09 お屋敷の薬草園
二の鐘が鳴って半鐘、討伐や狩猟に向かう冒険者が街門を目指し、仕事に向かう街の人々が忙しく行き交う大通り。マユはブレナンからもらった地図を片手に、紹介された薬草園に向かっていた。
孤児院のある下町から、賑やかな大通りを抜け、閑静な住宅街にはいった。
「ここ、お金持ちの住宅街だよ……ほんとうにこっちで合ってるのかな?」
このまますすめば貴族街だ。もし薬草園が貴族街にあるのなら、自分のような孤児は立ち入れない。要所に立つ町兵の視線が気になって、マユは着衣を隠すように灰色のマントをしっかりと握った。
ビクビクしながら辿り着いたのは、平民街にある大きな屋敷だった。まるで貴族のお屋敷のように立派な門と壁で囲まれており、鉄柵の隙間から美しく整えられた庭園が見える。門からまっすぐ奥に見える三階建ての邸宅は白くて美しい。
マユはビクビクしながら門に立つ私兵に声をかけた。
「冒険者ギルドから依頼を請けてきました、裏口はどっちに行けばいいですか?」
依頼書を見せたマユに私兵は左手にすすめと短く返す。
礼を言って足早に裏口を目指した。
「裏口なのに、立派だ……」
孤児院の玄関よりも広くて立派な裏口にも私兵が立っている。依頼書を見せると敷地内に通され、屋敷から出てきた細身のお爺さんに引き合わされた。
「時間通りですね。名前は? 現在の住処はどこです?」
「マユです。各ギルド共同運営の孤児院に臨時で寝泊まりさせてもらっています」
「私は家令のジェイムズだ。マユにはお嬢様の薬草園の管理を手伝ってもらう。こちらだ」
白髪のまじる老家令の後を追って建物を回り込むと、日当たりの良い場所に大きくて透明な建物があった。
「……魔石のお家だ」
「ここは温室だ。オリバー、いるかね?」
温室の柱に飾られている鳥の装飾を撫でながらジェイムズが声をかけると、金属の鳥の口が開いて喋った。
『入ってください。事務室にいます』
男の人の声が消えると、扉が自動で開いた。マユはぽかんと口を開け固まっている。
「はやく入りなさい」
「ま……魔法使いギルドの入り口扉にそっくり」
「そうだろうとも。あちらの魔道具を改良したものが使われている」
すごい、ともらしたマユの感嘆に、ジェイムズの表情がかすかにゆるんだ。
温室内はまるで春のようにあたたかかった。マントを着ていると汗ばんできそうなくらいだ。入ってすぐの右手には、透けない土壁で囲まれた部屋があった。こちらの扉は手動だが、魔術鍵が使われている。
「オリバー、あなたの休暇中に仕事を任せる予定のマユだ。マユ、こちらはお嬢様の薬草管理人オリバーだ」
大柄な中年男性は、じろじろとマユを眺めた。
「両手を」
促されて手を出すと、オリバーはマユの手を左右裏表じっくりと観察する。撫でられ、掴まれたが不快ではない。土の匂いのする太い手はとてもやさしく動いている。
ふむ、と満足そうに頷いた。その様子を見ていたジェイムズは「仕事が終わったら顔を出してください。必要な説明をしますので」と言い残して温室を出ていった。
「マユといったか、まずは俺の後に付いてきてくれ。ああ、マントと上着は脱いでおけよ。その格好で働くとのぼせるぞ」
小部屋の壁にあるフックにマントと上着を引っかける。毛糸のベストも脱いだほうが良さそうだ。手荷物と一緒に棚の隅に置き、腰鞄に板紙と木炭ペンを入れてオリバーを追いかけた。
温室の中はガラス壁で四つの区画に区切られている。見通しはいいが、うっかりぶつかってしまわないか心配だ。
「まずは青の畑だ。端から順番に薬草の名前がわかるか?」
端の区画に入ったマユは、青の畑と呼ばれたそこに植えられている薬草を見渡した。そのほとんどは採取しなれた薬草ばかりである。
「セタン草にユルック、ヤーク草と、もしかしてあの花はチクダムですか?」
産毛のある茎と赤い花心、目の覚めるような鮮やかな黄の花びらは、師匠の薬草図鑑で似た記載を読んだ覚えがある。図鑑には絵図がなかったが、目の前の花は図録の解説のままだ。
「中央の背の高い植物はたぶんミルロバだと思います」
「そう判断した根拠は?」
「葉はツルツルしているのに太い茎には産毛があって、蕾が丸く大きいからです。それにここに植えられているのは回復薬の材料ばかりですよね?」
図鑑にあった説明書きに、目の前にある植物は条件がぴったりなのだ。
「よく勉強しているようだ。栽培方法は知っているか?」
「いいえ。増やし方を知っているのは、実際に採取場で観察する機会のあった薬草だけです」
図鑑には効能や特徴は書かれていたが、育て方までは載っていなかった。それにマユが知っているのは、育て方ではなく増やし方だ。次に採取に来たときに、今よりも多く採れるように手をかけるのがマユの工夫だ。
「薬草図鑑を読めるということは、魔術言語も理解しているのか」
「……師匠に教わりました」
どの程度読めるのか確認すると言われ、小部屋に戻った。
小部屋には広い作業テーブルと、書き物机、そして魔術で守られた書棚があった。オリバーはその書棚からぶ厚い複数の書物を取り出し、作業テーブルに並べる。
「この中にマユが学んだ図鑑はあるか?」
中身を確かめさせたもらい、真ん中の一冊を示す。これはカーラ師匠の書棚にあった図鑑と同じものだ。
「なるほど、二版か。五版からは大陸共通語だが、それ以前は魔術言語で書かれているんだ。マユの師匠は優秀な魔術師のようだ」
「魔術言語をつかえるのが、優秀なんですか?」
魔術師なら当たり前なのではと首を傾げたマユに、オリバーは苦笑いだ。
「学校に入学すればわかるが、授業は読み書きどちらも大陸共通語で行われる。魔術陣さえ正しければ、魔術はどの言語でも使えるせいか、最近では学ばなくなってきているらしい」
学校では魔術言語は必須科目だが、師弟出身の魔術師は学ばない者が大半だ。卒業生も使う機会がないため、自然と廃れているらしい。
「……オリバーさんは、魔術師なんですか?」
「いや。薬魔術師を目指していたが、魔力量が足らなくて魔術師証は得られなかった」
少しでも関わりのある仕事をと薬草冒険者をしていたが、十年ほど前からこの屋敷で薬草園の管理人として働いているそうだ。
「マユが魔術言語を理解していて助かった。日誌や記録簿はすべて魔術言語で記入する決まりなんだ」
見せられたのは植物紙を束ねて中央を縫って作った帳面の数々だ。
「管理の仕事は大きく三つだ。一つ目は薬草の観察記録をつける」
各薬草に対し一冊の記録帳が用意されている。栽培している薬草の数は五十種近くあるため、かなり大変な作業になるだろう。
「二つ目は薬草の手入れ。三つ目は採取と保全だ。日々成長する薬草を観察し、もっとも成分濃度の高い時点で採取して、保全する」
どちらのやり方もオリバーが実地で教える。彼は作業テーブルの下に収納した道具箱から、記録用の板紙と採取道具、腰ベルトに取り付けられる籠をを取り出した。
「籠は……マユには少々大きいか」
「ロープを借りられたら大丈夫です」
マユは背負えるように細工をし、籠を身につける。
行くぞ、というオリバーの声に元気良く声を返して、マユは温室での仕事を学びはじめた。
+
五の鐘が鳴った。
ちょうど赤の区画の手入れを終えた二人は、仕事道具を小屋に置き、上着を羽織って温室を出た。
「昼飯は使用人の食堂で食べる。後がつかえているから急いで食べるように」
アレ・テタルにきてからのマユの生活で、昼食を食べる贅沢ははじめてだ。しかも連れて行かれた食堂では、大きな肉の塊の入ったシチューに、まるで綿のようにやわらかなパンが渡されるのだ。しかも一匙分の蜂蜜まで付いている。とんでもないご馳走だった。
見かけない子どもがいると警戒した使用人らも、そばにオリバーがいることで臨時雇いの薬草管理人だと察し表情を緩めた。中にはマユの着衣を見て複雑そうに眉をひそめる者がいる。みすぼらしさが気に入らないのか、ちぐはぐな色使いがうるさいのか、どちらだろうか。
食べ終ったらすぐに席を立ち、食器を返して温室に戻る。
「六の鐘までは自由時間だ。昼寝をしてもいいし、買い物に出てもいい」
「オリバーさんはこの時間をどう過ごしているんですか?」
「俺は昼寝だ」
そう言って奥の戸を開けた。ちょうど長椅子くらいの空間があり、そこに毛布が敷かれている。いつもここで仮眠をとっているのだろう、巣穴のように毛布が癖づいている。
「マユはどうする?」
「薬草の観察記録とか、あと薬草図鑑を読んでもいいですか?」
「小屋から持ち出さないように。汚すなよ」
許可を得たマユは書棚から何冊かの薬草記録簿を選び抜いた。採取経験のない、この温室ではじめて見た薬草のものばかりだ。手入れをしながら見覚えた姿形を、自分の板紙に描きながら、過去の観察記録を読みはじめる。
「……発芽率は低いのか。でも芽を出せば確実に開花する……種は、へぇ……」
夢中になって読みふけったマユは、六の鐘に気づかなかった。オリバーに声をかけられて昼の休憩が終わったと知り慌てる。
「すみませんっ」
気まずげに頭を下げるマユと、彼女が読み終えた記録を見てオリバーは呆れとも感嘆とも取れる息を吐いた。一鐘の間に三冊を読み終えていた。とんでもない集中力だ。
「勉強するのは悪いことじゃないが、ここでは薬草が一番だ。これからは一日一冊程度にしておきなさい」
「これから……」
それは合格という意味だろうかと問うように見上げると、オリバーが目を細めて頷く。
「留守の間を任せる。薬草を最優先に励みなさい」
「はい、頑張ります!」
午後もオリバーについて仕事を教わり、八の鐘でひとまずの仕事を終えた。
「夜でなければ手入れのできない薬草もある。だからこその住み込みだ、キツイだろうがその分の報酬は払われるし、勉強にもなる」
「夜にしかできない手入れなんてあるんですね……深いです」
「薬草は面白いだろう?」
「はい、すごく!」
弾けるようなマユの返事に、オリバーは嬉しそうに頷いた。
道具を片付け、上着を着て主屋に向かう。オリバーが家令のジェイムズと話をし、正式に臨時雇いが決まった。
「予定より早いですが、明日からさっそく住み込んでください。部屋に案内します。朝食は二の鐘半、昼食は五の鐘、夕食は九の鐘です。洗い場は宿舎にあるので毎日使用するように。主屋や宿舎を歩く際に温室の土などを落とさないよう注意してください」
案内された宿舎は、一階が男性の使用人、二階が女性の使用人と分けられていた。マユにあてがわれたのは二段ベッドのある小部屋だ。小さな収納棚があり、衣類掛けも備わっている。同室者はいないそうだ。洗い場も各階に備え付けられていた。
「夕食も食べて行きなさい」
案内を終えた家令にそう言われたが、断わった。孤児院の門限に遅れているのだ、これ以上は門番のボーンやマリーに心配をかけてしまう。
「それでは明日、二の鐘半に来なさい」
「はい。お世話になります」
+
駆け戻った孤児院で門限遅れを詫びて、明日からの住み込みの仕事が決まったとゾルドランに報告した。
「冒険者ギルドから話は聞いてるよ。しかし初日で本決まりか、すごいな」
「ここに置いてもらえてとても助かりました。ありがとうございました」
かなり強引に、居座ってやるという気迫で勝ち取った寝所だったが、契約以上にゾルドランやマリーには良くしてもらった。ここで寝泊まりできなかったら、今の自分があったかどうかもわからない。
「よかったじゃないか、あんたの薬草知識の活かせる仕事なんて、最高だよ」
マリーはマユの背中を励ますように叩いて、残しておいた夕食を出した。手伝いをしていないと遠慮する彼女に、お祝いだからと押しつける。
魔猪肉の薄切りが浮かぶスープを飲んでいると、チェルシーが二階から下りてきてマユの横に座った。
「寂しくなるなぁ。でも好きな仕事が見つかったんだもん、引き止められないか」
「チェルシー……」
「それにマユ、すごくいい顔してる」
「そ、そう?」
「うん、ニコニコしてるもん」
自覚のないマユは、まさかと自分の頬を触ってみるが、よくわからない。
「あたしにはわかんないけど、マユは薬草がとても好きなんだね。すっごく嬉しそうだもん」
「……うん」
マユは恥ずかしそうに頷いた。
摘み取ったときの魔素の強い香りも、乾燥した甘さの増した香りも好きだ。薬草が錬金薬に変化するのも、錬金薬を振りかけた傷が癒えてゆく様子も好きだが、すべてを正直に言ってしまうと、聞いた人はたいてい顔色を変えるので口にはしない。
「あたしもすごい冒険者になるからさ、薬草採取の護衛に雇ってよね?」
「うん」
アレ・テタルに来てそろそろ一ヶ月、冬が深まりはじめていた。
【アレ・テタル26日目のお財布】
前日残高 2234ダル
薬草園日当+300ダル(お試しだけど一日働いたので支払われた)
寄付 -30ダル
26日目残高 2504ダル




