05 図書室にて
夕食のはじまる八の鐘半よりも前に寮に戻ったマユは、洗い場で素早く汚れを落として食堂に向かった。昼間エリカたちに教わったとおり、食事時間がはじまった直後の食堂は生徒が少ない。マユは視線を気にせずに、角ウサギ肉と豆のハルパ煮込みと、酢漬け野菜の夕食を楽しんだ。
部屋に戻り、傷のある薬草の保全処理をはじめる。
「薬用の薬草が減ってるから、セタン草はそっちに回して、ユーク草とフェイタ草は実技実習用にしようかな」
パラパラと教科書をめくりつつ、一年目の実技実習の内容を確認する。前期は体力回復薬と魔力回復薬、後期は治療薬が試験対象とあった。この三つの錬金薬が評価されるのだろう。
解毒薬と麻痺薬は二年目だ。
「解毒薬の材料は一年目に集めておかないとキツそう」
ダトンの花は春、サヒン草の種は夏の終わりだ。実習が近づいてから集めようとしても、時期的に間に合わない。調合実技で良い評価をもらうためには、練習はかかせない。マユには薬草を買う余裕はないのだから、一年目からできるだけ多く集めておくしかない。
「換金する分もってなると、いっぱい採取しなきゃなぁ」
春になれば新しい薬草採取地も見つけられるだろう。自分だけの採取地図を完成させるのが楽しみだ。マユは無意識に鼻歌を歌いながら歯形の残る草生の保全処理を終わらせ、収納の片隅に用意した箱におさめた。
薬草を片付けてから、寮監にもらった選択科目の登録書を見直す。
エリカとセオドアは魔力属性考を選択している。属性の魔術に特化した攻撃魔術師は三流なのだと二人は熱く語っていた。
「攻撃魔術師は自分の属性に威力が偏りがちじゃない? でもそれって冒険者にとっては迷惑なワケよ」
「火蜥蜴に火弾を撃っても屠れないだろ」
「水場の雷蜥蜴に水弾を撃っても傷一つつけられないからね」
一流の攻撃魔術師を目指す二人は、己の属性以外の魔術の威力を高めるため、属性について学ぶのだそうだ。
属性による差違といえば、お屋敷の薬草園を思い出す。肥料として使う魔石粉は、薬草の種類によって変えていた。配合までは理解していないが、薬草の生育に魔素の属性が影響しているのは間違いない。
「……」
首から下げている錬金薬の瓶を見る。
マユはカーラ師匠のもとで幾度も錬金薬を調合してきた。さまざまな錬金薬を作ったが、特定の錬金薬の品質だけがいつも規格に満たなかった。
「薬草が魔素を栄養に育つくらいだから、錬金薬だって魔力属性に影響されるよね?」
マユの魔力は水属性だ。飲み水には困らないし、錬金薬の調合でも魔力水の調整では有利だ。だがカーラ師匠は火属性だったし、孫娘のミリーアは土属性だった。なのにどの錬金薬を作っても品質は均等にできあがっていた。
「うん、魔力属性考は私には必要」
マユは時間割の空白に、魔力属性考と書き込んだ。
残る身体学だが、これはたずねる相手がいない。図書室で過去の教科書を読むしかなさそうだ。
カラン、カランと、九の鐘の音が聞こえる。
窓の外は暗闇だが、眠るには少し早い時刻だ。疲れているが、他の新入生から遅れている勉強をすすめたい。しかし明日も採取に行かねばならないし、図書室での調べ物もあり忙しいのだ、夜更かしは良くない。どうしようかと悩んでいると、卓上の魔道ランプがチカチカと点滅したのち、灯りが消えた。魔力が空になったのだろう。
「寝ろ、かな」
なんとなくそう言われているような気がした。
マユはカーテンを閉め、ベッドに潜り込む。
目を閉じた次の瞬間には眠りに落ちていた。
+
二の鐘の音で目が覚めた。
天井が橙色なのも影響してか、部屋の空気があたたかく感じる。
着替えて顔を洗ったマユは、朝食も食堂が開くと同時に食べた。朝一番の食堂は特に学生が少なく、緊張せずにすむ。朝食は野菜と豆のスープと、燻製肉の薄切りが一枚に、焼きたてのパンが一個だ。
「……ジャム」
お屋敷で出されたパンには、ジャムか蜂蜜、バターのいずれかが必ずついていた。値段を考えれば、無料の食事につくはずもないのだが、マユの舌はその贅沢を覚えてしまっている。
チラリ、と周囲を見回した。数少ない学生の中には、追加料金を払った朝食を食べている者もいる。三十ダルの追加で燻製肉が厚切りになり、卵料理が増え、おそらくパンにはジャムかバターが添えられる。
「お金が貯まったら、週に一回くらいは贅沢したいな」
ギルドカフェのジュースはとても無理だが、食堂の追加料金くらいなら許容できる額だ。お金を貯める楽しみを見つけて、マユは嬉しくなった。
混みはじめる前に食堂を出て、外出の準備をする。朝のうちに薬草を採取して、昼からは図書室で調べ物だ。学生らが昼食を食べている間に済ませたいので、朝の採取にかけられる時間は少ない。
「急がなきゃ」
寮を出たマユは、まっすぐに北門を目指した。昨日摘めなかったトラント草を魔法使いギルドで換金するのだ。
北の森やその奥の山岳地を目指す冒険者を風よけにしながら歩いて、森で手早くトラント草を採取する。冒険者たちの気配の残るあたりまで奥に入り、魔獣や魔物がいないのを確かめてから薬草を探した。
「あ、これゼルマだ」
地面に埋もれた硬い芽に触れて、間違いないと頷く。冒険者ギルドの買い取り品目にはないが、回復薬の材料になる薬草の一種だ。春先に伸びて葉が広がる前の芽がもっとも薬効が高いので、今は採取の次期ではない。
「……魔法使いギルドは買い取ってるのかな?」
納品のときに聞いてみよう。
マユは自分だけに判る目印を置いて、その場を離れた。
トラント草を八束、魔力回復薬に使うフェイタ草を四束採取して街に戻った。
「あら、久しぶりね。納品?」
「こんにちは。ええと……ごめんなさい」
咄嗟に名前を思い出せないマユの焦りを、黒級魔術師の彼女は微笑んで気にするなと言った。
「アーシェよ」
「アーシェさん、覚えました。ええともう一人の」
「ムルドね。彼は今日は学校で助手をする日だからギルドはお休みよ。私も実技実習で助手をする日があるわ」
ギルド職員は魔術学校の教師や助手を兼ねている者も多いらしい。薬魔術師の先輩なら知っているだろうか。
「魔法使いギルドは、一覧表に載っていない薬草も買い取ってくれますか?」
「……たとえば、何かしら?」
「ゼルマの株を見つけたので、春になったら採取しようと思ってるんです」
「この時期に見つけたの?」
アーシェの目が驚きで丸くなった。希少性はないが、知名度が低いため一般にはあまり知られていない薬草だ。ユーク草の代用として使えるが、調合の手順が少し変わるのですすんで使う魔術師はあまりいない。
返答を待つマユの瞳が期待に潤んでいる。アーシェは申し訳なさげに目を伏せた。
「ごめんなさいね、たぶん買い取れないと思うわ。ギルドは一度にまとまった量を調合するから、少量だと無理かもしれない」
念のために担当に確認するように言い、ガッカリするマユを二階に送り出したアーシェは、大きな息をついた。
「ゼルマの株を見つけるなんて、変った子。将来有望だけど、私では教えるのは難しそう」
来年の担当割り当て会議で、彼女にはもっと高位の魔術師をつけるよう意見しようと決めた。
+
二階の買い取り窓口でも、やはりゼルマの新芽は買い取れないと断わられた。
「十束だったら買い取れる、かぁ」
見つけたのはたったの一株だ。近くにあと二、三株はあると思うが、それぞれから三~四本採取できたとしても、やっと十本。二束ではどうにもならない。
ひとまず換金できたトラント草とフェイタ草は合計で四百四十ダルになった。トラント草は医薬師ギルドのほうが高く買い取ってもらえると助言されたが、面倒なのでと買い取ってもらった。
寮に戻り、青豆と乾燥レギルを食べ終えたところで五の鐘が鳴った。魔術学校の昼休みはこれから半鐘だ。学生たちが昼食をとっている間なら利用者も少ないだろうからと、マユは急いで校舎に向かった。
魔術学校は三階建てだ。一階は教員や職員の控え室や研究室、事務室もある。中央にある大きな階段を上った二階が教室だ。階段を挟んで左右に一年と二年の教室が配置されている。教室連から垂直に伸びた先は実習室で、その先は魔法使いギルドとつながった渡り廊下だ。学校には食堂はないし、寮の食堂は昼間は閉まっている。教室から出てきた学生たちの流れがこの渡り廊下に向かっているのは、ギルドの食堂が目当てなのだろう。
下りてくる生徒たちの流れに逆らって三階に上がる。階段を挟んだ建物の片方が図書室、もう片方は運動室だ。
「……閉まってる?」
閉められた扉を押してみると、鍵はかかっていなかった。
しんとした音のない部屋に、そろりと踏み込んだ。
天井の高い広い部屋に、マユの背丈の倍もありそうな本棚が沢山並んでいる。どの書棚にも隙間のないほどに本が収納されていた。シェラストラルの孤児院には小さな書棚があったし、カーラ師匠の部屋にも天井までの大きな書棚があったが、ここはそれよりもはるかにたくさんの本が収められているのだ。
大きく息を吸ったマユは、己を満たす古い紙の香りに圧倒された。
「……すごい」
入り口近くにあった書棚に、ふらふらと吸い寄せられた。
魔術学校の図書室であるからには、魔術に関する書物が収納されているだろうと思っていた。だがマユが見あげた書架には、政治学、社会学といった表記が並んでいた。他にも生物に経済に言語と、魔術の魔の文字のない本ばかりだ。
マユの手が言語学の背表紙に招かれるように伸びた。だが彼女の背丈では、背伸びをしても上段にある本には届かない。
「何の本を探しているのかしら?」
「ひっ」
声をかけられてマユの体が跳ねた。
「驚かせたわね、ごめんなさい。言語学の本を探しているのかしら?」
三十代半ばくらいの女性だった。三つ編みにして横に垂らした赤金色の髪が、白いローブに映えている。彼女はマユのボタンの色を見て、緑色の目を細めた。
「次の新入生なのね。では選択科目の下調べかしら?」
「は、はい。教科書を確かめたくて……」
彼女はカウンター近くにある書棚にマユを導いた。そこは学校で使用されてきた教科書を収めた棚で、年代と教科ごとに整理されていた。マユが探す身体学は、中段の手の届く場所にある。さっそく近年の二冊を選んだ。
「教科書は図書室外への持ち出しは不可よ。閲覧はそちらの読書机でね」
司書職員の定位置から見渡せる壁側に、壁を向いて座る長い机があった。読書や自習用らしいいが、昼食のためか生徒の姿はない。マユはさっそく書棚近くの椅子に座った。教科書を開こうとして、白ローブの女性がいたのを思い出す。
「案内、ありがとうございました。司書の方ですか?」
チラリと見たカウンター内には誰もいない。もしかして昼休みだったのに、マユが来たことで彼女を仕事に引っ張りだしてしまったのだろうか。
不安げなマユの視線に、彼女はやさしいほほ笑みを返した。
「いいえ、ギルドの職員よ。ちょっと探し物をしにきていたの。学校は入学してからが大変なのだから、今は少し肩の力を抜いて、気楽にすごしなさいな」
「気楽に、ですか?」
「そうよ。好きなことをして、美味しいものを食べて、たくさんの人と話をして、新しい環境を楽しみなさい」
授業がはじまれば、そんな余裕もなくなるのだから、今のうちに存分に遊んでおけ、と彼女がささやく。
「ニコラさん、お待たせしました」
書架の奥から数冊の本を手にした男性が現われた。黒いローブの襟元に魔術学校の紋章をつけた男性は、声を弾ませ、かすかに頬を赤らめている。紙の色が変色するほど古くて厚い本を彼女に渡し、媚びを売るような甘い声で問うた。
「こちらで間違いありませんか?」
「ええ、この三冊はギルドの書庫に移しておくわ。そのように手続きをお願いね」
ニコラと呼ばれた女性は、マユに小さく手を振って扉から出ていった。
黒ローブの、おそらくは司書と思われる男性が、マユをじろりと見下ろした。
「君は誰だ?」
「次の新入生の、マユです」
「ふむ、選択教科の確認か。閲覧はかまわんが、持ち出しは禁止だ。それと図書室内での飲食も禁止だ。本を汚さないように扱ってくれ。それと入学後には学生証が貸し出し票になる。一部のものをのぞき、一度に貸し出せるのは五冊まで、期間は六日間だ。貸し出しの延長は司書に申し出てもらわねばならんが、予約が入っている場合は延長は許されない」
敵意や害意は感じられないが、ニコラに向けていたのとは真逆の固い声に早口で説明された、マユは相づちをうつことしかできなかった。
「では、ゆっくりしてくれたまえ。疑問があればカウンター内にいる司書にたずねるといい」
「あ、はい。わかりました」
スッと背筋を伸ばしてカウンターに向かって歩く彼の、耳の後ろあたりが赤く染まっていた。どうやらマユに恥ずかしい場面を見られて気まずかっただけのようだ。
マユは身体学の教科書をめくった。
「……っ、びっくりした」
表紙をめくった一番最初の項に、人の人体解剖図があった。あまりの生々しさに、反射的に視線を逸らしてしまう。恐る恐る続きの頁をめくると、専門用語と思われる初見の単語が並んでいた。
「む、難しい……」
だが頻繁に出てくる体の部位名とのつながりで、ぼんやりとだが全容がわかってきた。おそらく身体学は、医学だ。治療魔術師も医師のように人体構造を学んでいるらしい。
錬金薬は傷に塗布したり、服用して使用する。体の構造や臓器の役割といった知識は、錬金薬の調合に役立つかもしれないと思う。だがこの教科書を使った授業についてゆけるだろうか。
六の鐘の音が鳴ると、次期新入生らが予習のために集まりはじめた。過去の教科書や参考文献のある棚に同じ青ボタンのローブが増え、先にいたマユの読む本をチラチラとのぞき込む者もいる。
食堂と同じで、頻繁に図書室を利用する青ボタンらにも、一定のコミュニティがすでにできあがっているようだ。視線に部外者に対する警戒が見え隠れしている。
居心地の悪さを感じて、マユは逃げるように図書室をあとにした。
+
選択科目に身体学を登録するかどうか、マユは悩んだ。勉強してみたいと思うが、試験結果が学費額に影響することを考えれば、難しすぎる身体学は選べない。
何かよい抜け道はないかと入学案内と学校規則を読み返したマユは、見落としていた注意書きを見つけた。
「あ、評価は選択科目の全部じゃないのか」
選択科目の採点は、属する魔術職の科目の試験結果を評価対象にする、とある。これなら安心だ。
マユは実技自主学習の一限をのぞいて全てに授業を登録するように書き込み、寮監に提出した。
【マユのお財布】
前日の残高 5670ダル
本日の収支
薬草 +440ダル
現在の保有残高 6110ダル




