10 薬草園での日々<前>
薬草園の朝は早い。
マユは二の鐘の前に起床し、着替えて薬草園に向かう。朝露の残る時間帯にもっとも薬効の高まる薬草を採取し、簡易の保全処理をしてから顔を洗って食堂で朝食だ。
「おはようございます」
「おはようマユ、早いね」
厨房手前で声をかけると、朝の挨拶とともに料理が出てくる。今朝は一晩経って少し硬くなったパンと、茹でた卵が一つ。それと昨日の残りのスープだ。
食堂には交代の私兵や、早番の使用人らがすでに食事中だ。マユはいつも窓際の端の席で、中庭の花を眺めながら食べている。
「お豆、やわらかい」
水を足したスープは少し薄味だったが、増やされた具の豆が柔らかく美味しかった。ゆで卵は塩をちょっとだけ振りかける。他の使用人には不評だが、マユは黄身のモソモソした舌触りと、白身のぷるんとした食感が物珍しくて好きだ。なにしろシェラストラルでもアレ・テタルでも、孤児院では一人に一個の卵なんて贅沢な食事は経験がないのだから。
「マユ、こちらが今日の分です」
食堂を出ようとしたところでジェイムズさんに声をかけられた。薬草名の書かれた板紙を渡される。ご主人様が今日使う予定の薬草だ。
「四の鐘に取りに行きますが、そろうかね?」
「大丈夫です……あ」
「何かね?」
「このタメリスの花蕾ですが、お昼ぐらいに最適な状態のが採取できそうなんですが、四の鐘のころだと乾燥させたものしか渡せません。摘みたてじゃなくていいんですか?」
タメリスの花蕾は魔力回復薬の素材だ。採取できる時期が限られており、一般に出回っているのは乾燥蕾になる。けれど常に春のようなこの薬草園では、一年中タメリスの花蕾が採取できる。
そして魔力回復の効果が高いのは、乾燥前の花蕾なのだ。魔術師であるこの館のご主人様が魔力回復薬を作るのなら、採取直後の花蕾が良いのではないか。マユはそう思ったのだ。
「なるほど……お嬢様に確認します。ひとまず乾燥蕾を用意しておいてください」
わかりました、と頷いてマユは薬草園に戻った。
乾燥薬草の在庫を調べ、用意すべき薬草がそろっているのを確認した後、日課の手入れをはじめる。
各区画を順番に水やりし、温度と魔素の濃度を計測する。葉の様子を観察して、異変があればその原因を探し対処。手に負えないときはジェイムズを通じてご主人様に報告し指示を仰ぐ、というのが仕事の基本だ。だが五日ほど勤めているが、今のところ異変を見つけたことはない。
「今日の薬草も、みんな元気ね」
点検がてら採取基準に達した薬草を摘み取る。回復薬と治療薬の薬草はかなりの在庫が溜まっていた。定期的にご主人様から大量注文が入るので、切らさないように気をつかう。
赤区画の薬草を観察しながら、採取をどうするか迷った。今日の注文は魔力回復薬用の薬草だが、タメリスの花蕾をどちらにするかによって、他の素材もそろえ方が変わってくるのだ。
「ジェイムズさんに確認してからにしよう」
麻痺薬と解毒薬用の区画を点検し終え、小屋で記録帳を書きはじめようというときに四の鐘が鳴った。
「用意はできているかね?」
鐘が鳴り終わるのと同時にジェイムズが薬草園に現れた。用意していたカゴを渡す。
「こちらです。乾燥薬草で用意しました」
「確かに。では追加の指示ですが、お嬢様はフレッシュなタメリスの花蕾を使う前提で、一人分の魔力回復薬用の薬草を揃えるように、とのことです」
「え……それは」
どう揃えればいいのだろうか。まだ読んでいない過去の記録に、そのような指示があるのかもしれない。少し時間がほしいと返したマユに、ジェイムズは顔のシワを緩ませて、マユ自身で考えて用意するようにと念を押した。
「魔術学校の予習のつもりでいてください。正解を先に見るのではなく、己で考えてまずは課題を解いてみる、その癖をつけなさい」
「でも、仕事に間違いは許されません」
「そうですね。だが仕事としての薬草はここに用意されています。これはお嬢様からの課題です。仕事ではありませんから、間違えてもかまいません。いいえ、間違ってもらわねば困ります」
ニッコリと微笑んだジェイムズは、昼食前に揃えて提出に来るように、と言い残して温室を出て行った。
「課題……カーラ師匠みたい」
シェラストラルで師事した老薬魔術師も、業務の合間に力量を試すような課題を出しては、過負荷で目を回すマユの尻を叩き続けていた。おかげで身についた薬草知識が、この仕事に結びついたのだが。
「生のタメリス花蕾を使う魔力回復薬か……増幅効果が安定しないっていうし、そうなるとエラム草も生のほうがいいけど、量は調整が必要になりそう」
板紙と木炭ペンを持ったマユは、赤区画に入った。蕾の堅いタメリス草の前で膝を突き、最適な採取時刻を計算する。
「五の鐘半くらい、かな」
採取できそうな蕾は三十ほど。一人分なら三つだろうか。この量で魔力回復薬を作るなら。
「エラム草は少し多めに、逆にフェイタ草は少なくして……違う、半分は乾燥薬草が良さそう」
何度か数字を修正して、納得できる採取数を計算する。これが正解との自信はない。タメリス花蕾の採取時刻まではまだ時間がある。もう少し考えてみよう。
マユは日常の仕事に戻り、作業の合間にメモを見返してはうんうんと唸っていた。
五の鐘が鳴った。昼の休憩の合図だがマユは食堂には向かわない。
採取籠とナイフを持ち、タメリス草の前に戻って観察する。タメリスの花は開花と同時に魔素を放出する。その魔素を閉じ込めた蕾の、花びらが開く寸前のものがもっとも品質が良いといわれるが、野生ではなかなかそのタイミングでは採取できない。薬草園だからこその高品質なのだから、とことん突き詰めようとマユは張り切っていた。
「……よし、ここ」
一つの花蕾を摘み取ったのをきっかけに、次々と膨らむ蕾をマユの手が追いかけてゆく。
間に合わなかった蕾もあったが、八割ほどを理想の状態で採取できた。
「食べてみたら含有量がわかるんだけどなぁ」
野で採取した薬草なら所有権は自分にあるが、薬草園で採取したものはすべてご主人様のものだ。許可なく味見はできない。香りを嗅ぎ、手触りと重さでおおよそを量って、メモの計算を少し修正し、エラム草とフェイタ草を予定数、リルルミ草の実を控えめに用意する。
「ジェイムズさん、課題の薬草が用意できました」
「……今は休憩時間です。きちんと食事をとりなさい」
執務室を与えられている家令をたずねてゆくと、籠を取りあげられ、呆れ顔で叱られた。
ジェイムズの所からまっすぐに食堂に向かう。
いつもより半鐘ほど遅れたせいか、まかない担当のタリーがマユの顔を見て「よかった」と胸を撫で下ろした。
「あんまり遅いから、薬草園で倒れてんじゃないかと思ったよ」
「ごめんなさい、ジェイムズさんのとこに薬草を持っていってたので」
「しょうがないねぇ。あんたは何もかも根を詰めすぎなんだよ。オリバーさんみたいにもっと力を抜いてゆったりやんなよ」
「でも私は器用ではないし、もう五日目なのにわからないことも多いから……」
「まだ五日目だよ。まったく、真面目だねぇ」
だがそんな性質だから心配になるのだと、タリーはマユの椀にたっぷりと盛った。丸芋も赤芋も、そして魔猪肉もごろりと大きいハルパ煮込みが大盛りだ。パンは焼きたてでホカホカで、当然のようにスプーン一杯分の蜂蜜も添えられている。
「残さず食べるんだよ、いいね?」
こんなに食べられない、と主張しても聞き入れてはもらえない。タリーはマユを太らせようとする一人だ。
こぼしそうなほどたっぷりと盛られた煮込みを何とか運び、がらんとした食堂の端っこの席に座った。ほとんどの使用人は昼食を終えており、残っている人たちはのんびりと食後の茶と会話を楽しんでいる。
一口では食べきれない大きさの魔猪肉は柔らかく、ハルパの酸味が胃もたれぎみのマユに優しい。使用人に提供される食事量は、彼女の胃には多すぎた。しかも今まで朝と夜の二食だったのが、朝昼夜の三食になったせいで、頬に丸みが出てきたし、腹や腰にも厚みが生まれている。贅沢だとの自覚があるが、マユには深刻な悩みがあった。
「……また太っちゃう」
「何言ってんの、まだ痩せようって言う気?」
ぽろりとこぼした呟きに、刺々しい声が振ってきた。
嫌味はやめてちょうだい、と女性らしい豊満な体つきのミーネが、マユの正面に腰を下ろした。彼女の盆にある料理は、煮込みパンもマユの半分と控えめだ。
ギロリと睨まれて、マユは慌てた。
「い、嫌味じゃなくて……ズボンが、お腹のところがキツくて……」
「立派な嫌味じゃないの」
「違います。このズボンは買ったばかりで、太るとはけなくなるから……もう買い換えする余裕はないんです……」
マユの声が羞恥にしぼんでゆく。
この館に勤める使用人らの私服は、誂えた新品、もしくは上質な古着だ。生活に余裕のある彼らなら、継ぎ接ぎだらけの古着など余裕で買い換えられるだろう。しかしマユにとっては一大決心をして買った冬着である。これが着れなくなっては困るのだ。
マユの切実な言い訳を聞いてハッとしたミーネは、かあっと頬を赤らめた。臨時雇いの少女の境遇を思い出したのだ。
「あ、あんた私を誰だと思ってるの?」
「針子のミーネさんですよね?」
「そうよ、凄腕の針子なの。だからサイズ直しくらいパパッとやっちゃえるんだからね!」
「……お針子ですからね」
「もおっ、だから、キツくなったら私が直すから! しっかり食べなさいよ!」
「え?」
「あんたはもうすぐ成人だっていうのに、九歳の子どもより小さく見えるじゃない。太る心配なんかしなくていいの。腹回りだろうと尻周りだろうと、私がお直しするから太りなさい!」
ばつが悪そうに横を向いたミーネの早口に、マユはぽかんと口を開けた。ゆっくりと言葉が染み込んでくると、じわりと嬉しさがこみ上げてくる。
「ほら、残さないで全部食べなさいってば」
ミーネに急かされて、マユはスプーンを口に運んだ。
+
もたれぎみの胃を押さえつつ、昼からの仕事をこなしていると、六の鐘の鳴る少し前に、家令のジェイムズが薬草園にやってきた。
「課題の評価ですが」
「はい……」
マユの背筋が伸びる。息を詰めてジェイムズの言葉を待った。
「お嬢様は、錬金薬を作った経験のある者にしか気づけない工夫と発想が大変興味深い、とおっしやいました」
それは、どういう評価なのだろうか。チラリと上目遣いにジェイムズの顔色をうかがうと、珍しく心配げな色が見えた。
「マユには温室の薬草を私的に採取する許可をくださるそうです」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、採取量は制限しますが、温室の薬草を使っての工夫を楽しめ、と」
「ありがとうございます!」
図鑑でしか見たことのない薬草が目の前に存在する夢のような環境で、その世話をする幸運を満喫していたのに、それ以上の幸せが振ってきたのだ。マユはジェイムズに飛びつく勢いで礼を言っていた。
「落ち着きなさい!」
珍しく声を荒げたジェイムズが、マユの興奮を押さえつけるように続けた。
「魔術学校に入学するのだから知っていると思うが、見習いは師匠の管理下でしか製薬が許されない」
もちろんわかっている。マユがしっかりと頷くと、老家令はホッと息をついた。
「お嬢様の使用人から犯罪者を出すわけにはゆきません。薬草を使っての学習は許可しますが、絶対に薬を作らないように。いいですね?」
「はい!」
目を輝かせるマユに、彼は一冊の帳面を見せる。
「これはお嬢様からです」
白く漂白された、艶のある植物紙を束ねた貴族仕様の高級な新品の帳面だった。受け取れ、と差し出されてマユの手が震える。
「こここ、これを、どうすればいいんでしょうか?」
「マユの学びに使いなさい、と」
「あ……ありがとうございます」
貴族のご主人様からの下賜品だ、深々と頭を下げて礼をいいつつも、マユは内心で絶叫していた。こんな高級品は畏れ多すぎる、と。薬草園の記録簿よりも高級な帳面を、いったに何に使えというのだろうか。
滅多に採取できない薬草を与えられただけでも贅沢すぎるのに、こんな上等な帳面まで与えられた。喜びがすうっと冷え、重く強い何かがずしりと肩に乗ったような気がした。
「あなたは運を掴みました。この機を逃さず、励みなさい」
「は……はい!」
真っ白くて美しい帳面をしっかりと抱いたマユは、この帳面に相応しい課題を見つけるまで大切に保管しようと決めた。




