表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/25

ep.3 能力

 傾きかけた夏の西日が、図書室の大きな窓から光の帯びを垂らし、空気中を舞う無数のほこりを金色に照らし出していた。

 静寂を支配しているのは、規則正しい空調の音と、時おり誰かが本のページをめくる乾いた音だけ。


 樹は、書架の薄暗い陰に身を隠すようにして、目的の本を探していた。

『精神世界』『未解明の謎』といった、人が足を遠ざけがちな胡散臭うさんくさい背表紙が並んでいる。自分の身に起きている現象を説明できそうな言葉を、樹はわらにもすがる思いで探していた。


『世界超常現象大百科』『予知能力は実在するか』。数冊の本を抜き出し、人目につきにくい窓際席に腰を下ろす。周囲をうかがいながら、恐る恐る一冊目をめくった、その時だった。


「よっ。今日は秘密基地《神社》じゃないんだ?」

 不意に、頭上から声が降ってきた。

「うわっ!」

 樹はビクッと肩を揺らし、読んでいた本を反射的に裏返して机に伏せる。

 心臓が口から飛び出しそうだった。


 見上げると、運動部のジャージ姿の湊が、少し紅潮した顔で立っていた。

「お、驚かせたか? 悪い」

「……湊。なんで、ここに」

「ちょっと、調べ物したくてさ」

 湊はそう言うと、樹の向かいの椅子を無遠慮に引いて腰掛けた。

 ふわりと届く、制汗剤の香り。


「何読んでんの? 『世界超常現象大百科』…… 樹って、そーいうの好きなのか?」

 隠しきれていないタイトルを、湊の視線が目ざとく捉える。

「 これは、その、たまたま……ちょっと調べ物で……」

 狼狽ろうばいする樹に、湊は「ふーん」と面白がるように口の端を上げて相槌を打った。


「湊こそ、図書館に来るなんて珍しいよね」

 少しでも自分の動揺を隠したくて、樹は精一杯の皮肉を込めて言い返した。

「バカにすんなよ~。ま、そうなんだけどさ」

 湊は肩をすくめて頭を掻いた。


「何か調べ物? 手伝おうか?」

 樹が尋ねると、それまで快活だった湊の表情が、ふっとかげった。

 少し言いにくそうに視線を泳がせ、指先で机の表面を意味もなく撫でている。

 やがて、意を決したように顔を上げると、湊は声を潜めて尋ねた。


「樹ってさ、超能力って、信じる?」

「どうして急にそんなこと……」


 自分の心を見透かされたようで、樹の心臓が大きく跳ねた。

 湊は、そんな樹の動揺には気づかない様子で、真剣な眼差しのまま続けた。


「俺さ、なんか、あるっぽい……んだよね。なんか、分かるっていうか、感じる、のかな」

 湊はうまく言葉にできないというように、曖昧あいまいに手を動かした。

「……何を?」

「物の、気持ち。みたいな? うまく言えねえんだけどさ。例えばこの机とか。じっと触ってると、いろんな人の感情がごちゃ混ぜになって流れ込んでくるみたいで、頭が痛くなる時があるんだ」

「……物の、気持ち……?」


 樹が聞き返すと、湊はこくりと頷いた。

「そう。嬉しいとか、悲しいとか、そういうのが色んな物に閉じ込められてるっていうか。こないだ、野球部の友達が大事にしてるグローブをちょっと触らせてもらったんだ。そしたら、なんて言うか……『絶対勝つ』みたいな、熱い気持ちがじわって伝わってきて、すげーあったかくなった」


 湊は一度言葉を切り、樹の反応を窺うように視線を向けた。

 樹が何も言えずにいるのを確認すると、続ける。


「でも逆に、駅のベンチに忘れられてた傘に触ったときは、すっげー寂しい感じがしたんだ。『あーあ』ってがっかりしてる、持ち主の気持ちがそのまま残ってるみたいでさ」


「それって……」

 樹は、自分が読んでいた本のページを思い出す。

「サイコメトリーってやつ、かな。漫画で見たことあるけど。物に触れることで、持ち主の感情や記憶を読み取る能力のことだ」

 樹が説明すると、湊は「へえ、そんな名前あんだ」と少し感心したように頷いた。


「でも、そこまではっきり分かるんじゃないんだよな。なんとなく、これが嬉しいのか、悲しいのかが分かる、くらいだけどさ」

 そう言って、湊は少し困ったように笑った。

 あっけらかんとした告白に、樹の中で張り詰めていた警戒心の糸が、ぷつりと切れた。


「いつから?」

「え?」

「いつから、その不思議な感覚がするようになったの?」


 樹の真剣な問いかけに、湊は机に身を乗り出す。

「それがさー、急に、なんだよ。二、三日前くらい前からかな」


 樹が妙なビジョンを見るようになったのと、同じ頃だ。

 一人で抱え込んでいた秘密の重さが、少しだけ軽くなった。

 

 樹は小さく息を吸い込むと、思い切って口を開いた。

「……僕も、なんだ」

「え?」

「僕の場合は、予感、というか……これから起こることが、一瞬だけ映像で見えるんだ」


 階段や野球ボール、そして老婆の事件を語って聞かせると、湊は、信じられないものを見るように目をみはった。


「予知能力ってやつ?? すげーじゃん!」

「しーっ!」


 樹は慌てて人差し指を口に当て、周囲を見回す。

 幸い、他の利用者には聞こえていないようだった。


「誰にも言えなくて、僕もまだよく分かってなくて……このことは、秘密にしてほしいんだけど……」

 樹が真剣な目で訴えると、湊も悪戯っぽさを消し、こくりと頷いた。

「おう、わかった。俺のも。二人だけの秘密な」


 二人だけの秘密。


 その言葉がもつ甘美な余韻に、樹の胸がどきりと弾んだ。

 西日が差す図書館の片隅で、二人の視線が交差する。


 夏の入口で、ひとつ秘密が共有された。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ