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夏の異界  作者: キタノユ
22/39

ep.20 学校

 二人は、灰色の世界の静まり返った通学路を歩く。

 やがて、見慣れた校舎が姿を現した。

 色褪せた校舎は巨大な廃墟となって、灰色の空の下で沈黙している。


 校門は錆びついた鉄柵で固く閉ざされ、「学校関係者以外立ち入り禁止」と書かれた看板が立てかけられていた。


「閉まってる……」

「まあ、俺たちには関係ねえけどな」


 二人は同時に助走をつける。灰色の塵を蹴散らすと、身体がふわりと浮き上がり、いとも簡単に高い鉄柵を飛び越えた。この世界の奇妙な物理法則にも、二人はすっかり慣れてしまっていた。


 緩やかなスロープを上り、校舎の昇降口へと向かう。

 ガラス戸は開け放たれていた。

 二人は自然と息を潜めて、校内へと侵入した。


 ひやりと、冷たい空気が肌を撫でる。

 外よりも一層濃密な、埃と、チョークの粉、そして黴が混じり合った、独特の空気がよどんでいた。

 内部の構造は、二人が知る学校と同じだ。

 だが、そこには、無数の「違い」が潜んでいた。


「なあ、樹。なんか、ここ、狭くね?」

 昇降口にずらりと並んだ下駄箱を前に、湊が首を傾げた。

 樹も、その違和感に気づく。


 一年生が使うはずの下駄箱が、一棚、ごっそりと無くなっている。

 その空間には、代わりに、業務用のような大きな傘立てが置かれていた。


「……本当だ。僕たちのクラスの分が、丸々ない……」


 胸騒ぎを覚えながら、中央廊下へと進む。

 正面に飾られた、トロフィーや賞状が並ぶガラスケースの中身は、スカスカだった。

 記憶の中では、古いものも含めて小さな大会の賞状やトロフィーがいくつも並んでいたはずだ。


 暑くも寒くもない世界で、背筋に寒気のような痒みが走る。

 二人は息を呑み、自分たちの教室があるはずの一階の廊下を進んだ。


「1-A……」

 その次の教室は、当然「1-B」のはずだった。


 だが、そこに教室のプレートはない。

 その次の「1-C」もない。

 各学年に三クラスあったはずが、一年はA組ひとつだけだった。


 二人は、プレートが外された、のっぺらぼうの引き戸の窓から、中を覗き込んだ。

 そこは、教室ではなかった。

 古い机や椅子がうず高く積み上げられ、壊れた体育用具や、段ボール箱が散乱する、ただの物置と化していた。


「……僕たちの教室が、ない」

 樹の、かすれた声が、静寂に響く。


「上いってみようぜ」

 湊の声に背中を押されて、共に二階へ、三階へと駆け上がった。

 だが、結果は同じだった。

 二年生も、三年生も、三クラスずつあったはずの教室が、それぞれ二クラスに減っていたのだ。


 呆然としながら、二人は再び一階の、物置と化した自分たちの教室の前に戻ってきた。

 がらんとした廊下に立ち尽くす。


「……僕たちの、学校じゃないみたいだ」

 樹のかすれた声が、トンネルのような廊下に虚しく響いた。

「外から見た感じは、俺たちの学校だったよな! 場所も、変わってねえし」

 湊が、不安を振り払うように張り上げた声も、虚しく空洞を抜けて行った。


「入ってみよう……」

 樹は、一番手前にあった『1-A』の教室の引き戸に、そっと手をかけた。動かない。教室の後方の扉が、開けっぱなしになっている。そちらへ廊下を移動し、樹は意を決して中へと足を踏み入れた。


 廊下よりも一層、重く沈んだ空気が肌を撫でた。

 樹はすぐに、その違和感の正体に気づく。

 やけに、教室が広く感じるのだ。


「……席が、少なくない?」

 教室には、机と椅子が少し乱雑に、横に五席、縦に五列の合わせて二十五席が並んでいる。後から入ってきた湊が、眉をひそめる。

「だな。俺たちのクラスで、名簿で三十人ちょっといたはずだろ」

 二人の記憶にある、自分たちの教室よりも、明らかに一クラスの生徒数が少ない。


 二人は、さらに教室の中へと踏み入った。さくり、さくりとガラス粒を踏みしめる感触。

 正面の黒板には、無数のチョークの跡が、幽霊のようにうっすらと残っている。

 目を凝らすと、一番上に、大きく『夏』と『休』と書かれていたであろう痕跡が、かろうじて見て取れた。


 壁の掲示物は、その多くが画鋲だけを残して剥がれ落ち、残っているものも、ふやけ、紙の色が褪せて、ほとんど文字は読めない。だが『行事予定』『テスト』など、ところどころ拾える単語から、樹たちの教室にあったものと、そう変わらない光景がここにもあったのだと推測できた。


 ここもまた、自分たちの世界とよく似た、けれど、何かが決定的に違う場所。


「あ……」

 樹の目が、ふと、黒板の左脇、窓際の床に落ちているものに止まった。

 それは、教室の壁にかかっていたはずの、月めくりのカレンダーだった。

 画鋲が外れ、床に落ちたのだろう。灰色の、ガラス粒のような塵に、その半分ほどが埋まっている。


 樹は、吸い寄せられるようにそれに近づき、膝をついた。ちょうど年月を記した部分を覆っているガラス粒の砂を、指先で払いのける。


 印刷された文字の大部分は、色褪せてしまっている。だが、一番大きく書かれた数字は、はっきりと読めた。


『7』


 やはり、七月だ。夏休みが始まる季節。

 そう、納得しかけた瞬間――


『2025年』


「……え……?」

 樹の目が、ありえない数字を読み取った。


「え、待って、25って……」 

 頭がうまく、回らない。

 印刷ミス?

 ありえない。

 だって、今は。

 平成二十六年。西暦、2014年のはずだ。


 教室のカレンダーは、十一年も先の未来、2025年の7月を示していた。


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