材で肌触りが良くあたたかい。上着は袖が長すぎて指先が隠れてしまうが、むしろ防寒には都合が良かった。
「あんた、靴下はいてないのかい?」
「洗濯してて」
「替えがいるだろ。これとこれも……下着の替えはあるんだろうね?」
ある、と答えたものの、枚数は靴下とどっこいどっこいだ。店主は見抜いていたようだが、予算を考えたのかすすめられはしなかった。
「これ全部で、まけにまけて五百二十三ダルだよ。あんた冒険者なんだろ? それなら防寒マントがないとこの季節は厳しいよ。予算、もう少しどうにかならないかい?」
そう言いながらモリーは何枚かの冒険者用マントをマユに見せた。
冒険者向けのマントは、防寒と撥水に優れているだけでなく、内側にたくさんのポケットが付いているのが特徴だ。錬金薬専用ポケットの他にも、魔石を収納したり、薬草袋をくくりつけられそうな留め具まである。魔物の爪に割かれたのだろうか、真ん中あたりにある大きな破れが修繕されていた。難点は洗濯でも落ちない頑固なシミだ。おそらく魔物の血だろう。薄くなってはいるので、明るい場所でなければ気づかない程度ではある。
機能性の塊であるマントを前に、マユの目が誘惑に負けそうになっていた。
「気に入ったようだね、これ三百ダルするんだけど、特別に二百八十ダルでどうだい?」
「……残りは、学費につかうので」
「チェルシーに聞いたけど、あんた採取が上手くて、十日くらいで一千ダルも稼いだんだろ? その腕なら今日買った服代くらいすぐに取り返せるよ、二百五十ダルにまけとくよ」
金はあるが使うわけにはゆかないのだと、控えめに抵抗していたマユだが、機能性に魅せられたうえにモリーの強気の値引きで折れた。
雑巾手前の古着を脱ぎ、買ったばかりの冬着に着替える。鏡に映る己の姿を見て、マユは思わず顔をしかめた。赤いズボン、青いシャツに黒のベスト、上着は緑色だ。色だらけで視界が騒がしいし、なによりちぐはぐさが不格好だ。
思わずモリーを見上げると、彼女は「防寒を優先したんだよ」と申し訳なさそうだ。
確かに、買った古着は着心地も良くあたたかい。幸いなことにマントは渋い灰色で、羽織ってしまえば派手な着衣を包み隠せる。しかもマントは見た目に反して軽く動きやすい。
マユは思わず「買ってよかった」と呟いていた。
着替えを畳み、着てきた古着とは別に包んで、モリーに案内された表の扉から店を出る。
「学費を払って金が余ったらまたおいで。今度はちゃんと調和の取れた服を見つくろってあげるからさ」
「お、お世話になりました」
マユは曖昧な笑みで礼を言って孤児院への道を歩いた。
色彩はともかく、確かに身につけた衣服はあたたかく、マントも冬風をしっかりと防いでくれている。これならもう雪咳にかかりはしないだろう。
+
帰院したマユの姿を見て、マリーは苦虫を噛みつぶした。
「モリーったら……もうちょっと地味にしてほししかったね」
「派手すぎて似合いませんよね」
「ああ、そんな顔しないで、こんな不格好な色の組み合わせは似合わなくていいんだよ。もしかして……気に入ってるのかい?」
色彩センスを疑われたマユは慌てて首を横に振った。好みで服を選べるほどの贅沢は経験がないが、自分で選ぶならもっと大人しい色みの服を選んだだろう、マントのような色合いの服を。
「安心したよ。まあこれで凍えることはなさそうだし、ひと冬の我慢だね」
「あの、今日の手伝いはなにをすればいいですか?」
「休みだって言っといただろ」
「本当にもう大丈夫なんです。薬草が効いてるので」
「薬草? あんた雪咳の薬の他に何か飲んだのかい?」
シェラストラルに居たころから、病気のときは師匠に教わったレシピを使い、自分で薬草を調合して飲んでいたというと、マリーは目を丸くした。
「さすが薬魔術師見習いだね」
呆れながらも感心したマリーは、マユの顔色を確認して本当に大丈夫そうだと納得した。体が回復したなら、次は心だ。マユの自尊心のためにも食事のための手伝いを用意するべきだろう。
「わかった、手伝ってもらうよ」
マリーはニッコリと笑った。
「だが今日は街の外には出さないからね。退屈だろうから掃除を手伝っておくれ。それと洗濯物もだ。マユが手伝ってくれたらあたしは帳簿付けに専念できる」
「はい、わかりましたっ」
初日以来の玄関脇の物置を整理整頓し、玄関と廊下をモップがけするマユの足取りは軽やかに弾んでいた。
【アレ・テタル17~19日目のお財布】
前日残高 2491ダル
冬服一式 -523ダル(厚手のシャツ2着、毛糸のベスト1着、冬上着1着、ズボン1足、靴下3足)
マント -250ダル(フードつき。毛布としても使う)
寄付 -90ダル(3日分)
17日目残高 1628ダル




