02 あたたかなスープ
「なんだ、これ」
「人みたいだよ」
「ひっ、しんでるの?」
「わかんね」
コツン、と。
肩に痛みを感じて、ハッキリと目が覚めた。
同時に幼い声がいくつも降ってきて、寝過ごしたのだと気づく。
跳ねるように飛び起きたマユは、毛布を外して声のするほうを振り返った。
おそらく六、七歳くらいだろうか、幼い少年たちが物置の狭い通路をふさいでいた。マユを警戒してか、ホウキや農具を剣のように構えている。
「知らないヤツだぞ」
「きたねーな」
顔を歪めた少年の言葉に、マユは恥ずかしくなってうつむいた。その拍子に前髪が揺れ、土埃がパラパラと散る。王都からの旅の間はあえて体を汚していたし、昨夜は清める余裕もなかった。この物置で一晩過ごしたことでよけいに土埃にまみれている。
孤児院の洗い場を借りたい。少年の誰かに大人を呼んでくれるよう頼もう。そう思ってマユが顔を上げると、一人の少年と目が合った。
「ど……ドロボウだ!」
目が合った少年がホウキを振り上げた。
咄嗟に頭をかばって丸くなる。
物置は狭い。ホウキの柄が、並べてある農具や棚にぶつかりマユには届かなかった。そのかわり棚からガラクタが落ちてきた。
「マリーさーん、どろぼーだよー」
「ちがっ、違います、待って」
「わー、逃げろ!」
一斉に少年たちが駆け出した。
「ドロボウは逃すな」
「閉じ込めろっ」
「ドロボウじゃありません、待って」
きゃー、と声を揃えた少年たちが物置を駆け出た。
「待って!」
毛布に足をとられて出遅れたマユが、出口に辿り着く前に扉が閉まった。
ガタガタと椅子か何かで重しをする音が聞こえる。
「出してください、閉じ込めないで。ちゃんと院長さんに許可もらってます」
戸板を叩いて声張り上げたが、向こう側では子どもたちがキャーキャーと騒いでおり、マユの声など聞こえていない。これは声を張り上げても無駄だ。
「大人がやってきたら、全部わかるよね」
ゾルドランがマユという一時居住者の説明をきちんとしていないのだろう。院長のくせに怠慢だ。
「……あの男、本当に院長だったのかな」
門番の老人はそう言っていたが、あの二人に騙されたのかもしれない。だとすれば自分は不法侵入者だ、街兵に突き出されても文句は言えない。
「絶対ダメ」
罪人になってしまえば魔術学校の入学資格が取り消されてしまう。マユは慌ててカップとパンを仕舞って袋を背負い、毛布を畳んだ。
これからやってくるであろう大人たちに、ここにいた経緯をきちんと説明しなくてはならない。ゾルドランという男と門番はまだ敷地内にいるだろうか。話の通じる大人はいるだろうか。
不安を抱えたまま扉の前に戻り、背筋を伸ばして待った。
やがて子どもたちの騒ぎ声が、大人の声に一喝されて静かになった。
静かに扉が開き、目の前が眩しい光でいっぱいになる。
思わず目をつむったマユに、どっしりとした明るい声が名前をたずねた。
「マユです。シェラストラルから来ました。ドロボウじゃありません」
「そんなことわかってるよ。悪かったね、ゾルのヤツがアンタのことを伝言し忘れてたんだ」
目を開けると、筋肉質で大柄な中年女性が、どうやら間近いなく院長だったらしいゾルドランの首を絞めながら、マユにやさしく微笑みかけていた。
「ま、まりー、ぐ、ぐる、じい」
「うるさい。アンタは最低だな。女の子をこんなところに寝かすなんて、なに考えてんだい?!」
「は? おんな、のこ?」
絞められる苦しさよりも驚きが勝ったらしい。目を見開いてマユを眺め、嘘だろ、と呟いた。
「髪はザンバラで短いし、服は男物だし、ここまで汚れてるんだぞ、気がつかなくても仕方ないだろ」
「アンタに見る目がないのは知ってたが、酷いね。ほら、デイルたちを連れてさっさと日課に出ていきな!」
マリーに尻を蹴られた院長は、ホウキや農具を持った少年たちを率いて建物を出ていった。
パンパンと埃をはたいたマリーは、玄関扉を閉めてマユを振り返る。
「あ、あの」
「怖い思いをさせてごめんね。あたしはマリー。ここで飯炊きと雑務をやってる。マユのことはさっき院長のゾルに聞いたばかりなんだ」
よかった、ちゃんと話を聞いてくれる大人だ。
ホッと胸を撫で下ろしたマユは、ぺこりと頭を下げた。
「マユです。昨夜ゾルドランさんに、終わりの日まで住む許可をもらいました」
「らしいね。あいつからまだ詳しいことまで聞けてないんだよ」
困り顔で笑ったマリーは、こっちにおいでとマユを手招きする。
「ちょうど湯を沸かしたところなんだ、話を聞く前にキレイにしようじゃないか」
「え、そんな、もったいない」
「もったいなくないよ、ほら、洗い場だ。ここの孤児院は日替わりで男と女が風呂に入る決まりだ。今日は男どもの日だがたったいま追い出した、しっかり洗っておいで」
マリーはマユから手早く荷袋を奪い、着衣をむしり取り、石けんと大きめの手拭きを渡し、洗い場に押し込んだ。
「もう一杯お湯を持ってくるから、しっかり汚れを落とすんだよ、いいね?」
「は、はい。ありがとうございますっ」
広い洗い場には大樽がたくさん乾されていた。
入り口に近い場所に、水の入った大樽と、湯気を立てる少し熱めの湯樽がある。マユはそっと指先で温度を確かめた。
「あったかい」
凍えていた手足がジンジンとする。その痛みが心地良くて、マユは小さな桶ですくった湯湯を頭から被った。流れてゆく湯が土で汚れている。石けんもあるのだ、しっかり洗おう。
まず汚れた衣服を洗う。すすぎ水がきれいになるまで何度も水を替えた。
桶の水がなくなったので、魔力で出した水で頭と体を洗う。一度目は泡が立たず、二度目でやっと白い泡ができた。そのまま体もゴシゴシと擦る。手拭きを洗った桶の水に、ぷかぷかと垢が浮いている。排水口に汚水を捨てて、魔力の水で桶を洗った。
少しぬるくなった湯桶に座る。膝や背中に湯をかけて体を温めているとマリーが現れた。
追加の湯を運んで来た彼女は、湯に浸かるマユを見てびっくりしている。
「銀髪だと思ってたのに、ホコリだったのか。黒髪だったんだね。癖がなくてキレイじゃないか。せっかくだからその髪を少しは見られるように整えようか。ちょっと待ってな」
湯の入ったバケツをを置いて出ていったマリーは、クシとハサミを持ってきて、マユに動かないようにと命じる。
「シェラストラルからどうやってきたんだい? まさか歩き旅じゃないだろうね?」
「乗合馬車です」
すぐ出発する便に飛び乗ったため、客層が良くなかったこと。自衛のために髪を切り、体を汚して男の振りをしたこと。街についてすぐにあちこちを走り回っていたため、身ぎれいにする余裕がなかったことなど、チョキチョキとハサミの音を聞きながら、マリーの問いに答えてゆく。
「それで寝泊まり先をウチにしたのかい。なかなかの選択だね」
「いいんですよね?」
「もちろんだ、ゾルドランが許可してるからね。そんなにビクビクしないで、堂々としてればいいんだよ。アンタはまだ十二歳になってないんだ、孤児ならここに居ていいんだよ」
ハサミを置いたマリーに湯を頭からかけられて散髪が終わった。
「服を着たら台所においで。ちょっと手伝ってもらいたいんだ」
乾いた布をもらって水気を取り、たった一枚の替えに着替えた。洗い場を掃除して桶を乾し、洗濯した服を乾す場所を探して物干しのある庭を見つけ、子どもたちの洗濯物の端に干させてもらう。
それから建物内に戻り、台所を探した。
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台所の場所はすぐにわかった。漂ってくるスープの香りをたどって、食堂奥をぞきこむ。
マリーは広い作業台でパン生地をこねていた。マユが声をかけると、嬉しそうに顔を上げる。
「洗濯物を干す場所はわかったかい?」
「はい。中庭ですよね。手伝いは何をすればいいですか?」
「包丁は使えるかい? 料理をしたことは?」
魔獣の解体をするので刃物は使い慣れているが、マユのいた孤児院では料理は職員の仕事だった。野営料理くらいしかできないと答える。
「それなら白芋と赤芋を切っておくれ。アンタの親指の爪くらいの大きさだ。切ったヤツはそっちのザルにまとめて入れといてくれるかい」
示された場所には、手をつけて途中で止まっている白芋があった。包丁は少し大きいし、作業台も高いが何とかなりそうだ。先に切られた白芋の大きさを真似ながら、マユは十本の白芋と二十本の赤芋を切った。
「できました」
「ああ、ありがとう。じゃあこっちの鍋を見ていておくれ。沸騰してきたらアクが浮いてくる。それを取り除くんだよ」
寸胴の大きな鍋に、肉の塊が入っていた。他にも紫ギネと唐芋が丸ごと、コトコトとスープの中で踊っている。湯気とともにあまりにも美味しそうな匂いがして、思わず唾を飲み込んだ。同時にグウゥ、と腹が鳴る。
「そうだった、マユは朝を食べてなかったよね」
ウッカリしていたと謝ったマリーが、小さな鍋を火にかけて朝食の残りスープを温めはじめる。
「あの、ご飯は持ってます。食事はなしってゾルドラン院長と約束してて」
「なに言ってんだい、一泊三十ダルって契約なんだろ。飯付に決まってるじゃないか」
「食事は自分で用意するって約束なんです」
昨夜の。面談室でのやり取りを聞き出したマリーは、怒りを吐き出した。
「あのボンクラめ、弱みにつけ込んで酷いじゃないか! いいから食べとくれ、あたしが許すよ」
「駄目です、契約は守らないといけないんです」
ゾルドランへ向けられていたマリーの怒りが、今度は頑固なマユに向いた。何を意固地になっているのかと彼女は腹を立てるが、マユとしては絶対に譲れないのだ。
「私は魔術師の見習いです。魔術師は契約を破ってはいけないって師匠に教わりました」
「でもゾルの奴はあんたの弱みにつけ込んで、不利な条件を呑ませたんだよ? 悔しくないのかい?」
「不利なのは納得して契約しましたから、大丈夫です」
「大丈夫なもんか……」
マリーは呆れと悔しさを混ぜたようなため息をつき、それでもこのスープは飲めとマユに命じた。
「これは台所仕事を手伝った報酬だ。それなら契約を破ったことにはならないだろ」
「……はいっ。ありがとうございます」
作業台の端っこに用意されたスープは、煮崩れた赤芋と白芋に、肉のクズがたっぷりだ。仕舞っていた黒パンを添えて、ありがたくご馳走になる。残り物のスープは煮詰まったことで旨味が凝縮されていてとても美味しかった。
パン生地をオーブンに入れたマリーは、これで一段落だとエプロンを外し、マユを呼ぶ。
「あんたの寝所を用意するよ。おいで。ああ、物置じゃないからね。あんなところに子供を寝かせてるなんて他所に知れたら、うちの評判はガタ落ちだよ」
契約が、と口を開きかけたマユをさえぎって、マリーがこれだけは譲らないと言い張った。
「確かにウチの財政は厳しいし、ベッドも満杯だ。だからといって女の子をあんな物置に押し込めるなんて、どこの孤児院だってやってないよ」
だからその頑固さを引っ込めて受け入れろとマリーは彼女の背中を叩く。
マユが連れて行かれたのは、玄関近くにある長椅子のある小部屋、面会室だった。
窓が大きく、昼間の室内は明るい。
「面談室は外部からの客との面談に使うが、それは昼間だけだからね。夜はその長椅子に寝るといい。汚さないように使っておくれ。荷物は物入れの一番端が空のはずだから、持ち歩かない荷は入れておくといいよ」
ただし鍵はないので貴重品は必ず持ち歩けとマリーが注意する。
「他に手伝うことはありますか?」
「マユは一時客だからね、孤児院の仕事をする必要はないよ」
それなら薬草採取の準備に行こう。
さっそく借りている毛布を物入れにしまい、荷袋を入れた。採取用のベルトを腰に巻き、財布と板紙と木炭ペン、それと採取用の小袋を一つにまとめてくくりつける。
いまは何鐘だろうかと問うと、あと四半鐘で五の鐘だとの返事だ。
「門限は八の鐘だ、それまでに必ず戻っておいで。それと夕食の時に子どもたちに紹介するよ」
今朝のような騒ぎがまた起きないように、マユの立場と事情をしっかり説明する必要があるし、他の大人たちとも顔を合わせしなければ安心できないだろう、と。
「わかりました。八の鐘ですね」
「学費を貯めるんだろ、頑張っておいで」
ポンポンと、厚みのあるあたたかな手で背を押されて、マユは小さく「行ってきます」と声を出した。




