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夏の異界  作者: キタノユ
23/39

ep.21 図書室

「うわあああっ!」

 樹は、ほとんど悲鳴に近い叫び声を上げると、カレンダーから飛び退いて、一年A組の教室を飛び出した。


「樹!?」

 背後から、湊の驚く声が追いかけてくる。


 樹の足は、もつれるように階段を駆け上がった。いつもなら一段ずつしか上れないはずの身体が、この世界では、三段、四段飛ばしで、まるで飛ぶように進んでいく。二蹴りで踊り場に、折り返してさらに二蹴りで、あっという間に二階の廊下へ到達した。


 目指すは、廊下の突き当りにある、図書室。

 引き戸は固く閉ざされていたが、廊下と面した窓の一つが、開け放たれたままになっていた。樹は、躊躇なくそこから中へと飛び込む。


 しん、と静まり返った、埃っぽい空間。

 テーブルと本棚の数、その配置は、樹が知る図書室の光景と何ら変わりはなかった。部屋の隅にある貸し出しカウンターへと向かう。


 カウンターの上に置かれた、木彫りの積み木カレンダー。

 年月日を示す数字が彫られた、小さな木のブロックを、毎日手でひっくり返して使うタイプのものだ。

 その、木のブロックに刻まれた数字は、先ほどの紙のカレンダーよりも、ずっと、ずっと、残酷なほどにはっきりと、その日時を示していた。


『2025年 7月 19日』


「樹、どうしたんだよ、急に!」

 背後で息を切らした湊が、同じように窓を飛び越えて、図書室に駆け込んできた。

「湊……」

 膝から力が抜けかけた樹の身体を、背後から湊が抱き止めるように支える。


「これ……」

 樹はなんとか体勢を立て直し、震える指で、カウンターの上の積み木カレンダーを指し示した。


「え?」

 湊のチョコレートボールのような丸い目が、カレンダーを見て、すっと細められる。

 しばらくの静止。

 もう一度大きく見開かれ、そして、また細くなった。


「…………ん?」

 長い沈黙の後、ようやく湊が絞り出した声が、それだった。

 思考が、全く追いついていない。頭が回らなくなったのか、

「ごー、ろく、なな……じゅういちねん後?」

 と、指を折って数え始める始末だ。


 2014年を生きる高校一年生の少年たちにとって、2025年は、あまりにも遠い、実感の湧かない未来の数字だった。


「あ……」

 その時、樹は、貸し出しカウンターの向こう側、所狭しと書庫が並んでいる一角が、ほんのりと淡く光を放っていることに気づいた。


「湊……何か、感じる? 持ち主の気持ち、みたいなの」

「え? いや……」

 湊は、首を横に振る。

「何も感じねえけど……」

「僕も、何も感じない」

 この棚からは、何のビジョンも見えてこない。「落とし物」とは、何かが違うのだ。


 樹はカウンターの向こう側へと回り込み、光源を探した。

 それは、新聞の縮刷版が収められた、大きなスチール製の棚だった。

 棚全体が、まるで内側から発光しているかのように、淡い光を帯びている。


 樹が、いくつも並んだ引き出しの一つに、おそるおそる指をかける。

 すると何の抵抗もなく、まるで自動ドアのように、するりと静かに引き出しが開いた。

 中には、分厚い背表紙に年代が几帳面に記された、地元新聞の縮刷版が、ぎっしりと詰め込まれている。


 一番手前にあった、最新版と思われる巻の背表紙には、『2025年 1月-3月』と記されていた。


「こっちも2025か……これ……持って帰れんのかな……」

 湊が、ごくりと喉を鳴らす。

「そうだね。戻って、じっくり読んでみたい」

 樹は最新版の縮刷版を、両手でゆっくりと取り出した。

 ずしりと重い。歴史の重み、そのものだ。


「他に何か持って帰るか?」

 湊が図書室を見渡すが、他の書架はどれも灰色の塵にまみれ、背表紙の文字さえ判別できない。この光る棚の中にある縮刷版だけが、まるで昨日作られたかのように、綺麗な状態を保っていた。


「……頭が、混乱しそうだから。今は、これだけでいい。一度戻って、頭冷やして、ゆっくり考えよう」

「そうだな……アイスでも食おうぜ」

 湊の言葉に、樹は頷いた。


 縮刷版を大事に抱え、二人は入ってきた窓へと向かう。

 だが。


「え?」

 窓から廊下へ出ようとした樹の身体が、見えない壁に阻まれて、こつん、と鈍い音を立てて弾かれた。


「なんで……?」

「どけ、樹!」


 湊が、思い切り窓枠の空間を殴りつけ、蹴り飛ばす。だが、まるで分厚い防弾ガラスにでも阻まれたかのように、彼の拳も足も、虚しい音を立てるだけだった。


 樹は、ふと、腕に抱えた縮刷版に目を落とした。

「……新聞の縮刷版って、確か、館内閲覧のみで、貸し出しは不可、なんだよね」

「え、そういうこと?!」


 樹は、半信半疑のまま、縮刷版を元の引き出しへと戻した。それを確認した湊がもう一度、窓に手を伸ばす。今度は、何の抵抗もなく、するりと腕が外へ出た。

「マジだったわ。ルールに厳しいタイプみてぇだな、こっちの世界は」

 湊が先に窓を飛び越えて、廊下へ出る。


「樹」

 廊下から、湊の手が樹に向かって差し出された。

「ほら」

「うん」

 樹は図書室側から、その手を強く握り返した。湊に引かれるまま、窓を飛び越える。


 二人は五段飛ばしで階段を駆け降りて、灰色の学校を後にした。


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