01 交渉の夜
魔術学校事務室を出たマユは、閉まった扉に背を預け大きく息を吐いた。
「間に合った……っ」
ギリギリだった。最終期限は入学手続き最終日の魔術学校が閉まるまで。チラリと見せられた名簿では、すでに全員への意思確認が終わっていた。入学辞退を取り消せたのは本当に運が良かったのだ。安堵したマユの体から力が抜ける。
建物の外に出て、魔術学校を見上げた。
春から通う校舎は、屋根も壁も黒い塗料で塗られていた。石造りの古い建物の窓には、透明なガラスがはめられている。ガラス窓の向こうに人影が動いて見えた。こんな時間まで授業をしているのだろうか。
居場所を得られた安堵は、すぐに怒りに塗り替えられた。
「せっかくの学費免除だったのに、酷いよミリーアさん。こんな騙し方しなくても、雇えないってはっきり言ってくれてたら、辞退なんてしなかったのに」
師匠に力試しだとすすめられ、孫で薬魔術師の先輩であるミリーアに、良い成績で合格すれば店で正式に雇うとの約束で、マユは入学試験を受けたのだ。正式雇用が約束されていたから、合格成績証をもらって入学を辞退したというのに、試験結果を持って戻ってみれば、留守の間に師匠は療養のため転居しており、店を継いだミリーアはマユととの約束を反故にして追い出したのだ。
あの瞬間の怒りと焦りを思い出し、無意識に校舎の壁を叩いていた。石壁はビクともせず、逆に固く握りしめた拳が痛い。
「腹立ててる時間がもったいないか」
マユは事務員にもらった書類をしっかりと持って、足早に街を歩いた。のろのろしている時間はないのだ、今夜からの寝所の確保と、明日からの金策を練らなくてはならない。
「薬草の買い取り先が複数あるのは助かるかな」
六歳の判定で魔術師基準の魔力を保有しているとわかってから、マユは薬魔術師に弟子入りした。カーラ師匠の指示で毎日のように薬草を採取してきたのだ、薬草で稼ぐ自信はある。
問題なのは寝所だ。
マユは孤児で、帰る家はない。
「商業ギルド運営のとこはお金取られるしなぁ」
宿屋に泊まるよりは安いが、それでも一泊数十ダルは払わなければならない。三ヶ月の間に、不慮の事故や健康を損なうなどして、学費が貯められなくなる可能性はゼロではないのだから、できるだけ節約したかった。
「冒険者ギルドで買取価格を調べて、どっちの孤児院にするか決めなきゃ」
閉門後の冒険者ギルドは、猟果を持ち込む冒険者で賑わっていた。アレ・テタルは他国から魔術師を目指して多くの人が集まる都市だ、そのせいか公用語でもウェルシュタント語でもない言葉がちらほらと話されているようだ。
マユは聞こえてくる声を無視して、ぎゅうぎゅうと押し合うほどの混雑に、痩せた細身の体を捻り込む。長身な冒険者の足下をくぐり、大きな防具でかさばる冒険者の脇下をすり抜け掲示板の前に出た。
掲示板の見やすい位置に、定番素材の買取価格が貼り出されていた。
「薬草は、っと」
背伸びをして目を凝らす。
「体力回復薬のユーク草は五株で十ダルなのか」
サフサフ草とゼルマの芽とあわせて持ち込むと、買取価格は十ダル程度が上乗せされるとある。錬金薬に必要な薬草を一式揃えると割り増しになるのは好都合だ。
「さすが、魔術都市」
薬草三種類を一揃いで四十ダル、これを毎日五セット売れば二百ダルだ。
孤児院への寄付が一日五十ダルとすれば、食費を一日五十ダル以内に節約すれば、百ダルが残る。最短で三十日で学費がたまる計算だ。もちろん毎日二百ダルを稼げる保証はないし、予定外の出費もあるだろう。六十日かけて貯めるつもりでマユは計画を立てた。
「やっぱり一番高く買い取ってもらえるところに売りたいよね」
体力回復薬、魔力回復薬、治療薬に解毒薬、それぞれに必要な薬草の価格を書きとめた。冒険者ギルドの価格を基準に、魔法使いギルドと医薬師ギルドでの買取価格と比較し、一番高く売れる場所に持ち込む。このくらいの手間は苦ではない。
「角ウサギの肉はあまり高くないのか。これなら自分で食べたほうが良さそう。屋台の料理も安くないものね」
試験の時に買ったパンは二個で三十ダルだった。野草は採取すればいいし、肉は角ウサギを狩れたら何とかなる。塩を安く手に入れる必要があった。ひとまず皮と肉と角の値段を書きとめる。
他にも掲示板には街中での簡単な仕事が貼り出されていた。荷運びに、配達、倉庫の掃除や、ゴミ集めといった雑用ばかりだ。報酬も三十ダルから五十ダルと安価だが、街での暮らしに慣れたころなら、余裕のできたときにこなせば良さそうだ。
必要な情報を書きとめたマユは、混雑のピークを過ぎたギルドロビーを出た。
次は市場だ。雑貨や食材の露天のほとんどは店じまいしているが、屋台は下ごしらえした食材を売り切るまで閉めないものだ。
手持ち無沙汰にしている冒険者に、屋台の出ている市の場所をたずねた。
「それなら宿屋街に近い露店市がいいよ。部屋に料理を持ち込みたい客のために遅くまで売っているから。ここから右手にすすんで、最初の分かれ道を左だ」
「右手をまっすぐで、左ね。ありがとう」
もう空が暗い。街灯はあるが、裏路地にまで設置されているわけではない。マユは灯りを追いかけるように路地を走った。
肉を焼く匂いがして顔を上げると、教わった屋台市が見えた。討伐帰りの冒険者らで賑わっている。マユはパンを売る屋台を探し歩いたが見つからない。焼いた肉をパンに挟んで売っている店はある。値段は五十ダル。
財布にしている小さな巾着袋を握りしめて、マユは思い切って店員に声をかけた。
「あの」
「いらっしゃい。角ウサギ肉と魔猪肉、どっちにする? 味付けは塩とタレがあるよ」
「パンだけ、買えますか?」
「ウチは焼き肉のパン挟みの店なんだよ」
眉をひそめる店員の視線を避けるように、マユはうつむいた。
迷惑な客なのはわかっている。だが他にパンを売っている屋台がないのだ。もっと早い時間だったら安いパン屋を探して買っていた。ここでパンを買えなければ、明日の朝市まで空腹を我慢することになる。
マユは頭を下げ、店員に頼んだ。
「お願いします、パンだけ売ってください」
子どもの擦り切れた着衣と、泥に汚れた靴、疲れ切った様子を見て哀れに思ったのか、店員が店主と相談し、仕方なさそうに言った。
「パンだけなら二十ダルだけど、それでいい?」
「はい、ありがとうございますっ」
銅片二十枚で手のひらほどの大きさの黒パンを一切れ手に入れた。焼きたての肉を挟むために切り目が入っている。今夜と明日用に切り目から分けて、シクの葉で包んだ。
食事は確保した。最後は寝所だ。
「ギルド共同運営の孤児院は……」
西の空に残るわずかな陽の光が作る長い影をいくつも踏み、何度か路地を間違えて戻りながら、なんとか暗闇になる前に、目的の孤児院に辿り着いた。
+
下町にある孤児院は、どこも壁と柵で囲まれている。
マユは閉じている鉄柵の門を押した。まだ施錠の時間ではなかったらしく、鉄門は静かに開いた。職人ギルドがかかわっているだけあって、鉄柵も木造の建物も古いが、手入れは行き届いている。
玄関を叩いて声をかけた。
「こんばんは、誰かいませんか?」
何度か叩き、繰り返し呼ぶと、奥からひょろりとした体型の老人が、片足を引きずりながら現れた。
「足が動かんのだ、出てくるのに時間がかかってすまなんだ。それでなんの用かね?」
老人の目はマユを警戒していた。貧しい未成年の子供が、日暮れ後に孤児院の扉を叩くのだから、その目的は二つしかない。困り切って寝所を求めてきたか、謀って侵入し盗みを働くかだ。
「シェラストラルの孤児院から来ました、マユと言います。十一歳です。この孤児院の責任者に会えませんか?」
「ほう、未成年にしてはしっかりしているな」
「私のいた孤児院は商業ギルドの運営で、躾が厳しかったから」
「それが嫌で逃げ出してきたのか?」
老人は不快げに顔をしかめる。追い返されてはたまらないと、マユは慌てて首を横に振った。
「違います。逃げてきたんじゃなくて、責任者は……おじいさんですか?」
「ワシは門番だ、あんたを追い返す権限はない。上の者に聞いてくるから、ここで待っていろ」と扉を閉められた。
玄関先で立って待つマユは、ぎゅっと上着の襟を引き寄せた。
十一月も明日で終わる。王都シェラストラルと違い、アレ・テタルは高山に囲まれた内陸地だ。冬の風は冷たく、積雪も珍しくないと聞く。
「厚めの防寒具を買わなきゃいけないなら、いろいろ厳しいな」
寒さのつのるこの時期は、冬物の古着も値上がりしている。屋根さえあれは冬を越せる王都よりも寒いこの地では、厳しい三ヶ月になりそうだ。
晩秋の冷たい夜風で体が冷え切ってきた。あとどのくらい待つのだろうか。体温を守るように巻き付けた腕の皮膚が、縮んだ毛穴でブツブツになっている。肌はもう寒さを感じない。
「待たせたな、院長の準備ができた」
扉の内側に招き入れられて、あたたかな空気にほっと息がもれた。凍えるマユを見て、門番は申し訳なさげだ。
「悪かったな。ちょうど子どもたちの食事時間で院長の手が空いてなかった」
片足を引きずるゆっくりした歩みについてゆく。
入り口近くにある面会室に通された。門番の老人が、待たせた詫びだとあたたかな湯をくれた。小さなコップを両手で包み込んで、ぬくもりを閉じ込めるようにして飲む。体の内側からじんわりと熱が広がって、心地が良すぎて眠気に襲われる。長椅子に横になりたい誘惑を堪え、欠伸をかみ殺して待った。
「坊主がシェラストラルからきた子か?」
現れた中年男はどこかの棟梁か親方のような風貌をしていた。面会室が薄暗かったせいか、あるいはマユの風貌のせいか、男だと思われたようだ。マユはそれを否定しなかった。
「マユと言います。突然押しかけてすみません」
「ここの院長をしているゾルドランだ」
孤児院の院長には見えない強面な男だ。しかめっ面でマユを探るように見ている。だが声は表情とは違って穏やかでやさしい。
「リックの話だと、シェラストラルを追い出されたんじゃないらしいが、どうしてここに?」
「私は春から魔術学校に通うんです」
嘘ではないと証明するため、合格証と入学手続き書の控えを見せた。
「事情があって、まだ前期の授業料を納めてません。納入期限までに稼ぐつもりです。でもシェラストラルに戻るのは旅費がもったいなくて」
乗合馬車の片道料金は五百ダルだ。往復一千ダルを余分に貯めるよりも、アレ・テタルで暮らしたほう安く済む。
「三ヶ月だけ、ここで寝泊まりさせてもらえませんか?」
「……どうやって学費を稼ぐ積もりだね?」
目を丸くしたゾルドランに、不安いっぱいにたずねられて、マユはしっかりと計画を説明する。
「薬草採取です。私は薬魔術師の師匠のもとで、錬金薬に適した薬草を採取していました。ここは魔法使いギルドもあるので、錬金薬に使う以外の薬草もお金になるから、三千ダルを貯めるのは不可能じゃありません」
「薬魔術師が師匠なのに、金を自分で出すのか? 普通は師匠が援助するはずだが?」
「……師匠がお店を薬魔術師の孫に譲ったんです。ミリーアさんは師匠じゃないので」
「なるほど、援助は頼めんのか」
詳しく説明したくないというマユの気持ちを汲み取ったのだろう、院長は事情を深く追及しなかった。その代わり、何を採取し、どうやって稼ぐのか、どんな計画なのかを根掘り葉掘りたずねる。よどみなく返すマユに、「商業ギルドの教育ってのはすごいな」と感心しきりだ。
ゾルドランはマユならどこででも生きて行けそうだとほめた。その表情には追い出したそうな色が浮かんでいる。彼が口にした条件も、他ならもっと良い待遇があると言わんがばかりだった。
「ウチは定員がいっぱいで、予備のベッドもない。毛布は貸せるが、寝所は物置の片隅になる」
「屋根があって、毛布があるなら十分です」
「金が貯まらなくても終わりの日には出ていってもらうぞ」
「はい、かまいません」
「予算がギリギリでな、予定外の食料を調達する金がない、食事は出せない」
「大丈夫です」
「毛布の貸し賃と、薪と水の費用を……一日三十ダルの寄付で引き受ける」
「ありがとうございます!」
諦めてもらうために条件を出したというのに、それをすべて受け入れられてしまっては断れない。マユの粘り勝ちだ。最後は渋々に許可を出したゾルドランに、彼女は深々と頭を下げた。
寝所が確保できたのだ、あとは働いて学費を貯めるだけだ。
さっそく三十ダルを払おうと巾着を取り出し、銅片を数え渡す。
「明日からは係のマリーに払ってくれ」
三十枚の銅片を丁寧に受け取ったゾルドランは、自らマユを案内して回った。孤児らの寝室や作業場は二階にある。立ち入らないようにと注意された。洗い場と水場は一階の奥に、トイレは裏口を出た先の別棟を使用するようにと教えられる。
「ここが物置だ。毛布はこれを使ってくれ」
一階の玄関近くにある窓のない小部屋は、土と埃と脂の匂いがした。屋根があればと言ったが、住環境は少しでも良くしたい。朝になって明るくなったらすぐに掃除をしよう。
渡された毛布はずいぶんと厚手で、これならあったかく過ごせそうだとホッとする。
灯りを持ったゾルドランが去ると、物置部屋は真っ暗になった。
「もう大丈夫」
その呟きは、思いのほか大きく響いた。
最大の難関だった三ヶ月間の寝所が格安で確保できたのだから、もう半分成功したようなものだ。己に言い聞かせながら、マユはポケットからクズ魔石を取り出して、ぐっと魔力をこめた。
限界を超える魔力を詰め込まれた魔石は、壊れたくないと魔力を発散しはじめる。
クズ魔石から放出される魔力が光を発し、物置内をぼんやりと照らした。
掃除道具や農具に工具が雑多に詰め込まれている。手前に向けて並び揃えて奥に場所を作り、そこに毛布を敷いた。
背負い袋から木製のカップを取り出し、魔力を集中させる。
「……水」
小さなカップが水で満たされた。
それを飲みながら先ほど買ったパンを半分食べる。口の中がカラカラになりそうな黒パンをしっかり噛んで水で飲み流し、手早く片付けて荷袋を枕に横になった。
広い毛布の端っこを引き寄せて、体を包み込む。
「あったかい……」
毛布のぬくもりに引っ張られて、マユはゆっくりと瞼を閉じた。
【マユの財産】
支出 パン -20ダル/寄付 -30ダル
残高 154ダル




