ep.25 SFオタクの敗北
あまりに直接的で暴力的な見出しの下に、小さな文字がびっしりと並んでいた。
樹はその一行一行を、確かめるように読み上げていく。
「……市内の高校に通う、早野明里さん、16歳が、7日午前、南西部の山林で遺体で発見された。早野さんは4日の夜から帰宅しておらず、家族が5日午後に捜索願を提出。県警が捜索していたところ、7日朝、警察犬が遺体を発見。遺体は、深さ約50センチの場所に埋められており、県警は、殺人・死体遺棄事件として……」
記事の内容から分かるのは凄惨な事件の概要と、犯人はいまだ捕まっておらず、警察が行方を追っている、ということだった。
「この、灰色の世界の2014年で……事件は、起きていたんだ」
「犯人の名前とか、わかったりしねぇの?」
「――確かに!」
湊の素朴な疑問に、樹ははっと顔を上げた。
樹は再び縮刷版のページをめくり始めた。
8月8日、9日、10日……隅から隅まで、血眼になって記事を探す。
だが、早野明里の事件に関する続報は、なかなか見つからない。
いつ逮捕されたのか、そもそも、犯人は見つかったのか。
それさえも分からない以上、この探し方は、あまりに非効率で、途方もない作業だった。
11日、12日……とさらにページを捲って行くと、指先に違和感を覚えた。
「あれ?」
その先のページが数枚、破られていた。
「も~……誰がこんなこと」
お盆休みが明けたあたりから数日分のページが、上から無造作に掴んだかのごとく、引きちぎられているのだ。
時期的に、このページあたりに犯人逮捕の記事があってもおかしくないのに。
「……この世界でも、ネットが使えたらなぁ……」
樹の視線が、ちらりとカウンターの内側にある、検索用のパソコン端末を見やる。そこにあるのは、分厚い塵をかぶった、ただの箱だけ。どう見ても動きそうにはない。
犯人探しは一旦、諦めるしかなさそうだ。
そう思った時、樹の脳裏に別の出来事が閃いた。
「……そうだ」
樹はめくっていたページを、8月2日へと戻した。
あった。社会面の、隅の方に。
『川遊びの女児、行方不明』
「やっぱり……」
「あれ、これって……?!」
湊が、息を呑む。
「家族や、友人の家族らと川遊びに来ていた、市内の園田泉ちゃん、五歳が、行方不明。警察と消防は、泉ちゃんが川に流された可能性があるとみて、下流を中心に捜索にあたっているが、発見には至って……」
樹はそこまで読み上げると、一度、大きく息をついた。
「イズミちゃんの『事件』も、こっちの世界では起きてたんだ。僕たちが助けなければ、行方不明のままだった……」
「……同じことが、俺たちの世界でも起きかけてたってことは、やっぱり、この灰色の世界は俺たちの未来、なのか?」
湊の問いに、樹は首を傾げる。
「……だとしたら僕たち、少しだけ、歴史を変えたってことになるね」
「歴史を?」
「うん。『バタフライエフェクト』って、聞いたことある? 」
湊はぶんぶんと、大袈裟に首を横に振った。
「蝶の羽ばたきのような、ほんの些細な出来事が、巡り巡って、遠い場所で竜巻を起こすかもしれない、っていう理論」
「……どういうことだ?」
「『風が吹けば桶屋が儲かる』なんてことわざもあるけど」
「ますますワケわかんねぇ」
言葉が持つ滑稽さに、湊は堪えきれずに吹き出した。
緊迫に張り詰めていた樹の心も、少しだけ和らぐ。
「つまり、僕たちがしてきたことが、もしかしたら将来、何か大きな影響になって未来を変えるフラグになるのかもしれないってこと」
樹は、自分の立てた壮大な仮説に、少しだけ胸を高鳴らせていた。
「例えば、どんなだ……?」
湊が、まだピンとこないという顔で首を傾げる。
「そう言われると、すぐには思いつかないけどさ……。例えば、亡くなるはずだった早野さんが生き延びたことで、彼女が将来、世界の未来を救うような偉大な人物になる、みたいな!」
「あいつが、世界を救う……」
湊はアカリの屈託なく笑う顔を思い浮かべ、うーん、と本気で頭をひねっている。その様子に、「あくまで、例えばの話だから!」と樹は苦笑した。
世界を救うのは、行方不明を免れたイズミかもしれないし、橋から落ちなかった男の子がそうかもしれないのだ。
「うーん……」
まだイメージが湧かない顔の湊に、樹はもう一つ、例を捻り出す。
「じゃあさ、僕たちが助けた子猫、いたでしょ? あの子猫たちを引き取ってくれた田中さんが、子猫たちが可愛いから、すごく優しい気持ちになったとする」
説明しながら、樹は一本ずつ指を立てていく。
「それで、優しい気持ちになった田中さんが、ふと、駅前の募金箱に寄付なんてしてみる」
「うん?」
「その寄付金がめぐりめぐって、貧しいけど、すごく優秀な学生が大学へ進学するための奨学金になった」
「ほう?」
「で、十年後に、世界中で殺人ウイルスが蔓延したとする。その時、あの奨学金のおかげで、世界的な医学者になったその学生が、特効薬を開発するんだ!」
そこまで一気にまくし立てると、聞いていた湊の表情に、じわじわと笑いが込み上げてきた。やがて、耐えきれないというように、「ぶはっ」と噴き出す。
「あははは! なんとかエフェクトの理屈はなんとなく分かったけどよ、話がぶっ飛びすぎてて面白すぎる」
ひとしきり笑った後、湊は不意に、真顔に戻って言った。
「でもさ、そういうのって、もしこの灰色の世界が俺たちの未来だとしたら、俺たちが『落とし物』を解決たときにさ、こっちの世界もちょっとずつ変わっていかなきゃおかしくねぇか?」
「あ……」
湊のシンプルな指摘に、樹は言葉を失う。
SFオタクとして、あまりに初歩的なことを見落としていた。
タイムパラドックス。歴史改変に伴う、未来の変化。
イズミやアカリが助かったのなら、あの縮刷版から、彼女たちの記事は消えているはずなのだ。
湊の素直な疑問に、樹は完敗を認めざるを得なかった。
「……そうだよね。アニメとか映画だと、そういう展開、よく見る……」
「そ、それかさ!」
がっくりと肩を落とした樹の顔を見て、今度は湊が、慌ててフォローを入れた。
「全部の『落とし物』をコンプリートしたら、一気に世界が変わるとかかもな! それか、まだ一番大事なやつがクリアできてない、とかさ」
「それもあながち、否定できない……」
樹は深くため息を吐いて、縮刷版のページを指先で弄ぶ。
何かの解決になると思って読み始めた、この世界の「情報」が、ますます二人の思考を混乱させるのであった。